橋爪功

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テンプレート:Mboxテンプレート:ActorActress 橋爪 功(はしづめ いさお[1]1941年9月17日 - )は日本の俳優演劇集団 円代表、円企画所属。

経歴

生い立ち

大阪東住吉区に生まれた[2]。路地奥の上下に二間、内風呂と小さなのある借家で育つ[2]。父・徳松は和歌山県海南出身[2]。母・きぬは社会的には日陰の身[3]、父の籍に入っておらず、父には本妻が別にいた[2]。11才上の兄はいったん母親の兄の籍に入った後、父の籍に入ったので、当初は功が母の戸籍上では長男となっていた[2]。功が物心ついた頃は父・徳松は大阪電気商会という会社の重役を務めていた[2]。功も兄もしょっちゅう本宅に行き、父が会社から本宅に帰る時は、お土産とかを取りにいった[3]。“イヤな思い”をしたことはなかった[3]

学生時代

中学2年で父親を亡くす[4]。父の本妻は病弱だったため、父の死後まもなく亡くなった[4]

天王寺高校1年の2学期、東京に転居。[4]青山高校に転校した[4]。青高ではみんな髪が長くて服装も自由、一遍に軟弱な気質に染まった[5]

俳優として

1961年文学座附属演劇研究所の1期生に応募し合格。同期には岸田森草野大悟寺田農樹木希林小川眞由美北村総一朗がいた。1963年、文学座を離れ劇団雲に参加する。1974年、尊敬する芥川比呂志演出の舞台『スカパンの悪だくみ』で関西弁でスカパンを演じ、この仕事が俳優としての転機となり一躍演劇界のスターとなる。

1975年、芥川、仲谷昇岸田今日子有川博らとともに、演劇集団 円の創立に参加。以降も所属する円を中心に、舞台活動を続けている。2006年、前代表の仲谷昇の死後、円の代表となる。野田秀樹との二人芝居『し』や、椎名桔平と共演の『レインマン』など、外部出演も多い。

2010年1月に放送されたFMシアター『かわり目~父と娘の15年~』(NHK大阪放送局製作)では、放送文化基金賞演技賞受賞。

2011年、第46回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。

テレビドラマでは、連続ドラマ2時間ドラマ問わずにコンスタントに出演し、しかも主役から脇役まで幅広く演じ分けて個性を発揮(若い頃は脇役専門で、1970年代から1980年代には個性派の悪役としても活躍している)。なお、主役を演じるようになったのは50代に入ってからである。またナレーションもこなしている。

コミカルな役から、シリアスな役まで幅広く演じることのできる、ドラマや映画において欠かせない貴重な俳優である。海外ドラマの吹き替えや、中学校国語科教科書音声教材CD(光村図書版)での魯迅『故郷』の朗読などもこなしている。

受賞歴

人物・エピソード

家族・親族

橋爪家

和歌山県海南市大阪府大阪市東住吉区東京都世田谷区

父・徳松教育者実業家
父・徳松(明治26年2月生[12])は和歌山県海南出身で、家は極貧だったが頭が良かったので地元の篤志家がを出してくれて、中学を二年飛び級して大学に行った[2]。中学まで二里の道を毎日歩いた[2]。学校までの中間地点にいつも徳松が野糞をするの木があって、地元の人はそこを“徳松の松”と呼んでいた[2]。橋爪が物心ついた頃は徳松は大阪電気商会重役だったが、昔は旧制の天中(天王寺中学)で化学の先生をしていた[2]。そのうち何を思ったか教師をやめて東北大学法科に入り直した[2]。そして満鉄関係の仕事で中国に渡ったりした[2]汚職で一遍刑務所に入ったことがあった[2]。母は「お世話になってた人を庇(かば)って服役した」と述べている[2]。1年半後に出てきて、新しい会社を紹介してもらってそこの重役になった[2]。変わった人だった[2]。橋爪によれば「小柄ですし、男前でもなかったけど、ちょっと色気のある男だった。よく歌舞伎に連れてってくれた。いつも苦虫噛みぶしたような顔していた」という[3]
略歴 - 大正5年東京高等工業[12]。横浜舎密化学研究所に入り朝鮮電気興業に転じ大阪府立天王寺中学大阪今宮工業学校教諭となり昭和2年東北大法文学部卒後大阪織物に入社[12]昭和13年専務[12]昭和16年大阪電気商会大阪暖房商会取締役支配人に就任[12]宗教浄土宗[12]趣味は観劇[12]
母・きぬ
母・きぬは父・徳松より13下だった[3]船場の甘い物屋の娘である[3]。明るい人で綺麗だった[3]。社会的には日陰の身だった[3]平成元年[13]
姉、兄
橋爪によれば「兄貴は11上で間に姉がいるんですけど赤ん坊の時に本妻さんにあげちゃったんです。本妻さんには子供がなかったから。うちの姉は呑気な人でね。顔は誰が見たってうちのお袋とそっくりで本妻さんには全然似てないのに結婚するまで本妻さんが本当の母親だと思ってたの(笑)。楽天的なんです、お袋に似て。」という[2]
父が死んだ時、兄は既に三井造船に入っていて岐阜に転勤していたけど、もともと飛行機が好きな人で、阪大工学部流体力学を勉強していたから、昭和30年頃、三鷹航空技術研究所ができた時に公務員試験を受けてそこに入った[4]
息子・(俳優)

出演作品

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日(旧NET)

テレビ東京

WOWOW

映画

バラエティ番組・教養番組

ラジオ

舞台

ファウスト』の公演をライフワークにしている。

CM

劇場版アニメ

吹き替え

その他

参考文献

  • 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇キネマ旬報社、2011年、p139 - 148

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

  • 俳優の中には有職読みで「はしづめ こう」と呼ぶ者もある。
  • 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』140頁
  • 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』142頁
  • 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』143頁
  • 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』144頁
  • テンプレート:Cite web
  • [1]
  • [2]
  • 『刑事マガジン』Vol.8(2009年、辰巳出版)
  • [3]
  • [4]
  • 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 12.6 第十九版 大衆人事録 西日本編』は六三七頁
  • 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』148頁