吉行和子

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テンプレート:ActorActress 吉行 和子よしゆき かずこ、本名 同じ、1935年8月9日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優エッセイスト俳人血液型はB型。

父は作家吉行エイスケ、母は美容師吉行あぐり。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人吉行理恵。私生活では結婚・離婚を経験、子供はなし。

来歴

2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。父が幼少時に死去し、母は働いていたため、ひどい喘息の発作が起こると、岡山の祖父の元に預けられていた。

1954年に女子学院高等学校を卒業する。在学中の同年に劇団民藝付属水品研究所に入所する。ただし、体が弱かったこともあり、女優になるつもりはなく、衣装係にでもなれればと思って受験したところ、思いがけず女優候補として採用された。

1955年に初舞台を踏む。1957年には民藝所属となり、『アンネの日記』のアンネ・フランク役に抜擢され主役デビューする。しかしその後は、地味な「農民の娘」役ばかりであったという。

1969年に民藝を退団してフリーになり、1974年の舞台『蜜の味』は、紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した。舞台女優としては、34年後の2008年、『アプサンス〜ある不在〜』を最後に舞台から引退することを表明したが、舞台が好評を博したため、2009年にアンコール公演が決まった。吉行自身はこのことに関して「女優って嘘つきですね」とコメントしている。一応、この作品のアンコール公演をもって舞台は引退するというが、その撤回も考えていると、2009年出演の『徹子の部屋』でその複雑な胸中を明らかにした。

一方、1955年に津島恵子主演の映画『由起子』で映画デビューする。1959年に日活と契約し、同年の『にあんちゃん』『才女気質』の演技で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞する。1978年に性愛を大胆に扱った大島渚監督の『愛の亡霊』に主演して(40歳を過ぎての出演には周囲の反対があった[1]。)世間を驚かせ、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。さらに『折り梅』などで2002年毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞した。

おかあさんといっしょ』の「おはなしこんにちは」のコーナーでお話のお姉さんとして茶の間にも親しまれ、『3年B組金八先生』や『ナースのお仕事』は有名。

文筆の世界でも、1983年にエッセイ集『どこまで演れば気がすむの』を出版し、同作で1984年の第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。2000年の母の日に贈った五行歌は「朝日新聞」で大きく紹介され、注目を集めた。

エピソード

  • 成年しても喘息は治らず、ずっと喘息の薬を飲んでいた。
  • 実際の性格はお茶目で温厚である。『タモリのジャポニカロゴス』では演じ分けを行い、タモリから絶賛された。
  • 1960年(昭和35年)6月22日ベルリン国際映画祭に出席のため、日活の堀久作社長らと共にドイツベルリンへ出発。同7月14日、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なドイツ訪問となった。
  • 女優の岸田今日子冨士眞奈美と親しく[2]、しばしば3人で座談会やテレビに出演。2000年には共著『ここはどこ』『わたしはだれ?』を出した。タレントのピーコとも親交が深く、ピーコが癌で入院した時には、毎日お見舞いに行っていた。ピーコが家族以外に癌であることを真っ先に知らせた人物でもある。
  • 佐賀のがばいばあちゃん』では家事の達人を演じたが、『愛のエプロン』出演時に家には「包丁がなく、御飯を炊くのも20年ぶりだ」と告白。料理上手な役が多いが、「それはあくまでドラマとかでの話ですから」と話している。
  • 上記のように、料理の経験はほとんどなく、料理を作らなかったことが離婚の原因のひとつだと話している。自宅のキッチンは大金をかけて設備投資をしたが、キッチンが汚れるのが嫌いという理由から、普段は布をかけて使っていない[3]
  • かつて舞台で共演した蟹江敬三に好意を抱いている。「普通は共演するとその人の嫌なところが見つかるものだが、蟹江さんは一つもいやなところがない素敵な人」と話している。ちなみに、蟹江敬三は既婚である[3]
  • 音楽関係では小室ファミリーが好きで良く聴いている[4]

受賞歴

主な出演

映画

テレビドラマ

NHK

日本テレビ系

TBS系

フジテレビ系

テレビ朝日系

テレビ東京系

バラエティー

他多数

教養番組

  • てれび絵本(朗読)
  • からだ研究所〜いつまでも輝く人生を送りたい〜(BSフジ、ナレーター)
  • ヨーロッパ水風景 スペイン マドリッド〜トレドの旅(2014年1月5日、BSジャパン) - 旅人

ラジオ

CM

朗読作品

  • 太宰治作品集2 灯籠 葉桜と魔笛(岩波書店、1988年6月)
  • 尋ね人の時間(新井満著、文藝春秋、1988年)

著書

  • どこまで演れば気がすむの (潮出版社、1983年11月/潮文庫、1985年)
  • 気分は夕焼け色 (潮出版社、1986年4月)
  • 男はみんなハムレット (文藝春秋、1989年6月)
  • 兄・淳之介と私 (潮出版社、1995年7月)
  • 楽園幻想 (堀文子画、講談社、1997年5月)
  • 老嬢は今日も上機嫌 (新潮社、2008年6月)
  • ひとり語り 女優というものは (文藝春秋、2010年5月)

共編著

  • 吉行エイスケとその時代 モダン都市の光と影 (齋藤愼爾と責任編集、東京四季出版、1997年7月)
  • ここはどこ 時に空飛ぶ三人組 (岸田今日子冨士眞奈美共著、文春文庫、2000年5月)
  • わたしはだれ? 櫻となって踊りけり (岸田今日子、冨士眞奈美共著、集英社、2000年6月)
  • 東京俳句散歩 (冨士眞奈美共著、光文社知恵の森文庫、2004年5月)
  • あぐり白寿の旅 (吉行あぐり共著、集英社、2006年6月/集英社文庫、2009年)

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:毎日映画コンクール女優助演賞
  1. 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 熟裸身を堪能する映画ベスト10
  2. 岸田とは二度続けて清水邦夫の芝居に一緒に出た後、1984年暮れから1985年初にかけて一緒にインド旅行をして以来の親友。そのインド旅行は、案内人の山際素男が著した本『脳みそカレー味』に描かれている。その頃、冨士は結婚して家庭に入っていたが、後に離婚して、一緒に句会に参加して仲良くなった。
  3. 3.0 3.1 2009年10月2日放送、TBS「ぴったんこカン・カン」より
  4. 関口宏の東京フレンドパーク』クイズ&ボディープレーンによる。
  5. テンプレート:Cite web