伊那電気鉄道
伊那電気鉄道(いなでんきてつどう)は、戦前にあった長野県の鉄道会社。
長野県最初の私鉄で、現在の東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の前身の一つである。
目次
歴史
中央本線誘致に失敗した伊那谷の有力者たちは、自力での鉄道建設を考え、1895年(明治28年)伊那富村より飯田町へ至る約40哩の電気軌道の敷設を請願した。このとき電気軌道はまだ京都電気鉄道が唯一であったが地元有力者の男爵辻新次(初代社長)が鉄道建設の協力を依頼した高木守三郎[1]が大師電気鉄道発起人[2]であったこと[3]や辻男爵が諏訪電気[4]を設立して電力を供給できるようにしたことが要因とされている。ところが1897年(明治30年)2月に軌道特許状が下付されたものの不況により株式の募集が難航した。そのため募集を中止し計画は頓挫してしまう。やがて中心人物であった伊原五郎兵衛がなくなり1906年(明治39年)に三男が学業を終え家業継承するために帰郷して伊原五郎兵衛[5]を襲名し、辻男爵ら地元有力者を集め発起人総会を開き株式募集を再開しようやく1907年(明治40年)9月に伊那電車軌道が設立となった。最初の開業区間は1909年(明治42年)の辰野 - 松島(伊那松島)間で、軌道法による軌道(路面電車)規格であった。
その後は、資金を調達次第、路線の延伸が図られ、1911年(明治44年)に伊那町駅(伊那市駅)まで開通した。1919年(大正8年)に社名を伊那電気鉄道に改称。1923年(大正12年)には、全線が軌道から地方鉄道法による鉄道規格に変更され、架線電圧が600Vから1200Vに昇圧された。そして1927年(昭和2年)12月26日には悲願だった天竜峡 - 辰野間が全通した。
1937年(昭和12年)、三信鉄道が全線開通すると、同鉄道を介して鳳来寺鉄道、豊川鉄道に乗り入れ、吉田(豊橋駅) - 辰野間で4社直通運転を開始した。天竜峡以南は架線電圧が異なる(1500V)ため、付随車のみの直通であったが、これは、当時日本最長の電化区間であった。
1943年(昭和18年)8月1日に戦時買収により国有化され、国鉄飯田線となり伊那電気鉄道は解散した。
年表
- 1897年(明治30年)2月27日 - 軌道特許状下付(上伊那郡伊那富村-下伊奈郡飯田町間)[6]
- 1907年(明治40年)9月30日 - 伊那電車軌道株式会社設立(本社東京市京橋区築地)[6][7]。
- 1909年(明治42年)12月28日 - 辰野-松島間開業。
- 1912年(明治45年)6月12日 - 軽便鉄道指定(上伊那郡伊奈町-下伊那郡飯田町間)[8]。
- 1913年(大正2年)12月27日 - 運輸営業開始(伊奈町 - 宮田間)[9]。
- 1914年(大正3年)10月31日 - 運輸営業開始(宮田 - 赤穂間)[10]。
- 1914年(大正3年)12月26日 - 運輸営業開始(赤穂 - 伊那福岡間)[11]。
- 1915年(大正4年)6月24日 - 運輸営業開始(伊那福岡 - 伊那福岡終点間)[12]
- 1916年(大正5年)11月21日 - 中央本線・辰野駅に乗り入れ開始。
- 1917年(大正6年)5月26日 - 駒場水力電気[13]と神稲電気[14]を買収。
- 1918年(大正7年)2月11日 - 運輸営業開始(伊那福岡終点 - 飯島間)、伊那福岡終点廃止[15]。
- 1918年(大正7年)4月 - 飯田電燈[16]と合併仮契約
- 1918年(大正7年)7月23日 - 運輸営業開始(飯島 - 七久保間)[17]。
- 1918年(大正7年)12月12日 - 運輸営業開始(七久保 - 高遠原間)[18]。
- 1919年(大正8年)5月21日 - 鉄道免許状下付(上伊那郡伊那富村-同郡伊奈町間)[19]。
- 1919年(大正8年)8月20日 - 伊那電気鉄道に改称。
- 1920年(大正9年)11月22日 - 運輸営業開始(高遠原 - 上片桐間)[20]。
- 1922年(大正11年)7月13日 - 運輸営業開始(上片桐 - 伊那大島間)[21]。
- 1922年(大正11年)10月7日 - 諏訪電気鉄道に対し鉄道免許状下付(諏訪郡平野村-同郡湖南村間、諏訪郡平野村-同郡宮川村間)[22]。
- 1923年(大正12年)1月15日 - 運輸営業開始(伊那大島 - 山吹間)[23]。
- 1923年(大正12年)2月12日 - 飯田電気鉄道に対し鉄道免許状下付(下伊那郡上飯田村-同郡下川路村間)[24]。
- 1923年(大正12年)3月13日 - 運輸営業開始(山吹 - 市田間)[25]。
- 1923年(大正12年)3月16日 - 辰野 - 松島間の線路付け替え。地方鉄道へ転換[26]。
- 1923年(大正12年)3月18日 - 運輸営業開始(市田 - 元善光寺間)[27]。
- 1923年(大正12年)8月3日 - 運輸営業開始(元善光寺 - 飯田間)[28]。
- 1923年(大正12年)12月1日 - 運輸営業開始(伊那松島 - 伊奈町間)[29]。
- 1923年(大正12年)12月26日 - 軌道特許失効(上伊那郡伊那富村-同郡伊奈町間 営業廃止)[30]。
- 1924年(大正13年)7月23日 - 飯田電気鉄道所属の鉄道敷設権譲受(許可)[31]。
- 1926年(昭和元年)12月17日 - 運輸営業開始(飯田 - 伊那八幡間)[32]。
- 1927年(昭和2年)2月5日 - 運輸営業開始(伊那八幡 - 毛賀間)[33]。
- 1927年(昭和2年)4月8日 - 運輸営業開始(毛賀 - 駄科間)[34]。
- 1927年(昭和2年)6月29日 - 諏訪電気鉄道を合併[35]。
- 1927年(昭和2年)11月16日 - 乗合自動車営業認可(飯田駅- 桜町駅間)翌年営業開始。
- 1927年(昭和2年)12月26日 - 運輸営業開始(駄科 - 天龍峡間)全通開業[36]。
- 1928年(昭和3年)5月7日 - 鉄道免許失効(諏訪郡上諏訪町-同郡湖南村間、同郡平野村-同郡宮川村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請を為ササルタメ)[37]。
- 1934年(昭和9年)7月21日 - 中央自動車を買収
- 1934年(昭和9年)8月21日 - 鉄道免許取消(諏訪郡平野村岡谷-同郡上諏訪町間 指定ノ期限マテニ工事竣工セサルタメ)[38]。
- 1935年(昭和10年)7月1日 - 阿島自動車を買収
- 1941年(昭和16年)1月18日 - 国有化が閣議決定。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 乗合自動車部門を大平自動車[39]に譲渡
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 全区間が国有化[40]。伊那電気鉄道は解散。
当時の運行形態
時代よっても変わるが、概ね1時間1本で1日20往復から23往復の列車が走った。各駅停車の普通列車のみで、原則として辰野 - 天竜峡間の各駅に停車した。また日中はパターンダイヤ化されており利用しやすいように工夫もなされ、1937年(昭和12年)に三信鉄道が全通すると、1日7往復の列車が豊橋駅に乗り入れ、三遠南信間の都市間輸送の一翼を担った。
駅一覧
1943年
買収直前(1943年7月31日)現在の一覧を示す。〈駅名〉は国有化時に廃止された駅。
天竜峡駅 - 伊那川路駅 - 〈開善寺前停留場〉 - 時又駅 - 駄科駅 - 毛賀駅 - 伊那八幡駅 - 下山村停留場 - 鼎駅 - 切石停留場 - 飯田駅 - 桜町停留場 - 伊那上郷駅 - 元善光寺駅 - 下市田停留場 - 市田駅 - 下平停留場 - 山吹駅 - 伊那大島駅 - 上片桐駅 - 伊那田島停留場 - 〈高遠原停留場〉 - 七久保駅 - 伊那本郷駅 - 飯島駅 - 〈伊那赤坂停留場〉 - 田切停留場 - 伊那福岡駅 - 小町屋停留場 - 赤穂駅 - 〈大田切停留場〉 - 宮田駅 - 赤木駅 - 沢渡駅 - 下島駅 - 伊那町駅 - 〈入舟停留場〉 - 伊那北駅 - 田畑駅 - 北殿駅 - 木ノ下駅 - 伊那松島駅 - 沢駅 - 羽場駅 - 南新町停留場 - 宮木停留場 - 〈西町駅〉 - 辰野駅
※赤木 - 沢渡間に音徳寺坂停留場、沢渡 - 下島間に唐木停留場、下島 - 伊那町間に小黒停留場があったが、1923年に廃止された。また大田切 - 宮田間に駒ヶ原停留場があったが、1918年に廃止された。
1923年
松島 - 辰野間が軌道から鉄道に変更される直前(1923年3月15日)の伊那町 - 辰野間の駅一覧。〈駅名〉は変更時に廃止された駅。
伊那町駅 - 入舟停留場 - 伊那北駅 - 〈山寺停留場〉 - 〈御園停留場〉 - 神子柴停留場 - 〈田畑停留場〉 - 〈南殿停留場〉 - 北殿駅 - 〈塩ノ井停留場〉 - 〈久保停留場〉 - 木ノ下駅 - 松島駅 - 〈追分停留場〉 - 〈大出停留場〉 - 〈沢停留場〉 - 羽場駅 - 〈神戸下停留場〉 - 〈南新町停留場〉 - 〈新町停留場〉 - 〈宮木停留場〉 - 西町駅 - 辰野駅
輸送・収支実績
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1910 | 166,543 | 289 | 21,749 | 22,347 | ▲ 598 | 利子1,795 | ||
1911 | 199,932 | 7,196 | 30,700 | 20,765 | 9,935 | 利子1,951 | ||
1912 | 325,462 | 35,897 | 80,832 | 35,165 | 45,667 | 利子502 | ||
1913 | 310,417 | 32,563 | 97,244 | 42,674 | 54,570 | 利子1,648 | ||
1914 | 296,929 | 20,408 | 90,598 | 51,587 | 39,011 | 電気供給8,488利子151 | 電気供給2,338 | 35 |
1915 | 239,109 | 20,504 | 87,539 | 36,479 | 51,060 | 電気供給104,664 県補助金6,500利子370 |
電気供給66,703 | 13 |
1916 | 376,049 | 26,597 | 110,322 | 49,042 | 61,280 | 161,098 | 73,429 | 19,238 |
1917 | 723,898 | 58,440 | 133,075 | 67,849 | 65,226 | 電気供給軽便鉄道279,893 | 139,284 | 27,270 |
1918 | 971,759 | 68,968 | 156,752 | 77,857 | 78,895 | 524,357 | 314,292 | 36,382 |
1919 | 485,489 | 34,508 | 201,537 | 101,365 | 100,172 | 806,443 | 548,062 | |
1920 | 574,615 | 30,881 | 236,360 | 136,326 | 100,034 | 他事業1,024,404 新株募集超過金497,407 |
652,045 | |
1921 | 557,629 | 32,340 | 255,716 | 148,147 | 107,569 | |||
1922 | 568,493 | 34,768 | 274,945 | 140,566 | 134,379 | |||
1923 | 396,236 | 17,636 | 191,733 | 103,336 | 88,397 | 他事業1,808,479 県補助金188,538 |
他事業1,121,571 償却金173,165 |
21,942 |
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1914 | 143,581 | 9,248 | 46,730 | 8,578 | 38,152 | ||||
1915 | 239,109 | 18,846 | 72,453 | 21,670 | 50,783 | ||||
1916 | 279,132 | 23,344 | 90,965 | 32,077 | 58,888 | ||||
1917 | 723,898 | 58,440 | 115,131 | 47,624 | 67,507 | ||||
1918 | 971,759 | 68,968 | 178,121 | 83,983 | 94,138 | 受取利息438 | 建設費償却金1,000 | 43,855 | |
1919 | 1,019,010 | 80,708 | 291,544 | 141,268 | 150,276 | 軌道電力145,998 | 37,461 | ||
1920 | 939,495 | 67,428 | 356,462 | 207,244 | 149,218 | 新株額面超課金497,407 軌道及電燈電力323,176 |
|||
1921 | 1,163,650 | 83,772 | 456,735 | 261,041 | 195,694 | ||||
1922 | 1,327,629 | 94,627 | 564,650 | 252,141 | 312,509 | ||||
1923 | 1,980,987 | 90,247 | 803,840 | 343,646 | 460,194 | 電気業その他1,574,234 | 電気業その他 702,782 |
200,420 | |
1924 | 2,571,903 | 151,653 | 1,472,159 | 509,889 | 962,270 | 電燈業509,831 | 雑損37,050 | 383,789 | 14,846 |
1925 | 2,527,639 | 171,822 | 1,469,768 | 607,179 | 862,589 | 電燈電力供給686,492 | 雑損36,388 | 394,498 | |
1926 | 2,595,577 | 194,078 | 1,686,630 | 619,363 | 1,067,267 | 電気693,867 | 雑損35,150 | 455,428 | |
1927 | 3,035,602 | 229,759 | 1,822,527 | 625,127 | 1,197,400 | 電気680,312 | 社債差損その他74,125 | 522,583 | |
1928 | 3,652,773 | 261,174 | 2,128,301 | 737,576 | 1,390,725 | 電燈及自動車業574,300 | 社債差損金74,114 | 680,111 | |
1929 | 3,638,597 | 209,061 | 1,963,812 | 699,696 | 1,264,116 | 電燈電力供給634,475 | 償却金31,264 | 715,365 | |
1930 | 3,068,858 | 159,952 | 1,652,926 | 660,674 | 992,252 | 電気自動車業465,,775 | 償却金49,756 | 651,454 | |
1931 | 2,470,910 | 120,015 | 1,261,998 | 515,837 | 746,161 | 自動車及電気業365,627 | 償却金91,687雑損61,052 | 684,142 | |
1932 | 2,068,984 | 110,370 | 1,043,522 | 513,374 | 530,148 | 自動車及電気業344,437 | 社債差損金61,470 雑損償却金1,846156 |
694,902 | |
1933 | 2,078,999 | 140,041 | 1,099,298 | 496,203 | 603,095 | 自動車電燈電力417,534 | 雑損償却金103,779 | 735,912 | |
1934 | 2,059,326 | 152,064 | 1,098,270 | 461,834 | 636,436 | 電燈業その他139,656 | 社債差損金107,097 雑損償却金62,677 |
552,265 | |
1935 | 2,148,691 | 192,896 | 1,262,857 | 476,909 | 785,948 | 電燈業その他323,968 | 社債差損金20,211 償却金87,750 |
424,268 | |
1936 | 2,351,778 | 160,175 | 1,269,517 | 454,680 | 814,837 | 電燈業その他298,466 | 償却金雑損80,561 | 399,657 | |
1937 | 2,486,795 | 177,216 | 1,317,161 | 508,108 | 809,053 | 自動車電燈業275,391 | 償却金35,722雑損19,370 | 361,344 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
昇圧前
伊那電気鉄道は、当初軌道として発足したことから、開業からしばらくは路面電車タイプの2軸(4輪)単車が使用された。延べで2軸電動客車14両、ボギー電動客車3両、2軸付随客車5両、2軸電動貨車6両の計28両である。
昇圧後
買収・国有化時の所属車を示す。電気機関車は3形式9両、電車は11形式28両が国有鉄道籍となった。これらは、買収後も私鉄時代の形式番号のまま使用されたが、電気機関車は1952年(昭和27年)に、電車は1953年(昭和28年)に国鉄形式を付与された。
電装品は基本的にゼネラル・エレクトリック社系で、電車・電気機関車共に同社の日本における提携先である芝浦製作所の製品が多用されていた。
電気機関車
小型のデキ1形と中型のデキ10形、デキ20形があり、いずれも重連総括制御が可能であった。
電車
電動車は昇圧時に用意されたもので、一部は自社の伊那松島工場で製造している。付随車は制御回路の引き通しを設けない「後付付随車」といわれるもので、常に電動車の牽引により運転される。一部は600V時代の電動車の電装を解除したものである。鋼製車はデ120形とサ400形の2形式10両のみで、残りはすべて木造車である。
- デ100形(デハ100 - 102)→国鉄モハ1900形、クハ5910形
- デ110形(デハ110, 111)→国鉄モハ1910形、クハ5920形
- デ120形(デハ120 - 124)→国鉄モハ1920形
- デ200形(デハ200 - 204)
- サ100形(サハユニフ100 - 102)→国鉄サエ9320形 ※旧サロハユニフ100 - 102
- サ110形(サハユニフ110)→国鉄サエ9330形→サエ9320形 ※旧サハフ312
- サ200形(サハニフ200) ※旧サロハフ200
- サ210形(サハニフ210) ※旧サハフ301
- サ220形(サハニフ220) ※旧サハフ300
- サ310形(サハフ310, 311) ※旧サハフ302,303
- サ400形(サハニフ400 - 404)→国鉄クハ5900形、サハニ7900形
車両数の変遷
軌道線 | 鉄道線 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 電車 | 貨車 | 機関車 | 電車 | 貨車 | 備考 | ||||
有蓋 | 無蓋 | 計 | 有蓋 | 無蓋 | 計 | |||||
1910 | 4 | 0 | 2 | 2 | ||||||
1911 | 4 | 0 | 2 | 2 | ||||||
1912 | 8 | 3 | 8 | 11 | ||||||
1913 | 8 | 9 | 8 | 17 | ||||||
1914 | 11 | 18 | 8 | 26 | 11 | 18 | 8 | 26 | 電貨5 | |
1915 | 12 | 18 | 8 | 26 | 11 | 18 | 8 | 26 | 電貨5 | |
1916 | 11 | 18 | 13 | 31 | 11 | 18 | 13 | 31 | 電貨5 | |
1917 | 14 | 18 | 20 | 38 | 14 | 18 | 20 | 38 | 電貨5 | |
1918 | 14 | 27 | 20 | 47 | 14 | 27 | 20 | 47 | 電貨6 | |
1919 | 14 | 40 | 22 | 62 | 16 | 40 | 20 | 60 | 電貨6 | |
1920 | 17 | 42 | 20 | 62 | 19 | 40 | 20 | 60 | 電貨6 | |
1921 | 17 | 62 | 0 | 62 | 19 | 40 | 20 | 60 | ||
1922 | 17 | 62 | 0 | 62 | 19 | 40 | 20 | 60 | 電貨6 | |
1923 | 17 | 42 | 20 | 62 | 6 | 19 | 40 | 20 | 60 | 電貨6 |
1924 | 6 | 30 | 65 | 20 | 85 | |||||
1925 | 6 | 22 | 67 | 20 | 87 | |||||
1926 | 6 | 19 | 39 | 2 | 41 | |||||
1927 | 7 | 24 | 39 | 2 | 41 | |||||
1928 | 7 | 24 | 39 | 2 | 41 | |||||
1929 | 9 | 29 | 39 | 2 | 41 | |||||
1930 | 9 | 29 | 39 | 2 | 41 | |||||
1931 | 9 | 29 | 39 | 2 | 41 | |||||
1932 | 9 | 29 | 34 | 7 | 41 | |||||
1933 | 9 | 29 | 34 | 7 | 41 | |||||
1934 | 9 | 29 | 31 | 10 | 41 | |||||
1935 | 9 | 29 | 21 | 20 | 41 | |||||
1936 | 2 | 29 | 19 | 22 | 41 | |||||
1937 | 9 | 29 | 19 | 22 | 41 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
- 軌道線と鉄道線に重複計上
- 備考 電貨(電動貨物車)は鉄道線、貨車、有蓋に含まれる
脚注
- ↑ 『人事興信録. 2版』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『京浜電気鉄道株式会社沿革』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『男爵辻新次翁』では高木守三郎と潮田伝五郎が計画を持ち込んだことになっている(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治32年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『人事興信録. 第11版(昭和12年)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 6.0 6.1 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治42年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「軽便鉄道指定」『官報』1912年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年1月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年8月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年2月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年8月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年12月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1919年5月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1920年11月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年7月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年10月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年1月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年2月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年3月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年3月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年8月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年12月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軌道特許失効」『官報』1923年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道敷設権移転」『官報』1924年7月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年2月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年4月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『鉄道統計資料. 昭和2年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年1月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許失効」『官報』1928年5月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許取消」『官報』1934年8月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「鉄道省告示第204号」『官報』1943年7月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献
- 笠原香「伊那電覚え書き」『鉄道ピクトリアル』No.617
- 中務一郎「日本民営鉄道経営史の一考察」『千葉商大論叢』第18巻3号、19巻1号
- 『飯田線展 三遠南信を結ぶレイルロードヒストリー』桜が丘ミュージアム、2003年
関連項目
- 高遠電気軌道
- 国鉄旧形電車の車両形式
- 銚子鉄道 - 電化の際増資を引受け筆頭株主となる。伊原五郎兵衛が取締役『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 武州鉄道 - 山口平九郎と伊原五郎兵衛を役員に送り込み電化と延長を計画したが1931年撤退