市田駅
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市田駅(いちだえき)は、長野県下伊那郡高森町下市田にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
駅構造
相対式ホーム2面2線を持ち、列車交換が可能な地上駅。西側に駅舎がある。ホーム間の移動用に、ホームの下市田駅側に構内踏切がある。駅の南側には、保線車両用の留置線がある。かつては、駅舎の北側に有蓋車用の貨物ホームがあった。跡地はバス停となっている。
飯田駅管理の簡易委託駅で、高森町が業務を受託している。2013年3月31日までは東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、みどりの窓口も設置されていた。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color飯田線 | 下り | 辰野方面[1] |
2 | テンプレート:Color飯田線 | 上り | 飯田・天竜峡方面[1] |
駅周辺
高森町だけではなく、天竜川対岸の豊丘村への玄関駅。二つの町村を明神橋が結んでいる。地理的関係からこの駅から乗降する高校生が多く、朝は非常に混雑する。駅前から豊丘村各方面(堀越・佐原・福島)へのバス、および、高森町が運営する町内の高齢者を対象とした福祉バスが発着している。駅の隣には出砂原商店街があり、自治会などが整備する「市田駅バラ園」が近所に存在したが、2007年に撤去された。
歴史
- 1923年(大正12年)3月13日 - 伊那電気鉄道の駅として開業。一般駅。開業後5日間のみ、山吹駅からの延伸後の終着駅であった。
- 1923年(大正12年)3月18日 - 伊那電気鉄道が元善光寺駅まで延伸。途中駅となる。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化され、国鉄の駅となる。
- 1961年(昭和36年)6月 - 後に「三六災害」と呼ばれた大水害が発生。駅周辺の線路が天竜川より氾濫した土砂に埋没するなど被害を受ける。
- 1969年(昭和44年)2月2日 - 新駅舎完成。
- 1982年(昭和57年)11月1日 - 車扱貨物の取扱いを廃止(旅客駅となる)。
- 1983年(昭和58年)2月24日 - 業務委託開始。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 荷物の取扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
- 2011年(平成23年)5月31日 - リニア中央新幹線において、JR東海が想定している長野県での駅設置位置が本駅と下市田駅周辺、及び南方の農地であると言う報道がされる[2]。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 自治体による簡易委託駅になる[3]。
隣の駅
- 東海旅客鉄道
- 飯田線
- テンプレート:Color快速「みすず」
- テンプレート:Color普通
脚注
関連項目
テンプレート:Navbox- ↑ 1.0 1.1 駅掲示用時刻表の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(2011年1月現在)。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 飯田市内2駅が無人駅に JR飯田線 - 中日新聞(2013年2月9日)2013年3月8日閲覧。