ブルネイ
- ブルネイ・ダルサラーム国
- Negara Brunei Darussalam
برني دارالسلام -
ブルネイの国旗 ブルネイの国章 (国旗) (国章) - 国の標語:常に神の導きに従いなさい
- 国歌:国王陛下に神のご加護を
- ブルネイの位置
公用語 マレー語(ブルネイ・マレー語) 首都 バンダルスリブガワン 最大の都市 バンダルスリブガワン 通貨 ブルネイ・ドル(BND) 時間帯 UTC (+8)(DST:なし) ISO 3166-1 BN / BRN ccTLD .bn 国際電話番号 673 </dd> </dl> ブルネイ・ダルサラーム国(ブルネイ・ダルサラームこく)、通称ブルネイは、東南アジアのイスラム教国で、イギリス連邦加盟国である。カリマンタン島(ボルネオ島)北部に位置し、北側が南シナ海に面するほかは陸地ではマレーシアに取り囲まれている。首都はバンダルスリブガワン。元首はハサナル・ボルキア国王(スルターン)。
石油や天然ガスなどの資源を多く埋蔵しており、ASEANの一員になっている。
目次
国名
正式名称は、マレー語のアラビア文字(ジャウィ文字)表記では、برني دارالسلام 、ラテン文字表記では、Negara Brunei Darussalam。「ヌガラ・ブルネイ・ダルッサラーム」と読む(日本における呼称「ネガラ・ブルネイ・ダルサラーム」はローマ字読みの転訛に由来したもので、本来は誤りである)。
公式の英語表記は、Brunei Darussalam (ブルナイ・ダルッサラーム)。略称は、Brunei。
日本語表記は、ブルネイ・ダルッサラーム国。通称、ブルネイ。中国語における表記は「文萊」、「汶萊」であり、「汶」と略される。
Negara は、マレー語で「国」を意味する語。Darussalam は、アラビア語の dar(u) (家、土地)と (a)s-salam (平和)で、「平和な土地」の意味。Brunei は、諸説あり。マレー語の buni (亜麻)や buah nyiur (ココナッツ)から転じた等。
歴史
- 1888年:イギリスの保護領となる
- 1941年:太平洋戦争の勃発に伴う日本軍の侵攻により1945年まで日本の統治下となる
- 1959年:イギリスの自治領となる
- 1962年:テンプレート:仮リンク
- 1984年:イギリスより独立する
政治
スルターンの称号を有する国王が国家元首(立憲君主制)だが、国王の権限が強化されており、絶対君主制の一種である。首相は国王が兼任し、閣僚は国王によって指名される。内閣は国王が議長となり、行政執行上の問題を処理する。このほか、宗教的問題に関する諮問機関である宗教会議、憲法改正などに関する諮問機関である枢密院、王位継承に関する諮問機関である継承会議があり、国王に助言をする。1962年、ブルネイ動乱に際して非常事態宣言を発令し、その後2年ごとに更新され現在も宣言は継続中である[2]。 テンプレート:See also
立法機関は、一院制の立法評議会(Majlis Mesyuarat Negara)。議員の選出は、1970年に選挙制から国王任命制となった。この立法議会は1984年以来活動が停止されていたが、ブルネイ政府は再開を表明。2004年9月に再開されて、議会の構成に関する憲法改正が行われ、公選議員が含まれることとなった。 テンプレート:See also 現在、ブルネイでは定期的な国政選挙が無いものの、国内には3つの政党が存在している。 テンプレート:See also
死刑制度は存在しているが、1957年以降、執行が行われていないため事実上廃止の状態となっている。
軍事
テンプレート:Main ブルネイの国防費はおよそ290百万ドル(対GDP比4.5%、数値は2004年度のもの)で、国の規模に比べるとかなり多い。ブルネイ軍の装備の大部分はイギリス、フランス、アメリカ合衆国製のものが占めている。陸海空の中では陸軍の兵力が最大であり、ブルネイ国家警察は陸軍の一組織である。ブルネイ軍は志願兵制を採用しており、マレー人のみが軍人に就く事ができる。
陸軍の歩兵が用いる標準的なライフルはM16である。
空軍の任務は陸軍の支援という側面が強く、装備はヘリコプターが中心となっており、UH-1やUH-60ブラックホークで構成されている。ヘリ以外の航空機はCN-235輸送機とおよそ5機の練習機に限られる。BAe社のホークを数機購入し、戦闘能力を向上させる計画があるが、未だ実現には至っていない。
海軍は小規模で、主に沿岸の警備と沖合の油田の防衛を任務とする。現在、大規模な装備の近代化を実施中。
この他、グルカ兵と1個ヘリコプター隊からなる、在ブルネイイギリス陸軍が、1,000名規模で駐屯している。
国際関係
地方行政区分
ブルネイは4つの地区に区分される。
都市
地理
テンプレート:Main 国土は、マレーシア領となっているリンバン川流域によって、二分される。全土が熱帯雨林気候下にある。東側、テンプロン川流域は、海岸付近を除き、ほとんどが未開発の密林で、広大な自然公園となっている。国民の大半は、西側の3つの地区に住んでいる。面積は日本の三重県とほぼ同じくらい。
ブルネイの標高最低点は0m、最高峰はパゴン山(1850m)である。
経済
IMFの統計によると、2010年のブルネイのGDPは119億ドルであり[3]、日本の鳥取県の50%程度の経済規模である[4]。ブルネイの中央銀行はブルネイ通貨金融庁である[5]。
石油、天然ガスの輸出により、非常に経済は潤っている。石油天然ガス部門がGDPのほぼ半分、輸出のほぼ全てを占めており、それらに依存した経済構造となっている。また、貿易依存度も高い。食料品はそのほとんどを輸入している。物価は他のアジア諸国と比べて高い。
2010年の一人当たりのGDPは約28,000ドルであるが、医療費が無料であることや所得税がないため、購買力では名目の数字より水準が高いと言える。
将来の石油資源枯渇に備え、豊富な資金を背景に国外へと積極的に投資しており、イスラム銀行などの金融業や観光業の育成が図られている。
また石油・天然ガスによる収入を元に、政府が医療サービスなどの社会福祉を充実させており、個人に対する所得税・住民税は課されていない。
交通
国民
人種
マレー系 67%、中国系 15%、先住系諸民族 6%、その他 12%。
言語
同国の憲法では、マレー語は公用語と定められているが、国語とは呼ばれない。マレー語を表記する文字として、アルファベットとジャウィ文字がいずれも公の場で用いられる。英語も広く通用する。中国語の方言も、中国系住民の間で用いられる。因みに、「マレー語」「マレイ語」の呼び方はオランダ語のMaleisch、英語のMalayを日本語に音訳したもので、原語ではBahasa Melayu(バハサ・ムラユ)という。即ち「ムラユ語」である。
実際に日常ブルネイで話されるのは Bahasa Melayu (標準マレー語)ではなく ブルネイ語 Bahasa Brunei つまりブルネイ・マレー語 Brunei Malay だが、標準マレー語と語彙の90%が一致し(つまり10%程度の違いはある)、ブルネイ語話者は一般に標準マレー語を話すこともできる[6]。このほか、ブルネイ語の一種とみなされるケダヤン(クダヤン、カダヤン)語 Kedayan (Kadayan) の話者の相当数がブルネイ国内にいる。ケダヤン語と標準マレー語の語彙の一致率は73 - 80%とされる[6]。ブルネイ語とケダヤン語などの方言は語彙の94 - 95%が一致し、ISO言語コードではこれらを同一言語として扱い、同じ kxd を割り当てている[7]。ブルネイ語話者はケダヤン語を「別の言語」と意識するが、言語文化的アイデンティティーの問題であり、言語学的問題ではない。方言差は民族の違いを反映したものでなく地域差による。ブルネイ語とケダヤン語などの方言を区別しない場合、全体としての標準マレー語との語彙一致率は80 - 82%である[7]。
宗教
イスラム教(ブルネイのイスラム教)が国教である。しかし、クリスマスが国民の休日になっている(キリストはイスラム教でも預言者の1人)。また、週の休日は金曜日と日曜日である。イスラム教 67%、仏教 13%、キリスト教 10%、先住系諸民族固有の信仰とその他 10%。
文化
食文化
テンプレート:Main ブルネイの食は周辺国であるマレーシア・シンガポール・インドネシアの強い影響を受けている。ほかにも中国・インド・日本の影響もある。ブルネイ独自の食文化にはサゴヤシを使ったアンブヤットがある。
祝祭日
祝祭日 日付 日本語表記 現地語表記 1月1日 元日 New Year's Day 2月14日 中国暦正月(旧正月) Chinese New Year 2月23日 建国記念日 National Day of Brunei Darussalam 2月26日 ムハンマド降誕祭 Birthday of Prophet Mohammad 5月31日 ブルネイ王国軍記念日 Anniversary of Royal Brunei Armed Forces 7月10日 ムハンマド昇天祭 Israk Meraj 7月15日 国王誕生日 Birthday of His Majesty the Sultan of Brunei Darussalam 8月11日 断食月の初日 First Day of Ramadan 8月27日 コーラン啓示の祝日 Revelation of Holy-Quran 9月10日 - 9月13日 断食明け大祭 Hari Raya Aidilfitri 11月16日 犠牲祭 Hari Raya Aidil Adha 12月7日 イスラム暦新年 Islamic New Year 12月25日 クリスマス Christmas Day 日付は2010年のもの[8]。イスラム暦で規定されているものも多く、年によってずれる。なお、振替休日は祝日が金曜日か土曜日と重なった場合に設定される。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1])
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ IMF
- ↑ 国民経済計算
- ↑ 在ブルネイ日本大使館"経済概要"(2013年6月19日閲覧。)
- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 日本アセアンセンター(2010)『祝祭日カレンダー』(2010年5月14日閲覧)
参考文献
- (財)自治体国際化協会(編)『ASEAN諸国の地方行政』テンプレート:PDFlink、2004年
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 観光
- その他
テンプレート:Navbox テンプレート:ASEAN テンプレート:Navboxテンプレート:Navboxテンプレート:Link GA