ボルネオ島
ボルネオ島(ボルネオとう、テンプレート:Lang-en, テンプレート:Lang-id)は、東南アジアの島で、面積は725,500km²で日本の国土の約1.9倍の大きさである。
世界の島の中では、グリーンランド島、ニューギニア島に次ぐ、面積第3位の島である。[1]
南シナ海(西と北西)、スールー海(北東)、セレベス海とマカッサル海峡(東)、ジャワ海とカリマタ海峡(南)に囲まれている。インドネシア・マレーシア・ブルネイ、この3か国の領土であり、世界で最も多くの国の領地がある島となっている。
地名
英語ではボルネオ(Borneo)、インドネシア語ではカリマンタン(Kalimantan)の呼称を使うのが一般的。また、「ボルネオ」の語源は、かつて島の北半分を占めていた「ブルネイ」が訛ったものといわれている。
歴史
- 4世紀末-5世紀初頭 島の東部にクタイ王国が貿易で繁栄。当時の石碑が残されている。東南アジア地区における、ヒンドゥー教の最も初期の影響によって、東ボルネオのマハカム川沿いにあったクタイ王国の遺跡(ムアラカマン遺跡)で発見されたPallava scriptの彫られた4世紀後半の日付が残る石柱が作られた。
- 古代の中国、インド、ジャワの書簡によると、西暦1000年位まで、ボルネオ西海岸の街は、貿易ルートの一部である貿易港であった。インド人は、スマトラ島と間のボルネオ西部の島を含めて、ボルネオを「金の土地(Suvarnabhumi) 」及び「樟脳の島(Karpuradvipa)」と名づけた。ジャワ人はボルネオを「Puradvipa」あるいは「ダイアモンド島」と名づけた。
- サラワクの川のデルタ地帯における考古学的な発見物により、この土地が6世紀から西暦約1300年までの間、インドと中国の貿易の中心地として栄えていたことを示している。
- 15世紀、明の鄭和が「婆羅」に寄航したとある。婆羅はボルネオの中国語表記。
- 16世紀頃 西欧の商人が渡来し始める。
- 19-20世紀初頭 オランダ、イギリスによって分割される。
- 1881年、北ボルネオ会社が設立される。1888年7月、テンプレート:仮リンク(1882年 - 1963年)が成立。
- 1942-1945年 日本が占領。
- その後、オランダ領は全域がインドネシア共和国として独立、イギリス領はマレー半島のマラヤ連邦と統合してマレーシアを結成するが、スールー王国の勢力圏だったことがある北部のサバ州に対して、フィリピンが歴史上自国のものであるとして領有権を主張、一時紛争に至る。
- 1984年にイギリスの保護下に置かれていたブルネイが独立。
- 2013年2月11日、en:2013 Lahad Datu standoff。
行政区分
インドネシア領
マレーシア領
ブルネイ・ダルサラーム国(ブルネイ)
地理
アルプス・ヒマラヤ造山帯と環太平洋造山帯の交点にあたる地域に位置し、全体的に山がちの地形である。また、両造山運動の影響により、山脈が上空から見ると南北にK字になっており、同様の形状となるスラウェシ島、ハルマヘラ島と合わせ、学術的に「3K諸島」と呼称することもある。最高峰は北東部のマレーシア・サバ州のイラン山脈に位置するキナバル山で、標高は4095mである。インドネシア・カリマンタンの最高峰はイラン山脈南部のラヤ山(標高2278m)である。鉱物資源が豊富で、石油、石炭、ダイヤモンド、金、銅、スズ・鉄、マンガン、アンチモン、ボーキサイトなどが産出する。
気候は熱帯気候であり、降雨量は年平均4000mmで乾季はない。熱帯雨林が発達しており、北部にはスマトラサイ、ボルネオゾウ (E. m. borneensis) が生息し、その他、オランウータン、テナガザルなどの中大型哺乳類や、ワニ、ニシキヘビなどの爬虫類が生息している。また、ウツボカズラの種類が多く、特にキナバル山には特産種が多く知られる。「グルンムル国立公園」ではコウモリ・アカエリトリバネアゲハ・ビワハゴロモ・ナナフシが生息し、鍾乳洞の湿度は99%である。
人、民族、言語
奥地に先住民族のダヤク族が住んでいる。沿岸部にはマレー系、人口集積部に中国系の住民もいる。 114種の言語(方言ではない)が話されている。
人口
全島の総人口は、約1750万人である。
- インドネシア領 - 11,419,398人
- マレーシア領 - 5,706,880人 (2009)
- ブルネイ・ダルサラーム国 - 400,000人 (2008)
関連項目
- クチン国際空港(マレーシア)
- アタカ油田(インドネシア)
- コタキナバル国際空港 (マレーシア)
- 世界の島の面積順位・英語版
- 野生生物レスキューセンター (ボルネオ)(マレーシア)