バロンドール
バロンドール(テンプレート:Lang-fr-short)は、1956年にフランスのサッカー専門誌「フランス・フットボール」が創設したヨーロッパの年間最優秀選手に贈られる賞である。"Ballon d'Or"はフランス語で「黄金の球」という意味で、受賞者には金色のサッカーボールを模したトロフィーが贈られる。2010年度より、それまでFIFAが選出していた「FIFA最優秀選手賞」と統合され「FIFAバロンドール」として表彰されるようになった[1]。
概要・特徴
「フランス・フットボール」が選定した候補者の中からサッカー記者の投票で受賞者が決定する。元々は欧州国籍の選手のみが授賞対象であり、投票も欧州52ヶ国のサッカー記者によって行なわれていた。1995年からUEFAに加盟するクラブチームでプレーをしていれば国籍を問われないようになり、2007年からは選考対象を全世界でプレーする選手に拡大される事が発表された。これに伴い欧州以外のサッカー記者も選考に加わる事となったため、前年までよりも有効投票数が大幅に増えている。
ヨハン・クライフ(1971年・1973年・1974年)、ミシェル・プラティニ(1983年・1984年・1985年)、マルコ・ファン・バステン(1988年・1989年・1992年)の3人が最多受賞者で、それぞれ3回受賞している。日本人選手が得票ポイントを獲得したことは無いが、過去に中田英寿(1998年・1999年・2001年)、稲本潤一(2002年)、中村俊輔(2007年)の3人がノミネートされている。
この賞が作られたきっかけは初代受賞者である元イングランド代表のスタンリー・マシューズがその輝かしい実績と裏腹にタイトルに恵まれなかったことから、マシューズの功績を称えるためであると言われている。
サッカー選手において最も名誉ある賞の1つと目されているGKやDF、中盤の底のような守備の選手より攻撃的なMFやFWのような攻撃の選手が受賞していることが多い。そのためDFの受賞者はフランツ・ベッケンバウアー(1972年・1976年)、マティアス・ザマー(1996年)、ファビオ・カンナバーロ(2006年)の3人のみである[2]。
歴代受賞者
受賞回数
選手別
選手 | 受賞 回数 |
受賞年度 |
---|---|---|
テンプレート:Flagicon ヨハン・クライフ | 3 | 1971,1973,1974 |
テンプレート:Flagicon ミシェル・プラティニ | 3 | 1983,1984,1985 |
テンプレート:Flagicon マルコ・ファン・バステン | 3 | 1988,1989,1992 |
テンプレート:Flagicon アルフレッド・ディ・ステファノ | 2 | 1957,1959 |
テンプレート:Flagicon フランツ・ベッケンバウアー | 2 | 1972,1976 |
テンプレート:Flagicon ケビン・キーガン | 2 | 1978,1979 |
テンプレート:Flagicon カール=ハインツ・ルンメニゲ | 2 | 1980,1981 |
テンプレート:Flagicon ロナウド | 2 | 1997,2002 |
- 複数回受賞者
国籍別
国籍 | 受賞 者数 |
受賞 回数 |
受賞年度 |
---|---|---|---|
テンプレート:Flagicon ドイツ | 5 | 7 | 1970,1972,1976,1980,1981,1990,1996 |
テンプレート:Flagicon オランダ | 3 | 7 | 1971,1973,1974,1987,1988,1989,1992 |
テンプレート:Flagicon フランス | 4 | 6 | 1958,1983,1984,1985,1991,1998 |
テンプレート:Flagicon イタリア | 5 | 5 | 1961,1969,1982,1993,2006 |
テンプレート:Flagicon イングランド | 4 | 5 | 1956,1966,1978,1979,2001 |
テンプレート:Flagicon ブラジル | 4 | 5 | 1997,1999,2002,2005,2007 |
テンプレート:Flagicon ソビエト連邦 | 3 | 3 | 1963,1975,1986 |
テンプレート:Flagicon ポルトガル | 3 | 3 | 1965,2000,2008 |
テンプレート:Flagicon スペイン | 2 | 3 | 1957,1959,1960 |
テンプレート:Flagicon チェコ | 2 | 2 | 1962,2003 |
テンプレート:Flagicon スコットランド | 1 | 1 | 1964 |
テンプレート:Flagicon ハンガリー | 1 | 1 | 1967 |
テンプレート:Flagicon 北アイルランド | 1 | 1 | 1968 |
テンプレート:Flagicon デンマーク | 1 | 1 | 1977 |
テンプレート:Flagicon ブルガリア | 1 | 1 | 1994 |
テンプレート:LBR | 1 | 1 | 1995 |
テンプレート:Flagicon ウクライナ | 1 | 1 | 2004 |
テンプレート:Flagicon アルゼンチン | 1 | 1 | 2009 |
クラブ別
クラブ | 受賞 者数 |
受賞 回数 |
受賞年度 |
---|---|---|---|
テンプレート:Flagicon ユヴェントス | 6 | 8 | 1961,1982,1983,1984,1985,1993,1998,2003 |
テンプレート:Flagicon ACミラン | 6 | 8 | 1969,1987,1988,1989,1992,1995,2004,2007 |
テンプレート:Flagicon バルセロナ | 6 | 7 | 1960,1973,1974,1994,1999,2005,2009 |
テンプレート:Flagicon レアル・マドリード | 5 | 6 | 1957,1958,1959,2000,2002,2006 |
テンプレート:Flagicon バイエルン・ミュンヘン | 3 | 5 | 1970,1972,1976,1980,1981 |
テンプレート:Flagicon マンチェスター・ユナイテッド | 4 | 4 | 1964,1966,1968,2008 |
テンプレート:Flagicon ディナモ・キエフ | 2 | 2 | 1975,1986 |
テンプレート:Flagicon インテル | 2 | 2 | 1990,1997 |
テンプレート:Flagicon ハンブルガーSV | 1 | 2 | 1978,1979 |
テンプレート:Flagicon ブラックプール | 1 | 1 | 1956 |
テンプレート:Flagicon ドゥクラ・プラハ | 1 | 1 | 1962 |
テンプレート:Flagicon ディナモ・モスクワ | 1 | 1 | 1963 |
テンプレート:Flagicon ベンフィカ | 1 | 1 | 1965 |
テンプレート:Flagicon フェレンツヴァーロシュ | 1 | 1 | 1967 |
テンプレート:Flagicon アヤックス | 1 | 1 | 1971 |
テンプレート:Flagicon ボルシアMG | 1 | 1 | 1977 |
テンプレート:Flagicon マルセイユ | 1 | 1 | 1991 |
テンプレート:Flagicon ドルトムント | 1 | 1 | 1996 |
テンプレート:Flagicon リヴァプール | 1 | 1 | 2001 |
ジンクス
バロンドールとFIFAワールドカップの奇妙な関係性として「本大会開催の前年度バロンドール受賞者がいる国は優勝できない」というものがある。この現象は「バロンドールの呪い」と呼ばれている。なお、前述にもあるが、そもそもバロンドールの起源は、功績を挙げながらもタイトルに恵まれない選手を称える目的で創設されたものである。
下記の通り、当該受賞者は地区予選もしくは本大会に「全員」代表メンバーとして参加している(「受賞者が参加しなかったから負けた」訳ではない)。
- 1957年度受賞のアルフレッド・ディ・ステファノがいたテンプレート:ESP1945fはヨーロッパ予選で敗退。
- 1961年度受賞のオマール・シボリがいたテンプレート:ITAfはグループリーグで敗退(シボリ自身は2試合に出場)。
- 1965年度受賞のエウゼビオがいたテンプレート:PORfは優勝したイングランドに準決勝で敗れ3位。エウゼビオ自身は9得点を挙げ大会得点王となった。
- 1969年度受賞のジャンニ・リベラがいたテンプレート:ITAfは決勝まで勝ち進んだものの、ペレ率いるブラジルに敗れ準優勝。リベラ自身はサンドロ・マッツォーラとのポジション争いに敗れ控えに甘んじたものの、準決勝の西ドイツ戦で値千金の決勝ゴールを挙げている。
- 1973年度受賞のヨハン・クライフを擁したテンプレート:NEDfは決勝で開催国・西ドイツに敗れ準優勝。しかし、この大会でオランダは革新的な戦術で旋風を巻き起こし、その中心選手であったクライフが大会最優秀選手賞を受賞。さらに同年のバロンドールにも輝き、2年連続の受賞となった。
- 1977年度受賞のアラン・シモンセンがいたテンプレート:DENfはヨーロッパ予選で敗退。
- 1981年度受賞のカール=ハインツ・ルンメニゲがいたテンプレート:FRGfは決勝でパオロ・ロッシらを擁したイタリアに敗れ準優勝。ロッシは6得点で大会得点王(ルンメニゲが5得点だった)となり、この年のバロンドールも受賞した。
- 1985年度受賞のミシェル・プラティニ率いるテンプレート:FRAfは準決勝で西ドイツに敗れ3位。
- 1989年度受賞のマルコ・ファン・バステンがいたテンプレート:NEDfは決勝トーナメント1回戦で西ドイツに敗れベスト16。ファン・バステンはこの大会で1得点も挙げられなかった。
- 1993年度受賞のロベルト・バッジョがいたテンプレート:ITAfは決勝まで進出したものの、ブラジルに敗れ準優勝。スコアレスドローの末に行なわれたPK戦で5人目のキッカーとなったのが、奇しくも受賞したバッジョ。自分がシュートを外して決着がついた。
- 1997年度受賞のロナウドを擁するテンプレート:BRAfは決勝まで駒を進めたが、開催国・フランスに敗れ準優勝。ロナウド自身は決勝戦当日に体調不良で倒れてしまうが、大会最優秀選手賞は受賞している。
- 2001年度受賞のマイケル・オーウェンを擁するテンプレート:ENGfは準々決勝でブラジルに敗れベスト8。
- 2005年度受賞のロナウジーニョを擁し連覇を目指したテンプレート:BRAfは準々決勝でフランスに敗れベスト8。ロナウジーニョ自身も無得点に終わった。
- 2009年度受賞のリオネル・メッシを攻撃の中核に据えたテンプレート:ARGfは準々決勝でドイツに敗れベスト8。メッシ自身も無得点に終わった。
- 2013年度受賞のクリスティアーノ・ロナウドを擁したテンプレート:PORfはグループリーグ敗退。自身も1得点に止まった。
派生
- 日本ではしばしば、バロンドール受賞者を「バロンドーラー」と呼ぶことがある。これは「Ballon d'Or」に英語の「行為者」を表す-er(または-or)をつけたものだが、「Ballon d'Or」はフランス語でありこれは文法上では間違い。
- 日本のJリーグクラブである川崎フロンターレは株式会社ドール(ドール・フード・カンパニーの日本法人)がスポンサーであることもあり、報道関係者による月間MVP賞を「バロンDole」として表彰している。
関連項目
脚注
外部リンク
テンプレート:バロンドール受賞者テンプレート:Link GA テンプレート:Link FL テンプレート:Link FL テンプレート:Link FL テンプレート:Link FL テンプレート:Link FL
テンプレート:Link FL- ↑ FIFAによる公式発表 - 2010年7月6日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite news