クリスティアーノ・ロナウド
テンプレート:ポルトガル人の名前 テンプレート:サッカー選手 クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ OIH(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro[1]、1985年2月5日 - )は、ポルトガル・フンシャル出身のプロサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ、レアル・マドリード所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
クリスティアーノ・ロナウドが個人名で、イベリアポルトガル語での標準的発音では「ロナルド」に近い。
目次
来歴
幼少期
1985年2月5日、ロナウドは大西洋に浮かぶポルトガルのマデイラ島最大の街フンシャル(マデイラ自治領の首都)に自治体の庭師ジョゼ・ディニス・アヴェイロと調理師マリア・ドロレス・ドス・サントス・アヴェイロの間に生まれる。家族は両親と兄1人、姉2人。複合名の第二要素の「ロナウド」は、父ディニスのお気に入りの俳優であったロナルド・レーガン元アメリカ合衆国大統領にちなむ[2]。
ロナウドの曾祖母(父方の祖母)ローザ・イザベル・ダ・ピエダデはカーボ・ヴェルデ出身のムラートで白人のジョゼ・アベイロ(父方の祖父)と結婚し息子のウンベルトがフィロメーナ(ロナウドの父方の祖母)と結婚し六人の子をもうけ、その中の一人がロナウドの父ディニスだった[3][4][5]。ロナウドは8分の1カーボ・ヴェルデ人という事になる。
父ディニスは公務員として働くかたわら、地元のCFアンドリーニャというサッカークラブの管理を手伝っており[2]、また従兄弟のヌーノもアンドリーニャでプレーしていたことから[6]、ロナウドはこのクラブで6歳のときにサッカーを始める。サッカーを始めた当初はセンターバックであったが、徐々にポジションを上げFWとしてプレーするようになった[7]。幼い頃から才能に恵まれていたが、ハーフタイム時点でチームが負けていたり、チームメイトがパスをしない、自分や誰かがミスをするなどチームが思い通りにプレーしないとすぐに泣いており、当時からすでに「泣き虫」のあだ名を付けられていた[6]。
4年後の1995年にアンドリーニャに在籍していた人物が運営するCDナシオナルに入団。1997年の復活祭の休みを利用し、祖父に連れられてスポルティングCPのトライアルを受けた[8]。好きなチームはスポルティングのライバルであるSLベンフィカであったが、スポルティングのファンであった母親に説得されてユースに入団し[9]、母親と共にリスボンへ移住(移住直後はマデイラ訛りをクラスメイトにからかわれ、怒ったロナウドが椅子を投げ付けて殴りかかったというエピソ-ドもある)。スポルティングのユース入団に際し、スポルティングはナシオナルに対して2万5,000ユーロの移籍金を支払った[8]。
クラブ
スポルティングCP
スポルティングCP入団後は急成長をみせてユースを駆け上がり、スポルティングの歴史で初めてとなる1シーズンでU-16、U-17、U-18、Bチーム、トップチームで試合に出場した選手となった[10]。2002年10月7日のモレイレンセ戦で初先発を果たすと、クラブ史上最年少ゴールを含む2得点を奪った[11][2]。しかしその後、すぐさまリスボンを離れることになる。
マンチェスター・ユナイテッドとの親善試合後、そのセンスに刮目したアレックス・ファーガソンがロナウドを呼び出して雑談を交わす。ロンドンに帰国する機内で所属選手らに獲得すべきか問うたところ、ロイ・キーンやルート・ファン・ニステルローイらがファーガソンに直接獲得を薦めるなどした[2]。マンチェスター・ユナイテッドでアシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスは、ロナウドがデビューした時から注目しており、ロナウドの獲得をいち早くファーガソン監督に進言していた[12]。ロナウド獲得には当時リヴァプールやアーセナルも積極的に動いており、2002年11月にアーセン・ベンゲルとスタッフからアーセナルの練習グラウンドに招かれたほか[13]、一時期リヴァプールへの移籍が本人のコメントからも予想されたが、プレミアリーグ03-04シーズン開幕3日前の8月10日に移籍金1,224万ポンド(当時の日本円にして約24億円)、5年契約でユナイテッドへの入団が決定。
マンチェスター・ユナイテッド
移籍当初はリスボンでつけていた28番を望んでいたが、デビッド・ベッカムがレアル・マドリードへ移籍したことで空いた7番の着用をアレックス・ファーガソン監督から言い渡された[14]。
プレミアリーグ03-04シーズン、オールド・トラッフォードにボルトンを迎えての開幕戦に控えとしてメンバー入りし、後半16分からの途中出場でプレミアデビュー。以後、比較的先発で出場することが多くなるが、控えと先発を行き来するような状態で、ファーガソンが上手く振り分けて成長を促していたとされる[15]。また、2005年10月29日のミドルズブラ戦では、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目となるメモリアルゴールを決めた[2]。
加入して最初の2、3年は期待以上の活躍ができず、特に2004年夏にエヴァートンFCから移籍してきたウェイン・ルーニーとは年も近く、チームメイトということで比較されることもあったが、独善的でボールロストの多いロナウドよりも献身的でゴールを量産するルーニーの方が評価も高かった。 2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグでは低調なパフォーマンスに陥ってしまい、チームもそれにひきずられるかたちでまさかのグループリーグ最下位に沈み、ロナウドは大きな批判を浴びた。しかし、リーグ戦では徐々にパフォーマンスを向上させ、最終的にはこの年のPFA年間ベストイレブンに選出された。
06-07シーズンは17ゴール14アシストと共に自己最多を記録し、チームの優勝に貢献。自身も1977年のアンディ・グレイ以来30年ぶり史上2人目となるPFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞をダブル受賞した。ファンの投票による年間最優秀選手賞にも選ばれ、史上初の三冠達成を果たした。また、2006年11、12月にプレミアリーグ月間MVPを2か月連続で受賞。ロビー・ファウラーとデニス・ベルカンプに続くプレミア史上10年ぶり3人目の快挙となった[16]。バロンドールの投票ではカカーに次ぐ2位となった。
07-08シーズンは開幕から驚異的なペースでゴールを量産し通算42得点を記録。リーグ31得点で得点王となり、チームのリーグ2連覇に欠かせない存在であった。PFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を2シーズン連続で受賞。プレミアリーグの上位チームに対して目立った成績を残していないと揶揄する声があるが、実際には31得点中5点を3位から5位までのチームから奪っている。唯一2位チェルシーに対してのみ無得点だったが、後述するようにチャンピオンズリーグ決勝戦でチーム唯一のゴールを挙げている。また、2008年3月19日の対ボルトン戦では、初めてキャプテンマークを巻いて出場した。
2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでも8得点を挙げて得点王を受賞。マンチェスター・ユナイテッドの9シーズンぶり3回目のチャンピオンズリーグ優勝の立役者となる。 2008年5月21日に行われた決勝戦では、チェルシーから先制ゴールを奪うも、チェルシーもフランク・ランパードが同点ゴールを決めて反撃。延長戦でも決着がつかずPK戦となり、ロナウドは3人目のキッカーを務めるもペトル・チェフにコースを読み切られて失敗。しかし、チェルシーも5人目のキッカーのジョン・テリーが雨でぬかるんだピッチに足を滑らせて痛恨のミスキックで失敗し、その後エトヴィン・ファン・デル・サールがニコラ・アネルカのキックをセーブし、ユナイテッドの勝利が決定した[17]。その瞬間、ロナウドはピッチに倒れこんで号泣し、ガリー・ネヴィル、ライアン・ギグス、ファーガソン監督らに助け起こされてようやく味方の歓喜の輪に加わった。これらの活躍により、この年のバロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞。
2008年夏、かねてよりロナウド獲得を目指していたレアル・マドリードが、移籍成立は時間の問題とメディアを通じてアピールしたことによりロナウドをめぐる移籍騒動が勃発。正式なオファーを出さないまま一方的な発表を行ったことに対してユナイテッド側が猛反発し、法的手段も辞さない構えを見せるなど話が大きくなる。ロナウド自身はこの騒動に関し公には沈黙を守っていたが、「子供の頃からの憧れのクラブであるレアル・マドリードへの移籍が実現するかもしれない」と気持ちが傾いていた事を残留宣言の中で認めている。最終的にファーガソン監督と話しあった結果、ロナウドは残留を決意し、ユナイテッド公式ホームページに残留宣言が掲載された[18]。その中で今回の移籍騒動については「(両クラブやその関係者にではなく)自分に責任がある」としている。
2008年11月15日のストーク・シティ戦ではフリーキックからクラブ100得点目を記録した。ちなみに同じ試合で再びフリーキックから101得点目も記録している[19]。2009年4月15日のポルト戦で決めた約40ヤードのミドルシュートは、その年最も美しかったゴールに贈られるプスカシュ賞を受賞した。
2009年夏に退団希望を正式に表明。ユナイテッドも、レアル・マドリードとの移籍交渉を許可した。
レアル・マドリード
フロレンティーノ・ペレスが二度目の就任を果たしたレアル・マドリードは、打倒バルセロナを目標に掲げ、ジネディーヌ・ジダンの記録を上回る史上最高額の8000万ポンド(約138億円)の移籍金を一括でマンチェスター・ユナイテッドに支払い、7月1日にロナウドを獲得した。この年のレアル・マドリードは、ロナウド以外にもバロンドール受賞経験者のカカやフランスの一部リーグ、リーグ・アンの名門オリンピック・リヨンの若きエース、カリム・ベンゼマなどの超一流選手を獲得した。 7月6日、レアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウで入団発表が行なわれ、背番号は9と発表された。入団発表には10万人のファンが集まった。1984年にSSCナポリに加入したディエゴ・マラドーナの7万5000人を抜き、史上最多の人数がつめかけたお披露目式となった[20]。また、ロナウドのユニフォームはマドリード市内だけで120万枚を売り上げ、高額な移籍金を地元のユニフォーム売り上げのみで回収した[21]。 7月21日のシャムロック・ローヴァーズFC戦でデビュー。翌週のLDUキト戦ではPKから初得点を挙げた。8月29日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でリーガ・エスパニョーラデビューを飾ると、PKで初得点も決めた。
移籍初年度はケガで出遅れたにもかかわらずリーグ3位の26得点を記録。UEFAチャンピオンズリーグではチームはベスト16に終わったものの、自身は6試合で7ゴールを挙げ得点ランキングで試合数が少ないにも関わらず2位タイとなった。10月には足首のケガによりクラブでの試合のほかハンガリー代表との試合にも出場できなかった[22]。そのケガは、魔術師の呪術によるものであるとの報道も流れた[23]。
翌年は、キャプテンであるラウル・ゴンサレスのブンデスリーガ・シャルケ04への移籍により念願であった背番号7を背負うことになった。ポジションも中央から左ウイングに移って前シーズンを上回るペースで得点を量産。10月22日のラシン・サンタンデール戦ではキャリア初の1試合4得点を記録し[24]、その月は13得点を挙げて自身の月間最多得点記録も更新した[25]。 その後もレアル・マドリードで驚異的なペースで得点を量産し、クラブ史上最速での通算50得点を記録した[26]。FCバルセロナとのコパ・デル・レイ決勝では、0-0で迎えた延長前半にアンヘル・ディ・マリアのクロスからヘディングで決勝ゴールを奪い、自身が勝負弱いという批判を一蹴すると共に、レアル・マドリードにとって18年ぶりとなる国王杯優勝へ導いた。5月10日のヘタフェCF戦ではリーガ史上初となるシーズン6度目のハットトリックを達成[27]。シーズンの全大会での総得点数を47とし、1959-60シーズンにフェレンツ・プスカシュが記録したクラブ記録を更新した[27][28]。最終節のUDアルメリア戦でも2得点を挙げリーガ通算40得点とし[注釈 1]、1950-51シーズンのテルモ・サラ、1989-90シーズンのウーゴ・サンチェスの38得点を破るリーガシーズン最多得点記録を更新し得点王に輝いた[29][30]。
2012年2月12日のレバンテUD戦でハットトリックを記録。サンティアゴ・ベルナベウでの通算4000点目でもあった3点目のミドルシュートは多くのメディアから賞賛された[31]。3月24日のレアル・ソシエダ戦で2得点を挙げ、史上最速となる通算92試合目の出場でリーガ通算100得点を記録した[32]。それまでの最速記録はフェレンツ・プスカシュの105試合であり、ロナウドは13試合と大幅に記録を更新したことになった[32]。また、シーズン通算100試合目の出場となった5月5日のグラナダCF戦で得点し、リーガ通算100試合の出場で111得点とし、これまでの記録であったプスカシュの97得点を大幅に塗り替えた[33]。2011-12シーズンは昨シーズンを超えるリーガ46得点、シーズン60得点を記録。得点王こそリオネル・メッシに譲ったものの、レアルのリーガ史上初となる勝ち点100での優勝に大きく貢献した。またリーガではプリメーラ・ディビシオンに参加している、レアル以外の19クラブ全てから得点を奪った[34][注釈 2]。
2012年9月2日のグラナダCF戦では同シーズンのリーグ初得点を含む2得点を挙げて、第3節にしてリーガ初勝利に貢献した。また、1点目は国内リーグにおけるキャリア通算200得点目となり、2点目はレアル・マドリード通算150得点目となった。しかしロナウドは、2得点を挙げたにも関わらず自らのゴールを祝福しなかった。試合後に「悲しい気持ちのときはゴールを決めても喜ばない」と語り、発言の真意について様々な憶測を呼んで話題となった[35]。
10月7日のエル・クラシコで2得点を挙げ、エル・クラシコで史上初となる6試合連続ゴールを記録すると同時に、レアル・マドリードの選手としてカンプ・ノウで2得点を挙げた10人目の選手となった[36]。チャンピオンズリーグではチームは準決勝で敗退したものの、ロナウドは12得点を挙げ大会得点王に輝いた。
2013年はレアル・マドリードとポルトガル代表で、自信最多となる合計69得点を挙げ、2014年1月13日にメッシ、フランク・リベリーを抑え5年ぶり2度目のバロンドールを受賞した[37][38]。同賞がFIFAバロンドールとなってからはメッシ以外で初の受賞者で[38]、また1年を通しレアル・マドリードで活躍した選手としてはアルフレッド・ディ・ステファノ、レイモン・コパに次ぐ3人目の受賞者となった[39]。授賞式では涙を浮かべながら「言葉に出来ない」と喜びを語り、チームメイトや家族への感謝を述べた[37][40]。
2013-14シーズンのチャンピオンズリーグ、グループリーグでは9得点を挙げ、フィリッポ・インザーギ、エルナン・クレスポ、ルート・ファン・ニステルローイらの持つグループリーグにおける最多得点記録を更新した[41]。決勝トーナメントでもその勢いは衰えを見せず、合計17得点と1大会における最多得点記録を更新してチャンピオンズリーグ制覇に貢献した。リーグ戦においても31得点を挙げ、プレミアリーグで31得点を記録したルイス・アルベルト・スアレスと共に自身3度目となるヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得した。
代表歴
2003年8月20日に行われ、1-0で勝利したカザフスタン戦でルイス・フィーゴとの交代で途中出場し代表デビュー[7][42]。EURO2004のメンバーに選出され[43]、グループリーグ初戦のギリシャ戦は1-2で敗れたが、代表初ゴールを記録し[44]、2-1で勝利した準決勝のオランダ戦でもゴールを挙げた[45]。ロナウド自身は2ゴールにとどまったが、チームは準優勝し、大会のベストイレブンに選出された[46]。決勝の相手は開幕戦と同じギリシャであり、敗れた際には人目もはばからず涙を流し続けた[7]。同年に開催されたアテネオリンピックにもポルトガル代表として出場した[47][48]。
2006年のワールドカップ予選では、ヨーロッパ全体で2位となる7ゴールを記録し[46]、ワールドカップ本大会では、イラン戦でPKで大会唯一となるゴールを記録した[49]。
7月1日に行われた準々決勝のイングランド戦では、ユナイテッドのチームメイトであったウェイン・ルーニーがリカルド・カルヴァーリョを踏みつけたとして退場処分となったが、ルーニーの退場後にロナウドがポルトガルのベンチに向かってウインクする映像が映し出されたことにより、イギリスのメディアはロナウドの抗議がオラシオ・エリソンドの判断に影響を与えたのではないかと推測した。しかし、試合後にロナウドは、ルーニーは友人であるし、退場させるための行動は取っていないと話した[50]。7月4日にはエリソンドが、レッドカードはルーニーの反則に対してであって、ロナウドとルーニーの諍いに対して出したのではないと話した[51]。
後々軽率な発言であった事を弁明しているが、試合内容も含めたイギリスメディアの過剰な反応に対して感傷的になってしまった上に、マンチェスター・ユナイテッドファンの反感を推察し「所属クラブではもう走れないかもしれない」と移籍を仄めかし[52]、スペインのマルカ紙にレアル・マドリードに移籍したいと話したと伝えられた[53]。それに対しアレックス・ファーガソンは、ナーバスになっていたロナウドを説得し、ルーニーとの間のわだかまりを解消するためにカルロス・ケイロスに話をさせた[54][55]。ロナウドは残留し、2007年4月には契約を5年延長した[56]。
ロナウドは準決勝のフランス戦ではブーイングを浴び[57]、イングランドのファンのインターネット上の行動により、ベスト・ヤング・プレイヤー賞の受賞を逃すことになった[58]。インターネットの投票は選手のノミネートに影響を与えるだけであったが、FIFAの技術委員会はルーカス・ポドルスキに賞を与え、ロナウドの試合中の振る舞いがその決定の理由の一因になったと話した[59]。
22歳の誕生日の2日後の2007年2月7日に行われたブラジルとの親善試合で初めてキャプテンを務めた[60]。これは、その試合の2日前に亡くなったポルトガルサッカー連盟のカルロス・シルヴァに追悼の意を示しての行動であった。これについてルイス・フェリペ・スコラーリは、「キャプテンを務めるには余りに若いが、今は亡きシルヴァ氏がロナウドをキャプテンにするように意思表示をしていた」と話した[61][62]。
EURO2008の予選ではエウゼビウシュ・スモラレクに次ぐ8ゴールを挙げたが、本大会では1ゴールに終わり、準々決勝でドイツに敗れた[63][64]。大会後にカルロス・ケイロスが監督に就任し[65]、新キャプテンに指名された[66]。ワールドカップ予選では1ゴールも挙げられなかったが、チームはデンマークに次いで2位で終え、プレイオフ進出を果たした。ロナウドはハンガリー戦で負傷して以来戦列を離れていたが、ボスニア・ヘルツェコビナとのプレイオフのメンバーに招集された[67]。チームはワールドカップの出場権を獲得したが、ロナウドは最終的に怪我により2試合とも出場することは叶わなかった[68]。
キャプテンとして臨んだワールドカップでは、グループリーグ初戦のコートジボワール戦、第2戦の北朝鮮戦、第3戦のブラジル戦と3試合連続で大会選定のマンオブザマッチに選出された[69][70][71]。北朝鮮戦では代表では1年4ヶ月ぶり[72]、ワールドカップ2大会連続となる得点を挙げた。しかし、決勝トーナメント1回戦でスペインに0-1で敗れたため、同大会での得点はその1ゴールのみに終わった。
EURO2012では大会最注目の選手とされたものの、グループリーグ初戦のドイツ戦を0-1と敗戦し、第2戦のデンマーク戦では決定機を逃し批判の対象となった[73]。しかしグループリーグ第3戦のオランダ戦では2得点を上げて逆転勝利に貢献し、マンオブザマッチに選出された[73]。チームの決勝トーナメント進出に貢献した。準々決勝ではチェコと戦い、ゲームを支配しながらもなかなか得点を奪えず苦しい状況になりつつあったが、79分に自身のヘディングでのゴールで膠着状態を破り、結局そのゴールが決勝点となった。準決勝の相手はEURO2008、2010年W杯とビッグトーナメントを2大会連続で制し、また、前回のW杯では敗戦を喫したスペインと対戦することになる。この試合ではレアル・マドリードで同僚のセルヒオ・ラモスと幾度となくマッチアップを繰り返すがロナウドは決定的な場面を作れず、結局試合はPK戦へともつれ込む。PK戦ではロナウドは5番目のキッカーの予定だったが、自身に出番が回ってくることなくこの大会を去ることになる。
10月16日の北アイルランド戦で代表通算100試合出場を達成したことにより、欧州サッカー連盟から表彰を受けた。ルーカス・ポドルスキ、クリステン・ヴィークマエに次ぐ史上3番目の若さで通算100試合を達成した[74]。
2013年9月6日の北アイルランド戦では代表戦初のハットトリックを達成[75]。このハットトリックで代表通算43得点とし、エウゼビオを抜いてポルトガル代表歴代2位となった[75]。同年11月15日、11月19日のスウェーデンとのワールドカップ予選プレーオフではポルトガルの全4得点を挙げる活躍で、ポルトガルの4大会連続となるワールドカップ出場に大きく貢献。セカンドレグではハットトリックを決め代表通算47得点とし、ペドロ・パウレタに並びポルトガル代表歴代1位タイとなった[76]。2014年3月5日のカメルーンとの親善試合で2得点を挙げ、単独1位となった[77]。
ワールドカップ本大会ではガーナ戦で決勝ゴールを決めワールドカップ3大会連続得点を挙げるも、チームはグループリーグで敗退した。自身はコンディション不良に悩まされたこともあり、同大会での得点はその1ゴールのみに終わった。
プレースタイル
引き技、シザーズ、切り返し、股抜きなどを組み合わせたドリブルを得意とし、縦へのスピードも持ち合わせる[78]。長身にも関わらずドリブルの重心が低く、ストライドが小さい分足の回転が速いのが特徴であり、スピードの緩急や方向転換などの能力も高い[79]。体幹が強いため左右に動いてもバランスを崩さず、背筋が伸びたドリブル姿勢によりドリブルと同じ歩幅でシュートを放つことができ、さらに広範囲を見渡せるため、ドリブル中でも質の高いパスを送ることができる[80]。ドリブル突破からのクロスも質が高く、高いクロスよりも低くて速いクロスを送る傾向がある[79]。また、両足で同レベルのプレーをすることができる[81]。本人は、トリッキーなテクニックを織り交ぜることが自分のプレースタイルであると語っている[82]。
切り込んでのシュートや時速132kmにまで到達するパワフルなシュート、3メートル近くまで跳ぶ打点の高いヘディングなど多彩なゴールパターンを持ち[83][84][85][86]、高い得点力を誇る[78]。アレックス・ファーガソンは、マンチェスター・ユナイテッドFCのレジェンドであるジョージ・ベストの名前を挙げ、「ベストは常にピッチを駆け回り、シュートのチャンスをうかがっていた。改めて見返すと、クリスティアーノ・ロナウドのシュートシーンにとても似ている」と語った[87]。フォーリャ・セッカ(枯れ葉)と呼ばれるキックを得意としていたジジを彷彿とさせる弾道の予測が不可能な無回転フリーキックを得意としていて[88]、彼の代名詞となっている[89][90]。その他PKの名手でもあり、PKの成功率も非常に高い[91]。
フィジカルコンディションの維持、恥骨炎予防のため、腹筋一日3000回で腰周りの筋力強化を日課としており、屈強な肉体を持つ[92]。スポーツ・イラストレイテッドが2014年に行った身体能力適合ランク(各選手が活躍しているそれぞれの競技において、どれだけ身体能力が適合しているかを採点)において、バスケットボール選手のレブロン・ジェームズに次ぐ2位に選ばれた[93]。食生活もストイックに管理して体づくりをし、高いプロ意識で身体をケアしているため怪我にも強い[94]。
その一方でゴールへの執着心の強さゆえ、ピッチ上で自己中心的なプレーや行動を行うことも少なくない[94]。
評価
ポルトガル史上最高のサッカー選手としてエウゼビオと比較されており[95]、国内アンケートでは72%がロナウドに投票している[96]。
かつてレアル・マドリードでプレーしたジネディーヌ・ジダンはロナウドを「努力家」と称し、自身の現役時代よりも優れていると賞賛している[97][98]。ラウル・ゴンサレスもまた、勝利への欲求の高さ、最も早く練習場に現れて最後まで残る姿勢等を讃え、「今まで見てきた中で最もプロ意識が高い選手の一人であり、真のリーダー」と賞賛した[99]。一方で非紳士的な態度や傲慢さに対する批判もあり[100]、「態度に関しては頭のネジが一本はずれている、大げさなジェスチャーと生意気な態度は、常にトラブルの原因となっている、結果的にはレアルマドリードが批判されるようになる」とCAオサスナのワルテル・パンディアーニは述べている[101]。
また、ナルシストな性格ゆえ反感を買いやすくアンチも多い。[102]
マンチェスター・ユナイテッドFCでのデビュー戦後、ジョージ・ベストは「長年にわたって、第2のジョージ・ベストだと言われた選手は何人かいたが、私がそれを(私にとっての)ほめ言葉と感じたのは彼が初めてだ(There have been a few players described as the new George Best over the years, but this is the first time it's been a compliment to me.)」と語っている[103]。
ヨハン・クライフはロナウドをマンチェスター・ユナイテッド史上最高の選手と考え、「ロナウドはジョージ・ベストやデニス・ローといったマンチェスター・ユナイテッドの歴史における素晴らしい2選手よりも優れている(Ronaldo is better than George Best and Denis Law, who were two brilliant and great players in the history of United.)」と語った[104]。ボビー・チャールトンもまたロナウドのことをクラブ史上最高の選手とし、ベストとの比較でも「ロナウドの方が速さと強さを兼ね備えていると思っている」と語っている[105]。
レアル・マドリードのOBであるイバン・サモラーノはロナウドを「ゴールによって違いを生み出せる正真正銘の怪物」と評した。以前よりも利他的となりチームに好影響を出していると分析し、また2011年11月6日のオサスナ戦でロナウドが挙げたヘディングでのゴールについては「現役時代の自分を思い出した」とヘディングの名手だった自分に重ねて賛辞を送った[106]。
同年代に活躍しているリオネル・メッシらと共に、2000年代後半以降で世界最高の選手の一人とされ、度々比較されている[81][107][108][109]。また、メッシとも互いの実力を認め合っており[110][111]、ロナウドはメッシをライバルとして意識しており[112]、メッシの存在が自分自身の成長にも繋がっていると語った。ただし「フェラーリとポルシェでは比較できない」と、自身とメッシの比較については無意味なものであるとしている[113]。
ロナウドの「シザーズフェイント」について、大東文化大学スポーツ科学科准教授の川本竜史(スポーツバイオメカニクス)は、「体、足が一見、フェイントをかけた方向に大きくずれたように見えるが、実は身体の重心がほとんど動いていないこと。変動が小さいため、次の動きに素早く移れる。」「上半身はほとんど動かさず、へそ回りの重心を安定させながらボールを高速でまたいで、一瞬、相手の体が傾いたところを見て、反対方向に爆発的加速をして抜き去っている。」と指摘した[114]。
ロナウドが大舞台で弱いというような声もたびたび聞かれるが、チャンピオンズリーグ決勝やコパ・デル・レイ決勝でゴールを決めたり、チャンピオンズリーグ準決勝での最多ゴール記録保持者である[115]ことやカンプ・ノウで行われたエル・クラシコでの連続ゴール記録を樹立した事[116]などから、その批判は適切ではないように思われる。 これまでのエル・クラシコでの通算成績は19試合出場で12ゴール(2013年5月12日時点)。
女性関係
ロナウドはサッカー以外に関しても話題になることが頻繁にあり、特に女性関係でのゴシップは多い。
2005年10月、2人のフランス人女性から「性的暴行を受けた」と訴えられた。これは後に、彼女らをホテルに残して他の女性と遊びに行ったロナウドに対してのでっち上げであったことが分かっている。また、2007年10月には、アンデルソンやナニら数人を自宅に招き、5人の娼婦らと行ったパーティの様子を撮影した写真や動画が流出したことで、騒動を起こした[117]。
2008年には、当時の恋人であるモデルのネレイダ・ガジャルドがセルヒオ・ラモスと性的関係を持っていたことを暴露された[118]。その後2人は別れ、ネレイダは交際していた時の事を暴露した。翌2009年6月には、ロサンゼルスのクラブでパリス・ヒルトンとのキスを報じられた[119]。後にはキム・カーダシアンとも噂になっている。
2010 FIFAワールドカップ敗退後の7月3日に、自身のtwitterとFacebookにて息子が誕生し父親となったことを発表したが、母親については彼女のプライベートを尊重して公表していない[120]。同じく、彼のエージェントも母親については答えていない(明かした2010年からロナウドと交際しているロシア人モデルのイリーナ・シェイクがいるが、彼女は母親ではない)。なおこの女性には口止め料として1200万ユーロが支払われたことが報じられ、また息子の面倒をみるのはロナウドの方であるとも発表している[121]。しかし、2009年オフにサンディエゴで代理母契約を結んだとも報道されており、口止め料ではなく、守秘義務と面会権の放棄のために1200万ユーロが支払われたとも報じられている[122]。他にはアメリカ人ウェイトレスやイギリス人大学生との一夜限りの子という情報、またポルトガルからの情報によると2010年3月に当時32歳で交通事故で亡くなった母方の従兄であり友人だったミゲル・サントスとアメリカ人女性との間に出来た子(ロナウドからしたら従甥)の存在を知り父となる事を決めて引き取ったという話もある。
2011年1月、姉であるカティアが、ロナウドの赤ちゃんを秘密裏に出産していた女性が死亡したとポルトガルのメディアに語り、「その子は我が家の血が流れている私たちのベビー。母のドロレスが24時間ベビーを見ている以上、赤ちゃんのママはうちの母です。他には存在しません」とコメントし死亡を強調した。
息子は2010年6月17日生まれでクリスティアーノ・ロナウド・ジュニアと名付けられロナウドが2度めの受賞を果たした2013年のFIFAバロンドール授賞式には恋人のイリーナだけでなく、母や姉達など家族と共にロナウドに同伴していた。
エピソード
- スポルティング時代からコーチ陣揃って認めるほどの練習の虫で、現在でも居残り練習を積極的に行っている。ユナイテッドやレアルのチームメイト達やコーチ達もその練習での態度を感服している。
- 2007年に来日した際、TBSのスーパーサッカーのインタビューに出演する予定だったが、体調不良によりキャンセルしたためチームメイトのリオ・ファーディナンドが代理を務めた。ロナウド本人が拙い日本語で謝罪する映像も流れた。
- 2008年にスイスとオーストリアで共同開催されたEURO2008で、LG電子が実施した欧州の女性1万2000人による最もハンサムな選手の人気投票で1位となる。特にイタリア、ドイツ、スウェーデンからの票が多かったとのこと。
- 2009年、レアル・マドリードはロナウドの両足に9000万ポンド(約155億円)の保険をかけた。ロナウドにかかった驚異的な移籍金を無駄にしたくないとの思いから、ケガなど予測不能なリスクに備えるためだという。ちなみにロナウドは2008年7月に右足首を手術しており、他にもひざには慢性的な問題を抱えている[123]。
- 2010年2月21日のビジャレアルCF戦で直接フリーキックを決め先制点を挙げたが、ロナウドはこのゴールを当時豪雨に見舞われていた故郷のマデイラ島に捧げた[124]。この洪水で叔母(母の姉妹)が家を失い、3月にその叔母の息子(ロナウドの従兄ミゲル・サントス)が交通事故で32歳で死亡した[125]。
- 2011年5月10日のヘタフェCF戦ではロナウドがクリアしたボールがスタンドの観客に直撃してしまった。観客に怪我はなかったものの、ロナウドは試合後に観客のもとへ行き謝罪し、ユニフォームをプレゼントした[126]。また、2013年7月21日に行われたAFCボーンマス戦で、ロナウドが放ったフリーキックは11歳の少年に当たり手首を骨折してしまった。そのお詫びとして自分と他の選手達のサインが入ったユニフォームを届けた。
- 2013年8月22日に行われたアル・サッド戦では、ラウル・ゴンサレスが前半を古巣のレアル・マドリード側でプレーし、その際にラウルに愛着のある7番を譲り11番をつけてプレーした。
- 2013年8月にアメリカで行われたチェルシーとのプレシーズンマッチで乱入してロナウドに抱きついてきた観客のアルバニア人の留学生に対して起訴を取り下げるよう、フロリダの検察に嘆願書が届けられ受理され告訴が取り下げられた[127][128]。
- 2014年1月に母国ポルトガルでアニーバル・カヴァコ・シルヴァ大統領からエンリケ航海王子勲章の上位から三番目である『大将校』を授与された。これまでサッカー選手で勲章を受賞したのは『大十字賞』を授与された亡きエウゼビオとロナウドのみ[129][130]
その他
- 故郷フンシャルに自分のファッションブランド「CR7」の店を開いている。2人の姉が経営しており、2008年10月にリスボンに2号店を開店している。その後もアメリカ人デザイナーのリチャード・チャイと連携しブランド「CR7 Underwear」や「CR7 Shirts」をオープンさせた。他にもポルトガル製の靴ブランド「CR7 Footwear」もオープンしている。
- 2番目の姉カティアはポルトガルで歌手をしており最初は「Ronalda」という芸名でCDデビューしたが、後に本名の「Katia Aveiro」名義で再デビューする。カティアは2014年3月~5月までスペインで放映されていたリアリティ番組「Supervivientes: Perdidos en Honduras」に出演して歌も披露した。またロナウドの母方の9歳下の従妹でモデル志望のトレイシー・オリベイラも2012年に放映されたポルトガルで放映されていたリアリティ番組「Secret Story - A Casa dos Segredos」に出演していた。
- サッカーの次に好きなスポーツは卓球。その腕前は、ポルトガル時代にプロにスカウトされたほど[131]。
- 車好きとして有名。2009年1月8日午前、マンチェスター空港近くの道路でトンネルの壁に正面から衝突し、前方部分が大破する自動車事故を起こした。運転していたフェラーリ・599GTBフィオラノは前方部分が大破したものの、ロナウド本人にケガはなかった。この事故でクラブからは罰金を科されている[132]。また、2012年2月にはランボルギーニ・アヴェンタドールを購入するも、翌月に故障。レッカーをされる姿が目撃された。そのおよそ半年後に、マクラーレン・MP4-12Cスパイダーを購入した[133]。
- 2013年12月、生まれ故郷であるフンシャルに自らの記念博物館である「Museu CR7」をオープンさせた[134]。
- 2014年、ロナウドはTIME誌より世界で最も影響力のある100人に選ばれた[135]。
- 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ロナウドの年収は8000万ドル(約82億円)であり、サッカー選手としては1位、世界のアスリートの中でも2位であった[136]。
- 世界で最も人気のあるアスリートであり、Twitterのフォロワー数は2014年7月現在で2800万人を越えており、世界のアスリートの中でも圧倒的に首位である[137]。またFacebookのフォロワー数は2014年7月現在で9300万人を超えており、こちらでも2位以下を大きく引き離し圧倒的に首位である。
- ロナウドとメッシの誕生日は869日違いだが、彼等の長男も869日違いである[138]。
所属クラブ
- 1995年 - 1996年 CD Nacional CDナシオナル
- 1996年 - 2003年 Sporting CP スポルティング・リスボン
- 2003年 - 2009年 Man Utd マンチェスター・ユナイテッドFC
- 2009年 - Real Madrid レアル・マドリード
タイトル
ナショナルチーム
- テンプレート:POR
- 2006 FIFAワールドカップ: エンターテイニングチーム賞
クラブ
- Sporting CP スポルティング・リスボン
- スーペル・リーガ: 2 (1999-00, 2001-02)
- タッサ・デ・ポルトガル: 1 (2001-02)
- ポルトガル・スーパーカップ: 2 (1999-00, 2001-02)
- Man Utd マンチェスター・ユナイテッドFC
- FAプレミアリーグ: 3 (2006-07, 2007-08, 2008-09)
- FAカップ: 1 (2003-04)
- カーリングカップ: 2 (2005-06, 2008-09)
- FAコミュニティ・シールド: 2 (2007, 2008)
- UEFAチャンピオンズリーグ: 1 (2007-08)
- FIFAクラブワールドカップ1 (2008)
- Real Madrid レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ 1 (2011-12)
- コパ・デル・レイ 2 (2010-11, 2013-14)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ 1 (2012)
- UEFAチャンピオンズリーグ 1 (2013-14)
- UEFAスーパーカップ 1 (2014)
個人
- ブラヴォー賞: 1 (2004)
- PFA年間最優秀若手選手賞: 1 (2006-07)
- PFA年間最優秀選手賞: 2 (2006-07, 2007-08)
- FWA年間最優秀選手賞: 2 (2006-07, 2007-08)
- PFA年間ベストイレブン: 2 (2006, 2007, 2008, 2009)
- プレミアリーグ得点王: 1 (2007-08(31得点))
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王: 3 (2007-08(8得点), 2012-13(12得点), 2013-14(17得点))
- 最優秀ポルトガル人選手賞: 1 (2007)
- ヨーロッパ・ゴールデンシュー: 3 (2007-08(31得点), 2010-11(40得点), 2013-14(31得点))
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー : 8 (2004, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013)
- UEFAクラブ最優秀FW :1(2007-08)
- UEFA年間最優秀選手 :1(2007-08)
- オンズドール:1(2008)
- FIFAクラブワールドカップシルバーボール:1(2008)
- バロンドール: 1 (2008)
- FIFA最優秀選手賞: 1 (2008)
- FIFAプスカシュ賞: 1 (2009)
- ピチーチ賞: 2 (2010-11, 2013-14)
- トロフェオ・アルフレッド・ディ・ステファノ: 2 (2011–12, 2012–13)
- 最優秀ポルトガル人アスリート: 6 (2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011)
- ESMワールドイレブン: 4 (2006-2007, 2007-2008, 2010-2011, 2011-2012)
- FIFPro年間ベストイレブン: 7 (2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013)
- ワールドXI 年間最優秀選手: 1 (2008)
- ワールドサッカー誌 年間世界最優秀選手: 2 (2008, 2013)
- UEFA欧州選手権得点王: 1 (2012)
- EURO2004 ベストイレブン
- EURO2012 大会優秀選手
- FIFAバロンドール: 1 (2013)
個人成績
クラブ
クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ | カップ | リーグカップ | CL | CL予選 | UEFAカップ | 国内 SC | UEFA SC | CWC | 期間通算 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | アシスト | |||
スポルティング-CP | |||||||||||||||||||||||
2001-02 | |||||||||||||||||||||||
2002-03 | 28 | 25 | 3 | 3 | 2 | - | - | - | - | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | 31 | 5 | - | |
通算 | 25 | 3 | 3 | 2 | - | - | - | - | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | 31 | 5 | - | ||
マンチェスター・ユナイテッド | 2003-04 | 7 | 29 | 4 | 5 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | - | - | - | - | 40 | 6 | 7 |
2004-05 | 7 | 33 | 5 | 7 | 4 | 2 | 0 | 8 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | - | - | - | - | 50 | 9 | 10 | |
2005-06 | 7 | 33 | 9 | 2 | 0 | 4 | 2 | 8 | 1 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 47 | 12 | 8 | |
2006-07 | 7 | 34 | 17 | 7 | 3 | 1 | 0 | 11 | 3 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 53 | 23 | 19 | |
2007-08 | 7 | 34 | 31 | 3 | 3 | 0 | 0 | 11 | 8 | - | - | - | - | 1 | 0 | - | - | - | - | 49 | 42 | 8 | |
2008-09 | 7 | 33 | 18 | 2 | 1 | 4 | 2 | 12 | 4 | - | - | - | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 53 | 26 | 9 | |
通算 | 196 | 84 | 26 | 13 | 12 | 4 | 55 | 16 | - | - | - | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 292 | 118 | 61 | ||
レアル・マドリード | 2009-10 | 9 | 29 | 26 | 0 | 0 | - | - | 6 | 7 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 35 | 33 | 7 |
2010-11 | 7 | 34 | 40 | 8 | 7 | - | - | 12 | 6 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 54 | 53 | 13 | |
2011-12 | 7 | 38 | 46 | 5 | 3 | - | - | 10 | 10 | - | - | - | - | 2 | 1 | - | - | - | - | 55 | 60 | 15 | |
2012-13 | 7 | 34 | 34 | 7 | 7 | - | - | 12 | 12 | - | - | - | - | 2 | 2 | - | - | - | - | 55 | 55 | 11 | |
2013-14 | 7 | 30 | 31 | 6 | 3 | - | - | 11 | 17 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 47 | 51 | - | |
通算 | 165 | 177 | 26 | 20 | - | - | 51 | 52 | - | - | - | - | 4 | 3 | - | - | - | - | 246 | 252 | 46 | ||
総通算 | 386 | 264 | 55 | 35 | 12 | 4 | 109 | 68 | 1 | 0 | 2 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 2 | 1 | 569 | 375 | 107 |
代表
テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |2003||2||0 |- |2004||16||7 |- |2005||10||2 |- |2006||14||6 |- |2007||10||5 |- |2008||8||1 |- |2009||7||1 |- |2010||11||3 |- |2011||9||7 |- |2012||13||5 |- |2013||9||10 |- |2014||5||3 |- !通算 |114||50 |}
# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2004年6月12日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ド・ドラゴン、ポルト | テンプレート:GREf | |
<center>1 – 2 | UEFA EURO 2004 |
2. | 2004年6月30日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ、リスボン | テンプレート:NEDf | <center>2 – 0 | <center>2 – 1 | UEFA EURO 2004 |
3. | 2004年9月4日 | テンプレート:Flagicon スコント・スタディオン、リガ | テンプレート:LVAf | <center>0 – 1 | <center>0 – 2 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
4. | 2004年9月8日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ドクトル・マガリャエス・ペッソア、レイリア | テンプレート:ESTf | <center>1 – 0 | <center>4 – 0 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
5. | 2004年10月13日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ、リスボン | テンプレート:RUSf | <center>2 – 0 | <center>7 – 1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
6. | <center>4 – 0 | |||||
7. | 2004年11月7日 | テンプレート:Flagicon スタッド・ジョシー・バーテル、ルクセンブルク | テンプレート:LUXf | <center>0 – 2 | <center>0 – 5 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
8. | 2005年6月4日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ダ・ルス、リスボン | テンプレート:SVKf | <center>2 – 0 | <center>2 – 0 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
9. | 2005年6月8日 | テンプレート:Flagicon ア・ル・コック・アレーナ、タリン | テンプレート:ESTf | <center>0 – 1 | <center>0 – 1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
10. | 2006年3月1日 | テンプレート:Flagicon エスプリ・アレーナ、デュッセルドルフ | テンプレート:KSAf | <center>0 – 1 | <center>0 – 3 | 親善試合 |
11. | <center>0 – 3 | |||||
12. | 2006年6月17日 | テンプレート:Flagicon ヴァルトシュタディオン、フランクフルト | テンプレート:IRNf | <center>2 – 0 | <center>2 – 0 | 2006 FIFAワールドカップ |
13. | 2006年10月7日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ド・ベッサ、ポルト | テンプレート:AZEf | <center>1 – 0 | <center>3 – 0 | UEFA EURO 2008予選 |
14. | <center>3 – 0 | |||||
15. | 2006年11月15日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・シダデ・デ・コインブラ、コインブラ | テンプレート:KAZf | <center>2 – 0 | <center>3 – 0 | UEFA EURO 2008予選 |
16. | 2007年3月24日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ、リスボン | テンプレート:BELf | <center>2 – 0 | <center>4 – 0 | UEFA EURO 2008予選 |
17. | <center>4 – 0 | |||||
18. | 2007年8月22日 | テンプレート:Flagicon ハンラペタカン・スタジアム、エレバン | テンプレート:ARMf | <center>1 – 1 | <center>1 – 1 | UEFA EURO 2008予選 |
19. | 2007年9月8日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ダ・ルス、リスボン | テンプレート:POLf | <center>2 – 1 | <center>2 – 2 | UEFA EURO 2008予選 |
20. | 2007年10月17日 | テンプレート:Flagicon アルマトイ・セントラル・スタジアム、アルマトイ | テンプレート:KAZf | <center>0 – 2 | <center>1 – 2 | UEFA EURO 2008予選 |
21. | 2008年6月11日 | テンプレート:Flagicon スタッド・ドゥ・ジュネーヴ、ジュネーヴ | テンプレート:CZEf | <center>1 – 2 | <center>1 – 3 | UEFA EURO 2008 |
22. | 2009年2月11日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・アルガルヴェ、ファロ | テンプレート:FINf | <center>1 – 0 | <center>1 – 0 | 親善試合 |
23. | 2010年6月21日 | テンプレート:Flagicon ケープタウン・スタジアム、ケープタウン | テンプレート:PRKf | <center>6 – 0 | <center>7 – 0 | 2010 FIFAワールドカップ |
24. | 2010年10月8日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ド・ドラゴン、ポルト | テンプレート:DENf | <center>3 – 1 | <center>3 – 1 | UEFA EURO 2012予選 |
25. | 2010年10月12日 | テンプレート:Flagicon ラウガウダルスヴォッリュル、レイキャヴィーク | テンプレート:ISLf | <center>0 – 1 | <center>1 – 3 | UEFA EURO 2012予選 |
26. | 2011年2月9日 | テンプレート:Flagicon スタッド・ドゥ・ジュネーヴ、ジュネーヴ | テンプレート:ARGf | <center>1 – 1 | <center>2 – 1 | 親善試合 |
27. | 2011年8月10日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・アルガルヴェ、ファロ | テンプレート:LUXf | <center>2 – 0 | <center>5 – 0 | 親善試合 |
28. | 2011年9月2日 | テンプレート:Flagicon GSPスタジアム、ニコシア | テンプレート:CYPf | <center>1 – 0 | <center>4 – 0 | UEFA EURO 2012予選 |
29. | <center>2 – 0 | |||||
30. | 2011年10月11日 | テンプレート:Flagicon パルケン・スタディオン、コペンハーゲン | テンプレート:DENf | <center>2 – 1 | <center>2 – 1 | UEFA EURO 2012予選 |
31. | 2011年11月15日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ダ・ルス、リスボン | テンプレート:BIHf | <center>1 – 0 | <center>6 – 2 | UEFA EURO 2012予選プレーオフ |
32. | <center>3 – 1 | |||||
33. | 2012年6月17日 | テンプレート:Flagicon メタリスト・スタジアム、ハルキウ | テンプレート:NEDf | <center>1 – 1 | <center>2 – 1 | UEFA EURO 2012 |
34. | <center>2 – 1 | |||||
35. | 2012年6月21日 | テンプレート:Flagicon ワルシャワ国立競技場、ワルシャワ | テンプレート:CZEf | <center>0 – 1 | <center>0 – 1 | UEFA EURO 2012 |
36. | 2012年8月15日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・アルガルヴェ、ファロ | テンプレート:PANf | <center>2 – 0 | <center>2 – 0 | 親善試合 |
37. | 2012年9月7日 | テンプレート:Flagicon スタッド・ジョシー・バーテル、ルクセンブルク | テンプレート:Fb | <center>1 – 1 | <center>1 – 2 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
38. | 2013年2月6日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・アルフォンソ・エンリケス、ギマランイス | テンプレート:ECUf | <center>1 – 1 | <center>2 – 3 | 親善試合 |
39. | 2013年6月10日 | テンプレート:Flagicon スタッド・ドゥ・ジュネーヴ、ジュネーヴ | テンプレート:CROf | <center>0 – 1 | <center>0 – 1 | 親善試合 |
40. | 2013年8月14日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・アルガルヴェ、ファロ | テンプレート:NEDf | <center>1 – 1 | <center>1 – 1 | 親善試合 |
41. | 2013年9月6日 | テンプレート:Flagicon ウィンザー・パーク、ベルファスト | テンプレート:NIRf | <center>2 – 2 | <center>2 – 4 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
42. | <center>2 – 3 | |||||
43. | <center>2 – 4 | |||||
44. | 2013年11月15日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ダ・ルス、リスボン | テンプレート:Fb | <center>1 – 0 | <center>1 – 0 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフ |
45. | 2013年11月19日 | テンプレート:Flagicon フレンズ・アレーナ、ソルナ | テンプレート:SWEf | <center>0 – 1 | <center>2 – 3 | |
46. | <center>2 – 2 | |||||
47. | <center>2 – 3 | |||||
48. | 2014年3月5日 | テンプレート:Flagicon エスタディオ・ドクトル・マガリャエス・ペッソア、レイリア | テンプレート:CMRf | <center>1 – 0 | <center>5 – 1 | 親善試合 |
49. | <center>5 – 1 | |||||
50. | 2014年6月26日 | テンプレート:Flagicon ナシオナル、ブラジリア | テンプレート:Fb | <center>2 – 1 | <center>2 – 1 | 2014 FIFAワールドカップ |
栄典
出演CM
- 富士ゼロックス 「知的フィールド」編
- スズキ・スイフト(ヨーロッパのみ)
- ワールドサッカー ウイニングイレブン 2008
- ナイキ
- エミレーツ航空
- 日本ケンタッキー・フライド・チキン 「本物のうまさを味わおう」(2014年)
- Armani Jeans
- Emporio Armani
脚注
- ↑ ピチーチ賞を主催するマルカ紙ではリーガ第2節のヘタフェCF戦でぺぺの得点をロナウドのゴールであるとしているため、41得点となっている(参考:意見が分かれるCR7の得点数Goal.com 2011年5月18日)
- ↑ 所属チーム以外の全チームから得点を奪ったのはロナウドで史上10人目、レアルでは2人目だが、これまでの記録達成時はリーガが現在の20チームよりも少ない。またロナウドは1996-97シーズンに19チームから得点を挙げたが、当時のリーガは22チームでの構成だった。
出典
外部リンク
- Cristiano Ronaldo Website
- CRISTIANO RONALDO NEWS(本人公認サイト)テンプレート:Pt iconテンプレート:En icon
- テンプレート:Google+
- テンプレート:Facebookテンプレート:En icon
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:YouTube
テンプレート:レアル・マドリードのメンバー テンプレート:Navboxes テンプレート:Navboxes
- ↑ テンプレート:IPA-pt。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 テンプレート:Cite web
- ↑ 『クリスティアーノ・ロナウド ポルトガルが生んだフェノメノ』
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ 6.0 6.1 C・ロナウドを読む(2):負けず嫌いは子供の頃から Goal.com、2012年4月1日
- ↑ 7.0 7.1 7.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 8.0 8.1 C・ロナウドを読む(3):2万2500ユーロの少年 Goal.com、2012年4月9日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Clash of the titansmanchestereveningnews.com
- ↑ C・ロナウドを読む(4):憧れの「怪物」との比較 Goal.com、2012年4月15日
- ↑ 既に両クラブ間での接触は行われており、親善試合の時点でマンチェスター・ユナイテッドが仮契約を押さえていた。
- ↑ The brightest star in Europe and £1m to a mysterious agentthe guardian 2011年1月19日
- ↑ 特集号』、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、平成21年1月21日号、8頁
- ↑ 金子義仁『2005~2006ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版社〈フットワーク出版株式会社〉、2004年、275-273頁を参考
- ↑ Ronaldo wins monthly award again BBC SPORT、2007年1月11日
- ↑ C・ロナウドを読む(6):喜びの涙 Goal.com、2012年5月4日
- ↑ マンチェスター・ユナイテッド公式ホームページ 特集:ロナウド、移籍騒動の真相を告白
- ↑ Premier League Round-up: Arsenal defeat costly as Chelsea, Liverpool and United win telegraph.co.uk、2008年11月15日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ C・ロナウドのユニホーム売り上げは130億円 ベッカムを抜いて新記録
- ↑ Portugal 3 Hungary 0: Queiroz's team keep hopes alive but lose injured Ronaldo dailymail.co.uk、2010年10月11日
- ↑ 元カノの呪い? C・ロナウドが引退の危機!? livedoor.com、2010年10月31日
- ↑ マドリー、ロナウドの4得点などで圧勝 uefa.com、2010年10月23日
- ↑ C・ロナウド:「信じられない調子にある」 goal.com、2010年11月1日
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