カール=ハインツ・ルンメニゲ

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テンプレート:サッカー選手 カール・ハインツ・ルンメニゲ[1]Karl-Heinz Rummenigge1955年9月25日 - )は、ドイツリップシュタット出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。現在、ドイツ・ブンデスリーガ所属のバイエルン・ミュンヘン代表取締役である。

人物・プレースタイル

1960年代のウーヴェ・ゼーラー、1970年代のゲルト・ミュラー、1990年代のユルゲン・クリンスマンと並び称されるドイツを代表するストライカー。スピードと決定力を武器にミスターヨーロッパと賞賛された。

若い頃はスピードを生かした高速ドリブラーとして知られた。しかし1978年にバイエルン・ミュンヘンの監督に就任したハンガリー人のパール・チェルナイから特訓を受けた結果、ドリブルシュート、ボレーシュート、ヘディングシュート等は勿論、泥臭いシュートもこなすヨーロッパを代表するセンターフォワードへと変貌を遂げた。

西ドイツ代表では、1976年10月6日ウェールズ戦でデビュー。ワールドカップには3大会(1978年アルゼンチン大会1982年スペイン大会1986年メキシコ大会)に出場。ワールドカップの舞台では、1982年と1986年は怪我のためフル出場試合は少ないが、合計10得点を挙げている。

特に1982年大会の準決勝・フランス戦の延長戦、および1986年大会決勝・アルゼンチン戦で、ともに2点ビハインドの場面で記録した追撃のゴールで知られる。前者はアクロバティックな体勢から決め、後者はまさに「魂で押し込んだ」とも言うべき泥臭いゴールであった。

年譜

エピソード

  • 自身が代表取締役をつとめるバイエルン・ミュンヘンは、2006年に浦和レッズとパートナーシップを締結。同年7月31日には埼玉スタジアムで両チームの親善試合が行われた際に来日し、OBオールスターマッチにも参加して往年の技を披露、ハットトリックの活躍を見せた。
  • まだ無名だった頃、1975年1月にバイエルンミュンヘンの一員として来日、1月7日の日本代表との試合では開始1分でゴールを決めている。

所属クラブ

代表歴

  • 1976-1986 テンプレート:Flagicon 西ドイツ代表 95試合45得点
    • FIFAワールドカップ出場 3回(1978アルゼンチン大会、1982スペイン大会、1986メキシコ大会)
    • UEFA欧州選手権出場 2回(1980イタリア大会、1984フランス大会)

主な獲得タイトル

個人タイトル

  • 欧州年間最優秀選手 2回(1980年1981年
  • ドイツ年間最優秀選手賞 2回(1980,1981)
  • ブンデスリーガ得点王 3回(1980,1981,1984)
  • スイスリーグ得点王 1回(1989)

国際サッカー歴史統計連盟

外部リンク

脚注

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  1. 日本のメディアではルンメニゲをルムメニゲと表記する場合がある。