シャーロック・ホームズ
テンプレート:Otheruseslist テンプレート:Infobox character シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)は、アーサー・コナン・ドイルの推理小説『シャーロック・ホームズシリーズ』の主人公であり、架空の探偵。現在でも圧倒的な人気を誇り、「名探偵」の代名詞的存在とされる。
天才的な観察眼と推理力を持つ、世界でたった一人の「顧問探偵」(consulting detective)である。ロンドンのベーカー街221Bにあるハドスン夫人所有のアパートで、相棒のジョン・H・ワトスン医師と共同生活をしていた。
1887年から1927年にかけて発表された、4つの長編と56の短編に登場する。
アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が企画した「AFIアメリカ映画100年シリーズ」では、『アメリカ映画の名セリフベスト100』で彼のセリフ「基本だよ、ワトソン君」が65位にランク入りした[1]。
目次
人物
生涯
大学時代に友人の父親にまつわる事件(「グロリア・スコット号事件」)を解決したことで、探偵業を志すようになり、大学卒業後に大英博物館近くのモンタギュー街で開業した。1881年、ルームシェアの相手としてワトソンと初めて出会う(『緋色の研究』)。ホームズはその風采を見ただけでアフガン戦争の復員兵だと見抜き、驚かせた。
ワトソンと共にベーカー街の下宿で共同生活を始めた頃から名声が高まり、海外からも事件解決の依頼が寄せられるようになった。1891年に犯罪組織の頭目であるジェームズ・モリアーティ教授との対決(「最後の事件」)で、モリアーティ教授と共にスイスのライヘンバッハ滝にて失踪。モリアーティ教授と滝壺に落ちて死亡したと思われた。だが、落ちたのはモリアーティだけであったと後にわかる(「空き家の冒険」)。ホームズは生きていたが、モリアーティ一味の残党から逃れるために姿を消していたと答えている。また日本を発祥とする東洋武術のバリツ[2]を体得していたおかげで、モリアーティ教授との戦いから生き永らえたという(「空き家の冒険」)。
モリアーティ一味の残党から逃れるために姿をくらましてからの行動ははっきりしない(チベットなどアジアにまで足を運んでいたという示唆もある。「空き家の冒険」の項を参照)。ホームズ自身の説明によると、兄のマイクロフト・ホームズに資金を援助してもらいながらモリアーティ一味の残党を倒そうとしたが上手くいかなかったという。
失踪から3年後、モリアーティの腹心の部下であるセバスチャン・モラン大佐を捕まえるため、ホームズはロンドンに戻った。老人に変装してワトソン宅を訪れ、ワトソンが背中を向けた隙に変装を解いて正体を明かすという茶目っ気のある方法で再会したためにワトソンを気絶させるほど驚かせた(「空き家の冒険」)。モラン大佐の逮捕後は、失踪する前と変わらず探偵業を続けた。晩年のホームズは探偵業を引退して田舎で養蜂の研究をしていたが、第一次世界大戦の直前には政府の依頼でドイツのスパイ逮捕に協力した(「最後の挨拶」)。
人物像
容姿は『緋色の研究』で詳しく描かれている。体格は痩身で身長は少なくとも6フィート(約183センチメートル)以上、鷲鼻で角張った顎が目立つ。作者のドイル自身はとがった鼻のインディアンの様な風貌を想像していたという[3]。
性格は極めて冷静沈着。行動力に富み、いざ現場に行けば地面を這ってでも事件の一端を逃すまいと血気盛んになる活動家。反対に兄のマイクロフト・ホームズは、シャーロックよりも鋭敏な頭脳を持つが、捜査に興味がない為に探偵にはならなかった(「ギリシャ語通訳」)。
ヴァイオリンの演奏にも長けており、ストラディヴァリ製のヴァイオリンを所有している。ボクシングはプロ級(当時はベアナックルの「ロンドン・プライズリング・ルールズ」から「クインズベリー・ルール」へ変更した直後)の腕前。化学実験を趣味とする。ヘビースモーカー。事件がなく退屈すると拳銃で壁に発砲して弾痕でヴィクトリア女王のイニシャルを書いたり、コカインやモルヒネを使う薬物依存があった。薬物に手を出すのはワトソンが何年もかけて止めさせた(但し完全に止めたわけではなく、いずれ再発する可能性があったようだ)。後年になるとこういったディレッタント風の退廃的な生活態度をやめ、野山や草木に親しむ保守的な英国紳士風の様子を見せるようになる。
生年月日や家族など私的な事柄については、本編中にはっきりした記述はない。「最後の挨拶」で"the man of sixty"[4]とあるのがホームズの年齢に関するほとんど唯一の記述である。ただ、生年月日は1854年[5]1月6日とする説が有力である。ウィリアム・シェイクスピアの『十二夜』の台詞を複数回引用したり、1月6日に誕生日を徹夜で祝ったともとれる描写がある(『恐怖の谷』)ことから、多くの読者に支持されている。また、出身はイングランドのヨークシャー州北ライディングという説が有力である[6]。
家族については、兄のマイクロフト以外はほとんど言及がない。本人は、先祖は地方の地主で、祖母がフランスの画家オラース・ヴェルネの姉妹だと述べている(「ギリシャ語通訳」)。また、ワトソンが開業していた病院を買い取ったヴァーナーという若い医者が、ホームズの遠縁に当たるという記述が見られる(「ノーウッドの建築業者」)。父はサイガー・ホームズ、母はヴァイオレット・シェリンフォードと言われている(正典に記述はない。複数のシャーロキアンによる様々な説と、ベアリング=グールドの創作によって生まれた設定である)[7][8]。
出身大学についても本編中にはっきりした記述はない。「グロリア・スコット号事件」ではトレヴァーをカレッジで唯一の友人と記述し、「マスグレーヴ家の儀式」ではレジナルド・マスグレーヴを学寮が同じでちょっとした知り合いと述べている。この2人は同じ大学であるとすると矛盾が生じるため、ホームズは2つの事件の間に大学を変わったのではないかと考えるシャーロキアンもいる[9]。その2校の大学は、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学であり、ホームズが1つの大学の学生であったと考えている研究者も、彼が通った大学はこの内のいずれかだろうとみなしている[10]。
ホームズはワトソンが書く自分の物語に関してはその書き方を特に批判している(だが、後にワトソンに「そこまで言うなら自分でやるように」と怒られて、自分で書く羽目になった「白面の兵士」では読者を喜ばせるためにワトソンと同じ書き方をしてしまい、反省する一幕がある)。また、ワトソンはホームズの許可をもらわなければその事件に関する物語を書くことはできない。基本的に自分の名を世間に知られるのは好ましくないと考えている(その割には、ワトソンを自分の「伝記作家」と呼ぶこともあるが)ため、中々許可を出さないが(他にも依頼人の立場などを考慮していることもある)、稀にいきなりワトソンに連絡を取って一方的に許可を出すこともある[11]。
人物評においては辛辣であり、後にその発言を覆しているものの先輩格であるC・オーギュスト・デュパンやルコックを批判したりしている(『緋色の研究』)。
ホームズは女性嫌いとしても知られており、基本的に女性を信用していないようである(「どんなに立派な女性でも100%は信用できない」と言ってワトソンの機嫌を損ねたことがある)。ただし、女性の勘については一目置いており、また、女性には紳士的に接する。ワトソンがメアリー・モースタンと結婚した際にも「お祝いは言わないよ」と言っている。もっとも、メアリーに悪い感情を持っていたわけではないようで結婚後、開業医になったワトソンを事件の捜査において協力を求める際にもメアリー(あるいはそれ以外のワトソンの妻)を気遣うような発言もしている(「株式仲買店員」)。ごくごく稀にだが、女性に惹かれることもあり、「ライオンのたてがみ」で出会ったモード・ベラミー嬢には「彼女に出会っては、どんな青年も無関心ではいられまい」「最も完成された非凡な女性」と感銘を受け、数瞬であるが目を奪われている。
彼の多才な能力はそのまま犯罪に使うこともできるため、ホームズ自身、自分が犯罪者になれば大変なことになっていたであろうという旨の発言をし、また、犯罪紛いの行動を取った際にはレストレード警部にも釘を刺されている。
再三にわたってナイトの地位を辞退している。本人は肩書きが無いのを好むためと言っているが、その一方でフランス政府からのレジオンドヌール勲章は受章しており(「金縁の鼻眼鏡」)、この矛盾については本編内で明確な説明はない。
作者は「シャーロック・ホームズ」と正式に名付ける前に「シェリングフォード」(Sherringford)ないしは「シェリンフォード」(Sherrinford)という仮称を設定しており、後世のパスティーシュ作品にその設定が引用される事がある[12][13]。日本国内においては「Shellingford」や「Shellinford」と誤って表記される事も多い[14]。
緋色の研究における人物評
第1作『緋色の研究』の序盤で、ワトソンはホームズに以下の評価を下している。
- 文学の知識:なし。
- 哲学の知識:なし。
- 天文学の知識:なし。地球が太陽のまわりを回っていることすら知らず、また知ろうとしない。
- 政治学の知識:わずか。
- 植物学の知識:多様。ベラドンナや阿片、毒薬に特に詳しい。園芸の知識はない。
- 地質学の知識:実用的なものだが限られている。一見で各所の土の違いをいうことができる。散歩の後ズボンについた土の撥ね返りを見せて、色とその粘度からロンドンのどこで付いたかを言ったことがある。
- 化学の知識:造詣深い。
- 解剖学の知識:正確であるが体系的ではない。
- 通俗文学の知識:限り知れない。今世紀に起こった凶悪事件のほとんどの詳細を知る。
- ヴァイオリンに長けている。
- フェンシング、ボクシング、ステッキ術に長けている。
- イギリス法への実用的な知識を持つ。
しかし、『緋色の研究』の事件においてホームズはワトソンの判断を覆すような引用・発言をし[15]、後の作品でも多方面にわたる見識と知識を見せている。ワトソンは「後で騙されていたと気付いた」と述べている。『緋色の研究』の時点でこのような評価になった理由は、二人が知り合って間もないうえ、教養の必要性を主張するワトソンをホームズがからかったためだとされる[16]。後に「オレンジの種五つ」で、ワトソン自身がこの評価を「奇妙な診断書」だと笑っている[17]。
モデル
ホームズのモデルは、作者の医学部時代の恩師で外科医であるジョセフ・ベルとされている[18]。ベルは病気の診断には観察力が重要だと学生に説き、訪れる患者の外見から病名だけでなく、職業や住所、家族構成までを鋭い観察眼で言い当てて学生らを驚かせた。コナン・ドイルは学生時代にベルの助手を務め、その行動を日頃から目の当たりにしていた[19]。
一方でドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイルは実際にいくつかの事件で冤罪を晴らしたことのあるアーサー・コナン・ドイル自身がホームズのモデルであると主張していた[20]。
経歴
以下はシャーロック・ホームズシリーズの記述から推測されるホームズの経歴である。これとは異なる経歴を支持するシャーロキアンも多いことを付け加えておく。
- 1872年、シャーロック、大学に進む。化学実験にのめり込み、余暇はバイオリンを演奏して過ごす。スポーツには、あまり興味を示さなかったものの、自己鍛錬のためにフェンシング、ボクシング、武術(バリツ)を習得。
- 1874年の夏、学友のヴィクター・トレヴァーの父親の勧めで私立探偵を志す(「グロリア・スコット号事件」)。大学生活でシャーロックの推理方法(アブダクション)は洗練され、大学内でも知れた存在になる。
- 1877年、23歳のシャーロックはモンタギュー街の大英博物館付近に部屋を借り、私立探偵を開業。しかし捜査依頼は皆無だったため、暇な時間を将来役立ちそうな研究に費やす。
- 学友からの依頼が数件あり、全て解決する(「マスグレーヴ家の儀式」)。聖バーソロミュー病院解剖学教室入局。独自に血痕判定の新薬を開発(『緋色の研究』)。他にもユニークな研究論文を多数発表。
- 1881年、27歳の頃、ベーカー街221Bに転居。医師ジョン・H・ワトスンとの同居生活を始める。仕事の依頼も増え始める。『緋色の研究』事件を解決。脳の活性化を図り、モルヒネ及びコカインの吸引も積極的に行う。
- 1887年、『緋色の研究』の事件調査報告がビートンのクリスマス年鑑に発表され、広く世の人々がシャーロック・ホームズという探偵の存在を知る。
- 1888年、ボヘミア国王の依頼でアイリーン・アドラーから写真を奪い返そうとして失敗(「ボヘミアの醜聞」)。この頃、ワトソンが『四つの署名』に登場したメアリー・モースタン嬢と結婚し、診療所を持ち、ベーカー街221Bを去る。
- シャーロックは、ビリーという少年を雇い、身の回りの雑事をさせる(『恐怖の谷』)。
- 1891年、シャーロックはジェームズ・モリアーティ教授の犯罪組織を粉砕。モリアーティ教授に襲われるもバリツを使い滝壷に叩き落とす。そのまま身を隠したため、世間では死亡説が流れる(「最後の事件」)。
- この後、2年間チベットを旅して周り、ラマ僧と会見。シーゲルソンという偽名を使い探検記を発表。メッカを経てフランスに戻り、コールタール誘導体の研究に数ヶ月を費やす。
- 1894年、ベーカー街に帰還、探偵活動を再開(「空き家の冒険」)。妻メアリーに不幸があった(と考えられている)ワトソンもベーカー街へ戻る。その際、診療所をヴァーナーという医者に高値で売却。後にヴァーナー(フランス読みでヴェルネ)とは、シャーロックの親類の名で、代金を支払ったのはシャーロック本人であることが分かる(「ノーウッドの建築業者」)。
- 1895年、ワトソンによればホームズが最も精力的だった年。「ブルースパーティントン設計図」事件の解決によって、ヴィクトリア女王に謁見する。
- 1899年、シャーロックはエスコットという偽名を使い、ミルバートン家の女中と婚約(「犯人は二人」)。
- 1900年、サーの称号を辞退。
- 1902年、ワトソンが再びベーカー街を去る。シャーロックはシンウェル・ジョンソンという情報屋を使うようになる(「高名な依頼人」)。
- 1903年、49歳で探偵業を引退。風光明媚なサセックスの丘で隠遁生活に入る。
- 1909年、サセックス近辺で起きた教師変死事件を調査(「ライオンのたてがみ」)。
- 1912年、英国政府からの調査依頼で探偵業を再開。アルタモントという偽名を使ってアメリカに渡り、ドイツ諜報機関に侵入。ドイツ人に偽情報をリーク(「最後の挨拶」)。
- 1914年、60歳でドイツ諜報機関の英国内におけるネットワークを壊滅させ、サセックスの丘へ帰る。
- 1926年、ワトソンの文章を批判し過ぎて怒られてしまったため、「白面の兵士」と「ライオンのたてがみ」の2編を自ら執筆、発表(「白面の兵士」冒頭)。
推理法
シャーロック・ホームズはよくアブダクションを使う。徹底した現場観察によって得た手掛かりを、過去の犯罪事例に関する膨大な知識、物的証拠に関する化学的知見、犯罪界の事情通から得た情報などと照らし合わせて分析し、事件現場で何が起きたかを推測する。しばしば消去法を用い、「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」(When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.)と述べている(「ブルースパーティントン設計図」)。彼の観察力の鋭さは「白銀号事件」で犬が吠えなかったことを指摘したように、現場で起きた出来事だけでなく、現場で発生すべきなのに起きなかった出来事にも注目した点に表される。この事例は、ミステリ小説界に留まらず広く学問の世界においても、注意力と観察力は如何にあるべきかを示す事例として頻繁に引用される。エジプトの警察は過去、研修にシャーロック・ホームズを教科書として採用していた[21]。
彼は音楽とタバコと有毒植物と過去の犯罪に特に詳しく、前例とタバコで解決した例も少なくない。タバコの灰の見分け方に関しては論文も書いている。
また、彼は、ベイカー街遊撃隊(ベイカーストリートイレギュラーズ)と呼ばれる貧しい少年達に小遣いを与えて、情報収集させることもある。
ホームズ愛好家
あまりにも人気があるため、実在の人物と見なして(信じているという訳ではない)、数多くの人達がホームズを研究している。彼らは、イギリスではホームジアン、アメリカや日本ではシャーロキアンと呼ばれる。シャーロキアンの組織は世界中にあるが、1934年にアメリカのニューヨークで設立されたベイカー・ストリート・イレギュラーズが最も古い。イギリスのロンドンにはシャーロック・ホームズ協会が、日本には日本シャーロック・ホームズ・クラブがある。
演じた俳優たち
ホームズはまた、最も多くの俳優に演じられた架空人物の一人に数えられる。ギネスブックによれば、「最も多く映画化された主人公」として記録されている。
映画・テレビ
ホームズ映画は映画そのものとほぼ同じ歴史を持つとも言える。最初期の無声映画時代には、ドイルの許可も得ないホームズ映画が相当数創られたと考えられている。出演者の名が確認出来る映画の中では、モーリス・コステロがホームズを演じた1905年の『シャーロック・ホームズの冒険』が最も古い。
- クライブ・ブルック
- トーキーで初めてホームズを演じる栄誉を担ったが、その評判は芳しくはなかった。なお、当時まだ全ての映画館がトーキーの設備を備えてはいなかったので、彼の主演作はサイレント版とトーキー版の両方が製作され、厳密を期するならサイレント映画における最後のホームズ俳優でもあったことになる。ブルックが出演した作品でワトソンを演じたレジナルド・オウエンは、後にホームズも演じたが、どちらの役でも不評だった。
- ベイジル・ラスボーン
- ワトソン役のナイジェル・ブルース(Nigel Bruce)とのコンビで、映画やラジオで人気を博した。現在でもアメリカでは「最高のホームズ」に推すファンが多い。しかし、当人はホームズの人気が先行し、ラスボーンでなく「シャーロック・ホームズ」のサインを求められるような扱いに耐えかねて、ワーナー・ブラザーズ社との契約が切れたのを機に降板したが、後にファンの強い要望に応える形で、幾つかのラジオドラマにホームズ役で出演している。
- ロナルド・ハワード(Ronald Howard)
- 1954年から1955年にかけて製作、放映されたアメリカのテレビ映画シリーズ「シャーロック・ホームズ」(全39話)でホームズを演じた。ワトソン役はハワード・マリオン=クロフォード(Howard Marion-Crawford)。現在、廉価版 DVD が数社から販売されていて人気も高い。
- ピーター・カッシング
- 怪奇映画界の名優として知られるが、英国映画『バスカヴィル家の犬』(1959年)でホームズを演じ、米ニューズウィーク誌に「生きて呼吸する過去最高のホームズ」と称賛された。1968年には BBC のTVシリーズ、1984年には単発のオリジナル TV ムービーでホームズを演じた。英国のホームズファン協会が唯一公認するホームズ俳優であったともいわれる。
- ワシーリー・リヴァーノフ
- ソ連のレンフィルム映画スタジオ制作のテレビ放映用劇映画5本 (1979-86年)でホームズを演じた。元々舞台俳優だったが、人形アニメ『チェブラーシカ』でワニのゲーナの声を担当したり、後には映画も監督する等、多彩な活動を行っている。ワトソン役のヴィターリー・ソローミンとのコンビは、その後も続き、90年代前半にはモスクワで「ディテクティーフ(探偵)」という劇場を数年間主宰した。リヴァーノフは2006年に大英帝国名誉勲章を授与されている(授与の理由は、一説では「スクリーンにおける最高のホームズ像」により、また別の説では「英国とロシアとの友好に貢献したこと」による)。2007年にニュージーランドで発行されたホームズ記念ミント銀貨では、ソローミンと共に肖像のモデルとなったり、同年モスクワの英国大使館の脇に彼とソローミンをモデルとするブロンズのホームズ・ワトソン像が建立されるなど、近年特に英語圏での再評価が進んでいる。
- ジェレミー・ブレット
- グラナダテレビの5シーズンにわたるシリーズに主演した。その姿はシドニー・パジェットが描いた挿絵から抜き出て来た程とまで言われ、奇抜かつ繊細な演技でホームズを演じた。ブレットの演じたホームズは現在でも史上最高と幅広く評価されており、ウィリアム・ジレット、ピーター・カッシング、ベイジル・ラスボーンをも凌ぐとされている。また、彼がホームズを演じている間、彼には世界中から毎週3000通ものファンレターが届いていたという。同シリーズの制作理念が、コナン・ドイルの描いた世界の忠実な映像化であったこともあり、ジェレミー・ブレットのホームズは、ロンドン市内でディアストーカー(鹿撃ち帽)やインバネスコートを着用することはなかった。TV版に出演する前であるが舞台版のホームズ作品ではワトソンを演じていることから、ホームズ、ワトソンを媒体は異なるが両人共に演じた珍しい役者となっている。ブレットは、1984年から1994年までホームズを演じ続け、20世紀後半を代表するホームズ役者となったが、全集を完成する前に心臓病のため短編集を含む18作品を残して他界した。本作は2013年現在でも人気が衰える事がなく、NHKだけでなくCATVのチャンネルでも数多く再放送されており、いまだ多くの人々に愛されている。
- なお、同シリーズがNHKで放映された際には、一貫して露口茂が吹き替えを担当し、ファンから好評を博している。しかし、NHKで放映された際には1時間枠にカットされていた。DVD収録時には露口は芸能界から引退状態にあり、放映時カットされた部分のみを諸角憲一が露口に代わって追加収録している。
- クリストファー・リー
- ホームズと兄マイクロフトを両方演じた唯一の俳優とされる。他に『バスカヴィル家の犬』のヘンリー・バスカヴィルも演じている。
- ホームズを演じる際に吹き替え版で声をあてたのは大木民夫。
- ニコラス・ロウ
- 映画『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985年)に主演。ホームズの学生時代を描いたオリジナルストーリーで、当時18歳のロウは史上最も若くしてホームズを演じた俳優となった。
- リチャード・ロクスバーグ
- 『バスカヴィル家の獣犬』(2002年)では彼がホームズを演じた。ちなみにロクスバーグは舞台ではドクター・ワトソンを演じており、また『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』ではホームズの宿敵のジェームズ・モリアーティ、また『コナン・ドイルの事件簿』にも出演するなどホームズ関連の作品には関わりが深い俳優である。
- なお、テレビ・映画でホームズとモリアーティを両方演じた俳優は他にアンソニー・ヒギンズがいる。
- ソフト制作で吹き替えを務めたのは津嘉山正種である。
- ロバート・ダウニー・Jr
- ガイ・リッチー監督の『シャーロック・ホームズ』(2009年)、『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(2011年)でホームズを演じた。従来の紳士的なイメージを覆す異色のホームズ像は賛否両論であったが、その高い演技力が評価され、ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。ただし本作はハリウッドらしく推理描写よりアクションが重視されている。故にミステリーというよりアクション映画としての要素が強い作品となっている[22]。
- 一方で、植物学・薬学・化学の知識が深い、フェンシング・ボクシング・ステッキ術の達人である(原作では設定のみで披露されることが少ない)、薬物中毒を患っている、ディアストーカーは着用しない…などといった原作に近い部分も多い。特に演じるダウニー・Jr.自身、かつては薬物問題を抱えていたことで知られている。
- 劇場公開された際に吹き替えを務めたのはダウニー・Jr.の吹き替えを専任で務めている藤原啓治。日曜洋画劇場では大塚芳忠が務めている。
- ベネディクト・カンバーバッチ
- BBC制作で2010-2012放送のテレビドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』でホームズを演じる。舞台が21世紀という異色の作品であるが、頭脳だけでなくスマートフォンやGPSといった現代科学を駆使して推理するホームズを熱演した。本作は時代背景こそ異なるものの、高身長、女嫌い、地質学や解剖学等に詳しい反面、政治やゴシップに関心が無い等、ホームズの基本スタイルは変わっていない。ただし、原作が持つホームズのエキセントリックさが強調されており、一般常識や他者に対する配慮に欠ける描写が多い。しかし推理や頭脳明晰さを示す描写は最新技術も相まって非常に緻密かつ鋭いものになっている。本作は非常に高い評価を受け、英国アカデミー賞最優秀テレビドラマ賞、エミー賞ミニ・シリーズ部門脚本賞を受賞している。またジェレミー・ブレット以来、TVドラマでは久々のシリーズ化された作品ともなった。日本で放送された際の吹き替えは三上哲が担当。
- ジョニー・リー・ミラー
- CBS制作で2013年10月から放送のテレビドラマ『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』でホームズを演じる。舞台が21世紀のニューヨークという、イギリス以外を舞台にした新作。ロンドン警視庁の顧問だったが薬物依存症にかかり、リハビリ後に父親の住むニューヨークで生活することになったという設定。BBCのホームズ同様エキセントリックさが強調されており、頭脳明晰でありながら、尊大で社会的常識や他者に対する配慮に欠けるキャラクターとして描かれている。
他にロジャー・ムーア、ルパート・エヴェレットなどもホームズを演じている。なお従来の推理物と違うものや、一風変わったホームズを演じた人物には以下のようなものがある。
- バスター・キートン
- 喜劇俳優として有名な彼もサイレント時代にホームズ(厳密にはその弟)を演じた一人である。ただ彼の主演作 (1924年、Sherlock Jr.)は、日本では『忍術キートン』や『キートンの探偵学入門』などと訳されているため、ホームズを演じた俳優の一人としてはあまり認識されていない。
- マイケル・ケイン
- 映画『迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険』(1988年)に主演。ホームズが実はただの飲んだくれで、助手のワトスンこそが真の名探偵だったとする奇抜な設定で描いたミステリ・コメディ。
- 岸田森
- NHKの『文化シリーズ・シャーロック・ホームズの世界』(1979年)でホームズを演じた。こちらのホームズは金髪(カツラ)である。『赤毛組合』などをドラマ化。
舞台
- ウィリアム・ジレット
- 彼は舞台で最も成功したと言われるホームズ俳優である。彼は自ら脚色した2本の舞台で、インバネス・コート、鹿撃ち帽、吸い口の大きく曲がったパイプなど、現在まで広く浸透しているホームズ像を形作った。後年ラジオ番組でもホームズを演じている。
- レナード・ニモイ
- 1976年のジレット版リバイバルの舞台でホームズを演じた。ちなみに「スタートレック」で、彼の演じるミスター・スポックが自分の祖先の言葉としてホームズの言葉を引用する場面がある。
劇場アニメ
アニメ
ラジオドラマ
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ これはホームズが死ななかった理由を必要としたドイルが考案した後付け設定である。
- ↑ アーサー・コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの冒険』東山あかね・小林司・高田寛共訳、河出書房新社〈シャーロック・ホームズ全集〉、1998年、678-679頁、ISBN 4-309-61043-9。
- ↑ 日本語版では「60歳ばかりの男」「60がらみの男」などと訳されることが多いが、直訳すれば「60歳の男」である(『シャーロック・ホームズの大冒険』序論及び訳者あとがき)。
- ↑ 1852年、あるいは1853年生まれの説も有力であるが、シャーロキアンの集まりで最も大きなグループの一つであるベーカー街不正規連隊では、1854年生まれであると結論づけている(『詳注版シャーロック・ホームズ全集』1巻、203頁)。
- ↑ 本編中にははっきりとした記述はないが、有力な説の一つである。この地域には「クロフト」(古サクソン語で「囲われた広野」の意味)あるいは「ホルム」(古サクソン語で「小島」の意味)から転じた地名が多く、ホームズやマイクロフトの名前の由来であるという主張がある。ただし異論もあり、作者のドイルは、本編中でホームズがサリーをひいきする発言をしていることから、サリー出身の可能性に言及している(『詳注版シャーロック・ホームズ全集』1巻、207頁)。
- ↑ コナン・ドイル著、ベアリング=グールド解説と注『詳注版シャーロック・ホームズ全集1』小池滋監訳、ちくま文庫、1997年、195-274頁
- ↑ ベアリング=グールド『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』小林司・東山あかね訳、河出文庫、1987年
- ↑ ホームズの通った大学については、「ベーカー・ストリート・ジャーナル」1956年クリスマス号に発表されたN.P.メトカーフの論文「オックスフォードかケンブリッジか両方か?」(N.P.Metcalre, "Oxford or Cambrige or Both?", The Baker Street Journal Christmas Annual, 1956) に詳しい。
- ↑ E.デービズによる『シャーロック・ホームズの帰還』の序文 (The Later Adventures of Shaerlock Holmes, vol.1 (The Return of Sherlock Holmes); New York: The Limited Editions Club, 1952) でこの点について取り上げられており、オックスフォード大学出身であるドロシー・セイヤーズとノックスがホームズをケンブリッジ大学出身と主張し、ケンブリッジ大学出身で同大学の副総長を(1952年当時)務めているS.C.ロバーツがホームズをオックスフォード大出身であると主張しているのは興味深い、としている(『詳注版シャーロック・ホームズ全集』1巻、243頁)。
- ↑ ただし、ホームズが自分から許可を出したのは「悪魔の足」と「這う男」の2回だけで、どちらも特異な事件である。
- ↑ 『コナン・ドイル自叙伝――回想と冒険』 (C. Doyle, Memories and Adventures: The Autobiography of Sir Author Conan Doyle, London, Hodder & Stoughton, 1924) では、最初は Sherringford にしていたとしているが、ヴィンセント・スターレットによる『シャーロック・ホームズの私生活』 (Vincent Starrett, The Private Life of Sherlock Holmes, New York, The Macmillan Company, 1933) で発表されたドイルの古いノートには、Sherrinford という名前が残されている(いずれも『詳注版シャーロック・ホームズ全集』1巻、45-46頁より)。
- ↑ コナン・ドイルとは別の著者によるパスティーシュ作品には、シャーロックやマイクロフトの更に年長の兄としてシェリンフォード・ホームズ(Sherrinford Holmes)という名のキャラクターとして登場する場合も。
- ↑ 『コナン・ドイル自叙伝――回想と冒険』および『シャーロック・ホームズの私生活』の原著における表記は「Sherringford Holmes」ないし「Sherrinford Holmes」であるが、日本の読者にこれらの設定を紹介した『詳注版シャーロック・ホームズ全集』では単に「シェリングフォード」「シェリンフォード」とカタカナで表記されており、正確な綴りが分からないようになっていた。「Shellingford」「Shellinford」という表記はイングランド南東部に実在する地名の「シェリングフォード」(en:Shellingford)との混同と思われる。
- ↑ ホームズはトーマス・カーライルを知らないと言い、これが文学の知識がないとの評価の一因になった。しかし、事件の調査中にカーライルの発言「They say that genius is an infinite capacity for taking pains(天才とは無限に苦労できる能力だという)」を引用している。 - 曽根晴明「ワトスンによるホームズ研究」『ホームズなんでも事典』平賀三郎編著、青弓社、2010年、250-252頁
- ↑ 小池滋「教養」『シャーロック・ホームズ大事典』小林司・東山あかね編、東京堂出版、2001年、193-194頁
- ↑ 原文 It was a singular document
- ↑ 『コナン・ドイル自叙伝――回想と冒険』では、ジョセフ・ベルをモデルにしたとしている。また、1892年に書かれた、ドイルからベルへの感謝の手紙が残されている。ただし、ベルはホームズの天才的な才能はドイル自身が作りだしたものであるといっている(『詳注版シャーロック・ホームズ全集』1巻、37-40頁)。
- ↑ これをさらにフィクションとしてドラマ化したのがBBC制作のドラマ「コナン・ドイルの事件簿 ベル博士の推理講義」である。なお、「糖尿病を見分けるために学生に尿をなめさせる」という都市伝説も、最古のものとして「ベル教授がそういう授業をした、とコナン・ドイルが述べている」。糖尿病の存在を、実際に尿をなめて確認したのは、17世紀イギリスの臨床医学者トーマス・ウィリス。
- ↑ ダグラス・G・グリーン 『ジョン・ディクスン・カー : 奇蹟を解く男』 森英俊・高田朔・西村真裕美共訳、国書刊行会、1996年、ISBN 4-336-03884-8。
- ↑ 田中喜芳『シャーロッキアンの優雅な週末 ホームズ学はやめられない』中央公論社、1998年、7-8頁
- ↑ ホームズだけでなく、ワトソンにもアクションシーンが多い。
外部リンク
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- コンプリート・シャーロック・ホームズ - 全作品の日本語訳が当時のイラスト入りで読める