フェンシング

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テンプレート:Infobox 武道・武術 フェンシングテンプレート:Lang-en-short)とは、ヨーロッパで発祥した、を用いる武術である。現代ではスポーツ競技でもあり、オリンピック種目として知られる。

用語

フェンシングの用語はフランス語であり、「マルシェ」は一歩前へ、「ロンペ」は一歩後ろへ、「ファンデヴ」は突くという意味である。他にもマルシェやロンペをほかの技と組み合わせて使用する。他には、「ボンナバン」(前に飛ぶ)、「ボンナリエール」(後ろに飛ぶ)、「フレッシュ」(剣を前に突き出して、突進する)などの特殊な技もある。

歴史

原形

フェンシングの原形は、中世騎士たちによる剣術にあるとされている。これらは実戦的な剣術であったが、などの防具、そして火器の発達によって剣(特に長い剣)が戦場で使われることは少なくなっていった。

しかし、という武器自体は騎士の名誉を具現化する象徴であり、戦場で役に立たなくなってもヨーロッパの上流階級は剣術を嗜み続け、廃れる事はなかった。

そして、19世紀の末にはヨーロッパ各地で盛んに競技として行われるようになっていった。

近代フェンシングとFIEの設立

ヨーロッパで盛んに行われていたフェンシングであったが、国や地方によってルールが統一されていなかった。当初はそれでも問題なかったが、蒸気船鉄道自動車などの交通機関の発達とともに、世界が小さくなるにつれ、遠く離れた地域や、場合によっては外国との選手と対戦する機会も多くなり、判定方法によって争いが絶えないようになっていった。

そこで、競技のルールを統一するために、1913年国際フェンシング連盟(FIE[1])がパリに設立された。これがスポーツとしての近代フェンシングの始まりである。

FIE

FIEはスポーツとしてのフェンシング、とりわけ国際試合のルールの成文化と管理を目的とした団体である。この設立に先立ち、国際試合が(特にライバル国であるフランスイタリア間で開催されたことは特筆に価する)開催された。

今日的な視点で見ると、FIEの設立は次の二つを決定的に分断したものであったと言える。

  • 「スポーツ的な」フェンシング — 独自に決められたルールで行われる試合に勝つことを目的とするもの
  • 「伝統的な」フェンシング — 護身あるいは公式の決闘の手段としての剣術を探求するもの

試合方法

ファイル:Fencingtournament.jpg
ピストの上の選手

フェンシングは互いに向き合った2人の選手により、細長い演台あるいはピストの上で行われる。

現代のフェンシングでは、ピストは幅1.5mから2m、長さ14mである。両選手はピスト中央に4mの距離をおいて構え(アンガルド)の姿勢から試合を開始する。

試合の流れ

2人の出場選手がピスト(フェンシングの試合場)に入り、主審が剣と服装を検査する。検査に異常が見られた場合にはイエローカードが提示される。

検査通過終了後に、「テンプレート:ルビ」(気をつけ、礼)の合図で試合前の敬礼をする。「テンプレート:ルビ」(構え)の合図でマスクを着用し、スタートラインに前足爪先をつけて構える。

主審から「テンプレート:ルビ」または「テンプレート:ルビ」(用意はいいか?)と確認をされる。それに対し向かい合うプレイヤー両者は「テンプレート:ルビ」(よし)または、「テンプレート:ルビ」(まだ)と自分の状況を合図する(主審は準備出来たと見てから合図をするため、大抵は「Oui.」と返答される)。両者からウィと返答されることで、主審による「テンプレート:ルビ」(始め)の合図で試合が開始される。

勝敗の決着がつくことにより、再度テンプレート:ルビの合図で試合終了の敬礼をし、対戦相手と握手を交わす。その後ピストから退出する。

3種の武器と種目名

フェンシングではフルーレエペサーブルの3種の武器があり、これらがそのまま種目名となっている。これは近代的か、伝統的か、の別を問わない。

これらの武器は19世紀末に標準となったものである。また、伝統的な教育の場では、大杖レイピアダガーといった歴史的なフェンシングの武器についても学ぶことがある。

フルーレにはフェンシングの基本技術が集約されているため、初心者は最初にフルーレを教えられることが多かった。

また過去においてフルーレは女性が行う唯一の種目であり、剣が軽いため子供が扱うことも容易であった。

フルーレを知っていることは有益ではあるが、今日ではフルーレ以外の武器から始めることも多い。

欧州大陸国では3種はそれぞれ別個の種目として扱われる。もちろんエペのみのクラブ、サーブルのみのクラブも多い。イギリスではまずフルーレから入ることが多い。

フルーレ

ファイル:Foilfence.ogg
フルーレの試合の様子

現在のフルーレは18世紀における紳士の一般的な携帯武器であるレイピアが軽量化された、スモールソード用の練習剣に由来する。

かつてはレイピアロングソードもフルーレに使用されていたが、これらは重量や用途の点から見るとまったく別のものであるといってよい

外観

フルーレは柔軟な四角いブレード(剣針)をもつ軽い剣であり、突きだけが得点となる

(今日のスポーツフェンシングでは電気剣が使用されており、最低5.00N(おおよそ500グラム)以上の力を剣先に加えなければならない)。

有効面

ファイル:Fencing foil valid surfaces 2009.svg
現在のフルーレの有効面

フルーレの有効面は範囲が限定されている。

これはフェンシングの練習に制限のある防具を使用していた頃の名残である。

  • 当時は顔面を突くことは危険であったため、頭部は有効面からは除外されていた。その後有効面はさらに限定されることになり、命が存在すると考えられる胴体のみが有効面となった。
  • 当時男子はキュロットパンツをはいていたので、臀部を除く胴体両面、女子は多数の襞を持つ足首までのスカートをはいていたので腰から上の胴体両面が有効面であった。
  • 男女ともにキュロットパンツをはくことになり、男女のフルーレ有効面は一致した。

エペ

ファイル:Epeefence.ogg
エペの試合の様子

現在のエペは、近代のフェンシングで用いられていた伝統的な決闘用の武器に最も近い剣である。

18世紀後半に社会が大きく変化した後は剣を帯びることがなくなったため、万一の場合に決闘場に持ちこまれるエペは紛争の解決手段として発展してきた。

外観

エペは長くてまっすぐで比較的重い剣であり、三角形で曲がりにくいブレードと大きくて丸いお椀型の(ガルト)を持つ。

有効面

全身と剣の内側の非絶縁部分が有効面である。

フルーレと同様、エペも突きのみの武器である。

  • 大きいをもつのは、手が体の他の部分と同様に有効面とみなされるためである。
  • 同時突きが有効であり、攻撃権(下記参照)も存在しないため、エペの試合は極端に慎重なものになる傾向がある。
  • 電気剣で有効な突きを得るためには、7.50N以上の力を剣先に加えなければならない。
  • 伝統的なフェンシングでは相手の上着を確実に捉えることができるように、剣先(ポアン)に三つ又の部品を取り付けることもあった。現在では剣身に二本の電線を埋め込み、フルーレより大きめの電気スイッチである剣先(ポアン)が必須である。

サーブル

現在のサーブルは、騎兵隊が用いていたサーベルよりはるかに軽い。

北部イタリアの決闘用サーベルに由来するものである。

サーブルは他の武器とは異なり、斬りも有効である。

  • 今日の電気審判機を用いた試合では、相手の有効面(頭部、胴体、腕)を剣先か剣身、あるいは刃の部分で触れればよい。
  • 当然ながら、伝統的なフェンシングではより厳格な規則が適用されていた。

有効面

ファイル:Fencing saber valid surfaces.svg
現在のサーブルの有効面

決闘用サーベルの練習方法が元になっている。

  • 相手の足への攻撃は防御側が足を後ろに滑らせることで避けることができる。このとき、攻撃者の頭部や腕部は剥き出しになっているため、防御側の高いラインの攻撃のほうが攻撃者の低いラインの攻撃よりも先に達する(足を滑らせる古典的な例が、1790年にアンジェロが著した「Hungarian and Highland Broadsword」に記載されている)。
  • サーブルの有効面は腰より上の上半身全てである。
  • サーブルにもフルーレと同様に攻撃権が存在する。
  • 非電気サーブルまでは両腕の指先までが有効面であった。
  • センサー式電気審判器導入の際に、利き手の甲まで・非利き手の手首までが有効面となった。
  • 非センサー式電気審判機導入の際には利き手手首までが有効面となった。

サーブルは長らく伝統的に男子のみの種目であったが、近年は女子も行われるようになった。

オリンピックでは2004年から正式種目となった。

防具

現代のフェンシングで用いられる防具は丈夫な綿ナイロンあるいはケブラーで出来ている。以下のようなものが防具に含まれる。

  • 足の付け根までを覆い、足の間を通すストラップがついた、体にフィットするジャケット
  • 有効面をカバーするジャケットの上に着用する金属糸を織り込んである素材を使用したラメ(エペ・サーブルのみ使用)
  • ジャケットの下に着用し、横からの剣の衝撃を二重に保護するハーフジャケット(プラストロン、日本ではプロテクターということが多い)
  • 手および、腕部を保護するグローブ
  • 鳩尾から膝下丈のズボン(ニッカーズ ジャケットと共に腹部二重に防護する)
  • 膝までを覆うソックス
  • 喉元を保護するバベット(垂れ)のついたマスク

伝統的にユニフォームは白色である(マスク・メタルジャケットには色のついたものもある)。

  • しかしアトランタオリンピックでは各選手の背中に国籍・名前が入るようになった。
  • シドニーオリンピックではこの伝統は無くなり、ユニフォーム・メタルジャケットに所属国を表す色彩・マークがFIEルール上の必須事項として表されるようになった。これは、テレビで見てどこの選手か解るように、ということである。

これらの防具は選手を保護する面で有用である。

  • 一時、目の周辺に透明素材(バイザー)を使ったマスクも必須になっていたが、2009年11月に国際大会でバイザーが割れる事故が発生したため、FIEは暫定措置として直ちに透明マスクの使用を禁止し[2]、2010年に恒久化された。

現在の防具の制定のきっかけとなったのは、モスクワオリンピック金メダリストのウラジーミル・スミルノフ[3]の死亡事故である。彼はローマで行われた1982年世界選手権で相手選手の折れた剣がマスクを突き破り、眼窩から脳を貫通したことにより9日後に死亡した。

攻撃権

フルーレとサーブルにおける「攻撃権」とは、先に攻撃したほうが優先権を持つという原則のことである。簡単に言えば、もし攻撃された場合には、自分自身が突かれる可能性がある場合には相手を攻撃せずに、まず自分を守らなければならないということである。

攻撃は、運が悪かった場合や、判断ミス、あるいは防護側の行動によっては、失敗することがある。

  • パラード(相手の剣を払うこと)することにより攻撃権は防御側に移り、防御側は相手を攻撃することができる。
    • たとえば、一方の選手が攻撃を行い、もう一方の選手がすぐに反撃して(コントルアタック)双方の攻撃が相手に突きを決めていた場合、先に攻撃した選手の攻撃が有効となり、反撃した選手は間違いを犯したと判定される。
    • しかし、もし攻撃された選手がその攻撃をパラードした後で反撃を行った(リポスト)のであれば、この場合は反撃側に攻撃権が移ったことになり、先に攻撃した選手は防御しなければならないということになる。

現代のスポーツフェンシングにおけるフルーレとサーブルでは、両選手が一定の時間内で同時に突きを決める場合がある。

  • この場合、主審(プレジダン)はどちらの側に攻撃権があってどちらの得点になるのかを決定しなければならない。もしそれができない場合は両者の突きは無効と宣言され、試合が再開される。

主審

主審は試合の進行役となる。

  • 主審は得点、またはタイムキーパーがいない場合は時間の管理、および、突きがどのような順番でなされたのかの判定を行わなければならない。
  • 主審はピストの横に位置し、試合経過を観察する。

電気審判機

電気審判機は大きな国際および国内試合のすべて、また地方大会のほとんどで使用されている。

  • 伝統的フェンサーは電気審判機がフェンシングの技術に悪影響を与えると考えているため、伝統的なフェンシングではこういった装置は用いられない。

電気審判機を用いる場合、フルーレとサーブルではさらに別の防具が必要となる。

  • フルーレ選手は胴体から足の付け根までを覆う通電されたベスト(メタルジャケット)を着用する。
  • サーブル選手は通電されたベスト、および袖とマスクを着用する。
    • どちらの種目でも、選手の剣は有線で結ばれる。
  • 相手選手を突くことによって電気回路が閉じてブザーが鳴り、審判に突きが有効であったことを知らせる。

審判は理論上、自由に攻撃権を監視することが可能であり、突きが有効であったかどうかを判定する副審判も不要となる。(非利き腕での防御などのルール違反を監視する副審は一定レベル以上の試合、また選手からの要求があった場合必須となる)

フルーレとエペでは、先端がスイッチ状になって剣身に電線を埋め込んだ剣を用いる。

  • 電気サーブルでは、導入当時はセンサーが感知した際にのみ電流が流れるように設定されたが、センサーの不具合の多さにより、非センサー式が導入された。
    • 自分の剣が相手のメタルジャケット、籠手、マスクに触れれば電気回路が成立し電流が流れるシステムである。

フルーレで「突き」が記録された場合

剣の先端が相手のメタルジャケットに触れ、FIEルール上の規定時間以上に押し下げられることで回路が閉じ、突きがあったことを知らせるようになっている。(相手の剣への接触は感知されない)

エペで「突き」が記録された場合

剣の先端が押し下げられることで回路が生じ、突きがあったことを知らせるようになっている。(相手の剣は絶縁されているので接触しても感知されない)

サーブルの場合

剣身まで電気が流れ、相手のメタルジャケット・籠手・マスクにふれた瞬間に回路が生じ、斬り・突きがあったことを知らせるようになっている。(相手の剣への接触は感知されない) なお、サーブルはガードの部分で相手の有効面に触れても反応する。(しかし反則である)

日本におけるフェンシング

世界的、特に発祥の地ヨーロッパでは競技人口の多いスポーツの一つだが、日本ではあまり人気がない。北海道文化放送uhbスーパーニュースによると、日本においては全国で1万人ほど、北海道においてはわずか100人ほどと言われるほど競技人口は少ない。フェンシングの部活動を置いている学校も殆ど無く、ある程度の規模の学校に剣道部が大抵置かれているのとは対照的である。

日本で最初にフェンシング競技が導入されたのは、西洋の近代軍人が習得する教養としての剣技を、日本陸軍が導入しようと図ったのが最初であり、1884年明治17年)11月に西郷従道陸軍卿の命により、陸軍戸山学校において教官候補の選抜が始まった記録が残されている[4]。当初の指導はフランス陸軍から派遣された教官によって行われた[5]

1937年昭和12年)、剣道家の森寅雄は剣道普及のため渡ったアメリカでフェンシングを学び始め、わずか6か月の練習で全米選手権を準優勝した。オリンピックでメダルを取ることを期待されたが、第二次世界大戦勃発により出場はかなわなかった。

第二次世界大戦で日本が敗戦し、連合国軍(GHQ)に剣道を禁止された際、代替する競技として考案された撓競技(しないきょうぎ)は、フェンシングを模した防具が使用された。

2008年北京オリンピック男子フルーレ個人競技で、太田雄貴銀メダルを獲得し、フェンシング競技に於いて日本人初のオリンピックメダルを獲得した。また、同オリンピックでは女子フルーレ個人競技で菅原智恵子が7位に入賞しており、実はこれが日本人選手のフェンシング個人種目における初の入賞でもあった(団体種目では1964年東京オリンピックで男子フルーレ団体競技で4位に入賞している)。

大学フェンシングにおいては、2008年全日本学生フェンシング選手権大会、第48回全日本大学対抗選手権大会、第58回全日本学生個人選手権大会が実施された。男子は法政大学中央大学早稲田大学日本体育大学日本大学専修大学同志社大学朝日大学など。女子は日本体育大学、早稲田大学、法政大学、日本女子体育大学東京女子体育大学、専修大学、立命館大学、同志社大学などが強豪で日本一を目指し、鎬を削っている。

日本におけるフェンシングを扱った作品としては、映画『リオの若大将』(1968年公開)がある。

著名な選手

脚注

  1. テンプレート:Lang-fr-short
  2. Transparent visor mask FIE緊急通達 2009年11月5日
  3. ロシア語ラテン文字翻字: Vladimir Viktorovich Smirnov
  4. 陸軍省大日記 明治17年 「大日記鎮台 11月木 陸軍省総務局」
    陸軍省 明治17年11月
    「第七六八号 教導団 東京鎮台 今方戸山学校仏国剣術伝習ニ付員外助教トシテ下士若干名同校泊中付右ニ就シテハ其台府下屯在歩兵隊ノ内ヨリ軍曹伍長ノ内五名左ノ項目ニ達該致候ハ至急取調人名可申出此旨相達候事 十七年十一月十四日 西郷陸軍卿 一、二十五歳以下ノ軍曹伍長ノ内服役年限多キモノニシテ停年未満ノ者 一体格強壮行方正勤務勉励ノ者 一剣術志願ノ者 教導団ヘ本文別ニ近衛局ニ移牒モ本文朱書該所ノ通リ 但年齢ハ本文ノ如ク限ルト雖モ実際ノ都合ニ依リ多少之ヲ超過スルモ妨ケナシ」

    陸軍省大日記 陸軍省日誌・送達・受領日誌 明治17年 文書受領日記
    戸山学校 取調委員今村少佐
    明治17年1月3日〜明治17年12月29日
    「十一月二十九日 通報 庁名 戸山学校 西洋剣術用欽剣御渡相成度義ニ付伺 領収」
  5. 陸軍省大日記 明治20年 「貳大日記 7月」
    陸軍大臣伯爵 大山巖 明治20年7月18日
    陸軍省 総務局 仏蘭西共和国陸軍
    「弐第二〇五九号 総務局 教師キエル氏帰国ニ付仏国陸軍大臣ヘ謝状之件 明治二十年七月十八日 戸山学校雇教師仏国剣術下副官キエル氏今般解雇帰国ニ付テハ該国陸軍大臣ヘ別封謝状送付相成度ト存候〜」

関連項目

テンプレート:Commons&cat

外部リンク