恐怖の谷
テンプレート:Portal テンプレート:Infobox 『恐怖の谷』(きょうふのたに、原題:テンプレート:En )は、アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの長編小説の一つである。『ストランド・マガジン』1914年9月号から1915年5月号初出。
2部構成となっており、第1部で事件の概要と解決に至るまでのホームズの推理を、第2部で事件の背景となった「恐怖の谷」と呼ばれるアメリカの炭鉱街・ペンシルベニア州ヴァーミッサ峡谷(Vermissa)での事件を記している。日本語訳版では1部と2部の掲載順が逆になっているものもある。
シャーロック・ホームズの終生のライバルとされる、ジェームズ・モリアーティ教授が事件の黒幕にいるとされる。
この事件は1月7日に始まっているが、冒頭の目の前の朝食に手をつけようともしなかったとの描写は、前日の1月6日がホームズの誕生日で、徹夜でお祝いをしたのではないかとする説が有力である。
あらすじ
ホームズはポーロックなる男から数字が羅列された暗号文を受け取り、その解読に当たる。そこに書かれていたのはバールストン館のダグラスという男に危険が差し迫っているという内容で、ホームズとワトスンが現場に到着したところ、既にダグラスは死体で発見されていた。
ダグラスはバールストンにある自分の屋敷の書斎で、銃身を切り落として短くした散弾銃によって至近距離から頭を撃ち抜かれていた。散弾銃と金槌、窓敷居の上の血の付いた幅の広い靴跡、そして片方しかない鉄亜鈴などが残されていた。バールストンの屋敷には堀があり、夜中は堀を渡る橋を上げてしまうため、犯人は堀を泳いで逃げたとしか考えられないのだが、屋敷の周囲でずぶ濡れになった人間は見つからなかったという。
ホームズは、事件の第一発見者であるバーカー氏と、ダグラス夫人が共謀して嘘をついているとワトスンに話す。ホームズはワトスンのこうもり傘を借りて屋敷に戻り、何かの調査を開始した。
年代について
正典中、この事件が起こった時代は1880年代の終わりであると記されている。ところが第1部の終わりで「20年ほど前の話」として語られるアメリカでの出来事は1875年に起こった事となっており、矛盾が生じている。
事件が起こった時期を本編に記されている通り、素直に1890年代終わりと考える研究者も多いが、この場合、既に1891年に死んでいるモリアーティ教授が黒幕であるという事実と矛盾してしまう。また、ワトスンはモリアーティについて、本作では聞いた事があるとしているが、1891年が舞台の「最後の事件」ではそれまで知らなかったとしている。この錯誤は、コナン・ドイルが1893年に「最後の事件」を書き、本作を1915年に書いたために起きたのだと考えられる。
ジョン・ダグラスの「1875年のアメリカの事件」という供述を間違いとし、モリアーティの死亡年の方を基準とすれば、アメリカでの出来事が1875年ではなく1860年代頃であるという解釈も可能になる。ただし、この時期のアメリカは南北戦争のさなかであるため、描写に幾つかの矛盾が生じる。
もう一つの解釈は「20年ほど前」の基準を、ワトスンがこの事件について記述した時点とすることである。『恐怖の谷』の事件が起こったのは1880年代終わり、出版は1915年であるが、原稿はその間の1895年頃に作られたとする考え方である。
備考
- 『緋色の研究』や『四つの署名』と同じく2部構成を採っているが、事件の遠因を語った第2部も独立した推理小説として読める作りになっている。また第1部、第2部とも人間入れ替わりトリックが鍵になる。
- 「バールストン・トリック」というミステリ用語が本作から生まれた。
- 「自由民団」の支部を隠れ蓑にヴァーミッサを牛耳っていたならず者集団「スコウラーズ」とボスの州議員ジャック・マギンティは、ペンシルベニア州ポッツヴィルに実在したアイルランド人移民のグループ「モリー・マグワイアズ」とパトリック・ドーマー委員長をモデルにしており(全く同一の町を基にした小説「ポップ1280」がアメリカで執筆されている)、第2部で語られる、蹂躙されていた町を探偵が介入して解放する事件も史実に基づく。「ニューヨーク中央探偵局」の「ジャック・マクマードこと探偵バーディ・エドワーズ」はピンカートン探偵社のジェームズ・マクパーランがモデル。
関連項目
- アラン・ピンカートン - 実在の人物。ピンカートン探偵社を設立した。