ゆく年くる年
『ゆく年くる年』(ゆくとしくるとし)は、年末年始の12月31日23:45から翌年1月1日00:15まで(一部例外あり)NHKで生放送されている年越し番組である。同じタイトルで民放各局が共同ないしは独自に放送する番組もあるが、ここではNHKの番組について言及する。
ラジオ番組として始まったが、後に総合テレビ制作に移行し、複数のチャンネルでサイマル放送されている。
前座番組『NHK紅白歌合戦』の視聴者の流れもあり、毎年20%以上の高視聴率を記録している。
目次
初期の歴史
テレビ放送が開始される前から存在する番組で、除夜の鐘の中継放送が初めて行われたのは1927年(昭和2年)。
東京・上野の寛永寺からJOAK(社団法人東京放送局、現:NHK放送センター)のラジオ放送によるものであり、当時の番組タイトルは『除夜の鐘』であった[1]。1927年から続く日本最古の現役番組である。
リレー放送が始められた時期は1932年(昭和7年)からである。
1945年(昭和20年)の大晦日では、22:20 - 0:00に『紅白音楽試合』(『NHK紅白歌合戦』の前身)を放送し、その直後に『除夜の鐘』を放送する形だった。
1954年放送分までが『除夜の鐘』、1955年放送分より現タイトルとなった(テレビ放送開始から3年目)。
番組進行
年越し前
NHKでは、除夜の鐘が鳴り響く各地の寺院の境内や本堂の様子、参拝客達が深夜の初詣に訪れ、新年の祈願をする模様などがリレー中継される。嘗ては新年を迎えた直後の日本国外各国(例として、時差の関係で日本時間の00:00頃に初日の出が観られるアイスランドなど)の様子を中継したこともあるほか、日付や時間に関係なく普段と変わらずに働き続ける人々(例として東京・新橋のタクシー運転手や福岡・八幡製鉄所の従業員など)の様子を中継したこともある。直前の23時44分まで放送される紅白での喧騒が一瞬にして消去され、静寂と荘厳な雰囲気に包まれる。仏教の仏と神道の神を等しく貴ぶ日本人の精神性や宗教観が色濃く反映された番組である。ナレーションでは、当該地域の紹介や過疎化の問題など、様々な話題に触れる。
各国からの中継としては、2003年以降はギリシャ(アテネ)・スリランカ(アンパーラ)・イラク(バグダッド)・韓国(ソウル)などから中継している。
ビデオリサーチ社におけるカテゴリでは報道番組に分類されるが、「究極の宗教番組」と位置付ける意見(五木寛之、河合隼雄)もある。長崎の浦上天主堂などキリスト教会の礼拝・ミサの様子も中継されたこともある。
年越しの瞬間
日付が変わって年越しを迎えた瞬間に、画面左上に「0:00」と時刻表示される。かつては時報も加わっており、1976/1977年(昭和51/52年)は短波無線局「JJY」の時報を放送した。
番組進行はシンプルでNHKアナウンサーが「新年、明けましておめでとうございます」あるいは、2011/2012年(平成23/24年)では「2012年、平成24年の幕開けです」と淡々とナレーションする。様々な形式(大勢が賑やかに迎えることが通例)で新年のカウントダウンが行われる民放テレビ各局の年越し番組とは確実な差異がある。
ただし、1999/2000年(平成11/12年)は例外であった。この時は1999年(平成11年)12月31日23時58分30秒頃より画面が『第50回NHK紅白歌合戦』終了直後のNHKホール内の映像に切り替わり、同紅白出演者および観衆による2000年(平成12年)に向けてのミレニアムカウントダウンの模様が放送された。
BSハイビジョン放送では一部編成が変わる場合があり、また2002年(平成14年) - 2004年(平成16年)は紅白のまとめ番組があったために23:59まで開始しなかった。
年越し後
年越し後は、各地で新年を迎えたその模様が中継される。前年に話題になった場所や、新年に大きなイベントが開催される会場地などを対象としている。
前年に話題になった場所の例としては
- 1999/2000年(平成11/12年)は2000年問題対策を行う事業者達の対策風景
- 2004/2005年(平成16/17年)は新潟県中越地震被災地
- 2007/2008年(平成19/20年)は新潟県中越沖地震被災地
などが中継された。
新年に大きなイベントが開催される会場地などの例としては、
- 1984/1985年(昭和59/60年)は国際科学技術博覧会(つくば万博)の会場
- 1989/1990年(平成元/2年)は国際花と緑の博覧会(花博)の会場
- 1997/1998年(平成9/10年)は長野オリンピックの白馬村スキージャンプ競技場
- 2001/2002年(平成13/14年)はサッカーのFIFAワールドカップ会場予定地
- 2004/2005年(平成16/17年)は2005年日本国際博覧会(愛知万博)会場予定地
などがある。
番組終了後
本番組の終了直後の『NHKニュース』(NHKワールド・プレミアムでも同時放送。2011年の年明け最初の放送ではノンスクランブル放送を実施)では、キャスターが「明けましておめでとうございます」の挨拶で始め(本番組以外で初めての新年の挨拶)、通常、年越しの話題や各分野における前年の統計値などを報じるニュースから始められる。2000年代頃からでは携帯電話の普及によって起きる様になったいわゆる「おめでとうコール」「おめでとうメール」の集中が原因で発生する通話回線の輻輳やサーバのパンク状態、並びにそれに対する各電話会社の対応状況などが読み上げられることが多い。同番組終了後は文化人との対談などの番組が続き、終夜放送の後、1月1日の早朝から新年を祝う番組へと続いていた。
しかし2005/2006年以降、総合テレビでは本番組→『ニュース』に続いて、さだまさし(2007年まで紅白に出場していた)司会の『年の初めはさだまさし』が生放送されている。2000年代中頃にNHKで相次いだ不祥事の影響などで制作費用の効率化が課題となっているためと見られており、2000年代頃からにおける本番組の放送時間・放送波の変更も同様の理由と考えられている。
NHKで終夜放送が常態化する以前の時代では、1980年代前半まで(1981年の年明けなど)ではこの番組の終了直後のNHKニュース(0:30–0:40)を以って明朝6時の放送再開まで放送休止(停波。ただし、日章旗掲揚・「君が代」演奏はこの当時午前0時を跨いだ場合には原則行っていなかった)となった。1980年代後半(1987年の年明けなど)から本番組の終了直後の『NHKニュース』の後に特別番組が放送されるようになったが、それでも終夜放送ではなかった。普段終夜放送になってから年越しの夜も終夜放送となった。
演出と制作体制
本番組の制作を担当する部署は、東京・報道局の『おはよう日本』部である。リポートするアナウンサーは顔出ししない(現在は一部中継場所で顔出しすることがある)が、年越し後に『おはよう日本』7時台のキャスター2人が揃って顔出しで登場している(2005/2006年では登場せず)。
2000年代後半以降では、2006/2007年は年越し前に松尾剛・首藤奈知子が柴又帝釈天前から中継を行った。2007/2008年の放送は前年の2人が中継先の浅草寺から進行役を務めた。2008/2009年の放送では、紅白の白組司会を4年間(2001/2002年–2004/2005年)担当した阿部渉が大晦日4年ぶりに進行を務め、島津有理子とともに新勝寺から、2009/2010年の放送では島津・森本健成が増上寺から中継を行った。2010/2011年の放送では森本がゲストの瀧本美織とともに亀戸天神社から、2012年の放送では阿部・鈴木奈穂子が大崎八幡宮から中継を行った。
制作は全国の報道系のディレクターが担当し、中継場所の選定はほぼ1ヶ月前から入る。
かつてはクレーンや照明の手配などで中継1ヶ所の予算が500万円以上などが普通であったが、現在では節約が図られている。
中継番組のため、その場で起きていることをそのまま映している様に錯覚するが、寺社を巻き込んでNHKの演出意図通りに参拝客や僧侶、神主、或いは地元の人々に協力してもらっていることが多く、時には行事がNHKの放送時に合わせたかの様に復活することもある。また、定期的に職員が異動して継承が途切れるため、山形の羽黒山や福島などでは数年前とほぼ同じ構成の中継が出たことがある。
この様に完璧を期した番組は、半月以上前から台本が絵コンテ付きで制作される。そしてカットの秒数、コメントの内容が綿密に作られ、東京のチェックを定期的に仰いだ上で、当日まで作り込みを続けていく。
放送2日前よりカメラのセッティング、中継車の回線接続、照明の建て込みの準備が入る。人員は放送時の安全対策も重視され、職員の動員がかけられる。例えば、現場の中継車ではメインのディレクターの後ろでカットの秒数をカウントダウンするディレクター、各カメラ防護用のディレクター、スタッフの宿泊や食事の手配のディレクターなどがいるが、全て職員のディレクターである。コメントを読むアナウンサーの横では必ず管理職アナウンサーや部長クラスが現場入りし、並々ならぬチェック体制が敷かれる。
また、紅白の最中に「全国通しリハーサル」と呼ばれる疑似放送リハーサルを行い、本放送とほぼ同様のことを行って各中継場所へ内容に関するチェックを行う。各リハーサルはVTRで収録するが、これは確認用としてだけでなく、万が一に備えたものでもある。放送時には中継入りと同時にこの収録部分も本放送で再生していき、いざとなったら切り替えができる様になっているなど、絶対に中断の起きえない放送体制が敷かれている。
チャンネル
地上波総合テレビジョンと海外向けNHKワールド・プレミアムで同時放送される。
2008/2009年から2010/2011年までは、BS2でも同時中継されていた。
2006/2007年まではデジタル衛星ハイビジョンでも同時放送されていたが、チャンネル再編による編成の見直しで終了。
2007/2008年まではNHKワールドTVでも同時放送されていたが、完全英語放送化によりいったん終了。2010/2011年および2011/2012年は『Old Year New』として、英語の字幕スーパー差し替えと英語同時通訳をつけて放送した(2012/2013年は放送なし)[2]。
なお、同じくNHKでもこれらのテレビチャンネルとEテレ(教育テレビ)、ラジオ第1以外(BS1、BSプレミアム、ラジオ第2、FM放送)ではこれに相当する年越し番組は基本的に放送されていない。いずれも通常の番組が放送される。衛星放送の場合、日本国外の放送局によるニュースなど。Eテレの場合、クラシックコンサートが放送されていた(ほぼ大晦日21時頃–元日1時頃)が、生中継ではなく、複数のコンサートの放送で構成される番組であり、年明けのカウントダウンなどはない。ただし、1999年/2000年では途中でカウントダウンの秒数だけが表示された。2011/2012年以降は、年越し特番として『0655・2355 年越しをご一緒にスペシャル』が放送されている。
放送時間
通例、23:45から00:15まで。
2010/2011年(平成22/23年)はアナログ放送下では最後の放送のため、00:30まで放送された。実際の本編の終了時間は00:29.30であり、残りの30秒間は総合テレビ・BS2では中継先の東京スカイツリーから、地上デジタル放送推進大使を務める鈴木奈穂子の出演により生でテレビのアナログ放送終了に関する告知が放送された。一方、NHKワールド・プレミアムではその間、フィラー映像(動物の生息する景色)に差し替えられた。
ラジオ第1放送では00:45まで放送されていた。
年表
表中の「主な中継地」の欄の太字の場所は、0時を迎えたとき(年越しの除夜の鐘)の中継地、KSの記号がついた場所は、進行役アナウンサーと放送基地があったキーステーションを表す。
旧年 | 新年 | 主な中継地 | 進行役 アナウンサー |
備考 |
---|---|---|---|---|
1997年 | 1998年 | 善光寺(長野県長野市長野) 長野オリンピック会場(同北安曇郡白馬村)KS |
里谷多英、日の丸飛行隊が活躍した長野オリンピック、さらに、FIFAワールドカップフランスが開催した年。 | |
1998年 | 1999年 | |||
1999年 | 2000年 | NHKホール(紅白歌合戦会場) | 三宅民夫 | ステージ上に大きなデジタル時計を表示し、大勢でカウントダウンを行った。この年は、西暦が2000年に到達するミレニアムを迎える事もあり、大勢の人間でミレニアムの瞬間を迎えようという意図もあり、00:00を迎える直前にNHKホールに中継先を差し戻した。また、高橋尚子が活躍したシドニーオリンピックがあった。 |
2000年 | 2001年 | 日本科学未来館 | 三宅民夫 | 20世紀から21世紀への世紀替わりの瞬間を迎えた全国(20箇所)の表情などを中継。 |
2001年 | 2002年 | 横浜国際総合競技場(神奈川県横浜市港北区)KS 長谷寺(奈良県桜井市) 浦上天主堂(長崎県長崎市) |
住田功一 青山祐子 |
FIFAワールドカップKOREA・JAPAN決勝戦の舞台。ゲストとして大江健三郎、廣山望が出演。他にもソルトレイクシティオリンピックも開催した。 |
2002年 | 2003年 | 柿沼郭 | KS会場には、作家の五木寛之が解説で出演。 | |
2003年 | 2004年 | 金剛峰寺(和歌山県伊都郡高野町高野山) 浅草寺(東京都台東区浅草)KS 朝日山計仙麻神社(宮城県石巻市) ふるさと銀河線・陸別駅(北海道足寄郡陸別町) 勝興寺(富山県高岡市) 一般人宅(宮城県登米市) シンタグマ広場(ギリシャ・アテネ) 岩戸神社(宮崎県延岡市北川町※当時は合併前で東臼杵郡北川町) 薬王寺(徳島県海部郡美波町) 筒賀大歳神社(広島県山県郡安芸太田町) |
三宅民夫 高橋美鈴 |
地上デジタル放送がスタートした翌年、アテネオリンピックが開催。野口みずき選手らが金メダルを獲得した。4世代申年の鈴木賢史一家が出演、さらに、アテネ市長も出演した。 |
2004年 | 2005年 | 常慶院(長野県下水内郡栄村) 洞盟寺(新潟県長岡市) 厳島神社(広島県廿日市市宮島) 臼杵石仏(大分県臼杵市) 平安神宮(京都府京都市左京区) 2005年日本国際博覧会(愛知県愛知郡長久手町)KS 明治神宮(東京都渋谷区) 金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町) 毛越寺(岩手県西磐井郡平泉町) 飯生神社(北海道山越郡長万部町) クリネックススタジアム宮城(宮城県仙台市宮城野区) アンパーラ(スリランカ) バグダッド(イラク) 原爆ドーム(広島県広島市中区大手町) 1.17希望の灯り(兵庫県神戸市中央区三宮) 那谷寺(石川県小松市) ソウル(大韓民国) |
野村正育 高橋美鈴 |
高橋は2回目の出演。博覧会内の日本館から中継を行った。さらに、仙台市の球場では当時東北楽天ゴールデンイーグルスアドバイザー・ファンサービス部長のマーティ・キーナートも出演した。 |
2005年 | 2006年 | 常呂町カーリングホール(北海道北見市) 出羽三山神社(山形県鶴岡市) 埼玉スタジアム2002(埼玉県さいたま市緑区) 東京湾海上交通センター(神奈川県横須賀市) 恵比寿神社(福井県丹生郡越前町) 豊川稲荷(愛知県豊川市) 比叡山延暦寺(滋賀県大津市) 薬師寺(奈良県奈良市西ノ京町) 世界平和記念聖堂(広島県広島市中区) 竹林寺(高知県高知市五代山) 椎葉厳島神社(宮崎県東臼杵郡椎葉村) |
該当者なし | この年は、荒川静香が活躍したトリノオリンピック、2006 FIFAワールドカップドイツ大会があった。 |
2006年 | 2007年 | 姥神大神宮(北海道檜山郡江差町) 大畑八幡宮(青森県むつ市) 願成寺(福島県喜多方市) 柴又帝釈天(東京都葛飾区柴又)KS 法明寺 鬼子母神堂(東京都豊島区) 伊勢神宮外宮(三重県伊勢市) 知恩院(京都府京都市東山区) 箸蔵寺(徳島県三好市) 光明寺(山口県下関市) 竹富島(沖縄県八重山郡竹富町) |
松尾剛 首藤奈知子 |
寅さんの舞台に進行キャスターの松尾&首藤コンビが2004/2005年の野村&高橋コンビ以来1年ぶりの出演。 |
2007年 | 2008年 | 夕張神社(北海道夕張市) 中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町) 浅草寺(東京都台東区浅草)KS 番神堂(新潟県柏崎市) 明善寺(岐阜県大野郡白川村) 平等院鳳凰堂(京都府宇治市) 長谷寺(奈良県桜井市) 西國寺(広島県尾道市) 岩屋寺(愛媛県上浮穴郡久万高原町) カトリック中町教会(長崎県長崎市) |
松尾剛 首藤奈知子 |
2回目の出演となる松尾&首藤コンビは2回目のキーステーション、以前は三宅&高橋コンビが進行を勤めた浅草寺。この年は、ソフトボール日本代表が活躍した北京オリンピックの年。 |
2008年 | 2009年 | 沼田神社(北海道雨竜郡沼田町) 唐松神社(秋田県大仙市) 双林寺(宮城県栗原市) 成田山新勝寺(千葉県成田市)KS 赤レンガ倉庫(神奈川県横浜市中区) 瑞龍寺(富山県高岡市) 清水寺(京都府京都市東山区) 美保神社(島根県松江市美保関町) 善通寺(香川県善通寺市) 観世音寺(福岡県太宰府市) |
阿部渉 島津有理子 |
この回からは、年明け直後の除夜の鐘の中継がされなくなった。[3]
紅白で白組司会を務めた阿部渉が当番組の進行キャスターを務めた。 |
2009年 | 2010年 | 慈恩寺(山形県寒河江市) 朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町信貴山) 増上寺(東京都港区芝公園)KS 両子寺(大分県国東市安芸町) 上武佐ハリストス正教会(北海道標津郡中標津町) 多聞院(広島県広島市南区) 妙厳寺〔豊川稲荷〕(愛知県豊川市) 歌舞伎座(東京都中央区銀座) 潮江天満宮(高知県高知市天神町) 妙成寺(石川県羽咋市) |
森本健成 島津有理子 |
2回目の出演である島津が土・日・祝日担当キャスターの森本とともに増上寺から行った。この年は、バンクーバーオリンピックと2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会の年。 |
2010年 | 2011年 | 亀戸天神社(東京都江東区)KS 知恩院(京都府京都市東山区) 東京スカイツリー(東京都墨田区) 羽田空港(東京都大田区) 中山寺(福井県若狭郡高浜町) 白兎神社(鳥取県鳥取市) 白鬚神社(宮崎県児湯郡川南町) 津軽鉄道(青森県五所川原市) 陶山神社(佐賀県西松浦郡有田町) 鵡川神社(北海道むかわ市) ソウル(大韓民国) 伊東市の海底(静岡県伊東市) 三番叟まわし(徳島県三好市) |
森本健成 | この回がアナログ放送最後の年末番組、森本は2回目。 瀧本美織(同年度下期の連続テレビ小説『てっぱん』のヒロイン)が『第61回NHK紅白歌合戦』会場から駆けつけてゲスト出演。 例年は00:15に終了するが、岩手・宮城・福島の3県を除くアナログ放送下では最後の放送となるからか、今回は00:30まで放送された。 |
2011年 | 2012年 | ニセコスキー場(北海道虻田郡倶知安町) 中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町)KS 洞源院(宮城県石巻市) 相馬太田神社(福島県南相馬市) 東京スカイツリー第1展望台(東京都墨田区) 山下公園(神奈川県横浜市中区) 日石寺(富山県中新川郡上市町) 東大寺(奈良県奈良市) 湯神社(岡山県美作市) 石手寺(愛媛県松山市) 波上宮(沖縄県那覇市) ウェンブリー・スタジアム(テンプレート:Flagicon イギリス・ロンドン市) |
森本健成 鈴木奈穂子 |
この回が岩手・宮城・福島の3県を除いてデジタル放送最初の年末番組となり、森本は3回目。 鈴木奈穂子が初の進行役(ちなみに今回は5.1chサラウンド放送)[4]。 |
2012年 | 2013年 | 宗谷岬【年越しキャンプ】(北海道稚内市) 普門寺(岩手県陸前高田市) 大崎八幡宮(宮城県仙台市)KS 長福寺(福島県双葉郡川内村) 浅草寺(東京都台東区) 東京スカイツリー(東京都墨田区) 鶴ヶ岡八幡宮(神奈川県鎌倉市) 西圓寺温泉(石川県小松市) 伊勢神宮(三重県伊勢市) 清水寺(京都府京都市) 清神社(広島県安芸高田市 護王神社(香川県香川郡直島町) 耶馬溪【青の洞門】(大分県中津市) |
阿部渉 鈴木奈穂子 |
この回が日本全域デジタル放送化完了以後最初の年末番組となる。 阿部渉が2008年-2009年以来となる2度目の登板。阿部はこの間も紅白の総合司会を2009年 - 2011年と3年連続で務めていたため、5年連続で年末番組の担当に携わる形となった。 鈴木奈穂子が前回に続く2度目の進行役[5]。 この回から除夜の鐘の中継が復活。 |
2013年 | 2014年 | 歌登八幡神社(北海道枝幸郡枝幸町) 常呂カーリングホール(北海道北見市) 江岸寺(岩手県上閉伊郡大槌町) 徳本寺(宮城県亘理郡山元町) 小名浜諏訪神社(福島県いわき市) 増上寺(東京都港区)KS 海中寺(東京都大島町) 北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市) タケナイフビレッジ(福井県越前市) 唐招提寺(奈良県奈良市) 出雲大社(島根県出雲市) 岩本寺(高知県高岡郡四万十町) 門司港・レトロ地区(福岡県北九州市門司区) |
阿部渉 鈴木奈穂子 |
阿部&鈴木コンビは前年度に続いての登板[6]。 |
NHK紅白歌合戦との関係
上述した様に、紅白の流れにより毎年、高視聴率を記録している。
1999年から2000年に掛けて放送された時は、前述の様にミレニアムを迎えることもあり、本番組特有の静けさとは打って変わり、カウントダウンのため、喧騒取り巻くNHKホールに中継先が差し戻された。
番組と番組を繋ぐ切り替え作業の手法が通常の切り替え方式とは全く異なっている[7]。通常放送時は音声をフェードアウトして後座番組に切り替わって音声をフェードインするが、紅白と本番組の切り替えでは紅白の音声をフェードアウトせず、後座番組の切り替えと同時に音声も消えて、本番組開始時に音声をフェードインする。この手法は高校野球中継の総合テレビ・Eテレのリレー放送時の相互切換、大相撲中継時の中断ニュース、災害・地震などの特設ニュースが入った時でも見られる。
不祥事
2002年(平成14年)12月28日、大阪放送局の委託業者が撮影照明ライト固定のために、東大寺の鐘楼(国宝)に釘9本を打ち込み、厳重注意を受けた。
ラジオ
テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 2006/2007年まではNHKラジオ第1で本番組が放送されていた。
紅白終了後の23:45より東京・NHKラジオセンターのスタジオをメイン会場として、各地の寺社のリポート、午前0時の時報と同時に「新年明けましておめでとうございます」の挨拶、新年を迎えた各地の寺社のリポートの後、番組テーマ(2006/2007年は「今、築く絆〈きずな〉〜命・信頼・そして家族〜」)に従って、メイン会場に迎えるゲストと司会者のアナウンサーらとの対談トークが行われ、0:45まで続く。その後ニュースが入り、1:00から『ラジオ深夜便』が開始。
2007/2008年は『新たな年へのメッセージ』が放送され、基本的な構成は本番組を受け継いだが、番組の作り方に若干変更が行われた。2008/2009年は『年越しラジオ』、2009/2010年以降は『年越しラジオ ゆく年くる年』が放送されている。