山元町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Infobox 山元町(やまもとちょう)は、宮城県の東南端の太平洋沿岸に位置する町である。
目次
地理
町の地形は、西部が山地(森林)、中部が台地(畑・果樹園)、太平洋に面した東部が低地(水田)となっている。町内は大きく北部の山下地区、南部の坂元地区、海岸地区の三つに分けられる。もとは国道6号線沿いの旧山下・坂元両村の役場が置かれていた辺りに人家が集中していたが、これらの部落はともに最寄駅(常磐線の山下駅・坂元駅)からは離れており、電車を利用しての通勤・通学にはやや不便であったので、次第に常磐線沿いにも宅地が形成されていった。
- 山:大森山(315.1m)・深山(287.2m)・四方山(272.6m)・権現堂山(325.0m)
- 河川:戸花川・坂元川
- 年平均気温:12.2℃(2005年)
- 月平均降水量:88.17mm(2005年)
歴史
- 承和元年(931年)頃に著された『和名類聚抄』に「曰理(わたり)郡に四郷を置く、すなわち坂本・菱沼・亘理・望多」とある。これが山元町域が史料上に現れた最初である。当時の人口は1,000人から1,500人ほどと推測される(一郷は50戸。一戸の人数はおおむね10人 - 15人)。
- 天喜4年(1056年)頃 - 亘理権大夫・藤原経清が亘理郡に入部し、亘理地方を所領とする。町内の中嶋館が経清ないしその一族の居館と推定されている
- 元和2年(1616年) - 大條宗綱が坂元城に入部し、以降幕末まで大條氏が坂元本郷ほか4,000石を領す
- 安政2年(1855年) - 異国船が磯浜付近に出没
- 明治元年(1868年) - 戊辰戦争。駒ヶ嶺城陥落後、奥羽越列藩同盟の浜通り方面軍の本営が坂元城に置かれる
- 明治22年(1889年) - 町村制施行。山下村と坂元村が成立
- 昭和30年(1955年)2月1日 - 山下村と坂元村が合併し、山元町が発足
- 平成23年(2011年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。大津波により沿岸地区6部落が壊滅し、多数の死傷者を出す。
- Jobanyamamoto Driving school after Tōhoku earthquake damage.JPG
津波の直撃を受けた常磐山元自動車学校の址。教習生25人が犠牲となった。
(2011年4月28日、坂元字新代) - Mum on footpath.JPG
畦道に供えられた菊の花。田んぼには津波によりへし折られた電柱の残骸が散乱している
(2011年5月18日、場所不明) - Sakamoto Station after Tsunami.JPEG
津波の直撃を受けて崩壊した坂元駅の址
(2011年5月18日、坂元字二又) - Hozumi Hasegawa & Masato Yamashita in Miyagi 2011.jpg
町内の避難所に慰問に訪れた長谷川穂積選手らのボクシングチーム
(2011年5月29日、場所不明) - Yamamototown Yamadera 小谷地 Miyagipref Miyagipref Tōhoku earthquake damage and effects damage house.jpg
花釜の家屋址。津波により山元町では4,000棟余の家屋が全半壊した
(2011年11月4日、山寺字小谷地) - Takase 笠野 Yamamototown Miyagipref Tōhoku earthquake damage No,8.jpg
津波の直撃を受けたローソン山元町笠野店の址
(2011年11月5日、高瀬字笠野) - Takase 笠野 Yamamototown Miyagipref Tōhoku earthquake damage No,3.jpg
笠野から太平洋を望む。海との間にあった防風林は津波により押し流されてしまった
(2011年11月5日、高瀬字笠野)
行政
- 歴代町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 菅野長三郎 | 昭和30年(1955年)3月13日 | 昭和34年(1959年)3月12日 | 元・山下村長 |
2 | 橋元義雄 | 昭和34年(1959年)3月13日 | 昭和42年(1967年)3月12日 | 元・山下村長 |
3 | 星龍治 | 昭和42年(1967年)3月13日 | 昭和50年(1975年)3月12日 | |
4 | 引地好男 | 昭和50年(1975年)3月13日 | 昭和54年(1979年)3月12日 | |
5 | 千石正乃夫 | 昭和54年(1979年)3月13日 | 平成7年(1995年)3月12日 | |
6 | 森久一 | 平成7年(1995年)3月13日 | 平成19年(2007年)3月12日 | |
7 | 大條修也 | 平成19年(2007年)3月13日 | 平成22年(2010年)3月23日 | |
8 | 齋藤俊夫 | 平成22年(2010年)4月25日 | 現職 |
- 歳出総額:112億4,900万円(2005年度)
- 町内を部落単位で22の行政区に分割
- 山下地区 - 八手庭・横山・大平・小平・鷲足・山寺・山下・浅生原・高瀬・合戦原
- 坂元地区 - 真庭・久保間・中山・下郷・町・上平
- 沿岸地区 - 牛橋・花釜・笠野・新浜・中浜・磯
- (ただし、合戦原にある国立病院機構宮城病院は、別途独立の扱いとなっている)
町民憲章
「明るく住みよい和のある町をめざす」
経済
産業
- 産業分類別就業者数
- 第一次産業:6,616人
- 第二次産業:1,988人
- 第三次産業:2,814人
- (平成13年(2001年)調べ)
郵便局
- 山元郵便局
- 坂元郵便局
- 山下駅前簡易郵便局
- 宮城病院内簡易郵便局
姉妹都市・提携都市
国内
地域
人口
健康
他に開業医8医院
教育
中学校
- 山元町立山下中学校
- 山元町立坂元中学校
小学校
- 山元町立山下小学校
- 山元町立山下第一小学校
- 山元町立山下第二小学校
- 山元町立坂元小学校
- 山元町立中浜小学校
特別支援学校
幼稚園
- ふじ幼稚園
- やまもと幼稚園
交通
鉄道
バス
- 山元町町民バス「ぐるりん号」
- かつては国鉄バス・宮城交通・福島交通の3社が路線バスを運行していたが、現在までにすべて廃止されている。国鉄バスは、角田を起点に東街道・高瀬口を経由して山下駅まで(のち東街道 - 山下駅間に短縮)の路線と、小斎峠を越えて坂元駅までの路線を運行していたが、昭和59年(1984年)に廃止。宮城交通は、岩沼駅から宮城病院までの路線を運行していたが平成17年(2005年)に廃止。福島交通は、相馬と宮城病院の間に1日4往復を運行していたが昭和56年(1981年)に廃止。相馬 - 磯浜間の路線も昭和60年(1985年)に廃止された。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
- 町内を走る県道:福島県道・宮城県道38号相馬亘理線、宮城県道44号角田山元線、宮城県道120号坂元停車場線、宮城県道121号山下停車場線、宮城県道224号吉田浜山元線、宮城県道245号角田大内線
- 旧県道:宮城県道244号半田山下線(2011年(平成23年)9月30日廃止)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
祭り・イベント
- ホッキ祭り - 2月下旬
- ストロベリーラインふれあい市 - 6月上旬
- 八重垣神社(お天王様)祭礼 - 7月下旬
- 商工産業祭・文化祭 - 11月上旬
- アップルラインふれあい市 - 11月下旬
- やまもと食のまつり - 12月下旬
出身有名人
脚注
参考文献
- 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町)
- 第1巻(1971年)
- 第2巻(1986年)
- 第3巻(2005年)