がっちり買いまショウ
『がっちり買いまショウ』(がっちりかいまショウ)は、1963年(昭和38年)12月1日から1975年(昭和50年)3月30日までNET(現・テレビ朝日)系列局で、1975年4月6日から1975年11月30日までTBS系列局で放送されていた毎日放送(MBS)製作の買い物ゲーム番組である。全627回。
NET系列時代には毎週日曜 12:45 - 13:15に放送され、TBS系列時代には毎週日曜 12:15 - 12:45に放送。腸捻転の解消以後は放送開始時刻が変更されたため、一部の系列局では朝日放送『新婚さんいらっしゃい!』の後番組扱いで放送された[1]。
司会は、漫才コンビの夢路いとし・喜味こいしが務めた。買い物に使用する商品は、MBSの地元・大阪に本拠がある髙島屋の協賛によるものだった。
目次
概要
出場するペアは3組(基本的には夫婦)。各チームの買い物の設定金額を決めるために体を張ったゲームを行う。ゲームの内容は週替り(椅子取りゲームや玉転がしゲームなど)であり、ゲームの結果で設定金額が決定する。
買い物ゲームは、まず呼ばれたチームがスポンサー商品の絵柄が出ているボックスを一つ選び、その金額を決めた後、(いとし)「これを含めて4点以上」(こいし)「それでは○○円コース!が〜っちり買いまショウ!」とコールしてゲームが始まる。各チームの買い物の、制限時間は2分間で、5品以上の品物を買わなければならない。出場者が会場に置かれた値段のわからない品物の中から、決められた金額に合う様に欲しい品物を取って買い物をする。なお小金額調整用に、スポンサー商品(こちらは金額が表示されている)の他、靴下やネクタイなどの小物が置かれていた。
結果発表の際、いとし・こいしが「伺ってみます!○○円コース!!いかがでしょうか!!」と聞くと、ティンパニロールが鳴り、合計金額が設定金額からマイナス4000円以内(例えば10万円コースの場合は10万円 - 9万6000円)の場合、ファンファーレが鳴り、取った品物をすべて獲得できるが、逆に設定金額を1円でもオーバーするかマイナス4000円を下回ると失格で品物没収となる。なお、品物を獲得できた時には、残高は「あゆみの箱」に寄付された。また、設定金額と同じだった場合には「がっちり賞」として賞金10万円獲得となった。
失格となった場合、「残念賞」としてスポンサー製品の詰め合わせが贈られた。なお、番組後期には「ラッキー賞」の設定があり、その指定の品物を取った時は旅行クーポン券が贈られていた。また、出場した3組のうち、特にインパクトがあった1組には「いとこい賞」(賞品は週替わり)が贈られた。
コースの制限金額は物価高に応じて徐々に上昇していった。番組開始当初は5万円・3万円・1万円(内輪で3千円以内)だったが、その後は7万円・5万円・3万円、10万円・7万円・5万円のごとくアップし、最終回には特別に5組出場で、3万円・1万円が追加された。1万円コースでがっちり賞が出て、有終の美を飾った。なお、1回だけ(航空会社対抗戦の時)、30万円・20万円・10万円の3コースで行ったことがある。
番組のラスト近くには、協賛の高島屋からの視聴者への商品プレゼントがあった。これはまずメインとなる商品とその値段を紹介し、その後スポンサー商品10個を見せて、その合計額を番組宛に投稿するというものだった。
提供スポンサー
番組開始から1971年までは株式会社オリエンタル(本社:名古屋市中村区)の一社提供だったが、1972年からは江崎グリコ(本社:大阪市西淀川区)ならびにグリコグループの提供になった。
この番組は、番組名の前にスポンサーの冠名が付いていた関係で、1971年までの正式番組名は『オリエンタルがっちり買いまショウ』で、1972年以降は『グリコがっちり買いまショウ』となっていた。なお、グリコがスポンサーを務めたのは、『新伍とんでけ捕物帳』1977年12月25日放送分(最終回)までである。こちらはグリコのほか、花王石鹸(現・花王)などの複数社による提供で放送されていた。
有名な口上・セリフ
- 「男は度胸、女は勘定。お手手出しても足出すな。(スポンサー名)がっちり買いまショウ!!」
- オープニングでのいとし・こいし両人の掛け合い形のタイトルコールだった。「足出すな」とは「足を出す=予算オーバーする」と「足=おアシ(お金)」とを引っ掛けている。スポンサーがグリコグループ時代はBGMにグリコのテーマが流れていた。提供とネット局一覧などのバックは拍手する客席だった。
- 「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!」
- 設定金額を決めるゲームにおけるいとしの掛け声、この後にゲームに応じた口上をテンポ良く顔芸をしながら言い、最後に玉転がしゲームの場合「…玉転がしゲーム、はじめ!!」と張りのある声でコールした。なお、この口上の前に、こいしはアコーディオンの曲にあわせ、ゲーム内容を歌いながら説明した。
- 「ではまた来週も、オリエンタルがっちり食いましょう!」
- 「お利口にグリコ」
- スポンサーがグリコグループ時代のエンディングで使用、収録会場に来ている子供に、いとし・こいしがインタビューをして、インタビュー後「お利口やね」、「お利口にグリコ!」と謝礼代わりに手提げ付きのグリコを渡していた。
ネット局
1963年12月から1975年3月まで
系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | NETテレビ系列 | 制作局 |
関東広域圏 | NETテレビ (現・テレビ朝日) |
||
北海道 | 北海道放送 | TBS系列 | 1968年10月まで |
北海道テレビ | NETテレビ系列 | 1968年11月から | |
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 | |
岩手県 | 岩手放送 (現・IBC岩手放送) |
TBS系列 | |
宮城県 | 東北放送 | ||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | |
山形県 | 山形放送 | ||
福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
1971年9月までは日本テレビ系列局 |
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | 1968年10月まで |
新潟総合テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1968年11月から | |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | |
長野県 | 信越放送 | TBS系列 | |
静岡県 | 静岡放送 | ||
中京広域圏 | 中部日本放送 (現・CBCテレビ) |
1966年3月まで | |
名古屋テレビ | NETテレビ系列 | 1966年4月から 1973年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 | |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | |
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 | |
鳥取県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 フジテレビ系列 |
1972年9月の電波相互乗り入れに伴い打ち切り |
島根県 ↓ 鳥取県・島根県 |
山陰放送 | TBS系列 | 当初の放送エリアは島根県のみ 1972年9月の電波相互乗り入れに伴い鳥取県でも放送 |
岡山県 | 山陽放送 | TBS系列 | 1969年3月まで 当時の放送エリアは岡山県のみ |
岡山放送 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年4月から 当時の愛称はテレビ岡山 当時の放送エリアは岡山県のみ | |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 1971年3月まで |
広島ホームテレビ | NETテレビ系列 | 1970年12月から 1971年4月から広島ホームテレビ単独で放送 | |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 | |
香川県 | 西日本放送 | 1969年3月まで 当時の放送エリアは香川県のみ | |
瀬戸内海放送 | NETテレビ系列 | 1971年4月から 当時の放送エリアは香川県のみ 腸捻転解消より早く打ち切り 打ち切り後は同枠で『パンチDEデート』(関西テレビ)を放送 | |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | |
高知県 | 高知放送 | ||
福岡県 | 九州朝日放送 | NETテレビ系列 | |
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | |
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ||
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 1971年3月まで |
琉球放送 | TBS系列 | 1971年7月から |
1975年4月から11月まで
◎が付いているものは、ネットチェンジ後に変更となった局。系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | 制作局 |
関東広域圏 | 東京放送 (現・TBSテレビ) |
◎ | |
北海道 | 北海道放送 | ◎ | |
青森県 | 青森テレビ | ◎ | |
岩手県 | 岩手放送 (現・IBC岩手放送) |
||
宮城県 | 東北放送 | ||
秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 | ◎ |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 | |
福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
|
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | ◎ |
山梨県 | テレビ山梨 | ◎ | |
長野県 | 信越放送 | ||
静岡県 | 静岡放送 | ||
中京広域圏 | 中部日本放送 (現・CBCテレビ) |
◎ | |
富山県 | 富山テレビ | フジテレビ系列 | ◎ |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | |
島根県・鳥取県 | 山陰放送 | TBS系列 | |
岡山県 | 山陽放送 | ◎当時の放送エリアは岡山県のみ | |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
◎ |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | ◎ |
福岡県 | RKB毎日放送 | ◎ | |
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ||
沖縄県 | 琉球放送 |
補足
腸捻転の解消に伴い、1975年3月に終了したNET系列局をはじめとする一部のネット局は1975年4月から朝日放送製作の『新婚さんいらっしゃい!』に切り替えた[1]。
また、現在では準広域放送となっている岡山県と香川県の放送局は当時はそれぞれの県のみの単一放送だったので、この2局が並列放送していた。さらに広島県で2局放送が行われていた時代もあったが、これは本来のNET系列だった広島ホームテレビ(UHT、現・HOME)がUHFテレビ局(広島県初)であることからそれを受信できない世帯・地域に配慮するのと、従来から放送していた中国放送(RCC)での視聴者確保の観点もあり、UHT開局後も引き続きRCC・UHTでの並列放送が行われていた。
備考
- 小金額調整用の品物のうちスポンサーの商品は、オリエンタル・グリコ時代ともに即席カレーだった。
- 出場者は、商品の額を計算するのに、当初はメモ用紙と鉛筆だったが、番組末期には計算機(電卓)も加わった。
- 名物口上「10万円・7万円・5万円運命の分かれ道」は、番組終了後も、いとし・こいしの漫才の中で時々使用された、
- 放送開始当時の番組タイトルは「オリエンタル がっちり買いましょう」だったが、「しょう」の文字は1969年5月に、ゲームショー番組のもじりで「ショウ」に変更された。
- スポンサーがグリコの時代には、いとし・こいしの2人の着用する背広やブレザーの胸ポケットには(道頓堀川沿いのネオンサインでもお馴染みの)グリコのゴールインマークのワッペンが着けられていた。
- 出場者が設定金額を、オーバーしそうな時や足りないときには、いとし・こいしの2人がそれとなくアドバイスをした。
- もう少しでがっちり賞を逃した時には、こいしが苦しむポーズをするのがお約束だった、特に物凄くおしい(-100円や-10円の時など)ときには、こいしは床でのたうちまわっていた。
- 1990年代、読売テレビ『EXテレビ』火曜日で「ウルトラがっちり買いまショウ」と題した復刻版企画が行われた。この時は芸能人3組のペアーが出場し、1億円コース、1000万円コース、100万円コースが設定された。小金調整の商品のカレーはグリコ提供ではないため他社の商品を使った。
- この番組が放送された時期は、放送用VTRの規格が2インチで機器・テープとも高価で操作・編集も煩雑だったうえ、著作権法の絡みなどで番組の資料保存が安易に行えなかったこともあって放送の都度、映像はほぼすべて上書き消去され、少なくともNETネット時代の映像は、1本も現存していないとされる。なお、番組末期のTBSネット時代と思われる映像が僅かに現存しており、こいしが2011年1月に死去した際、MBS『VOICE』やTBS『サンデーモーニング』で一部が放送された。
- 収録はMBS千里丘放送センターのスタジオ収録だったが、後に放送センター内にある「ミリカホール」での公開収録だった。
脚注
関連項目
テンプレート:前後番組- ↑ 1.0 1.1 ただし、一部のTBS系列局では1975年3月まで『がっちり買いまショウ』を本来『新婚さんいらっしゃい!』の放送時間である日曜日12:15 - 12:45に遅れネットで放送されていた地域もあった。ほか、『新婚さんいらっしゃい!』をネットしていた一部のTBS系列局などでは遅れネットに降格されたものの、同番組のネットは続けられていた。 引用エラー: 無効な
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