鹿児島県立甲南高等学校
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鹿児島県立甲南高等学校(かごしまけんりつこうなんこうとうがっこう テンプレート:Lang-en)は、鹿児島県鹿児島市上之園町にある同県立の高等学校。
目次
概要
- 校訓
- 「剛・明・直」
- 「気高く・優しく・健やかに」
- それぞれ、二中と二高女の校訓を受け継いでいる。
- 校章
- 甲南高校の校章は、二中の「鹿の角」と二高女の「撫子」を組み合わせて図案化したもので、当時校章制定委員会の長を務めていた美術部員が考案した[1]。
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二中校章(鹿の角)
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二高女校章(撫子)
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新制鹿児島高等学校校章(両翼の羽)
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甲南高校章(鹿の角に撫子)
- 校名の由来
- 本校所在地である甲突川の南に、大久保甲東(大久保利通)の生誕地と西郷南洲(西郷隆盛)の居住地跡があり、両先人の名に通ずる[2][3]。
- 「甲」の文字には、“きのえ”といわれるように、十干の最初の文字で「第一位」という意味がある[4]。
- 校名候補として他に「荒田」「麑城(げいじょう)」があった[5]。
- 校内のシンボル
- クスノキ(楠,樟)
- 創立100周年を記念し校木(シンボルツリー)に制定された。校庭の本館東校舎そばにある。
- 蔦
- 本館北校舎中2階(文学部が使用している部屋)の外壁に生い茂っている。同窓会誌名『蔦のある窓』はこれに由来する。また、当校文学部は、深海魚族の別冊として『つた』という名称の冊子を、年誌『甲南』各号で確認できただけでも過去3回発行している。
- ドーム
- 本館正面玄関の真上にある。このドームの外壁に国旗、県旗、校旗の掲揚ポールがあり、校庭には掲揚台がない。校庭で行われる体育祭開閉会式の国旗、県旗、校旗掲揚降納もこのドーム脇の掲揚ポールで行われる。
- アクセス
- 鉄道・軌道
- 路線バス
沿革
略歴
1884年設立の中学造士館の流れをくむとされる鹿児島県立第二鹿児島中学校(1906年創立)と鹿児島県立第二高等女学校(1910年鹿児島県女子師範学校内に創立、1943年女子師範学校が官立に昇格したため分離)の二校が1948年の学制改革によってそれぞれ鹿児島県鹿児島高等学校の第四部と第二部になったのち、1949年に統合されて鹿児島県甲南高等学校として発足、開校。1956年に鹿児島県立甲南高等学校と改称して、現在に至る。
年表
- 前史
中学造士館も参照のこと。
- 1884年12月 鹿児島城跡に[6]鹿児島県立中学造士館設立[7]。
- 1888年4月 官立鹿児島高等中学造士館と改称。
- 1896年 本科廃止。予科生を収容し、鹿児島県尋常中学造士館となる。
- 1899年4月 鹿児島県中学造士館と改称。
- 1901年5月 七高設立に伴い、鹿児島県中学造士館の第3学年以下[8]を収容し鹿児島県第一中学校分校を七高内に設立。
- 同年9月 鹿児島県立鹿児島中学校分校[9][10]と改称。
- 1902年9月 上荒田町(現在地、現上之園町)に移転。
- 正史
鹿児島県立第二鹿児島中学校
- 1906年4月1日 鹿児島県立鹿児島中学分校を鹿児島県立第二鹿児島中学校と改称。
- 同年5月13日 独立記念式典挙行。この日を二中創立記念日とする。
- 1917年 中原猶介翁碑建立。
- 1921年 学友会雑誌第一号発行(雑誌部)。
- 1922年 補習科を設置し、第一鹿児島中学校と隔年で開設。
- 1923年 補習科が毎年開設となる。
- 1928年10月 新校舎建設着工。
- 1930年7月19日 内部工事完了し、新校舎(現在の校舎本館)竣工。
- 同年 標語「剛く明るく真直に」が当時の校長により提唱される。これがのちに校訓「剛 明 直」となる。
- 1932年 寄宿舎、講堂竣工。
- 1933年 軍人組を組織(軍人学校進学志望者特別学級)。
- 1936年 二中校歌制定。
- 1937年 高校組を組織(高等学校進学志望者特別学級)。
- 1941年1月 忠魂碑竣工式挙行(現「追思の碑」)。
- 1943年 映画「海軍」撮影。
- 1945年 終戦後、校舎を進駐米軍が使用するため、伊敷へ一時移転
- 1946年 伊敷より、本来の校地へ復帰。
- 1948年4月1日 学制改革により鹿児島県鹿児島高等学校第四部となる。
鹿児島県立第二高等女学校
- 1910年4月16日 山下町の鹿児島県女子師範学校内に鹿児島県立第二高等女学校設立。この日を二高女創立記念日とする。
- 1921年 補習科設置。
- 1923年 この年の新入生より5か年制となる。
- 1928年 二高女校訓が「気高く 優しく」に決定。
- 1930年 二高女校歌制定。
- 1932年 二高女校訓に“健やかに”が追加され、「気高く 優しく 健やかに」となる。
- 1940年 同窓会により家庭科(1か年制)設置。
- 1943年 鹿児島県女子師範学校が官立に昇格し鹿児島師範学校女子部となったため、分離。
- 1945年6月17日 大空襲により校舎全焼。
- 1948年4月1日 学制改革により鹿児島県鹿児島高等学校第二部となる。
鹿児島県立甲南高等学校
- 1949年4月20日 鹿児島県鹿児島高等学校の第二部(旧二高女)と第四部(旧二中)を統合して、鹿児島県甲南高等学校が発足。
- 同年5月25日 開校記念式典挙行。この日を甲南高校創立記念日とする。
- 1950年4月 新たに定められた学区内の新制中学校から初の入学生。定員は550名(50名×11学級)。校歌制定。移動教室制、学科自由選択制、週五日制の実施。
- 同年8月 旧二高女脇田道場の一部を正門脇に移築し、同窓会館とする。
- 1952年3月 綜合誌[11]『甲南』第1号を発行
- 同年4月 週五日制を廃止し、週六日制となる。制帽制定。
- 1953年3月 女子修学旅行開始(1970年まで)。
- 1955年4月 この年の新入生より定員500名(50名×10学級)。
- 1956年4月1日 鹿児島県立甲南高等学校と改称。
- 1960年 妙円寺遠行が希望者により始まる。翌1961年より全員参加の学校行事となる。
- 1963年4月 この年の新入生より定員550名(50名×11学級)。
- 同年6月 映画「海軍」のロケ。
- 1967年4月 この年の新入生より定員500名(50名×10学級)。
- 1968年8月 西校舎竣工。
- 1971年7月15日 第1回甲鶴戦実施。
- 1973年3月26日 校舎別館竣工。
- 1974年4月 この年の新入生より定員550名(50名×11学級)。
- 1975年 「学校だより」の発行を開始。年誌『甲南』の職員研究部門を独立させ『甲南紀要』第1号を発行。
- 1976年 二中創立70周年を記念し、「追思の碑」の上部に中村晋也氏制作のブロンズ像を建立。
- 1979年 甲鶴戦の正式名称が「甲南・鶴丸スポーツ交歓会」と定められる(第9回大会)。
- 1980年 ドーム内を甲南美術館として活用。
- 1981年 西校舎増築および西校舎新館新築。
- 1982年10月9日 交通事情により妙円寺遠行を廃止し、それにかわる鍛錬行事として薩摩半島縦走を開始。
- 1983年4月 この年の新入生より定員495名(45名×11学級)。
- 1984年 年誌『甲南』の生徒文芸作品部門を独立させ『文芸甲南』第1集を発行(国語科)。
- 1989年3月 正面入り口左に鎌田要人(二中32回卒)書の校訓碑建立。
- 1992年8月17日 彫刻家安藤照(二中卒)製作「古賀毅校長(現校舎建築に尽力)胸像」の寄贈を受ける。
- 1994年4月 二人教頭制に移行。
- 1995年2月 推薦入学者選抜(面接・作文)実施。
- 同年11月 図書室の改修完成。
- 1996年4月 この年の新入生より定員430名(43名×10学級)。
- 1996年7月 第1回国外体験学習(2年生、オーストラリア)。新屋内運動場改築工事着工。
- 同年9月 「追思の碑」周辺を、二中創立90周年を記念して整備した、記念庭園「追思の森」完成。
- 同年11月 タイムカプセル埋設(新屋内運動場玄関下)。
- 1997年4月 この年の新入生より定員400名(40名×10学級)。
- 同年10月18日 武道場(旧二中講堂、1932年11月竣工)および体育館(1966年竣工)の閉場記念式挙行。
- 1998年2月7日 屋内運動場(アリーナ、武道場、屋内プール等を有す)竣工。
- 同年 他高校との交流促進(県内は大島高校、県外は熊本の済々黌、国外はともにオーストラリアのイプスウィッチ高校、レッドバンク・プレーンズ高校と交流)。
- 1999年2月8日 オーストラリアのイプスウィッチ高校と姉妹校盟約調印(2004年2月に延長締結)。
- 2001年 総合的な学習および進路学習としてKIプロジェクトを考案、導入。
- 同年5月 卒業生[12]講演事業「甲南塾」創設。
- 2002年4月 この年の新入生より定員360名(40名×9学級)。
- 2003年 イラク戦争やSARSウイルス流行の影響で国外体験学習中止(次年度より再開)。かわりに国内体験学習実施。
- 2005年4月 この年の新入生より定員320名(40名×8学級)。
- 2007年7月 校舎本館(1928年着工、1930年竣工)が国の登録有形文化財に登録される。
- 同年10月 「二甲記念館」(百周年記念会館)が竣工。
- 2008年6月 航空費燃料代高騰により、この年から国外体験学習にかわり国内での修学旅行を実施。
- 同年9月11日 北京五輪400mR銅メダリスト宮下純一選手(甲南53期卒)に学校栄誉賞授与。
- 2010年 屋上緑化施設完成。
教育方針
- 近代日本に多くのリーダーが輩出した鹿児島の地にある高校として、ボーダーレス化が進むグローバル社会をたくましく生き抜いていく「地球規模でものを考えるリーダーの育成」を新たな教育方針としている。この教育方針の達成のため、特徴的な教育活動のひとつとして、2001年から「KIプロジェクト(Konan Innovation Project) 」と呼ぶ課題探求型の独自の総合的な学習の時間に取り組んでいる[1]。
- 国際社会で活躍できる基本的資質として特に重要な、(1) 人間性 (humanity)、(2) 創造性 (creativity)、(3) 指導力 (leadership) の3つの資質を養成することを目標としている[1]。
主な行事
- 甲南・鶴丸スポーツ交歓会(後述)
- 甲南塾(後述)
- 甲南タイム(通年)
- 体育祭(9月)
- 文化祭(9月)
- 薩摩半島縦走(10月)
- KIプロジェクト
- パワーアップセミナー(1年次、学習指導)
- 修学旅行(2年次、国内)
- 甲鶴戦
- 鹿児島県立鶴丸高等学校とのスポーツ交流戦で、「こうかくせん」と読む。第9回大会で正式名称が「甲南・鶴丸スポーツ交歓会」と定められたが、その際「何もかも鶴丸から先でなくていいではないか、カッコウ戦はカッコー悪い」という意見があった[13]。スポーツの交歓を通して両校の親睦を図り、両校それぞれの生徒としての自覚と連帯感を高めることを目的として、1971年(昭和46年)から始まった。旧制中学校時代にも、一中と二中の間で柔道などの定期戦が行なわれていた[14]。毎年4月に実施され、陸上競技、球技、武道、競泳の15競技17種目(2008年(平成20年)現在)で勝敗を競う。
- 甲南塾
- 社会の第一線で活躍している先輩の考え方や生き方に学ぶことを目的に、新しい教育方針の実現を図るための一環として2001年(平成13年)から始まった[1]。
- 年に5回程度卒業生[12]を招いて講演会を行い、先輩との接触・交流を図ることにより、甲南生としての自覚とアイデンティティの確立を目指している[1]。
- すでに招待された講演者のなかには、学界人や経済界人などのほか、タレントの恵俊彰や指揮者の下野竜也などがいる。
登録有形文化財(本館)
- 2007年(平成19年)7月31日、本館が国の登録有形文化財に登録された。
- 登録番号
- 第46-0037号
- 登録基準(平成8年8月30日 文部省告示第152号、改正 平成17年3月28日 文部科学省告示第44号)
- (2)造形の規範となっているもの。
- 初期のRC造学校建築。正面上部のドーム形塔屋が特徴的。
- 建物概要
- 鉄筋コンクリート造(一部鉄骨)の3階構造。
- 建築面積705坪(延べ床面積2,029坪)。
- 工事費336,518円30銭(当時)。
- 1930年(昭和5年)7月10日竣工(校舎設計6ヶ月、工事2年)。
- 九州の旧制中等学校では初の鉄筋校舎にして県内最古の高等学校校舎。
- 県内の中等教育機関(新制中学校・高等学校を指す)では唯一、奉安庫が校長室に残っている[5][15]。
- 建物配置
- 敷地の有効活用を念頭に3階建てとし、敷地端に両翼を配置、正面入口は両翼が接した角にある。この角は鈍角で接合している。西日の強い光線を教室から遠ざけるため、廊下は東側の棟では西側(校庭側)、北側の棟では北側(校庭の反対側)に配置されている[15]。
- 設計者
- 三上昇(鹿児島県技師)[16]
その他特色
- 男子白線帽
- 制帽の白線3条は、戦後の学制改革の移行期である1948年から1949年の1年間だけ存在した(県立)鹿児島県鹿児島高等学校(六部制。第一部:旧工業学校、第二部:旧二高女、第三部:旧一高女、第四部:旧二中、第五部:旧一中、第六部:旧履正中(夜間課程))の制帽に付けられていた3条の白線を受け継いだものだが、前身二中の制帽にも白線1条があった[5]。
- 小説『海軍』・映画『海軍』
- 二中の卒業生で、軍神と言われた横山正治海軍少佐をモデルにした岩田豊雄(獅子文六)の小説『海軍』が、1942年(昭和17年)の7月から12月まで朝日新聞に連載された。
- この作品は、戦中の1943年(昭和18年、松竹、主演・山内明)と戦後の1963年(昭和38年、東映東京、主演・北大路欣也)の2度、同タイトルにて映画化(海軍 (映画)を参照)。2度とも本校でロケが行われ、映画には当時の鹿児島市内や本校の風景が映し出されている。在校生や教職員もエキストラとして出演した[5][17]。
- 二中通り
- 本校校門を出てすぐにある高麗本通りから、「交通局前」電停までの約300メートルの道を「二中通り」と呼び、そこに位置する店舗は「二中通り商店街」を形成している。
- 「交通局前」電停は、戦時中までは「二中通」電停という名称だった。
- この「二中通り」の「二中」とは、本校の前身「鹿児島県立第二鹿児島中学校」のこと。
- 甲南通り
- 鹿児島中央駅前から、本校校門前にある高麗本通り「甲南高校前交差点」まで約500メートルの道を「甲南通り」と呼ぶ。戦後、二中が甲南高校に改称してから名付けられたもの。
部活動一覧
以下の「部」の他に、応援同好会(應援團)、家庭クラブ同好会、クイズ研究会などの「同好会」がある[18]。
文化系部
- 文学部 - 1951年(昭和26年)に創部し、翌1952年(昭和27年)秋に機関誌『深海魚族』創刊[5]。この機関誌は2012年度現在も発行されている。部の名称は「文芸部」ではなく「文学部」である。
- 演劇部
- 歴史部
- 政経部
- 物理部
- 化学部 - 機関誌『化学の扉』を発行していた。
- 生物部 - 機関誌『甲南生物』を発行していた。
- 地学部
- 音楽部 - 合唱を中心に活動
- 吹奏楽部 - 正課クラブの管楽アンサンブルのメンバーが中心となり設立し、昭和57年度公認[15]。
- 美術部
- 書道部
- 茶道部
- 写真部
- 放送部(KBC) - 元々は放送委員会内の放送実行委員会である。通称はKBC(Konan Broadcasting Clubの頭文字、放送実行委員会時代はKonan Broadcasting Committee)。
- JRC部 - Junior Red Cross(青少年赤十字)の略。ボランティア活動を行っている。
- ESS - 英会話部
運動系部
- 卓球部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- バドミントン部
- 新体操部 - 昭和24年に「器械体操部」として設立。昭和27年に団体徒手競技開始に伴い「体操部」と改称。その後新体操とダンスを中心に活動した。現在はダンスを中心に活動(名称が「新体操部」となった経緯は不明)。
- 水泳部 - 昭和13年に県下初のバタフライ選手を擁した。また、出身者の北京オリンピック競泳男子メドレーリレー銅メダリスト宮下純一が高校3年次の体育祭部活動対抗リレーにて水泳部員全員で赤ふんどしで走り、現在でも水泳部部長は赤ふんどしでアンカーを務めることが伝統になっている[15]。
- 柔道部
- 剣道部
- 空手道部
- ソフトテニス部
- テニス部
- 弓道部
- ラグビー部 - 二中時代の1947年(昭和22年)に創部、ラグビー部としては県内最古。
- サッカー部
- 野球部 - 二中時代の明治39年に設立された。但し、二中学友会会則制定が大正9年なので学友会組織としての設立はその年である。
- 陸上部
- ハンドボール部
各活動の主な実績
- 野球部
- 全国高等学校野球選手権大会(旧称:全国中等学校優勝野球大会)(夏の甲子園)に、二中時代を含めて2度出場した。鹿児島県立高等学校の出場は、2012年度現在甲南と鹿児島工業の2校のみである。
- 九州大会にも数度出場し、最近では平成12年度春に出場。
- 昭和7年には有村家斉投手(のち大洋ホエールズ所属のプロ野球選手)を擁して第1回全九州中等学校野球大会準優勝。昭和9年にも西郷準投手を擁して第3回同大会準優勝[5]。。
- 設立された明治39年の七高主催県下中等学校争覇戦で優勝した[5]。
- ラグビー部
- 全国高等学校ラグビーフットボール大会(通称花園)に4度出場。
- 九州大会に数度出場し、昭和27年に準優勝、昭和38年に3位。
- 陸上部
- 全国大会出場 - 昭和28年、昭和34年、昭和38年、昭和39年、昭和41年、昭和42年、昭和58年、平成19年、平成22年(男子100m第2位)、平成23年
- 国民体育大会出場 - 昭和34年、昭和37年、昭和39年、昭和40年、昭和41年、平成20年、平成22年
- 平成23年度 アジアジュニア選手権陸上競技男子200m第3位(銅メダル)
- 水泳部
- 全国大会出場 - 昭和56年(第8位)、平成12年(男子100m背泳第5位宮下純一)、平成14年、平成15年、平成16年、平成17年、平成19年、平成21年、平成22年
- 国民体育大会出場 - 昭和54年(第2位)、昭和56年(第6位)、平成19年(少年男子B400m自由形第2位)、平成20年、平成21年(少年男子A400m自由形第3位)
- ハンドボール部
- バドミントン部
- バレーボール部
- 庭球部(現ソフトテニス部及びテニス部)
- ソフトテニス部
- 柔道部
- 剣道部
- 空手道部
- 全国大会出場 - 平成23年
- 器械体操部、体操部(現新体操部)
- ヨット部(現存せず)
- 昭和46年 FJ級全国8位、スナイプ級全国1位
- 放送部
- NHK杯全国高校放送コンテスト出場 - 昭和47年(アナウンス)、昭和57年(アナウンス)、昭和61年(朗読、ラジオ番組)平成2年(朗読(後述)、、平成11年(朗読、ラジオ番組)、平成12年(朗読)、平成13年(朗読、テレビ番組)、平成14年(2部門)、平成16年(朗読)、平成17年、平成18年(アナウンス)、平成19年(創作テレビドラマ(後述)、アナウンス、朗読)、平成20年(朗読、創作テレビドラマ)、平成21年(朗読、創作テレビドラマ)、平成23年(朗読(後述)、アナウンス、創作テレビドラマ)
- 1990年(平成2年)、 第37回NHK杯全国高校放送コンテスト朗読部門で全国大会決勝大会出場。
- 2007年(平成19年)、第54回NHK杯全国高校放送コンテスト創作テレビドラマ部門で優勝。作品名『画家と筆』。
- 2011年(平成23年)、第58回NHK杯全国高校放送コンテスト朗読部門で優勝。翌2012年3月の第84回選抜高等学校野球大会(春の甲子園)で開会式司会を務めた。
- 全国高等学校総合文化祭放送部門出場 - 平成9年(アナウンス)、平成11年(ラジオ番組)、平成13年(朗読)、平成16年(朗読)、平成17年(アナウンス)、平成18年(アナウンス)、平成19年(アナウンス、朗読)、平成20年(朗読)、平成21年(オーディオピクチャ)、平成22年(朗読)、平成23年(朗読、テレビ番組)
- 文学部
- 昭和30年度に南日本新聞紙上で新進詩人として若干の部員が紹介される。また、この頃『深海魚族』掲載作品が県内某高校の国語の教材として使用される[5]。
- 2011年(平成23年)、第11回鹿児島県高校生文芸コンクールにおいて文芸部誌部門最優秀賞、詩部門優秀賞(2位)、散文部門優良賞。これにより、2012年(平成24年)の第36回全国高等学校総合文化祭文芸部門に文芸部誌と詩の2分野での出場が決定した[20]。
- 出身者に作家の宮内勝典(芥川賞候補)や相星雅子、ドイツ文学者の谷川道子(東京外国語大学名誉教授)、映画監督の大重潤一郎らがいる[15][21][22]。
- 美術部
- 書道部
- 全国高等学校総合文化祭書道部門出場 - 昭和55年、昭和56年、昭和57年、昭和58年、昭和60年、昭和62年、昭和64年(平成元年)、平成8年、平成11年、平成12年、平成17年、平成18年、平成20年、平成21年、平成22年(ベスト10)
- 全国、県内コンクールともに多数入賞。昭和39年度の日中親善書道展で金賞。
- 音楽部
- 吹奏楽部
- 全国高等学校総合文化祭吹奏楽部門出場 - 平成12年
- 九州大会にも数回出場
- 物理部
- 全国高等学校総合文化祭出場 - 平成13年
- ESS
- 平成21年、全国高等学校英語ディベート大会出場
- 百人一首同好会
- 全国高等学校総合文化祭小倉百人一首かるた部門出場 - 平成18年、平成19年、平成20年
- 囲碁同好会
- 全国高等学校総合文化祭囲碁部門出場 - 平成16年
- 新聞部、新聞委員会、広報委員会
- その他
- 2003年7月、第51回全国家庭クラブ研究発表大会文部科学大臣賞受賞。
- 2006年4月、読書活動優秀実践校文部科学大臣表彰受賞。
- 2006年11月、学校保健文部科学大臣表彰受賞。
- 2010年、第64回滝廉太郎記念全日本高等学校声楽コンクール最優秀賞(第1位)。
出身者・関係者
源流である藩校造士館や中学造士館等の出身者は各校のページを参照。
- 政治・行政
- 四元義隆(二中18回) - 政界指南役、フィクサー、血盟団メンバー
- 宮崎茂一(二中30回) - 衆議院議員、科学技術庁長官、運輸省港湾局長
- 坂元貞一郎(二中31回) - 厚生事務次官
- 鎌田要人(二中32回) - 参議院議員、鹿児島県知事、自治事務次官
- 今村武俊(二中33回) - 鹿屋体育大学学長、文部省初等中等教育局長
- 土屋佳照(二中36回) - 鹿児島県知事、自治事務次官
- 南野知惠子(甲南5期) - 参議院議員(比例代表)、法務大臣
- 前川燿男(甲南15期) - 練馬区長
- 小斉平敏文(甲南19期) - 参議院議員(宮崎県選挙区)、農林水産省大臣政務官
- 伊東隆治(二中) - 参議院議員、衆議院議員
- 永野芳辰(二中) - 高知県知事
- 軍人
- 山本祐二(二中13回) - 海軍少将、戦艦大和乗務、長官・伊藤整一中将と戦死
- 入佐俊家(二中14回) - 海軍少将、「陸攻の神様」「海軍の至宝」と称された
- 横山正治(二中30回) - 海軍少佐、真珠湾攻撃における「九軍神」の1人
- 今和泉喜次郎(二中) - 海軍大佐、真珠湾攻撃における第二潜水隊司令
- 千早猛彦(二中) - 海軍大佐、メジュロ環礁偵察飛行
- 内野信二(二中) - 海軍大佐、伊号第八潜水艦艦長
- 加世田哲彦(二中) - 海軍中佐
- 橋口寛(二中) - 海軍大尉
- 経済界
- 国生義夫(二中5回) - 明治乳業社長
- 浜田広(甲南3期) - リコー社長、日経連副会長
- 古川洽次(甲南8期) - 日本郵便会長 、ゆうちょ銀行会長
- 有村正意(甲南14期) - NTTドコモ関西社長、郵政省通信政策局長
- 前村哲路(甲南19期) - ユニー社長
- 金丸恭文(甲南23期) - フューチャーアーキテクトCEO兼会長、経済同友会幹事、新経済連盟理事
- 鮫島正大(甲南23期) - 格付投資情報センター社長、日本銀行理事大阪支店長、同金融機構局長
- 岩井一隆(甲南) - キュービーネット元社長
- 学界
- 鰺坂二夫(二中19回) -甲南女子大学学長、京都大学教育学部長
- 赤崎勇(二中40回) - 名城大学特任教授、名古屋大学特別教授、青色発光ダイオード開発者
- 徳永皓一(二中41回) - 国立病院機構九州医療センター院長
- 櫻井英樹(甲南1期) - 東北大学名誉教授、「細見・櫻井反応」発見者
- 山口定(甲南3期) - 大阪市立大学名誉教授、立命館大学名誉教授、日本政治学会理事長
- 米盛学(甲南3期) - 鹿児島県医師会会長
- 瀬地山敏(甲南6期) - 鹿児島国際大学学長、京都大学経済学部長
- 納光弘(甲南11期) - 鹿児島大学附属病院長
- 愛甲孝(甲南14期) - 鹿児島大学附属病院長
- 紙屋敦之(甲南16期) - 早稲田大学文学学術院教授、早稲田中学校・高等学校校長
- 谷川道子(甲南16期) - 東京外国語大学総合国際学研究院教授・学長特別補佐
- 原口泉(甲南17期) - 志學館大学人間関係学部教授、鹿児島大学名誉教授、NHK大河ドラマ時代考証
- 外須美夫(甲南22期) - 九州大学大学院医学研究院教授、日本循環制御医学会理事長
- 荒殿誠(甲南22期) - 九州大学大学院理学研究院院長・理学部長
- 船津公人(甲南25期) - 東京大学大学院工学系研究科教授、ストラスブール大学招聘教授
- 遠藤美奈(甲南34期) - 西南学院大学法学部准教授
- 報道・マスコミ
- 本田親男(二中20回) - 毎日新聞社社長、日本新聞協会会長
- 日高旺(二中40回) - 南日本新聞社社長、鹿児島テレビ放送(KTS)社長
- 玉川孝道(甲南10期) - 西日本新聞会館社長、西日本新聞社副社長
- 水溜栄一(甲南12期) - 南日本新聞社社長
- 山下頼充(甲南12期) - NHK厚生文化事業団理事長、NHK政治部記者、日本最初の五つ子の親
- 入田直子(甲南30期) - NHK「おはよう日本」土曜日の中継コーナーリポーター
- 潟永秀一郎(甲南31期) - ジャーナリスト
- 馬越崇史(甲南35期) - テレビ朝日ディレクター・プロデューサー、国際エミー賞受賞
- 佐藤里佳(甲南36期) - フジテレビアナウンサー、アナウンス室副部長
- 岡本安代(甲南46期) - フリーアナウンサー
- 鈴木亜希子(甲南50期) - 北海道文化放送アナウンサー
- 文学・評論
- 篠原鳳作(二中16回) - 俳人、二中教員
- 大河内昭爾(二中41回) - 文芸評論家、武蔵野大学名誉教授
- 大小田八尋(甲南1期) - 軍事評論家、安全保障アナリスト、ノンフィクション作家、八尋総研
- 宮内勝典(甲南14期) - 作家、大阪芸術大学文芸学科教授
- 山崎行太郎(甲南16期) - 文芸評論家
- 甲斐谷忍(甲南37期) - 漫画家、代表作『ソムリエ』『ONE OUTS』
- 芸術
- 安藤照(二中8回) - 彫刻家、西郷隆盛銅像(鹿児島市)・初代忠犬ハチ公銅像(渋谷駅前)制作
- 八島太郎(二中20回) - 絵本作家・画家、本名・岩松惇、米コールデコット賞受賞
- 番匠義彰(二中33回) - 映画監督、代表作『見上げてごらん夜の星を』『青い山脈』『ここに幸あり』
- 沈寿官(二中38回) - 14代薩摩焼宗家、司馬遼太郎の小説『故郷忘じがたく候』のモデル
- 鶴田睦夫(甲南26期) - 作曲家
- 吉嶺史晴(甲南32期) - リコーダー奏者
- 藤川毅(甲南35期) - 音楽評論家、ジャマイカ音楽研究家
- 下野竜也(甲南39期) - 読売日本交響楽団正指揮者、2001年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝
- スポーツ
- 徳三宝(二中) - 柔道家(九段)・講道館師範、3年時に二中から錦城中学校へ転校
- 有村家斉(二中26回) - プロ野球選手(投手、大洋ホエールズ)
- 西郷準(二中28回) - 西郷隆盛の孫、立教大学硬式野球部エースで3割打者
- 宮下純一(甲南53期) - 2008年北京五輪400メートルメドレーリレー銅メダル(背泳ぎ)、ホリプロ所属タレント・スポーツ解説者
- 芸能
- 家弓家正(甲南3期) - 声優・俳優・ナレーター、81プロデュース
- 和田周(甲南8期) - 俳優
- 西田聖志郎(甲南25期) - 俳優
- 西園悟(甲南32期) - シナリオライター
- 恵俊彰(甲南34期) - タレント(ホンジャマカ)
- Sammy (歌手)(甲南39期) - 歌手
- その他
- 著名な教職員
- 坂巻善辰(二中初代校長) - 夏目漱石の小説「野分」主人公・白井道也のモデル
- 中馬庚(二中初代教頭) - 野球の名付け親
- 次田潤(二中) - 国文学者
- 和田勁(二中) - 満州国軍陸軍中将
- 田上高(甲南) - レスリング選手(当校教諭時にミュンヘンオリンピック5位)、テニス選手
脚注
関連項目
外部リンク
- 鹿児島県立甲南高等学校 - 公式サイト
- 甲南高校同窓会公式サイト
- 関東二甲会 - 関東地区の同窓会「関東二甲会」公式サイト
- 鹿児島県立甲南高等学校本館 - 文化庁国指定文化財等データベース
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