天王寺駅

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JR天王寺駅ビル・天王寺ミオ(2008年4月)

天王寺駅(てんのうじえき)は、大阪府大阪市天王寺区阿倍野区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市交通局大阪市営地下鉄)のである。

本項では、阪堺電気軌道(阪堺)の駅である天王寺駅前駅(てんのうじえきまええき)と、廃止になった南海電気鉄道(南海)の駅についても記述する。

概要

大阪市南部のターミナル駅として賑わっており、キタミナミに次ぐ規模の繁華街を形成している。天王寺は、ミナミの難波とは大阪市街の南玄関としての機能を二分する。天王寺駅の南西(阿倍野区側)では再開発が進められている。

駅名は、駅近くに所在する四天王寺の略称に由来するもので、付近に天王寺という寺はない。天王寺駅は第3回近畿の駅百選、天王寺駅前駅は第4回近畿の駅百選に選定されている。

JRの駅はICOCA、地下鉄の駅はPiTaPaおよび「スルッとKANSAI」対応各種カードの利用エリアに含まれている。なお、阪堺の駅ではこれらのカードには全て対応していない。

乗り入れ・接続路線

JR西日本の乗り入れている路線は、関西本線大阪環状線阪和線の3路線である。このうち関西本線は当駅の所属線であり、「大和路線」の愛称設定区間にも含まれている。阪和線は当駅が起点であるが、一部列車は関西本線の線路を介して大阪環状線西九条駅方面に直通し、阪和線日根野駅から関西空港線、阪和線の終点である和歌山駅から紀勢本線(きのくに線)に直通する列車も乗り入れる。特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。

大阪市営地下鉄は御堂筋線谷町線の2路線が乗り入れ、御堂筋線には「M23」、谷町線には「T27」 の駅番号が設定されている。

このほか、阪堺電気軌道の天王寺駅前駅(駅番号はHN01)に上町線が乗り入れている。また、近接する近畿日本鉄道南大阪線大阪阿部野橋駅と地下通路・歩道橋で結ばれており、乗換えが可能となっている。

かつては、南海電気鉄道の天王寺駅が存在し、天王寺支線が乗り入れていた。

JR西日本

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中央改札口付近
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中央改札口の天女像
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2008年3月15日のダイヤ改正より供用を開始した阪和短絡線。後方に見える高架道路は大阪府道28号天王寺バイパス

JR西日本における奈良県関西国際空港和歌山県紀伊半島方面のターミナル駅であるが、大阪環状線経由でJR難波駅新大阪駅(京都方面)・大阪駅京橋駅といった大阪都心部のほかの主要駅へ直通運転させることが多いため、構造上櫛形ホームを有しつつも、途中駅あるいは分散型ターミナルになっている側面がある。

駅長が配置された直営駅であり、管理駅として関西本線の平野駅東部市場前駅、阪和線の美章園駅南田辺駅を管轄している。

駅構造

上町台地上に位置する地上部と、それを東西に貫通する掘割部の2層構造になっている。地上部に阪和線ホームと中央コンコースがあり、掘割部に大阪環状線、関西本線(大和路線)のホームがある。かつて阪和電気鉄道が使っていた阪和線のホーム(1 - 9番のりば)と、かつて関西鉄道が使っていた関西本線(大和路線)、大阪環状線のホーム(11 - 18番のりば)とで構造的にも実務的にも分かれている。

のりば

阪和線ホーム

阪和線では1 - 9番のりばを使っている。櫛形ホーム5面5線の地上駅。2・3番のりば、4・5番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばそれぞれが1本の線路を共有していて、3・4・7・8番のりばは乗車専用ホーム、2・5・6・9番のりばは降車専用ホームになっている。原則として3・4番のりばは快速列車、7・8番のりばは普通が使っている。10番のりばは欠番となっている。

1番のりばはかつて特急列車専用ホームで中間改札が設けられていたがのちに撤去され、主に早朝の関空快速きのくに線に直通する列車を中心に使われていた。2011年現在は定期特急列車はすべて大和路線ホーム15、18番のりばから発着し、一部のきのくに線直通臨時列車のみが発着する[1]。なお、朝晩には、降車専用ホームとしても使われ、ダイヤ乱れの際には1番線発車の列車がよく見られる。(大阪環状線との直通打ち切りの際に関空快速の発着によく使用されている。)

2007年平成19年)のダイヤ改正で1番のりばはラッシュ時の快速列車、2番のりばは特急と「はんわライナー」が使い、3番のりばは使っていなかった。しかし、2008年(平成20年)のダイヤ改正により再度これが入れ替わり、1番のりばが特急と「はんわライナー」用、3番のりばが快速列車(2番のりばは降車用)という形に戻った。同時に3番のりばも有効長8両編成対応のホームに延伸された。

2013年(平成25年)9月に阪和線運行管理システムが更新されたことにより、自動放送が変更された。

大阪環状線ホーム

大阪環状線の列車は11 - 14番のりばを使っている。ただし、関西本線(大和路線)・阪和線方面から大阪環状線に直通する列車は、17番・18番のりばを使っている。11 - 14番のりばは掘割部の島式ホーム2面3線の地上駅で、12番・13番のりばで1本の線路を共有している。12番のりばは内回り列車の始発専用となっている。

このホームでは、以前は接近時の自動放送はなく駅員が放送していた。自動放送が導入された当初はJR京都線JR神戸線などで使われているものと同じタイプのもの(文言・抑揚は多少異なっていた)が使われていたが、2009年(平成21年)9月に大阪環状・大和路線運行管理システムが導入されたことにより、案内放送が変更された。なお、発車放送は大阪環状線のほかの駅と同じく車掌の押ボタン操作により流れるが、13番のりば側は自動である。

関西本線(大和路線)ホーム

関西本線(大和路線)の列車は、掘割部にある島式ホーム2面4線の15 - 18番のりばを使っている。本来は関西本線(大和路線)のホームであるが、1989年(平成元年)7月22日に阪和線と関西本線(大和路線)を結ぶ構内短絡線が設けられて以来、阪和線の列車もこのホームに乗り入れ、大阪環状線との直通が可能になった。短絡線は当初単線で関西本線(大和路線)と平面交差しており、阪和線との直通列車は16番・18番のりばに発着していたことから、ダイヤ編成上のボトルネックとなっていたが、2008年(平成20年)3月15日より短絡線は複線化され、平面交差も解消された。直通列車は15番・18番のりばに発着している。

15番のりばから発車する特急「くろしお」は車両形式によりドア位置が異なるため天井に設置されている行灯式号車案内(乗車口のものが点灯)で確認する。関空特急「はるか」はホーム上に乗車口案内が添付されている。一方、18番のりばの関空特急「はるか」の号車案内板が線路側にあるのみで、特急「くろしお」の乗車口案内は設置されていない。

一つのホームに大和路線と阪和線直通の列車が発着することから、2003年(平成15年)頃までは自動放送が全くなく、案内は全て駅員による放送で行われていた。

引上線など

阪和線のホームの東側には引き上げ線が1本、大阪環状線ホームの西側には引き上げ線が2本設けられている。また、14番のりばと15番のりばの間にはホームのない線路が1本ある。引き上げ線から出区して奈良方面への回送や、大和路線JR難波駅への回送のため、大阪環状線の西側引き上げ線に入りきらない時などに使われる。(阪和線のダイヤ乱れの際には、223系や225系がよく留置されている。)

のりば 路線 方向 行先 備考
1 テンプレート:Color阪和線・きのくに線 (予備ホーム、定期列車の発着なし)休日臨時「くろしお81号」発車ホーム
2 テンプレート:Color阪和線 降車ホーム
3・4 テンプレート:Color阪和線・関西空港線・きのくに線 日根野和歌山御坊紀伊田辺方面 快速・B快速・区間快速
テンプレート:Color関西空港線 関西空港方面 当駅始発の関空快速・紀州路快速
5・6 テンプレート:Color阪和線 降車ホーム
7・8 テンプレート:Color阪和線 鳳・日根野・和歌山方面 普通(7番のりばは一部区間快速も使う)
9 テンプレート:Color阪和線 降車ホーム
11・12 テンプレート:Color大阪環状線 内回り 鶴橋京橋大阪方面 12番のりばは当駅始発のみ
13 テンプレート:Color大阪環状線 降車ホーム
14 テンプレート:Color大阪環状線 外回り 弁天町西九条・大阪方面  
15 テンプレート:Color阪和線 鳳・和歌山方面 大阪環状線からの直通
テンプレート:Color関西空港線 関西空港方面 特急「はるか」・関空快速
テンプレート:Colorきのくに線(特急)(快速) 御坊紀伊田辺白浜新宮方面 臨時「くろしお81号」を除く
テンプレート:Color大和路線 上り 王寺奈良加茂高田方面 朝ラッシュ時のみ
16 テンプレート:Color大和路線 上り 王寺・奈良・加茂・高田・京都(奈良線経由)方面  
17 テンプレート:Color大和路線 下り JR難波方面  
テンプレート:Color大阪環状線 外回り 弁天町・西九条・大阪方面 大和路線からの直通
18 テンプレート:Color大和路線 下り JR難波方面  
テンプレート:Color大阪環状線 外回り 弁天町・西九条・大阪方面 阪和線・大和路線からの直通
テンプレート:ColorJR京都線 新大阪京都米原方面 特急およびB快速のみ
大阪駅は経由しない梅田貨物線経由
  • 2・5・6・9・13番のりばは、降車専用ホーム。
  • かつて特急専用ホームだった1・2番線には中間改札があった。

旅客案内上ののりばと運転取り扱い上の番線は次の通り。

  • 1番のりば …阪和5番線
  • 2・3番のりば …阪和4番線
  • 4・5番のりば …阪和3番線
  • 6・7番のりば …阪和2番線
  • 8・9番のりば …阪和1番線
  • 11番のりば …1番線
  • 12・13番のりば …2番線
  • 14番のりば …3番線
  • ホームのない線路 …4番線
  • 15番のりば …5番線
  • 16番のりば …6番線
  • 17番のりば …7番線
  • 18番のりば …8番線

構内店舗

阪和線1番ホームの西端と、東跨線橋には「天王寺うどん」の店舗がある。ジェイアール西日本フードサービスネットの管理・運営であるが、営業業務は天鉄トラベルサービスに委託されている。

2012年11月、中央コンコースにコンビニエンスストアと土産物の複合店「アントレマルシェ」がオープンした。運営はジェイアール西日本デイリーサービスネット

配線図

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駅弁

主な駅弁は下記の通り[2]。弁当業者は国鉄時代から長らく「芦の家」(既に廃業)で、1990年代末以降は大阪駅と同じ「水了軒」が販売していたが、2010年(平成22年)に販売不振から破産した。2011年現在では神戸駅を中心に京阪神地区の主要駅で展開している「淡路屋」の弁当が販売されている。

  • ひっぱりだこ飯
  • 神戸のステーキ弁当
  • あっちっち大阪鶴橋風焼肉重

歴史

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阪和天王寺駅(1938年10月頃)
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阪和天王寺駅プラットホームに停車する南紀直通列車(1938年頃)

開業時

天王寺駅の歴史は、初代の大阪鉄道1889年明治22年)5月14日にのちの関西本線にあたる路線の、湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間を開通させたときに、その中間駅として開業したことに始まる。当時の天王寺駅周辺は、四天王寺に代表される寺社群の集まる地であり、また明治に入って東成郡郡役所が置かれて発展しつつある場所であった。大阪市街と町続きであった天王寺村の南で上町台地に掘割を設けて線路を敷いた。大阪鉄道は引き続き、後の大阪環状線にあたる路線の建設を進め、1895年(明治28年)5月28日玉造駅まで開業し、天王寺駅はその分岐駅となった。1900年(明治33年)6月6日に、関西鉄道が大阪鉄道を合併して関西鉄道の駅となったが、その関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には鉄道国有法により国有化され、国有鉄道の駅となった。この間、周辺は急速に市街地として発展しており、大阪馬車鉄道(のちの阪堺電気軌道上町線)が1900年(明治33年)9月20日に、南海鉄道(のちの南海電気鉄道)天王寺支線が10月27日に相次いで開業して、これらの路線の集まるターミナルとしても発展していくことになった。さらに大阪市電も順次建設が進み、1923年大正12年)4月13日には2代目の大阪鉄道も後の近鉄南大阪線となる路線を開業した。

この時点で、天王寺駅は掘割の中に東西方向に伸びるプラットホームが3本南北に並ぶ構造となっていた。北側から城東線(現在の大阪環状線の一部)ホーム、関西本線上りホーム、関西本線下り、南海天王寺支線共用ホームの順だった。城東線ホームより北側には貨物積卸場と貨物上屋が並んで貨物扱いを行っており、この部分の西側の地上と同じ高さに駅本屋が設けられていた。駅本屋の北側を東西に抜ける貨物扱い用の道路があり、天王寺駅前交差点から貨物積卸場へ荷車が出入りできるようになっていた。駅本屋は地上の高さにあることから、本屋内からそのままの高さで南へ掘割を横断する跨線橋が架かっており、そこから各ホームへ降りる構造だった。また、駅前には大阪市電や阪堺電気軌道の路面電車が走っており、阪堺電気軌道は掘割を横断する橋で南へ延びていた。2代目大阪鉄道の駅はこの国鉄天王寺駅の南側に隣接して東西方向にプラットホームを設けていた。

阪和電気鉄道の開業による展開

ここにさらに昭和初期には阪和電気鉄道が乗り入れてこようとしていた。この段階で駅の南側には大阪鉄道の駅があり、これらの間に大阪市営地下鉄が建設される予定となっていた。一方、駅の北側には南大阪電気鉄道が駅を建設する予定となっており、既に天王寺駅に乗り入れる余地が残されていなかった。しかし1926年(大正15年)に南大阪電気鉄道は2代目の大阪鉄道に吸収合併されたことから、駅北側の用地は不要となり、この部分を阪和電気鉄道が手に入れて利用することになった。これにより、国鉄の駅の北側に隣接して1929年昭和4年)7月18日に阪和天王寺駅[3]が開業した。阪和天王寺駅へは、鉄筋コンクリート造の高架線で国鉄の線路を横断して西へ向きを変え、国鉄の貨物積卸場の北側に並んでプラットホームなどが建設された。上町台地の端で国鉄の掘割部分との関係もあり、西側は台地の地面上に直接建設されているが、その東側は盛土になっており、さらにその東側は高架橋となっている。

阪和天王寺駅の大きな特徴としては、資本系列を同じくする新京阪鉄道天神橋駅京阪電気鉄道天満橋駅などと同様、完全に乗降分離されたプラットホームとなっていたことがある。開業時旅客は2面4線の構造であったが、いずれのホームも長い1本のプラットホームになっておらず、東側の降車専用プラットホームと西側の乗車専用プラットホームが区切られた構造になっていた。これにより、東側の降車専用プラットホームに到着した列車から乗客を降ろし、その後乗車専用プラットホームの位置まで移動して、乗客を乗せてから折り返すという運転[4]を行っていた。東側の降車専用プラットホームの西の端には地下道へ降りる階段が設けられており、西側の乗車専用プラットホームの南側のホームの下にある地下道につながっていて、乗車客と完全に分離された形で西側の降車用の改札口へつながる構造[5]であった。乗り場の番号としては、乗車専用が1番から7番の奇数が北から順に、降車専用が2番から8番の偶数が北から順に付番されていた。したがって、1番の乗車専用ホームと同じ線路になっているのは2番の降車専用ホームといった関係だった。

また、紀勢本線方面へ直通する列車は編成が長かった関係で、特別に1番乗り場と2番乗り場をつなげた形で使っていた。これらの旅客設備より北側に貨物の留置線があり、旅客ホームより東側に貨物積卸場が設けられた。さらに高架上にある阪和天王寺駅から急勾配のスロープで降りて、国鉄の城東線と結ぶ貨物の受け渡し用の線路が設置され[6][7]、天王寺駅構内専用の貨車受け渡し用としてロコ1100形電気機関車が製造された。1931年(昭和6年)にはこの受け渡し用の線路の途中から分岐して、高架上の貨物積卸場の下にも引き込み線を造り、2階建ての貨物積卸場となっている。さらに1938年(昭和13年)になると、利用の激増に対応して本来は降車専用であった4番・6番のホームから直接折り返しができるように設備が改造され、降車客用の地下通路は出入り口部分の三面を折りたたんで平面にすることが可能なようにして、混雑時のみこれを展開して利用するように改良された。

国鉄の天王寺駅も利用が急増しており、改良工事を始めることになった。城東線の北側にある貨物扱場からは西側に取り付け道路があって駅前を通っており、物資の搬出入をする車両が駅前の混雑に拍車をかけていることもあり、関西本線を1 kmほど東側に行った場所に貨物扱場を移転させることになった。1934年(昭和9年)に着工して1935年(昭和10年)から利用を開始した。これにより城東線北側の貨物扱場が空き、このスペースに新しい旅客設備を建設して線路を切り替え、順次南側に改良工事を進めていくという方法で旅客設備の改良が行われた。これによりそれまで3面しかなかったプラットホームが5面に増強され、北側から城東線用第1、城東線用第2、関西本線上り、関西本線下り、南海天王寺支線用にそれぞれ割り当てられた。駅の建屋も阪和天王寺駅側に建設した木造の仮駅舎に1937年(昭和12年)3月19日に移転して、その南側で旧駅設備を撤去の上で鉄筋コンクリート4階建ての駅舎の工事が始められた。この工事は基礎まで完成したが、戦争の影響でその後の建設工事が中止された。しかしこれらの一連の改良工事により、大阪環状線と関西本線の旅客設備は現在の姿をほぼ完成させた。

第二次世界大戦中には、1940年(昭和15年)12月1日に阪和電鉄が南海に合併されて阪和天王寺駅は南海天王寺駅となったが、1944年(昭和19年)5月1日には旧阪和電鉄に相当する路線が国鉄に買収されて国鉄阪和線となり、南海天王寺駅が国鉄の天王寺駅に統合された。

阪和線ホームの増強

第二次世界大戦後はさらなる利用の増加に対応するための改良工事が行われた。阪和線の貨物列車は天王寺駅で関西本線方面への受け渡しを行っていたが、1952年(昭和27年)9月1日竜華操車場杉本町駅を結ぶ阪和貨物線が完成して、天王寺駅を通らずに運行できるようになった。そして天王寺駅の阪和線設備が大改良され、一番北側に南紀方面直通列車専用の機回し線を備えた長いプラットホームが建設された。その南側には合計4本のプラットホームが用意され、1本の線路の両側にプラットホームがあって両側の扉を開いて客扱いをできるような構造とされた。番号は北から順に1番から9番までで、1番・2番が紀勢方面直通列車、3番・4番が快速列車乗り場、5番・6番が降車専用、7番・8番が普通列車乗り場となった。当初は紀勢直通用以外は4両対応だったが、後に6両対応に拡張された。

また、戦争で中止されて木造の仮駅舎となったままだった天王寺駅舎の工事も再開されることになった。国鉄以外の会社も出資する「民衆駅」の形で工事を行うことになり、国鉄・近畿日本鉄道・鉄道弘済会・南海電気鉄道・日本交通公社日本食堂都ホテルの各社が出資する天王寺ステーションビル株式会社が設立されて、1960年(昭和35年)7月11日に着工した。鉄筋コンクリート5階建てで、阪和天王寺駅の駅舎のあった部分では地下2階・地上10階の建物とされた。戦前に完成していた基礎工事が流用されたが、建物が大型化したため補強工事を行って使っている。1962年(昭和37年)9月20日に竣工式典が行われ、翌日から使用が開始された。これに合わせて阪和線プラットホームがさらに南側に1面増設されて降車専用9番降り場となった。

阪和線の輸送需要の増加はさらに続き、8両編成に対応させるための工事が昭和50年代に実施された。紀勢本線直通ホームにあった機回し線を廃止し、スペースを確保して5面5線の現在に見る阪和線プラットホームを完成させた。しかし阪和電気鉄道時代に降車専用客を通す地下道として建設された構造がプラットホームの下に残されており、それに設計を制約された関係でプラットホームの幅がばらばらになったりプラットホームの屋根の柱の位置が中心からずれたりする影響を受けている。

1989年平成元年)7月22日には阪和線と関西本線を連絡する短絡線の利用が開始された。2008年(平成20年)3月15日にこの線路は複線化されている。一方で、南海天王寺支線は新今宮駅が国鉄・JRと南海の乗換駅として機能するようになったことと、南海の貨物輸送廃止で国鉄との貨物受け渡しの必要性がなくなったことから存在意義が薄れ、1993年(平成5年)4月1日に廃止された。この土地を利用する形で駅ビルを建設する計画が進められ、1985年(昭和60年)4月5日に天王寺ターミナルビルが国鉄と南海の共同出資で設立され、1992年(平成4年)10月16日に起工、1995年(平成7年)9月14日に「天王寺ミオ」としてオープンした。

年表

  • 1889年明治22年)5月14日 - 大阪鉄道(初代)が湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間(現在の関西本線の一部)を開通させた際に、同線の駅(一般駅)として開業。
  • 1895年(明治28年)5月28日 - 大阪鉄道 天王寺駅 - 玉造駅間(現在の大阪環状線の一部)が開通。
  • 1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。関西鉄道の駅となる。
  • 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化国有鉄道の駅となる。
  • 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称設定により、関西本線所属駅となる(玉造・大阪方面は城東線となり、その後1961年に大阪環状線に改称)。
  • 1929年昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道の阪和天王寺駅(はんわてんのうじえき)が開業。
  • 1934年(昭和9年)4月 - 貨物積卸場を東側約1kmの地点へ移転する工事に着手。
  • 1935年(昭和10年) - 貨物積卸場使用開始。
  • 1937年(昭和12年)3月19日 - 木造2階建ての仮駅舎に移転。
  • 1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道に合併、路線は南海山手線となる。同時に阪和天王寺駅が南海天王寺駅(なんかいてんのうじえき)に改称。
  • 1944年(昭和19年)5月1日 - 南海山手線が国有化され国有鉄道阪和線となる。同時に南海天王寺駅を天王寺駅に統合。
  • 1960年(昭和35年)
    • 2月11日 - 天王寺ステーションビル株式会社設立認可。
    • 7月11日 - 天王寺駅ビル鍬入れ式。
  • 1962年(昭和37年)
    • 9月21日 - 天王寺駅ビル竣工式。
    • 9月22日 - 天王寺駅ビル(天王寺民衆駅)完成。
  • 1963年(昭和38年)10月1日 - 貨物営業を廃止(旅客駅となる)。ただし、南海天王寺支線との貨車受け渡しは存続。
  • 1977年(昭和52年)3月1日 - 南海天王寺支線との貨車受け渡しを廃止。
  • 1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)にかけて5回にわたる線路切り替えで阪和線ホームの改良工事完成。
  • 1982年(昭和57年)1月29日 - 阪和線ホームで当駅終着の区間快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
  • 1985年(昭和60年)4月5日 - 天王寺ターミナルビル株式会社設立。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
  • 1989年平成元年)
    • 7月20日 - 構内の東側に阪和線と大和路線への短絡線が完成(7月22日使用開始)。
    • 8月27日 - 阪和線ホームで当駅終着の快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
  • 1992年(平成4年)10月16日 - 「天王寺ミオ」起工式。
  • 1995年(平成7年)9月14日 - 駅ビルリニューアル工事完成し、「天王寺ミオ」オープン。
  • 2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始[8]
  • 2008年(平成20年)3月15日 - 阪和線と大和路線の短絡線が複線化。
  • 2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
  • 2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを更新。

隣の駅

テンプレート:Col

大阪市営地下鉄

テンプレート:駅情報 御堂筋線のホームがJRの南側にあるあびこ筋の地下、谷町線のホームがJR駅の西側にある谷町筋の地下にあり、それぞれ地下通路で連絡している。

御堂筋線の駅番号は M23、谷町線の駅番号は T27

駅構造

御堂筋線は単式ホーム(なかもず方面行き)と島式ホーム(新大阪・千里中央方面行き)の複合型で2面3線。当駅を始発・終着とする列車が多数設定されているため、なかもず寄りに留置線がある。厳密に言えば単式ホームで乗客を降ろした後、いったん留置線に引き上げてから島式の2番線に入り、客扱いを終えてから発車する。

谷町線は相対式ホーム2面2線。谷町線コンコース上にはあべちか(地下街)がある。

ホーム 路線 行先 備考
御堂筋線
ホーム
1 テンプレート:Color御堂筋線 あびこなかもず方面
2 テンプレート:Color御堂筋線 なんば梅田中津・新大阪方面 当駅始発
3 テンプレート:Color御堂筋線 なんば・梅田・新大阪千里中央方面 なかもず方面から
谷町線
ホーム
1 テンプレート:Color谷町線 平野八尾南方面
2 テンプレート:Color谷町線 天満橋東梅田大日方面

歴史

  • 1938年(昭和13年)4月21日 - 1号線(現在の御堂筋線)の難波駅 - 天王寺駅間延伸時に開業(開業当初は終着駅)。
  • 1951年(昭和26年)12月20日 - 1号線が当駅から昭和町駅まで延伸、途中駅となる。
  • 1968年(昭和43年)12月17日 - 2号線(現在の谷町線)が谷町四丁目駅から当駅まで延伸。乗換駅となる。
  • 1980年(昭和55年)11月27日 - 谷町線が当駅から八尾南駅まで延伸、途中駅となる。
  • 2010年(平成22年)2月1日 - 朝ラッシュ時にホームが混雑していたため、エスカレーターの降り口で多くの利用客が立ち往生し、エスカレーターに乗っていた人が次々に将棋倒しになるという事故が発生した。この際、軽傷者も出ていたにもかかわらず、当初大阪市が公表せず問題となった[9]
  • 2013年(平成25年)4月18日 - 御堂筋線改札内外に駅ナカ施設『ekimo天王寺』が開業。

隣の駅

テンプレート:Color御堂筋線
動物園前駅(M22) - 天王寺駅(M23) - 昭和町駅(M24)
テンプレート:Color谷町線
四天王寺前夕陽ヶ丘駅(T26) - 天王寺駅(T27) - 阿倍野駅(T28)
  • ()内は駅番号を示す。

テンプレート:-

阪堺電気軌道

テンプレート:駅情報 谷町筋の中央部(阿倍野区)に位置し、両側を車道で挟まれた位置にある。駅番号はHN01

駅構造

相対式2面1線のホームを有する。東側のホームを乗車用、西側のホームを降車用として使っている。ホーム有効長は2両分であるが、普段は車止めから1両分を空けて停車し、そこで客扱いを行っている。貸切など臨時列車を運転する場合は臨時列車を車止めぎりぎりの位置に停め、その手前に定期便の列車が入って客扱いを行う。また、ラッシュ時などで渋滞などのためにダイヤが乱れ、先行列車と後続列車の間隔が詰まっている場合にも、稀に先行列車を車止めぎりぎりの位置に停めて、すぐ後に後続列車を入れて、それぞれ客扱いを行う場合がある。このとき折り返し列車は後続列車の車両が先発となり、車両の運行順序が入れ替わることとなる。

南海平野線が廃止になるまでは前部が我孫子道もしくは住吉公園行きの列車が、後部では平野行きの列車が発着していた。窓口と改札口(ほかに南霞町に改札が存在する)が設けられており、窓口では定期乗車券の購入や一日乗車券等の購入が可能で、改札口では午前7時から午後9時までは集札業務も実施している。

なお、当駅が開業する前にも「天王寺駅前駅」が存在した。当駅の0.1km(営業キロで)北側で、あべの橋橋梁の上にあった。

従来は、ホームへ行くには歩道橋と地下11番出口の2ルートあったが、阿倍野歩道橋架替工事に伴い歩道橋からホームへ行くことが出来なくなった。2013年春の新歩道橋の完成時点では阪堺線のりばへの階段は設けられない[10]が、これは上町線が通っている市道長柄堺線(あべの筋)の拡幅に伴い、駅が西側(拡幅後の道路の中心線付近)に移設される予定になっているためである[11]

歴史

  • 1900年(明治33年)9月20日 - 大阪馬車鉄道、天王寺 - 東天下茶屋間の開業と同時に、公園東門駅(現在の天王寺駅前交差点付近にあった駅)として開業。
  • 1907年(明治40年)3月29日 - 大阪馬車鉄道が大阪電車鉄道と改称し、大阪電車鉄道の駅となる。
    • 10月29日 - 大阪電車鉄道が浪速電車軌道と改称し、浪速電車軌道の駅となる。
  • 1908年(明治41年)2月1日 - 電化工事のため、一旦、廃止となる。
  • 1909年(明治42年)12月24日 - 浪速電車軌道が南海鉄道に合併され、南海鉄道上町線の駅となる。
  • 1910年(明治43年)10月1日 - 天王寺 - 住吉神社前間で電車による営業運転を開始したのと同時に旅客営業を再開。
  • 1921年(大正10年)12月24日 - 大阪市の施策である「市営モンロー主義」に基づき、南海鉄道上町線の天王寺 - 公園東門間の路線が大阪市電気鉄道部に買収され、南海鉄道上町線の終着となる。
  • 1921年(大正10年) - 1952年(昭和27年)の間
    • 駅名を天王寺駅前に改称。
    • 駅が現在地に移設される。
  • 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道の駅となる。
  • 1947年(昭和22年)6月1日 - 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
  • 1980年(昭和55年)12月1日 - 路線譲渡により阪堺電気軌道の駅となる。

隣の駅

テンプレート:Color上町線
天王寺駅前駅 (HN01) - 阿倍野駅 (HN02)
  • ()内は駅番号を示す。

南海電気鉄道(廃止)

テンプレート:駅情報 1993年(平成5年)までは、現在の天王寺ミオが建っている部分に島式ホームの19・20番線があり、南海天王寺支線天下茶屋駅までを結んでいた。旅客列車はほとんど北側の19番線に発着し、かつては国鉄と貨物の連絡をしていたこともある。1984年(昭和59年)の天下茶屋駅 - 今池町駅部分廃止後は、阿倍野橋直下に単線の仮設ホームを作って発着していた。地下鉄堺筋線の天下茶屋延伸により、残りの天王寺駅 - 今池町駅間も1993年(平成5年)に廃止された。

仮設ホームからは営業中の1両がいない間に限り、側線を用いた検修用の車庫に留置されている別の1両を部分的に眺めることができた。全線廃止まで車庫が設けられていたのは、部分廃止で他の路線とレールが繋がらなくなったため、検修用の設備を確保する必要が生じたことによる。この検修用設備は全線廃止後、汐見橋駅に移築され、1995年8月に岸里玉出駅付近の汐見橋線高架化が完成するまで使用された。

南海はかつて、天王寺駅の駅ビル会社2社の株式を保有し、JR西日本に次ぐ第2位の株主となっていた。これは、天王寺ミオの敷地に南海天王寺支線の駅があった名残である。後にJR西日本が南海保有分を買い取ったことで、現在は株主から外れている。

なお、天王寺ミオプラザ館にテナントとして入居しているサンマルクカフェ南海天王寺店は、南海電鉄の系列会社の南海商事がフランチャイジーとなっている。天王寺駅1Fコンコース南側にある551蓬莱2007年(平成19年)9月4日に出店した南海そばも南海商事の経営である。南海電鉄の宣伝看板(みさき公園高野山など)もコンコース南側の上に掲げられている。

歴史

  • 1900年(明治33年)10月26日 - 開業。
  • 1977年(昭和52年)3月1日 - 貨物受け渡し廃止。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 廃止。

隣の駅

天王寺支線
飛田本通駅 - 天王寺駅

利用状況

  • JR西日本 - 2013年度の1日平均乗車人員139,138人である[12]。同社の駅では大阪駅京都駅に次ぐ第3位。
  • 大阪市営地下鉄 - 2013年11月19日の1日乗降人員249,579人(乗車人員:125,961人、降車人員:123,618人)である[13]。同局の駅では梅田駅難波駅に次ぐ第3位。
  • 阪堺電気軌道 - 2011年度の1日乗降人員は10,496人(乗車人員:5,359人、降車人員:5,137人)である。

近年における1日乗車・乗降人員の推移は下表のとおり。

  • JRのデータは1日平均乗車人員である。
  • 大阪市営地下鉄、阪堺電気軌道のデータは交通量調査に基づいた特定の1日における乗降・乗車人員である。
年度 JR西日本 大阪市営地下鉄 阪堺電気軌道 出典
乗車人員 調査日 乗降人員 乗車人員 乗降人員 乗車人員
1990年(平成テンプレート:02年) 174,471 11月テンプレート:06日 324,640 164,689 - [14]
1991年(平成テンプレート:03年) 176,446 - - [15]
1992年(平成テンプレート:04年) 176,926 - - [16]
1993年(平成テンプレート:05年) 177,589 - - [17]
1994年(平成テンプレート:06年) 176,236 - - [18]
1995年(平成テンプレート:07年) 178,382 [19] テンプレート:02月15日 282,557 145,307 - [20]
1996年(平成テンプレート:08年) 177,499 - - [21]
1997年(平成テンプレート:09年) 170,560 - - [22]
1998年(平成10年) 163,962 11月10日 279,606 137,485 - [23]
1999年(平成11年) 158,421 - - [24]
2000年(平成12年) 157,552 - - [25]
2001年(平成13年) 155,365 - - [26]
2002年(平成14年) 149,738 - - [27]
2003年(平成15年) 148,303 - - [28]
2004年(平成16年) 145,135 - - [29]
2005年(平成17年) 143,336 - - [30]
2006年(平成18年) 143,615 - - [31]
2007年(平成19年) 142,268 11月13日 269,025 136,022 - [32]
2008年(平成20年) 139,279 11月11日 266,286 134,532 - [33]
2009年(平成21年) 133,741 11月10日 251,535 126,550 9,881 4,990 [34]
2010年(平成22年) 132,066 11月テンプレート:09日 246,491 123,932 10,164 5,336 [35]
2011年(平成23年) 134,728 11月テンプレート:08日 248,413 125,328 10,496 5,359 [36]
2012年(平成24年) 134,028 11月13日 246,463 123,603 - [37]
2013年(平成25年) 139,138 11月19日 249,579 125,961

駅周辺

駅周辺は大型商業施設が多い歓楽街・ショッピング街であり、大阪市内ではキタミナミに次ぐ繁華街となっている。JR天王寺駅のファッションビル「天王寺ミオ」と近鉄阿部野橋駅直上の近鉄百貨店が道路を挟んで向かい合っている。近鉄百貨店阿倍野本店は「あべのハルカス近鉄本店」と名称を変更し、タワー館が2013年6月13日に先行オープン。2014年3月7日、グランドオープンした。

近隣には国公私立問わず、中学校・高等学校・専門学校が多く所在する。

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脚注

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参考文献

関連項目

外部リンク

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  1. 2011年現在1番のりばから発車する特急列車は臨時の「くろしお81号」のみで、同ホームに到着する特急列車は設定されていない。
  2. 『JR時刻表2010年8月号』交通新聞社 p320
  3. 建設計画段階では天王寺公園停車場と呼称されていたが、確認されている範囲では、1929年5月7日付の申請書類以降、阪和天王寺停車場に呼称が変更されている。
  4. この形態は前述の京阪電気鉄道天満橋駅と新京阪鉄道天神橋駅の他、大阪電気軌道奈良駅でも実施されていた。
  5. 改札口まで完全に乗降分離とするのも、新京阪鉄道天神橋駅で既に実施されていた手法である、
  6. 計画の初期段階では駅構内の手前で分岐し、直接国鉄の貨物積み卸し場へ連絡する支線の建設を予定していたが、これは国鉄の貨物積み卸し場が駅北側に位置していて関西線と城東線を横断せねば貨物受け渡しができなかったことと、当時大阪市電気局高速電気軌道1号線(現・御堂筋線)の具体的な建設計画が定まっておらず、これと干渉しない工事法が決定できなかったこと、それに阪和天王寺駅の敷地が駅北側に決定して高架線での建設が必要となり、財政面の問題から少しでも建設費用を節約する必要が生じたことなどから計画が変更された。
  7. 竹田辰男「発見された土木図面に寄せて 阪和天王寺停車場の考察」『鉄道史料 第65号』、鉄道史資料保存会、1992年。
  8. 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
  9. 地下鉄エスカレーターで転倒、数十人折り重なるテンプレート:リンク切れ - 読売新聞 2010年2月2日
  10. 阿倍野歩道橋架替工事について
  11. 近鉄とあべのの歴史 - あべのハルカス公式サイト「あべのハルカスについて」
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:PDFlink
  14. テンプレート:PDFlink
  15. テンプレート:PDFlink
  16. テンプレート:PDFlink
  17. テンプレート:PDFlink
  18. テンプレート:PDFlink
  19. 1996年に行われた調査であるが、会計年度上は1995年度となる。
  20. テンプレート:PDFlink
  21. テンプレート:PDFlink
  22. テンプレート:PDFlink
  23. テンプレート:PDFlink
  24. テンプレート:PDFlink
  25. テンプレート:PDFlink
  26. テンプレート:PDFlink
  27. テンプレート:PDFlink
  28. テンプレート:PDFlink
  29. テンプレート:PDFlink
  30. テンプレート:PDFlink
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  36. テンプレート:PDFlink
  37. テンプレート:PDFlink