今池停留場

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テンプレート:駅情報 今池停留場(いまいけていりゅうじょう)は、大阪市西成区萩之茶屋2-2-7にある阪堺電気軌道阪堺線停留場駅番号HN53

本項では近接して設置されていた南海電気鉄道天王寺支線今池町駅(いまいけちょうえき)についても述べる。

阪堺電気軌道・今池停留場

歴史

  • 1911年明治44年)12月1日 阪堺電気軌道により開業。
  • 1914年大正3年)4月26日 平野線が開業。
  • 1915年(大正4年)6月21日 南海鉄道との合併により、同鉄道の駅となる。
  • 1944年昭和19年)6月1日 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
  • 1947年(昭和22年)6月1日 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
  • 1949年(昭和24年)6月20日 南海天王寺支線に今池町駅が開業し、乗換駅となる。
  • 1980年(昭和55年)
    • 11月28日 平野線廃止。
    • 12月1日 路線譲渡により阪堺電気軌道の駅となる。

構造

盛土上に相対式2面2線のホームがあり、住吉寄りの階段で出入りする形になっている。高架駅とも言える。それぞれのホームは、構内踏切で結ばれている。 かつては南海平野線への分岐線[1]があり、南海天王寺支線今池町駅との連絡駅であった。今でも駅南方に平野線の分岐跡が残されている。

南海電気鉄道・今池町駅

テンプレート:駅情報 南海天王寺支線の今池町駅 - 天下茶屋駅間が廃止された後は、同線から南海高野線萩ノ茶屋駅までが徒歩連絡扱いとなったほか、終日有人駅から無人駅となった。

歴史

  • 1949年(昭和24年)6月20日 南海天王寺支線 天下茶屋 - 天王寺間の曳舟駅、大門通駅(両駅とも大阪大空襲により被災・焼失)を廃止統合して開業し、阪堺線・平野線との乗換駅となる。
  • 1980年(昭和55年)11月28日 平野線の廃止に伴い、阪堺線との乗換駅となる。
  • 1984年(昭和59年)11月18日 天下茶屋 - 当駅間1.2kmの廃止に伴い、高野線萩ノ茶屋駅との徒歩連絡駅となる。
  • 1993年(平成5年)4月1日 南海天王寺支線廃止に伴い、廃駅。

周辺

バス

大阪市営バス今池駅前停留所)

その他

  • 黒岩重吾小説『飛田残月』では、「今池町から電車に乗って天王寺に行って飛田遊郭に…」というくだりの話を書いている。しかし、地図を見ればわかるが、今池町駅から飛田遊郭は目の前にあるため、若干矛盾している。
  • かつて当駅構内はホームレスのたまり場となっていたが、ホームにコンクリート製の障害物を設置したり(同時に若干ホームの有効長を短縮)、階段の屋根(バス停等で使われるタイプの物だった)を剥がした事により、その姿は激減した。

隣の停留場

阪堺電気軌道
テンプレート:Color阪堺線
南霞町停留場 (HN52) - 今池停留場 (HN53) - 今船停留場 (HN54)
  • ()内は駅番号を示す。

かつて存在していた路線

南海電気鉄道
平野線
(南霞町停留場 -) 今池停留場 - 飛田停留場
天王寺支線
(部分廃止前)天王寺駅 - 今池町駅 - 天下茶屋駅
(部分廃止後)飛田本通駅(1984年12月9日までは天王寺駅) - 今池町駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:阪堺電気軌道阪堺線 テンプレート:南海平野線 テンプレート:南海天王寺支線

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  1. 当駅から飛田停留場の間は、最大25‰の急勾配があった。今池停留場で電車が輻輳すると、平野線の電車は、急な上り勾配の途中で止まらなくてはならなくなった。その為の停止位置票が、坂の途中に設けられていた。平野線運転士の腕の見せ所ともいわれたという。