角淳一
テンプレート:統合文字 テンプレート:基礎情報 アナウンサー 角 淳一[1](すみ じゅんいち、1944年12月30日 - 、戸籍上の誕生日は1945年1月1日)は、大阪府四條畷市出身のフリーアナウンサー。毎日放送の元アナウンサーで、2004年4月1日から2011年9月30日までは同局の専属パーソナリティでもあった。現在も四條畷市に在住。
愛称は『角さん』、『おじいちゃん』。フリーアナウンサー転身後の2012年5月16日からは、四條畷市の観光大使に任命されている[2]。
来歴
血液型はA型。実父は、実母の懐妊中に「(新生児が)男なら淳一、女なら淳子(と名前を付け)や」との言葉を残して第二次世界大戦へ出征。しかし、角の出生を前に戦没した[3]。
11歳であった1960年にメルボルンオリンピックの実況をラジオで聴いたことから、アナウンサーを志す[4]。その後は大阪府立四條畷高等学校・関西学院大学商学部に進学。高校時代には、自ら放送部を設立したうえで部長に就任した。大学時代には、古典芸能研究部で落語を披露する[5]かたわら、生田教室でアナウンスの修業を積んでいる。
毎日放送アナウンサー時代
大学卒業後の1968年に、アナウンサーとして毎日放送(以下「MBS」と略記)に入社。同期入社のアナウンサーに、青木和雄や板倉俊彦などがいた。ちなみに角は、MBSに加えて、同じ在阪の民放局である朝日放送(ABC)のアナウンサー試験も受験。両局とも、生田教室での同期生・山本清久と共に最終選考へ残ったが、自らの意思でMBSへの入社を決めたという。なお、山本も、アナウンサーとしてABCに採用されている。
入社直後にレギュラーで出演したラジオ番組から、出演番組ではほぼ一貫して、柔らかい口調の大阪弁でフリートークを展開(後述)。1970年代に出演の『MBSヤングタウン』(MBSラジオ、以下『ヤンタン』と略記)で笑福亭鶴光・佐々木美絵とともに人気を集めたことをきっかけに、活躍の場をMBSテレビの深夜番組(『夜はクネクネ』『イカにもスミにも』『板東英二のわがままミッドナイト』など)にも広げた。また、MBSラジオが毎年実施している特別番組『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』には、1982年の第1回から2011年の第30回まで通算で23回出演。第1回から第22回(2003年)までは、22回連続で総合司会を務めた[6]。
ラジオパーソナリティとしては、1978年にMBSラジオで放送した『角淳一のライブジョッキー「ザ・カケフ」』で、同年度の日本民間放送連盟賞・ラジオ娯楽部門最優秀賞を受賞[7]。1984年3月まで長きにわたって『ヤンタン』へ出演した後には、同年4月から10年にわたって、平日午後の生ワイド番組『すみからすみまで角淳一です』(以下『すみから』と略記)のメインパーソナリティを務めた。
MBSへの在職中には、アナウンサーとしての活動を続けながら、アナウンス第三部長、アナウンサー室次長、主幹・役員待遇ラジオテレビ副本部長職を歴任。1994年4月からは、『すみから』の後継番組『すみからすみまで愛なのね』(以下『愛なのね』と略記)に出演していた。しかし、『愛なのね』を担当していた1996年5月6日に自宅で体調不良を訴えたことをきっかけに、主治医から脳梗塞と診断されたため緊急入院。そのまま『愛なのね』を降板するとともに、1997年10月の『すみから』復活まで、1年5ヶ月にわたって休養を余儀なくされた。
『ちちんぷいぷい』パーソナリティ時代
1999年10月11日にMBSテレビが平日の午後に生放送の情報番組『ちちんぷいぷい』(以下『ぷいぷい』と略記)を開始したことを機に、全曜日のパーソナリティ(総合司会)に就任。本編のオープニングで挨拶代わりに語る「こんにちは、私は角淳一です。あなたはどなたですか?」という口上[8]や、プロジェクターに映された文字をたどたどしく読みながら進行するなどのキャラクターなどで、関西地方の視聴者に広く親しまれた。
『ぷいぷい』出演中の2004年3月31日に、毎日放送の社内規定より9ヶ月早く定年で退職[9]。同年4月1日からは、パーソナリティとして同局と専属契約を結んだ。この契約を機に、『ぷいぷい』のパーソナリティを続けながら、MBS以外の在阪民放局が制作する番組への出演を本格的に始めている(後述)。
2005年5月10日の『ぷいぷい』放送中に体調不良を訴えたため、途中から出演を見合わせた。直後の健康診断で不整脈が判明したため、翌日(11日)の同番組へ前半だけ出演してから検査入院。同月12日に「リハビリを兼ねて」との理由で『ぷいぷい』に復帰した。しかし2006年には、胆石および前立腺肥大の手術を理由に、6月下旬から7月中旬まで再び休演。この休演からの復帰(同年7月20日)を境に、休演中にパーソナリティ代理を務めていた西靖(MBSアナウンサー)が、そのまま木・金曜日のパーソナリティを担当するようになった。2010年9月からは、水曜日のパーソナリティも西に任せる一方で、自身はパネラー(スタジオレギュラー)の1人として同曜日への出演を続けていた。
『ちちんぷいぷい』レギュラーの卒業
2009年からは、『ぷいぷい』への出演を続けるかたわら、プライベートで音楽スタジオ「Very Famous Studio」を所有。同年11月1日からは、POMPYエンタメランドにおいて、月2回更新の「声ブログ」(同スタジオで収録した音声によるブログ)を開始した。
2011年8月15日放送の『ぷいぷい』のエンディングで、後進へ道を譲ることを理由に、同年9月末で同番組を卒業することを自ら発表[10]。9月30日(金曜日)の放送が、レギュラーとしては最後の出演になった。同年10月以降は、角が担当していた月・火曜日のパーソナリティも西が継承している。一方の角は、『ぷいぷい』のレギュラー卒業を機に、MBSとの専属パーソナリティ契約も終了。同局の社友になった。
ちなみに角は、『ぷいぷい』のレギュラーを卒業する際に、「卒業後は(後進に道を譲る意味で同番組への)ゲスト出演を控えたい」との意思を示していた。しかし2012年には、「ウルトラパン大作戦」(山崎製パンとのコラボレーション企画の第2弾として開発した4種類のオリジナルパンに関する販売キャンペーン)に、ウルトラの父に似た「ウルトラパンの父」というキャラクターとして参加。2月6日の放送には、「“ウルトラパンの父”からの激励メッセージ」と称するVTRを通じて、約4ヶ月振りに『ぷいぷい』へ出演した。8月29日(水曜日)には、「3000回感謝ウィーク『やっぱり地元ってええなぁ』」のスペシャルゲストとして、レギュラー卒業以来約11ヶ月振りにスタジオ生出演。また、「ちちんぷいぷい音楽祭」(2010年から大阪で毎年5月に開催中の音楽イベント)には、2012年以降も出演を続けている。
「おとなの駄菓子屋」をテーマにフリーアナウンサーへ転身
角は『ぷいぷい』のレギュラー卒業後の活動のテーマに、「おとなの駄菓子屋」を挙げている。卒業の翌日(2011年10月1日)に開設した同名の公式サイトなどによれば、「駄菓子屋」とは、「子供の頃に友達と入った駄菓子屋のように、楽しいことがいっぱい並んでいる居心地のいいお店みたいな」活動を指すとのこと。趣味の音楽・上方演芸を中心に、エンタテイメント全般を「お菓子」になぞらえながら、「大通りの大店にはまだ並んでいないお菓子」や「新しいのに懐かしい味のお菓子」の紹介にも携わるという。
2011年10月29日からは、「毎日新聞」大阪版で隔週土曜日に「おとなの駄菓子屋」という連載コラムを始めた(現在は連載終了)。翌日(10月30日)からは、MBSラジオが放送を始めた同名の新番組で「店主」(パーソナリティ)を担当[11]。2012年からは、MBSテレビでも、『角淳一のおとなの駄菓子屋』を年に数回放送している。
その一方で、「声ブログ」も継続。関西各地で開催される落語会・イベント・講演会や、関西以外の地方で放送されるテレビ・ラジオ番組にも出演している(後述)。2012年5月16日には、四條畷市出身・在住の著名人として、桂南光・山口智充・谷口智則(絵本作家)・青木豊彦(小型人工衛星「まいど1号」の開発責任者)とともに同市から観光大使を任命された。2014年には、朝日新聞出版からの依頼を受けて、自身初の著書『私は、角淳一です』を3月20日に同社から刊行している。
人物
- 趣味は音楽・演芸・テレビ番組の鑑賞で、好物はいちじくジャム。『ぷいぷい』のパーソナリティ時代からは、「テレビを見る天才」とも称している[12]。
- 関西出身・在住の落語家・ミュージシャン・芸人にとどまらず、東京を拠点に全国規模で活動するミュージシャン(加山雄三・中島みゆき・松山千春・さだまさしなど)とも、毎日放送のアナウンサー時代から親しく交流。彼らがパーソナリティを務めるMBSラジオの特別番組で角が進行役を務めたり、角のレギュラー番組に彼らが登場したりすることもある(後述)。平原綾香が2003年にメジャーデビューを果たしてからは、『ぷいぷい』で早々に取り上げたことをきっかけに、平原との親交を深めている[13]。また、さだは『私は、角淳一です』の帯にコメントを寄せている。
- 長年にわたって阪神タイガース(阪神)を応援。特に、前述の『ザ・カケフ』の題材にもなった掛布雅之とは、同球団の現役選手時代から交流。掛布が長年にわたって月曜日のレギュラーを務めていた『ぷいぷい』では、「プロの阪神ファン」と称して、独自の見解を披露していた。その一方で、『すみから』のパーソナリティ時代から、阪神の本拠地・阪神甲子園球場の年間指定席の一部を「角シート」として確保。プロ野球シーズン中に阪神が甲子園でホームゲームを予定している場合には、視聴者・リスナーを「角シート」へ随時招待していた[14]。1992年には、「ミスター・トラ」こと唐渡吉則の楽曲「HAPPY・タイガース」で、自身初の作詞を手掛けている。
- ラジオパーソナリティ時代からの癖で、出演番組の本番前には原稿を下読みしない。その影響で、『ぷいぷい』では、プロジェクターの文字を読んでいながらしばしば言葉につっかえていた。もっとも、『ぷいぷい』の後期には、その癖を逆手に取る格好で「読み間違えの天才」と自称していた。
- 脳梗塞を患ってからは、エクササイズに励むとともに、1日に2リットルの水を飲むようにしている。『ぷいぷい』には、2006年10月頃からレギュラーを卒業するまで、脳梗塞の再発を防ぐ目的で飲料水の入ったペットボトルをそばに置きながら出演していた。
エピソード
大阪弁へのこだわり
- 出演番組で大阪弁を貫くようになったきっかけは、MBSへの入社後初めてレギュラーを務めたラジオのレギュラー番組(番組名不詳)でキャッシーと共演したことにある。その番組では、外国人女性でありながら大阪弁でまくし立てるキャッシーに、大阪府出身の角も大阪弁で対抗。放送後に先輩のアナウンサーから「アナウンサーが大阪弁をしゃべるとは何事だ」と注意されたところ、「自分の考えていることを自分の言葉(大阪弁)でしゃべりたい」という希望を明かした[15]。現に、同局のアナウンサー時代には、特別企画や緊急時を除いてニュースや報道番組へ出演する機会が少なかった。その一方で、後に放送された『すみから』『夜はクネクネ』『ぷいぷい』などでは、そのような角の語り口やキャラクターが生かされていた。
- MBSアナウンサー室局次長時代に遭遇した阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の直後には、当時出演していた『愛なのね』において、標準語で震災関連情報を伝えることに徹していた。しかし、後に発行された震災報道の記録集では、「本当に(被災者を)励ますつもりなら、今こそ(普段から放送で使っている)大阪弁やったのに・・・。今回パーソナリティとして(大阪弁による被災者向けの放送を)やれなかったことで自信をなくした」との言葉を残している[16]。実際に被災地のリスナーからいつも通りの大阪弁で話してくれた方が安心すると言われていた為。
『ヤングタウン』パーソナリティ時代
- 『ヤンタン』には、1971年4月から1984年3月まで鶴光とのパートナーとして出演。出演期間中には、出演日を火曜日→金曜日(1973年10月以降)→木曜日(1976年4月以降)と変えながらも、鶴光とのど角・ど鶴(どすみ・どつる)コンビでリスナーに広く親しまれた。特に、木曜日時代初期に実施された在阪ラジオ局の聴取率調査では、調査対象の全局・全番組で2番目に高い聴取率(10%台)を記録している[17]。ちなみに、「オオナベさん」の愛称で知られた同番組プロデューサーの渡邊一雄は、「(関西の落語家としては)孤高」とされる鶴光のパートナーに角を抜擢した理由として、「大阪生まれ」「真面目」「面白いことや音楽が大好き」「相手のことをよく理解したうえで、無理をせず相手のペースに合わせられること」を挙げていた[18]。
- 木曜日時代の1981年には、当時共演していた歌手・石川優子の人気を高めようと、リスナーに向けて鶴光・渡辺高志(「コナベさん」と称する当時のディレクター)とともに「石川優子スター計画」というキャンペーンを展開。3月5日リリースの楽曲「シンデレラ・サマー」を、『ザ・ベストテン』(TBSテレビ制作・全国ネット)へのランクインにつなげた。ちなみに、石川が本番前の『ヤンタン』スタジオからの生中継で同番組に出演した際には、角・鶴光も石川のバックダンサーとして登場している[19]。また同年には、他曜日に出演の島田紳助・明石家さんまが展開していたバンド活動への対抗意識から、自身をボーカルとして当時のディレクター陣(渡辺、三村景一、大谷武文、宇野幹雄)とともにバンドを結成。5月28日にSABホール(当時)で「ど角、ど鶴のええか、ええかコンサート」という有料のコンサートを開催した。さらに、当時の番組スポンサー・進研ゼミからの協力によって、「ええかええかのテーマ」というオリジナルの楽曲を世に送り出している[20]。
『ちちんぷいぷい』パーソナリティ時代
- 番組タイトルの『ちちんぷいぷい』は、「世の中、癒されたいと思っている人は多い。そういった人の気持ちに応えた番組にしたい」と考える角の命名による[21]。
- 蛯原友里について、専属モデルを務めていた雑誌「CanCam」よりも2ヶ月早く、『ぷいぷい』で「エビちゃん」と称した。この事実は、2006年6月27日放送分の『ぷいぷい』で蛯原への独占インタビューを実施した際に、蛯原自身も認めている。ただし、番組で最初に紹介した時の表記は、平仮名の「えびちゃん」であった。
- 2000年には、角が正月休みから顎へ髭を伸ばし続けたまま、年始から2ヶ月近くにわたって出演。しかし、偶然にも同じ時期に久米宏が口髭を蓄えながら『ニュースステーション』(当時久米がメインキャスターを務めていたテレビ朝日系列・全国ネット番組、関西地区ではABCテレビで放送)に登場したこともあって、番組関係者や視聴者からの評判は総じて芳しくなかった。その結果、2月22日の放送中に、MBSテレビで当時放送されていた深夜番組『たかじんONE MAN』のレギュラー出演者(やしきたかじん、北野誠、仲田幸司)が同番組のサプライズ企画でスタジオへ乱入。たかじんが拡声器片手に「角淳一を拉致する!」と絶叫した後、北野と仲田が角をストレッチャーにくくり付けて別室へ連れ去ると、あらかじめ待機していた理髪店の女性に角の顎髭を剃らせた[22]。ちなみに角は、『ぷいぷい』のレギュラー卒業を機に、再び顎へ髭を生やしている。
- オーサカキング(MBSが大阪城公園で2004年から毎年夏に主催していたイベント)では、2007年から最終年の2008年まで、角をモデルに作られた信楽焼のたぬきの置物が注目を集めていた。2007年には、「七福“神”」の1体として、会場の一角に巨大な置物を展示。2008年には、ミニチュアの置物「角たぬき」を3000体製作したうえで、同イベントや「ネビュラ」(同局本社1階のグッズショップ)などで販売していた。ちなみに『ぷいぷい』では、角がレギュラーを卒業した現在も、スタジオの一角に「角たぬき」や角をかたどったオブジェを飾っている。
- 2009年9月下旬には、『ちちんぷいぷい』の放送10周年記念企画の一環として、人生で初めて東京に5日間滞在。東京在住の同番組レギュラーや、かつて同番組に出演していた芸人を招きながら、神田神保町などに出没した。その模様は、同年10月12日に、関西ローカルで『ちちんぷいぷい10周年 角の東京物語~ちょっと新世界へ~』として放送されている。
- 2010年3月1日の生放送中に断髪。「自身50年ぶり」という丸坊主姿になった。同番組で公言した「『すごくおいしいうた』(番組初プロデュースのCDアルバム)は同月末日までに3万枚を売り上げられない」との予想が外れたことによる罰ゲームで、しばらくの間、帽子をかぶりながら同番組に出演していた。
備考
ラジオへの回帰
- 『ぷいぷい』パーソナリティ時代の2001年には、MBSラジオで『スミっコギャル』(事前収録で土曜日の深夜に放送された番組)のパーソナリティを担当。『スミっコギャル』の放送終了後は、2003年まで総合司会を務めた『ラジオウォーク』を除いて、ラジオ番組から遠ざかっていた。しかし、2006年6月18日に同局で放送された事前収録の特別番組『松山千春and角淳一 今、DJとして…』で、約5年振りにパーソナリティを担当。『ぷいぷい』でも後日、ダイジェストを放送した。ちなみに、前述の『おとなの駄菓子屋』では、『スミっコギャル』の終了以来約10年振りにレギュラーでパーソナリティを務めている。
- 『ぷいぷい』の木・金曜日に出演しなくなった2008年には、12月9日に『上泉雄一のFANFANレディオ』(MBSラジオのナイターオフ番組)へゲスト出演。これを機に、MBSラジオが聴取率調査週間に設定する「MBSラジオスペシャルウィーク」期間中のみ、『ぷいぷい』へ出演しない木・金曜日に『上泉雄一のええなぁ!』『ノムラでノムラだ♪ EXトラ!』などの生番組へ“スペシャルゲスト”扱いで登場していた。2010年9月1日(水曜日)には、『ぷいぷい』の本番前に、開局60周年記念特別番組『31.5時間ラジオ MBS史上最大のラジオ祭り 歌でつなげる60年 目指せ1179曲てアンタ!?』にもゲストで出演していた。
MBS以外の番組への出演
『ちちんぷいぷい』パーソナリティとして
- 『ぷいぷい』の企画の一環として、2003年には『水戸黄門』(TBSテレビ制作・関西地方はMBSテレビで放送)の1000回スペシャル、 2006年にはナショナル劇場50周年記念特別企画の『水戸黄門』2時間スペシャル にそれぞれ1シーンだけ出演している[23]。
- 2005年1月17日には、『ぷいぷい』の本番前に、なるみ(『ぷいぷい』月曜レギュラー)・陣内智則(『ぷいぷい』元レギュラー)が総合司会を務める『なるトモ!』(当時読売テレビで平日の午前中に放送されていたワイドショー)にゲスト出演。当日の『ぷいぷい』でも、「角の芸能☆印」のコーナーでその模様が放送された。
- 2005年3月13日には、かねてから親交の深い笑福亭鶴瓶がパーソナリティを務める『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』(ニッポン放送が関東ローカルで放送)にゲストで登場。MBSアナウンサー時代から関東地方で放送される番組とほぼ無縁であった角にとっては、異例の出演であった。
- 2005年9月9日には、『ぷいぷい』の本番前に、桂南光が司会を務める『痛快!エブリデイ』(当時関西テレビで平日の午前中に放送されていたワイドショー)に生出演。逆に、同日の『ぷいぷい』には、南光がゲストで登場した。ちなみに南光は、この出演が縁で、2006年4月12日から現在まで週に1回『ぷいぷい』へレギュラーで出演。角も、2005年12月2日に関西テレビの『ムハハnoたかじん』へゲストで登場している。
- 2010年1月13日には、「すごくおいしいうた」(番組初プロデュースのCDアルバム)のPRの一環として、同番組の本番前にFM802の番組へ初出演。同局朝の生放送番組『HIRO T'S MORNING JAM』に、コーナーゲストとして登場した。この模様は、当日の『ぷいぷい』でも放送されている。
フリーアナウンサーとして
- 2011年11月18日には、道上洋三・久野愛との共演による特別番組『パーソナリティ秋の交流戦セカンドステージ 角からすみまで道上洋三です』で、ABCラジオの番組に初めて登場。2012年には、『年の初めはさだまさし』(1月1日に全国で放送、大阪市中央体育館からの生中継ゲスト)でNHK総合テレビ、『ほっとけ!3人組』第38話「誘拐事件発生!角淳一を確保せよ!?」(2月5日に関西ローカルで放送、ゲスト)でABCテレビの番組デビューを果たした。[24]。
- 2012年には、10月4日に「Various Famous Studio」から『上柳昌彦 ごごばん!』(ニッポン放送)の全編を生放送[25]。同スタジオを宇崎竜童がアルバムのレコーディングに利用していた縁で、宇崎とともにゲストで出演した。また、11月18日に福岡・RKBテレビで放送された『驚き!ワクワク!感動! 劇場型デパートの開演』(阪急百貨店うめだ本店の新装開店PRを兼ねた特別番組)には、地元出身者としてティーナ・カリーナと共演していた[26]。ただし、いずれの番組も、角の地元である関西地方では放送されていない。なお、2014年3月26日放送分の『上柳昌彦 ごごばん!』には、ニッポン放送本社スタジオからの生放送に14時台のゲストとして出演している。
- 2013年には、読売テレビの開局55周年記念番組『藤山直美・角淳一のおしどり夫婦が集まる家』(7月14日に関西ローカルで放送)で、藤山と初めて共演した。ちなみに、角が同局制作の番組でMCを務めたのは、この特別番組が初めてである[27]。
出演番組
現在
レギュラー番組
- おとなの駄菓子屋(MBSラジオ、2011年10月~)
シリーズ番組(不定期放送)
- えぇトコ「角淳一の関西おもてなしデート」(2012年4月20日~、NHK大阪放送局の制作でNHK総合テレビから放送、同局では初の冠番組)[28]
- 角淳一のおとなの駄菓子屋(2012年7月13日~、MBSテレビ、前述『おとなの駄菓子屋』のテレビ版)
過去
毎日放送アナウンサー→専属パーソナリティ時代
テレビ
MBS制作番組
- 夜はクネクネ
- あどりぶランド(MBSアナウンサー室の一員として出演)
- 板東英二のわがままミッドナイト
- イカにもスミにも
- 近畿は美しく~おスミつき新発見伝~(MBSの地域貢献キャンペーン「近畿は美しく」と連動した紀行番組)
- 角・鶴光わははの家
- 毎日放送開局40周年記念特別番組(1990年9月)
- すみっこメモリー
- すみっこ天国(1994年)
- ちちんぷいぷい
- 詳細は前述。2010年9月以降の水曜日の放送では、パネリストの1人として、取材リポーターなどの役割を担っていた。
- 桑名正博~44歳のロック~(1997年12月)
- MBSニュース(随時)
その他にも、MBSなどの特別番組に随時出演。魔法のレストラン → 魔法のレストランR(MBSテレビの料理・グルメ情報番組)には、フリーアナウンサー転身後の現在に至るまで、不定期でロケ企画などに登場している。
TBS制作・全国ネット番組
- ザ・ベストテン(1978年・1981年)[29]
- うたばん(2007年8月20日)[30]
- 水戸黄門
- 1000回記念3時間スペシャル(2003年12月15日)[31]
- ナショナル劇場50周年記念特別企画スペシャル(2006年3月13日) - 客
ラジオ
- MBSヤングタウン(木曜日ほか、1971年4月 - 1984年3月)
- MBSグァムグァムリクエスト(平日昼間の電話リクエスト番組)
- ハローナショナルショールーム(1974年4月 - 1984年4月)
- すみからすみまで角淳一です→すみからすみまで愛なのね(1984年10月 - 1996年5月、1997年10月 - 1999年9月)
- サタデースペシャル~角淳一の歌謡ベスト10~(1980年)
- 毎日放送開局35周年記念番組 愛のおしゃべりクリニック(1985年10月 - 1986年9月)
- がっぷりトーク
- スミっコギャル(2001年)
- すみからすみまで中島みゆきです(2006年12月11日・2009年1月25日放送)[32]
- 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク
- MBSニュース(随時)
フリーアナウンサーへの転身後
「備考」の項で紹介した番組や、「MBSラジオ スペシャルウィーク」期間中にゲストで出演する生ワイド番組を除いて記載。
- 大阪マラソン2011 走り出した情熱のランナー(2011年10月30日、MBSテレビの第1回大阪マラソン中継、スタジオゲストとしてフリーアナウンサー転身後初のテレビ出演)
- せやねん!(2011年12月24日、MBSテレビ、午後放送の第2部にスペシャルゲストとして出演)
- プリ♥プリ(2012年4月13日、MBSテレビ、スペシャルゲストとして出演)
- おとなの文化村(2012年6月19日、fm osaka)
- 藤山直美・角淳一のおしどり夫婦が集まる家(2013年7月14日、読売テレビ、藤山と共にメインMCとして出演)[33]
- おはようパーソナリティ道上洋三です(2014年3月21日、ABCラジオ、8時台のコーナー「話のマーケット」にゲストで出演)
- 茶屋町 春の4まつり(2014年4月4日、MBSテレビ)- 毎日放送の本社新館(B館)のグランドオープンを記念した特別番組で、桂南光とのコンビ「チーム四條畷」名義でクイズに参加。
著書
- 私は、角淳一です(朝日新聞出版、2014年3月20日初版刊行)ISBN 978-4023312753
レコード
- ええかええかのテーマ(MBSヤングタウン・木曜日の歌)」(CBSソニー/福武書店)(1983年)※笑福亭鶴光と共演
テレビCM
- 番組出演以外にも、MBSテレビが関西ローカルで放送したCMに数回登場している。過去には、進研ゼミやセブンイレブン(2009年に期間・地域限定で発売された「ちちんぷいぷい角の☆印弁当」)のCMに出演した[34]。
- 2011年1月から3月までは、MBS・熊本放送(RKK)・南日本放送(MBC)の共同制作によって、九州新幹線の全線開通を告知するテレビCMに出演。ただし、角が出演するバージョンは、MBSで放送しなかった[35]。
関連人物(MBSのアナウンサー経験者を除く)
脚注・参考文献
外部リンク
- 角淳一オフィシャルサイト
- 角 淳一のブログ日記 - テレビでは聞けないようなトークや、好きなジャンルの音楽を掘り下げたトークなどを配信。配信回によっては、角と縁の深いアーティストが演奏を披露するなど、さまざまなジャンルのゲストも登場している。