ばんばひろふみ
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テンプレート:Infobox Musician ばんば ひろふみ(1950年2月20日 - )は、日本のフォークシンガー、ラジオパーソナリティ。本名は馬場 弘文(読みは同じ)。京都市東山区祇園出身。既婚。離婚1回。愛称は「ばんばん」。
ペンネームは馬場 章幸。血液型はB型。立命館高等学校、立命館大学経済学部卒業。所属事務所はヤングジャパン→アップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)→アップフロントクリエイト。
人物・来歴
- 1969年、立命館大学在学中に知り合った石岡達雄、山本博史らと「ジャッケルズ」を結成しプロデビュー。その後、高山厳、今井ひろしらと結成した「バンバン」が『いちご白書』をもう一度などで人気を博した。
- セイ!ヤング(文化放送)のパーソナリティとして谷村新司と競演、「顔が大きい」という特徴をネタに聴取者からの投稿コーナーも含めかなりの弄られキャラを演じる。
- 1977年2月25日 元々ばんば自身がファンだった歌手の平山みきと結婚し1男(俳優の馬場紘之信)を授かり、芸能界のおしどり夫婦として有名に。
- 1978年 ソロデビュー。
- この頃、「ばんばひろふみ&ホットスタッフ」を結成する。代表作に「最終フライト05便」など。
- 1979年 - 1980年 ばんば自らが作曲を手がけた「SACHIKO」が大ヒット、自身の代表曲となる。
- 1984年 - 1990年 関西テレビで深夜ローカルワイド番組『エンドレスナイト』の司会を兵藤ゆきと担当し、大人気を博す。
- 2002年 - 年に一度、「神戸アコースティックタウン」と呼ばれるライブを伊勢正三他と行う様になる。
- 2005年1月 ばんばの女性問題(不倫)が原因で、平山みきと協議離婚。
- みやびの杜・京都スタジアム推進委員会(Jリーグチーム京都パープルサンガ用サッカー専用スタジアム建設推進のための市民団体)の代表幹事に就任。
- 2014年、杉田二郎・堀内孝雄・高山厳・因幡晃とブラザーズ5を結成。
出演番組
- ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー!(ラジオ関西)
- ばんばひろふみ ワインDEワイワイ!(ラジオ関西)
- THE BEAT GOES ON SUNDAY (FM COCOLO)
過去
テレビ
- エンドレスナイト(関西テレビ)
- おでかけ小町組(MBSテレビ)
- どうする京都21(KBS京都)
- 連続テレビ小説わかば(NHK)
- 桑原征平のおもしろ京都検定(KBS京都)
- 水戸黄門 第43部 第13話「冴えない男の恩返し -松坂-」(TBS) - 彦蔵 役
- 月曜ドラマランド「探偵桃語」(フジテレビ)
ラジオ
- セイ!ヤング(文化放送)
- ペパーミントストリート・青春大通り(文化放送)
- パックインミュージック(TBSラジオ)
- 青春キャンパス(文化放送)
- ライオンズナイター(文化放送)
- BanBan Yukoのグッドセンスナンセンス(文化放送)
- ばんばんの大人は何でも知っている(ニッポン放送、1990年)
- MBSヤングタウン(MBSラジオ)
- 土曜バンバン!やってもいいかな?!(ラジオ関西)
- 金曜バンバン ゴメンネ!?ばんばひろふみDE(ラジオ関西)
- ばんばひろふみのKYOTO Revolution(KBS京都ラジオ)
- 京都大好きラジオ(KBS京都ラジオ)
- ツー快!お昼ドキッ(CBCラジオ) - 火曜パーソナリティ
- 元気イチバン!!芦沢誠です(ABCラジオ) - 木曜レギュラー
代表曲
- SACHIKO(1979年)
ヒットにより、全国のサチコという女性から「サチコっていう名前、自分で嫌いだったけど、この歌を聴いて好きになった」といったファンレターが大量に寄せられた[1]。なお、ニック・ニューサが1981年にリリースした「サチコ」とは完璧に無関係である。
- 速達(1983年)
発売当時、MBSヤングタウン金曜日でザ・ベストテンにこの曲をランクインさせようという呼びかけ(机•イッツマイライフ運動)が起こり、その結果同番組のはがきリクエストランキングで最高9位を記録した。ヤンタンファンへの感謝とメッセージをこめてザ・ベストテンスポットライトコーナー登場時、カメラに向かってピックを投げるという公約を守った。なお、運動名の由来は、当時ベストテン入りしていた大川栄策が得意のタンス担ぎを披露したことに対し、同じく顔が大きいからという理由でこれに対抗して「それならばんばんは机を担げ」という流れによるものであったが、さすがに本番のスタジオに机を抱えて登場することはできなかった。なお当時、自ら「自分は、4年に一度ヒット曲が出るので、オリンピック歌手と呼ばれてます」と発言していた。