林威助

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テンプレート:Infobox baseball player 林 威助(リン・ウェイツゥ、英文表記:Lin Weichu[1], 1979年1月22日 - )は、中信兄弟エレファンツに所属するプロ野球選手外野手)。左投左打。台湾台中市出身。

中華民国(台湾)国籍だが、日本の高校・大学に通っていたため、NPBでは規定のため日本人登録選手の扱いになっていた[2]

経歴

プロ入り前

台湾台中市出身。幼い頃にテレビで見た日本野球に憧れ、小学生時から野球を始める[3]。台中の中学校(中山國民中學)在学時から、台湾ではその非凡な野球センスが話題となっていた。中学卒業後に日本への野球留学の誘いを受け、父の体調を慮って一旦は断ったが、翌年再び勧誘され、日本の文化に触れたい好奇心もあって[3]テンプレート:By柳川高校へ入学した。同級生に田中瑞季がいる[3]

入学当時はほとんど日本語が分からず、また台湾での中学時代に比べるとはるかに厳しく辛い練習のため「台湾に帰りたい」と思ったこともあったが、2年夏には福岡大会で決勝に進出し、小椋真介を擁する福岡工大付高校に敗れたものの準優勝。しかし入学が2年遅れだったため、3年時は日本高等学校野球連盟で定められている年齢制限を超え公式戦に出場できなかった。甲子園出場という目標を失い、台湾に帰ることを考えたが、日本でプロ選手になることに目標を切り替え、木製バットを使用するなど高校卒業後を見据えた練習に入った。高校通算47本塁打を放っているが、以上のような理由から高校1・2年の2年間での記録である[3]

テンプレート:By関西学生野球連盟所属の近畿大学へ進学し、入学直後の春季リーグ戦から右翼手のレギュラーとなり首位打者ベストナインを獲得する。その後は不調に陥り3年時は膝の故障で主に代打で出場し、4年時はその故障をおして3番・左翼手スタメンに復帰、春季リーグ戦後のリーグ選抜に名を連ねたほか、秋季リーグ戦では2度目のベストナインに選ばれた。秋に行われた2002年度ドラフト会議で阪神タイガースから7巡目指名を受け入団。

プロ入り後

阪神時代

テンプレート:Byは故障の癒えていない膝のリハビリに専念し[3]、一軍・二軍戦ともに公式戦出場はなかった。

テンプレート:By10月11日の対ヤクルト戦で公式戦初スタメン・初安打・初打点を記録。

テンプレート:Byは機会は少なかったが主に代打で出場し、優勝決定後にはスタメン出場の機会も巡ってくるようになり初本塁打を記録。

テンプレート:Byはかつて掛布雅之が着けていた背番号31に変更。第1回WBCチャイニーズタイペイ代表に選出される。シーズンに入ると代打として起用され、セ・パ交流戦では指名打者でのスタメン出場も数試合あった。また、同年に記録した5本塁打のうち、計3本を大阪ドームで放つなど同球場との相性が良かった。

テンプレート:Byも開幕から代打での出場が主だったが、4月下旬に濱中治が怪我で離脱して以降はレギュラーに定着。アンディ・シーツの不振により3番に入ることが多く、林(Lin) の L と4番を打つ金本知憲のニックネーム「アニキ」(Aniki)の A を掛けた「LA砲」を形成した。6月10日の対ソフトバンク戦では祖国の英雄でもある相手監督の王貞治の前で、プロ入り初のサヨナラ安打となる本塁打を放った。交流戦後はシーツの不振に加えて桜井広大の台頭もあり、一塁手としてのスタメン出場も多くあった。しかし、5月13日の対ヤクルト戦でオーバーランした一塁へ帰塁した際に右肩を痛めながら[3]、「せっかくつかんだチャンスを逃したくない」と打撃コーチの正田耕三に訴えて強行出場を続けた悪影響[4]により8月下旬に登録抹消。9月27日に一軍復帰するも規定打席には4打席不足したが、それでも打率.292を記録。中でも15本塁打と58打点は、いずれも金本に次いでチーム2位だった。それまで「プロの世界でレギュラーとして試合に出るようになるまでは、台湾の家族を試合に招待しない」と決めていたが、この年になって日本での生活12年目で初めて家族を日本に招くことができた。しかし、「右肩肩峰下滑液胞炎」と診断された[5]右肩の回復が思わしくないため、同年オフに台湾で開催されたアジア選手権大会台湾代表を辞退。12月に手術を受けた[3]

ファイル:Wei-Chu Lin.jpg
阪神時代(2008年7月4日、横浜スタジアム)

テンプレート:Byは前年受けた手術のリハビリなどの影響から、シーズン初出場は5月29日の対ロッテ戦であった。この試合は6回裏1死二塁の場面で代打として登場、一塁線を抜ける適時二塁打を放ち、復帰戦を自らの一打で祝った[4]。この後、一時は今岡誠の不調で日替わりだった5番に定着して3割超の打率を維持していたが、7月8日の対巨人戦で左膝靭帯を痛めて離脱[6]し、北京オリンピックのチャイニーズタイペイ代表を辞退。8月に復帰したが、シーズン成績は打率.249、2本塁打だった。

テンプレート:Byは再び第2回WBCチャイニーズタイペイ代表に選出されたが、敗退したアジア予選で調子を崩し、一軍登録されたのは5月8日であった。その後も不振が続いて前年を下回る56試合の出場で、打率.208、3本塁打、11打点に終わった。

テンプレート:Byの沖縄における春季キャンプでは、この年に打撃コーチに就任した片岡篤史の親友である立浪和義からも臨時指導を受けている[7]。シーズンでは熾烈な外野手争いの中で出場機会はさほど多くなかったが、得点圏打率.412を記録した。

テンプレート:By、打撃不振に陥り、63試合に出場するも打率は1割台と結果を残せなかった。

テンプレート:By、出場機会に恵まれず、わずか6試合で7打数1安打の成績に終わった。

テンプレート:By、8月4日にシーズン初の出場選手登録を果たして同日の巨人戦(東京ドーム)に6番・右翼手でスタメンで出場したが、打撃で4打数無安打(2三振)、右翼の守備でも精彩を欠いて途中交代した。結局、一軍公式戦への出場機会はこの1試合のみ[8]で、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[9]。11月に侍ジャパンと親善試合を行う台湾代表に招集されていたが、これを辞退[10]して第一回12球団合同トライアウトを受験し、フェンス直撃の三塁打を含む2安打2四球、左翼の守備でフェンスに激突しながらの好捕を見せるなど、十分にアピールした[11]が、NPB球団で獲得する球団は現れなかった。11月28日、台湾・中華職業棒球大聯盟兄弟エレファンツからドラフト3巡目で指名され[12]テンプレート:By2月17日に正式契約を結んだ[13]

兄弟時代

テンプレート:By、3月末にスライディングをした際に左ヒザ半月板損傷。その後も試合には出場したものの、26試合で打率.192、本塁打1、打点10で、5月14日に左ヒザ手術を行っている[14]

プレースタイル

バリー・ボンズを参考にした打撃フォームが特徴。同じく台湾出身で阪神にも在籍していた大豊泰昭を目標としている。

速球に強い選手であり、スイングスピードが150km/h以上であればプロでも一流と言われる[15]ところ、林は大学時代に168km/hを計測していた[16]

前述2008年の復帰戦代打でのブライアン・シコースキーとの対戦で、150km/hの速球を警戒しつつ初球のチェンジアップに対応した一打には、「あないして対応できるんやからな」と監督の岡田彰布から評価されている[4]。一方、前述の立浪からは「力があっても無駄な動きをしているところがある。もっと打てる選手。外からバットが出やすいようだ」と評されている[7]

打撃への高評価に対し、守備・走塁への評価は芳しくない。2006年までは試合途中で代打起用された後に守備へは滅多に就かず、中村豊など守備固めの選手が入ることがほとんどだった。

一塁手として出場することもあったが、右肩のケガからの復帰後は一塁起用を見送られている。また、2007年の右肩と2008年の左膝のケガ(二塁走者として牽制帰塁した際に負傷[6])は、いずれも走塁時のものである。

プロ野球選手としては大きな体ではないが、握力は90kgを計測する[17]

人物

座右の銘は「一球撃命」。勝負を決める一打を放つという意味[3]

日本入りした当初は苦手だった日本語も、長い日本暮らしのおかげで流暢であり、インタビューも日本語で受け答えする。『デイリースポーツ』の携帯サイトでコラムを連載したこともある。逆に台湾の公用語である台湾國語はやや忘れかけており、2006年にWBC台湾代表となった際は台湾チームのメンバーや現地記者との会話が一苦労だったという。

『中国語ジャーナル』2007年8月号(アルク社)では林について特集が組まれ、表紙に載った[18]。また、付録のCDには林へのインタビューが収録されており、普段はほとんど耳にする機会のない林の中国語(台湾國語)を聴くことができる。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 阪神 3 7 7 0 1 1 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .143 .143 .286 .429
テンプレート:By2 8 14 12 3 5 0 0 1 8 2 0 0 0 0 2 0 0 1 0 .417 .500 .667 1.167
テンプレート:By2 67 82 76 12 23 4 1 5 44 13 0 0 0 0 6 1 0 24 0 .303 .354 .579 .933
テンプレート:By2 115 442 418 51 122 17 3 15 190 58 1 0 0 4 20 1 0 89 5 .292 .321 .455 .776
テンプレート:By2 66 189 177 17 44 6 2 2 60 13 1 0 0 1 10 0 1 31 4 .249 .291 .339 .630
テンプレート:By2 56 102 96 4 20 3 1 3 34 11 1 0 0 0 6 0 0 16 2 .208 .255 .354 .609
テンプレート:By2 69 144 135 13 39 10 1 4 63 22 1 0 0 2 6 1 1 24 2 .289 .319 .467 .786
テンプレート:By2 63 92 90 2 15 3 0 1 21 5 1 0 0 1 1 0 0 14 2 .167 .174 .233 .407
テンプレート:By2 6 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .143 .143 .143 .286
テンプレート:By2 1 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
NPB:10年 454 1083 1022 102 270 44 8 31 423 125 5 0 0 8 51 3 2 206 15 .264 .298 .413 .712
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2004 - 2 2 0 0 0 1.000
2005 - 3 3 0 0 0 1.000
2006 6 24 2 0 5 1.000 5 8 0 0 0 1.000
2007 48 389 28 2 26 .995 64 99 0 0 0 1.000
2008 - 43 57 1 0 0 1.000
2009 - 18 25 0 1 0 .962
2010 - 40 44 0 2 0 .957
2011 - 23 22 0 2 0 .917
2012 - 1 0 0 0 0 ---
2013 - 1 1 0 0 0 1.000
通算 54 413 30 2 31 .996 200 261 1 5 0 .981

記録

背番号

  • 38 (2003年 - 2005年)
  • 31 (2006年 - 2013年)
  • 24 (2014年 - )

登場曲

  • 「Have a Nice Day」- Bon Jovi(? - 2009年)
  • 「New Divide」- Linkin park(2010年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:BASEBALLstats

テンプレート:中信兄弟エレファンツ テンプレート:Navboxes

テンプレート:阪神タイガース2002年ドラフト指名選手
  1. 阪神タイガース公式サイトの選手紹介では、かつてはピン音表記に従い「Weizhu」となっていたが、のちにウェード式による「Weichu」の記載になっている。
  2. Q&A-2010年7月10日閲覧。
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 「1球に命を懸ける天才アーチスト 林威助」『週刊ベースボール』2009年8月17日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20443-8/17, 35-39頁。
  4. 4.0 4.1 4.2 「『ただいま』即撃!林が炎の初球一振り」 デイリースポーツ、2008年5月30日。テンプレート:リンク切れ
  5. 「林 ギプス取れた!!GW明け復帰宣言」 デイリースポーツ、2008年1月13日。テンプレート:リンク切れ
  6. 6.0 6.1 「林、左ひざ負傷…途中交代で病院直行」 デイリースポーツ、2008年7月9日。テンプレート:リンク切れ
  7. 7.0 7.1 「林に『PL道場』立浪氏が“友情指導”」 デイリースポーツ、2010年2月8日。
  8. 阪神林威助戦力外 今季出場わずか1試合 日刊スポーツ、2013年10月1日。
  9. テンプレート:Cite web
  10. 林威助台湾代表辞退…トライアウト専念 デイリースポーツ、2013年10月28日、2013年11月14日閲覧。
  11. テンプレート:Cite news
  12. 元虎・林、台湾球界からドラフト指名「前向きに考えていきたい」SANSPO.COM (サンケイスポーツ) 2013年11月29日配信
  13. テンプレート:Cite news
  14. 週刊ベースボール2014年6月2日号102ページ
  15. 虎・関川C、スイング速度150キロ目指せ! SANSPO.COM 2011年11月4日
  16. 新庄を超える男・糸井嘉男。その異常なパワーとセンスの原点。 プロ野球コラム
  17. 2010年『猛虎ファイル』でのインタビューより
  18. osaka.nikkansports.com テンプレート:リンク切れ