規定打席

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規定打席(きていだせき)とは、プロ野球において、リーグが発表する打撃ランキングの対象となる為に必要な打席の数の事である。

概要

NPBおよびMLBにおいて、現在は野球規則10・22(a)により規定打席を次のように定めている。

  • 所属球団の試合数 × 3.1

(小数点以下四捨五入。ただし、2008年までは小数点以下切捨て。)

規定打席数は打者として1シーズンを通じて起用されたか否かの基準とされる場合もある。

首位打者の例外規定

原則として首位打者最高出塁率は規定打席を満たした選手が対象となるが、前記した野球規則10・22(a)【原注】には次のような例外規定がある。

  • 必要打席数に満たない打者でも、その不足数を打数として計算し、なお最高の打率並びに出塁率になった場合には、この打者がリーグの首位打者並びに最高出塁率打者となる。

アメリカのメジャーリーグ[1]並びに日本の二軍ではこの例外規定適用での首位打者が実際に誕生しているが、一軍のセ・パ両リーグではまだ例がない(ただし、規定打席と同数の打席数で首位打者を獲得した打者は1975年白仁天太平洋クラブライオンズ)、1981年藤田平阪神タイガース)、1991年平井光親ロッテオリオンズ)と3人いる)。

なお、この例外規定が適用されるのはあくまで首位打者の時だけであり、首位打者でない選手は規定打席に到達していなければリーグが発表する公式な打率ランキングには名前が載らない。

過去の規定打席

アメリカメジャーリーグでは原則として全試合中3分の2以上出場が規定条件であったが、1942年アーニー・ロンバルディがわずか309打数(105試合出場)で首位打者になったことから、1950年から打数400が規定条件になった。

日本プロ野球でも戦後一時期まで打数が規定条件であったが、メジャーリーグで1954年テッド・ウィリアムズが首位打者となったボビー・アビラの.341を上回る.345を記録しているものの、136四球が影響し386打数で首位打者を逃したことから、1957年シーズン前にアメリカメジャーリーグで打席数を採用することが決定され、日本プロ野球もそれに倣った[2]

採用当初は現在と同じくチーム試合数に3.1をかけた値を到達すべき規定打席としたが、端数が出ることを嫌ってか翌1958年は両リーグとも400を規定打席とした。ところが、この年のセ・リーグで児玉利一(大洋)と大和田明(広島)が共に401打席で規定打席到達となったため(児玉は打撃ベスト10の9位に入った)、翌1959年以降は再びチーム試合数に3.1をかけた値を到達すべき規定打席として現在に至っている(3.1の数字の由来は諸説あり不明)。

2004年2008年は夏季オリンピックの野球競技にプロ野球の選手を派遣したことに伴い、五輪派遣選手の規定打席の算出基準となる試合数は所属球団の総試合数から派遣期間中の試合数を減じたものとする特別措置が設けられた。この措置の適用で規定打席到達を認められた打者は以下の通り。

※これにより、森野とG.G.佐藤は共に自身初の打率3割到達となった。

2009年からは、規定打席の端数の処理方法が一軍二軍ともに切捨てから四捨五入に変更になった。たとえば一軍で5試合終了時点での規定打席数は、2008年までは15打席でよかったが、2009年からは16打席必要となる。

1リーグ時代

規定
1936秋 打数55
1937春 打数101
1937秋 打数100
1938春 打数101
1938秋 打数100
1939 打数200
1940 打数250
1941 打数201
1942 打数300
1943 打数240
1944 打数100
1946 打数300
1947 打数330
1948 打数400
1949 打数300かつ試合数100

2リーグ分立後

セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
1950 打数300かつ試合数100 打数300
1951 打数280 打数(チーム試合数×2.5)
1952 打数300 打数(上位4球団:300、下位3球団:270)
1953 打数325 打数300
1954 打数338 打数360
1955 打数335 打数360
1956 打数338 打数400
1957 打席403 打席409
1958 打席400 打席400
1959〜1960 打席403 打席(チーム試合数×3.1)
1961 打席403 打席434
1962 打席(チーム試合数×3.1) 打席(チーム試合数×3.1)
1963〜1964 打席434 打席465
1965 打席434 打席434
1966〜1968 打席(チーム試合数×3.1)[3] 打席(チーム試合数×3.1)
1969〜1989 打席403 打席403
1990〜1996 打席(チーム試合数×3.1) 打席403
1997〜2000 打席(チーム試合数×3.1) 打席418
2001〜2003 打席434 打席434
2004 打席427[4] 打席412[4]
2005〜2006 打席452 打席421
2007〜2008 打席446[5] 打席446[5]
2009〜 打席446[6] 打席446[6]

「チーム試合数×x.x」の年は引き分け再試合制採用年

その他

  • 1962年和田博実(西鉄)と1997年前田智徳(広島)は共に所属チームの最終戦の9回終了時点では規定打席未到達であったが、試合が延長戦となり延長回に入ってから回ってきた打席で規定打席に到達し、リーグの打率ランキングのベスト10に入った(和田は.325でリーグ7位。前田は.304でリーグ10位。特に和田はこれが生涯ただ1度の打率3割であった)。
  • 2010年金本知憲(阪神)は全試合出場しながら、規定打席未到達というNPB史上初の記録を作った(試合数144、規定打席446で396打席)。当時金本は連続試合出場の記録を継続中で、試合途中まで、もしくは試合途中から出場したケースが多かったことを示している[7]。なお、連続試合出場のNPB記録を持つ衣笠祥雄(広島)も現役最後の年となった1987年は全試合出場しながら規定打席と同数の打席数(試合数130で403打席)にとどまっている[8]
  • 2012年ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)はリーグ本塁打王ながら、規定打席未到達というNPB史上初の記録を作った(試合数144、規定打席446で422打席)。

脚註

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関連項目

外部リンク

  • トニー・グウィンの項を参照。
  • NPBの通算打率の規定は4000打数となっている。
  • 1967年阪神大洋戦で放棄試合が1試合あるため、阪神・大洋ともに(チーム試合数-1)×3.1が規定打席となる。
  • 4.0 4.1 アテネオリンピックに伴う特別処置あり(前記)。また、プロ野球再編問題に伴うストライキを実施した際に再試合を行わなかったためこのシーズンの試合数はセ・リーグが138、パ・リーグが133となった。
  • 5.0 5.1 2008年は北京オリンピックに伴う特別処置あり(前記)。
  • 6.0 6.1 144試合行われなかった場合はチーム試合数×3.1で小数点以下四捨五入
  • ちなみに2010年シーズンに全試合出場した選手は金本以外に17名(セ・リーグ12、パ・リーグ5)おり、全員が600打席を超えていた。
  • ちなみに1987年シーズンに全試合出場した選手は衣笠以外に15名(セ・リーグ8、パ・リーグ7)おり、衣笠に次いで少ない達川光男(広島)でも480打席で他は全員が500打席を超えていた。