ブライアン・シコースキー
テンプレート:Infobox baseball player ブライアン・パトリック・シコースキー(Brian Patrick Sikorski , 1974年7月27日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のプロ野球選手(投手)。
目次
経歴
プロ入り前
ミシガン州デトロイトにスロバキアから移住した東欧ユダヤ系とアイルランド系の家庭に生まれる。
アストロズ時代
ウエスタンミシガン大学からテンプレート:ByのMLBドラフト4巡目でヒューストン・アストロズに指名され契約。
レンジャーズ時代
テンプレート:Byのシーズン中にウェーバー公示され、テキサス・レンジャーズに移籍。テンプレート:Byにメジャー初昇格し、10試合(うち先発が5試合)に登板した。
ロッテ時代
テンプレート:Byシーズン途中の6月29日に千葉ロッテマリーンズに入団[1]。1年目の成績は振るわなかったが、150km/hを超える速球やナチュラルシュートを高く評価されて翌年の残留契約を勝ち取る。テンプレート:By、テンプレート:Byのシーズンは右の中継ぎ・セットアッパーとして2年連続で50試合・80イニング近く投げぬき、防御率も3点台前半と健闘。同時期に台頭した小林雅英、川井貴志、小林宏之らと共に鉄腕リリーフ陣の一角としてチームに貢献した。しかし、2003年オフにボビー・バレンタインが監督に就任し外国人選手の刷新を図ったため、戦力外通告を受ける。
巨人時代
テンプレート:Byに巨人と契約して、同年7月度のJA全農Go・Go賞(救援賞)を初めて獲得。右のセットアッパーとして活躍し、在籍した2年間は共にチーム最多登板を果たした。防御率も2点台に向上して信頼度も上げ、堀内恒夫時代の手薄な巨人のブルペンを岡島秀樹らと共に支えた。また、2005年9月3日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)では7回表に長谷川昌幸から2点タイムリー二塁打を放ち、来日5年目で初安打も記録した。しかし、テンプレート:Byシーズン終了後、原辰徳が監督に就任すると戦力外通告を受け、本人が日本でのプレー続行を希望したため球団がウェーバー申請を行った。
楽天獲得騒動
2005年11月21日に東北楽天ゴールデンイーグルスがシコースキーの獲得を発表するが、、シコースキーは「子供の教育問題」を理由に一転して母国への帰国を希望。そのため、楽天は「日本の他球団と契約しないこと」を条件に自由契約を受け入れた。
パドレス時代
同年12月22日、メジャーリーグのサンディエゴ・パドレスと契約してアメリカ球界に復帰した。
インディアンス時代
翌テンプレート:By7月18日(日本時間)に戦力外通告を受け、マイク・アダムスとのトレードでクリーブランド・インディアンスに移籍した。
ヤクルト時代
シーズン開幕後のテンプレート:By5月17日、東京ヤクルトスワローズがシコースキーを獲得することが報道され、同月21日に正式発表された。ヤクルトではリリーフ陣の一角として活躍したが、残留交渉が折り合わず、11月30日に自由契約公示された。
ロッテ復帰
テンプレート:Byは5シーズンぶりに千葉ロッテマリーンズに復帰。4月4日に復帰後初勝利を挙げると、前年退団した薮田安彦、藤田宗一、小林雅英(YFK)に代わるリリーフの柱として若手投手陣を引っ張り、リリーフながら5勝を挙げるなど活躍。シーズン後半にはシコースキー、川崎雄介、荻野忠寛を中心とした勝利の方程式が確立された。オールスターゲーム後の防御率は0.00だった。
テンプレート:Byシーズン前半は抜群の安定感を誇り、シーズン途中より荻野に代わって抑えに定着。8勝5敗15セーブ、防御率2.19の成績を残す一方、救援失敗も相次ぎ、被本塁打は8と前年に比べて増加した。
ロッテは2010年シーズンも残留を求めて交渉を行っていたが、合意に至らず、2009年限りで退団した。2009年12月28日、埼玉西武ライオンズへの入団が発表された。
西武時代
テンプレート:Byシーズン当初はアレックス・グラマンへ繋ぐための中継ぎとして起用する予定だったが、グラマンに復帰の目処が立たなかったのに加えて小野寺力と大沼幸二も開幕二軍スタートになったため、急遽藤田太陽・長田秀一郎と共に試合終盤を任されることになった。しかし、この窮余の策がはまり、6月8日には両リーグ最速の20S、8月19日にはパ・リーグ最速の30Sにそれぞれ到達。開幕戦で移籍後初セーブを挙げてから、9月4日の対楽天戦でサヨナラ打を打たれるまでセーブ機会では負けなしの活躍を見せた。
6月度のJA全農Go・Go賞(救援賞)を自身2度目の獲得、更に監督推薦で自身2度目のオールスターゲーム出場を果たした。8月1日、日本での一軍登録期間が8年に達したため、外国人投手としては郭泰源以来2人目となるFA権を取得(これにより、2011年以降は「日本人枠」でのプレーとなる)。9月以降はセーブ失敗もあり最終的に5敗したが、33セーブを挙げて初タイトルの最多セーブ投手に輝いた(35歳で開幕を迎えたシーズンのセーブ王獲得は1985年鈴木康二朗と並びパリーグ最年長記録タイ、日本プロ野球史上でも右投手として最年長記録タイ)。西武の外国人で30Sを挙げたのは2008年のグラマン以来2人目で最多セーブ投手獲得は初の快挙となった。
テンプレート:By、東日本大震災の影響で3月17日に一時帰国。開幕数日前まで再来日の目処が立たなかったが、開幕2日前の4月10日に再来日。来日の遅れの影響から開幕は二軍スタートとなった。4月16日に一軍登録されたものの、右肘痛のため4試合に登板したのみで5月4日に登録を抹消された。5月6日に右肘の検査のため米国に一時帰国、同月23日に右肘遊離軟骨の除去手術を行った[2]。7月21日にウェーバー公示を受けた[3]。
カナダ独立リーグ時代
テンプレート:Byはカナダ独立リーグに所属し、中継ぎだけでなく先発としても登板し9勝をあげた。
西武復帰
シーズン終了後、西武の入団テストを受けるため秋季キャンプに同行。そして入団テストに合格し2012年11月30日に再入団が発表された。シーズン開幕後は一軍で登板することなく、8月26日にウェーバー公示を受けた[4]。
プレースタイル
リリーフのスペシャリスト。昨今の日本球界で有数のタフさを誇り、2002年と2003年は2年連続で50試合80イニング近くを投げ、2004年と2005年は60試合以上に登板した。150km/h前後の速球を武器に高い奪三振率を誇る一方で、球が高めに浮きやすくリリーフ投手としては被本塁打数がやや多い。ただし、2007年と2008年はシーズンの被本塁打がわずか2と安定感を見せた。
人物
- 登板時の投球練習の際に腕を前後に4、5回ずつ回し(同じ綴りでヘリコプター製造で知られるシコルスキー・エアクラフトに掛けたもの)、攻守交代の際にはベンチからマウンドまで全力で走り白線を飛び越えるパフォーマンスを行う。特に腕をグルグルと回すパフォーマンスは観客席からは歓声が上がるほどで、西武在籍時代には「ぶんぶんシコースキー」というグッズも販売されていた。本人によれば、高校時代にリリーフ登板する際に肩を温めるためにやったのが始まりで、以来20数年以上続けているとのこと[5]。かつてはロジンバッグを手に取った後その手を舐めるなどのパフォーマンスを行っていたが、胸焼けを起こすため近年は行っていない。
- 他人の悪口を言うのは誰も聞いたことがないという話が伝わるほど人の良い性格である。しかしダン・ミセリが解雇された直後、妻子と共に浅草観光をしていた件について「クビになって観光なんてとんでもない。外国人の恥だ」と痛烈に批判するなど、不誠実で素行が芳しくない人物に対しては厳しい一面も持っている。
- 新人通訳がグランドにボロボロのスニーカーで現れた事に対して、先輩通訳から叱咤を受けていた姿を見ていたシコースキーは、翌日その新人通訳に対して新しい靴を用意してあげた事がある[6]。
- 通常、自軍が4点以上リードしている場面ではセーブが付かないため、外国人リリーフピッチャーは投げたがらないが、シコースキーは志願して登板している。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | TEX | 10 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 187 | 37.2 | 46 | 9 | 25 | 1 | 1 | 32 | 1 | 0 | 31 | 24 | 5.73 | 1.89 |
テンプレート:By2 | ロッテ | 12 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 191 | 42.0 | 48 | 9 | 18 | 0 | 1 | 31 | 1 | 3 | 36 | 30 | 6.43 | 1.57 |
テンプレート:By2 | 47 | 7 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 2 | -- | .400 | 385 | 96.2 | 76 | 14 | 20 | 4 | 3 | 102 | 2 | 0 | 38 | 37 | 3.44 | 0.99 | |
テンプレート:By2 | 47 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 1 | -- | .400 | 340 | 82.2 | 80 | 9 | 23 | 1 | 0 | 71 | 2 | 0 | 35 | 29 | 3.16 | 1.25 | |
テンプレート:By2 | 巨人 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 5 | -- | .625 | 330 | 77.2 | 76 | 9 | 22 | 2 | 9 | 83 | 1 | 0 | 25 | 23 | 2.67 | 1.26 |
テンプレート:By2 | 70 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 14 | .875 | 367 | 87.2 | 75 | 4 | 33 | 2 | 3 | 100 | 4 | 0 | 33 | 32 | 3.29 | 1.23 | |
テンプレート:By2 | SD | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 60 | 14.1 | 16 | 4 | 3 | 1 | 0 | 14 | 2 | 0 | 9 | 9 | 5.65 | 1.33 |
CLE | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 2 | .667 | 82 | 19.2 | 20 | 4 | 4 | 0 | 1 | 24 | 1 | 0 | 10 | 10 | 4.58 | 1.22 | |
'06計 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 2 | .600 | 142 | 34.0 | 36 | 8 | 7 | 1 | 1 | 38 | 3 | 0 | 19 | 19 | 5.03 | 1.26 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
テンプレート:By2 | ヤクルト | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 7 | .333 | 159 | 39.1 | 30 | 2 | 12 | 0 | 2 | 38 | 2 | 1 | 13 | 10 | 2.29 | 1.07 |
テンプレート:By2 | ロッテ | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 13 | .833 | 196 | 48.1 | 42 | 2 | 10 | 1 | 1 | 49 | 0 | 0 | 15 | 12 | 2.23 | 1.08 |
テンプレート:By2 | 55 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 15 | 15 | .615 | 254 | 65.2 | 41 | 8 | 19 | 2 | 3 | 73 | 2 | 0 | 16 | 16 | 2.19 | 0.91 | |
テンプレート:By2 | 西武 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 33 | 5 | .286 | 255 | 63.0 | 50 | 7 | 19 | 0 | 1 | 48 | 1 | 0 | 18 | 18 | 2.57 | 1.10 |
テンプレート:By2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 17 | 3.2 | 4 | 1 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.91 | 1.67 | |
MLB:2年 | 40 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 2 | .444 | 329 | 71.2 | 82 | 17 | 32 | 2 | 2 | 70 | 4 | 0 | 50 | 43 | 5.40 | 1.59 | |
NPB:10年 | 438 | 19 | 1 | 0 | 0 | 37 | 34 | 58 | 54 | .521 | 2494 | 606.2 | 522 | 65 | 178 | 14 | 23 | 598 | 15 | 4 | 231 | 209 | 3.10 | 1.15 |
- 2011年度シーズン終了時
タイトル
- NPB
- 最多セーブ投手:1回(2010年)
表彰
- NPB
- JA全農Go・Go賞:2回(救援賞:2004年7月度、2010年6月度)
記録
- NPB
- 初登板・初先発:2001年7月11日、対福岡ダイエーホークス20回戦(千葉マリンスタジアム)、5回3失点
- 初奪三振:同上、2回表にトニー・ミッチェルから空振り三振
- 初勝利・初完投勝利:2001年9月27日、対日本ハムファイターズ27回戦(千葉マリンスタジアム)、9回1失点
- 初セーブ:2002年7月28日、対西武ライオンズ17回戦(西武ドーム)、8回裏1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
- 初ホールド:2005年4月1日、対広島東洋カープ1回戦(東京ドーム)、8回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 初安打・初打点:2005年9月3日、対広島東洋カープ19回戦(広島市民球場)、7回表に長谷川昌幸から右中間へ適時二塁打
- オールスターゲーム出場:2回(2009年 - 2010年)
背番号
- 49 (2000年 - 2003年、2008年 - 2009年)
- 42 (2004年 - 2005年)
- 50 (2006年 - 同年途中、2010年 - 2011年途中、2013年)
- 44 (2006年途中 - 同年終了)
- 34 (2007年途中 - 同年終了)
脚注
- ↑ ベースボールマガジン社「2002ベースボール・レコード・ブック」50頁
- ↑ 西武・シコースキーが右肘を手術 サンケイスポーツ 2011-07-21閲覧
- ↑ 2011/07/21 埼玉西武ライオンズ選手契約について 埼玉西武ライオンズ公式サイト 2011-07-21閲覧
- ↑ 埼玉西武ライオンズ選手契約について - 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト 2013年8月26日
- ↑ [1]シコー「腕グルグル」のルーツ明かした nikkansports.com 2013年2月16日
- ↑ 2008年千葉ロッテマリーンズマッチカードプログラム 第6号参照
関連項目
- ミシガン州出身著名人の一覧
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧#アメリカ合衆国