薮田安彦
テンプレート:Infobox baseball player 薮田 安彦(やぶた やすひこ、本名:藪田 安彦(読み同じ)、1973年6月19日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(投手)。
目次
[非表示]経歴
プロ入り前
上宮高校時代は主に控え投手で、一つ後輩の西浦克拓などの影に隠れて目立つ存在ではなかった。 新日鐵広畑に進み、球速、変化球に磨きをかけ、この時点で投手としての原形は完成したと言える。
ロッテ時代
テンプレート:By、ドラフトで千葉ロッテマリーンズに2位で指名され入団。入団当初は先発として起用され、1年目には完封勝利も達成。2年目には規定投球回に到達したが、その後は最高でも4勝と伸び悩む。
ボビー・バレンタイン監督が就任したテンプレート:Byに中継ぎへ転向。ブライアン・シコースキーの退団で右のリリーフが手薄になっていたこともあり、この年リーグ最多の66試合に登板。中継ぎ転向後、先発時代は140km/hそこそこだった球速が150km/h近くを表示するようになった。
テンプレート:By、中継ぎ投手部門のファン投票1位により、プロ10年目でオールスターに初出場。チーム最多の51試合に登板し、31年振りの優勝と日本一に貢献。藤田宗一、小林雅英とのロッテの勝利の方程式はYFKと称された[1]。
テンプレート:By、ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出。中継ぎとして4試合に登板し(4回1/3を投げて自責点1)日本チームの優勝に貢献。アメリカ戦では窮地の場面でアレックス・ロドリゲスを三振に取ると、ボブ・デービッドソンによるタッチアップの誤審があった次の回という苦しい場面でデレク・リー、ジョニー・デイモンから三振を奪うなど完璧な投球を披露した。
テンプレート:By、58試合に登板し、4勝6敗4S、防御率2.73。38ホールドで自身初のタイトル最優秀中継ぎ投手を獲得した。小林雅不在の終盤戦には守護神としても活躍した。
オフには海外FA権を行使。団野村を代理人とし、11月28日にカンザスシティ・ロイヤルズと総額600万ドルの2年契約を交わした(2008年250万ドル+2009年300万ドル、オプションとして3年目 延長が破棄された場合には違約金50万ドル)。
ロイヤルズ時代
テンプレート:By、26試合に登板して防御率5.46、マイナーでも12試合で防御率5.40と結果が残せず、8月2日に戦力外となり40人枠から外されたが、1か月で再昇格。しかし11月4日に再度降格となった。オフにはFAで他球団移籍も可能だったがマイナー行きを受け入れた。
テンプレート:Byはスプリングトレーニングに招待選手として参加。しかしオープン戦7試合に登板するも12安打8失点と結果を残せず、3月22日にマイナー行きを通告された。AAA級オマハで26試合に登板し2勝1敗、防御率3.55。8月24日、この年初のメジャー昇格を果たした。
ロッテ復帰
ロイヤルズが選択権を行使せず自由契約状態だったが、11月23日に千葉ロッテマリーンズへ復帰し、11月28日に入団会見が行われ背番号は49に決まった。翌年3月9日には登録名の姓を本名の「藪田」から略字を使った「薮田」に変更している。
テンプレート:Byは復帰前の役割を継続し、主にセットアッパーとして活躍。特にクライマックスシリーズから日本シリーズでは7試合に登板して防御率0.00と際立った活躍を見せた。ペナントレースでは3位に終わったが、2005年以来のクライマックスシリーズで勝利し、日本シリーズに進出。日本一に貢献した。
テンプレート:Byは、小林宏之の移籍に伴い自身初のシーズンを通してのクローザーの役目を任される。防御率・WHIPは高水準を記録し、ブラウンセーブは2回、31セーブを記録するなど自身の役割を充分に全うしたシーズンとなった。しかしチームは最下位に沈んだ。リーグ3位とはいえ、前年度日本一のチームが翌年最下位に終わったのはパ・リーグ初。
テンプレート:Byも昨シーズンに引き続きクローザーを務めた。8月30日、通算1000投球回数達成。「正直、ここまでこられるとは思っていませんでした」と謙虚にコメントした。しかし、僅差や同点の場面で打ち込まれるパターンが多く、1勝6敗、防御率3.34、救援失敗数は両リーグ最多タイの8度[2]と、不本意なシーズンとなってしまった。チームも前半戦は首位につけるが、後半戦で一気に失速し、5位に低迷。
テンプレート:Byは右肩痛からの回復を目指し二軍でリハビリを続けていたが一軍での登板がなく、9月29日に今季限りでの現役引退を発表した[3]。10月6日の本拠地最終戦となった対オリックス戦の試合後に、同じく今季限りでの現役引退を表明した小野晋吾と共に引退セレモニーを行い、マウンドに立ち打席に立ったサブローに対し三球三振に打ち取り、ファンへの挨拶の後ナインに胴上げされ、グラウンドを1周した[4]。
引退後
テンプレート:ByからはFOX SPORTS ジャパンBASEBALL CENTERと千葉テレビ放送CTCマリーンズナイターにて野球解説者として活動する。2014年5月13・15日RKBラジオ(制作はTBSラジオ)で放送の「千葉ロッテ×福岡ソフトバンク」中継でも解説を担当している。
プレースタイル
平均球速約144km/h[5]、最速95mph(約153km/h)のストレート、スライダー、フォーク、チェンジアップなど。球威のある直球を主体に落ちる変化球を織り交ぜる強気な投球スタイルが持ち味。メジャーでは2009年に95mph(約153km/h)を計測し、2010年5月24日の対阪神戦では2球連続で151km/hをマークするなど、直球は40代にさしかかっても140キロ台後半の球威を保っていた。
人物
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 父親は、尾崎行雄を擁した浪商高校の1961年の夏の甲子園優勝時のメンバーである。上宮高校時代は同級生であった中村豊(現阪神コーチ)の家に居候していた。
オリックスに在籍していたイチロー(現・マリナーズ)に死球を当ててしまい謝りに行ったが冗談で「顔が笑っている」と言われて取り合ってもらえなかった。後に薮田は「僕は笑ってなくても笑っているように見えるから。」と明かした。
登板時のテーマ曲はguns n' rosesの『welcome to the jungle』である。かつては AC/DCの『T.N.T』が使われていた。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ロッテ | 18 | 11 | 1 | 1 | 1 | 4 | 6 | 0 | -- | .400 | 376 | 92.0 | 79 | 8 | 29 | 0 | 3 | 58 | 5 | 0 | 39 | 37 | 3.62 | 1.17 |
テンプレート:By2 | 25 | 24 | 4 | 0 | 0 | 5 | 9 | 0 | -- | .357 | 621 | 146.1 | 144 | 16 | 48 | 2 | 2 | 74 | 7 | 2 | 69 | 64 | 3.94 | 1.31 | |
テンプレート:By2 | 17 | 16 | 2 | 0 | 0 | 2 | 9 | 0 | -- | .182 | 448 | 100.1 | 123 | 15 | 40 | 1 | 1 | 45 | 8 | 6 | 61 | 54 | 4.84 | 1.62 | |
テンプレート:By2 | 12 | 10 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 0 | -- | .556 | 260 | 57.0 | 68 | 9 | 30 | 0 | 2 | 33 | 3 | 1 | 33 | 31 | 4.89 | 1.72 | |
テンプレート:By2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 31 | 6.2 | 9 | 3 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 10 | 13.50 | 1.65 | |
テンプレート:By2 | 27 | 13 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | -- | .400 | 414 | 97.1 | 94 | 15 | 40 | 1 | 3 | 70 | 4 | 0 | 46 | 42 | 3.88 | 1.38 | |
テンプレート:By2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 52 | 11.1 | 16 | 4 | 4 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 11 | 11 | 8.74 | 1.76 | |
テンプレート:By2 | 17 | 13 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | -- | .455 | 304 | 68.2 | 74 | 12 | 27 | 1 | 2 | 44 | 3 | 0 | 45 | 45 | 5.90 | 1.47 | |
テンプレート:By2 | 66 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 2 | -- | .429 | 328 | 77.1 | 62 | 4 | 34 | 4 | 3 | 71 | 2 | 1 | 26 | 24 | 2.79 | 1.24 | |
テンプレート:By2 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | 2 | 19 | .636 | 220 | 55.2 | 42 | 7 | 13 | 1 | 2 | 54 | 1 | 0 | 20 | 19 | 3.07 | 0.99 | |
テンプレート:By2 | 47 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1 | 18 | .667 | 232 | 55.0 | 43 | 3 | 26 | 4 | 0 | 48 | 0 | 0 | 19 | 16 | 2.62 | 1.25 | |
テンプレート:By2 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 4 | 34 | .400 | 264 | 62.2 | 64 | 5 | 10 | 2 | 2 | 45 | 1 | 0 | 21 | 19 | 2.73 | 1.18 | |
テンプレート:By2 | KC | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 168 | 37.2 | 41 | 6 | 17 | 0 | 0 | 25 | 1 | 0 | 21 | 20 | 4.78 | 1.54 |
テンプレート:By2 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 77 | 14.0 | 29 | 3 | 7 | 0 | 0 | 9 | 4 | 0 | 21 | 21 | 13.50 | 2.57 | |
テンプレート:By2 | ロッテ | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 1 | 28 | .286 | 277 | 65.2 | 59 | 9 | 22 | 0 | 3 | 57 | 2 | 0 | 26 | 23 | 3.15 | 1.23 |
テンプレート:By2 | 53 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 31 | 5 | .333 | 217 | 56.2 | 38 | 4 | 13 | 1 | 0 | 57 | 1 | 0 | 11 | 11 | 1.75 | 0.90 | |
テンプレート:By2 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 26 | 8 | .143 | 250 | 56.2 | 58 | 4 | 22 | 6 | 3 | 43 | 0 | 0 | 22 | 21 | 3.34 | 1.41 | |
NPB:15年 | 520 | 93 | 7 | 1 | 1 | 48 | 72 | 67 | 112 | .400 | 4294 | 1009.1 | 973 | 118 | 360 | 23 | 26 | 710 | 37 | 10 | 459 | 427 | 3.81 | 1.32 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB:2年 | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 245 | 51.2 | 70 | 9 | 24 | 0 | 0 | 34 | 5 | 0 | 42 | 41 | 7.14 | 1.82 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最優秀中継ぎ投手:1回(2007年)
表彰
- JA全農Go・Go賞(救援賞:2011年7月)
- 千葉市市民栄誉賞(2006年)
記録
- 初記録
- 初登板:1996年5月31日、対オリックス・ブルーウェーブ9回戦(グリーンスタジアム神戸)、3回裏に2番手として救援登板、4回1失点
- 初奪三振:同上、3回裏に小川博文から
- 初先発:1996年6月20日、対西武ライオンズ12回戦(千葉マリンスタジアム)、5回0/3を2失点
- 初勝利・初先発勝利:1996年7月16日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(千葉マリンスタジアム)、8回1/3を無失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1996年7月30日、対近鉄バファローズ14回戦(藤井寺球場)
- 初セーブ:2004年8月10日、対大阪近鉄バファローズ20回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に5番手として救援登板・完了、1回無失点
- 初ホールド:2005年4月19日、対北海道日本ハムファイターズ5回戦(札幌ドーム)、8回裏に2番手として救援登板、1回無失点
- 節目の記録
- 500試合登板:2012年8月4日、対オリックス・バファローズ13回戦(京セラドーム大阪)、7回裏1死に4番手として救援登板、2/3回無失点 ※史上88人目
- 1000投球回数:2012年8月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス19回戦(QVCマリンフィールド)、9回表2死目に聖澤諒を左飛で達成 ※史上329人目
背番号
- 20 (1996年 - 2007年)
- 27 (2008年)
- 57 (2009年)
- 49 (2010年 - 2013年)
登録名
- 藪田 安彦 (やぶた やすひこ、1996年 - 2007年)
- 薮田 安彦 (やぶた やすひこ、2010年 - 2013年)
脚注
- 元の位置に戻る ↑ 2007年に薮田がロイヤルズへ、小林雅はインディアンズへ、藤田は戦力外通告を受けて巨人へ移籍したため、YFKの3人が同時にロッテを去った。
- 元の位置に戻る ↑ セ・リーグでは岩瀬仁紀が記録
- 元の位置に戻る ↑ 薮田投手 引退のお知らせ
- 元の位置に戻る ↑ 小野&薮田 涙、涙の引退セレモニースポーツニッポン2013年10月6日配信
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite book
関連項目
外部リンク
テンプレート:2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 テンプレート:パシフィック・リーグ最優秀中継ぎ投手 テンプレート:千葉ロッテマリーンズ1995年ドラフト指名選手