売国奴
テンプレート:出典の明記 売国奴(ばいこくど)とは、売国行為(後述)を行う者へ投げ付けられる非難、レッテル。国賊(こくぞく)も当項目で解説する
目次
概説
「国賊」が「自国の独立や尊厳、利益を故意(または過失)により傷つける者」、「非国民」が「思想・信条その他において異質であり国民の統一や一体性を乱すもの」という意味合い・ニュアンスであるのに対して、「売国奴」という言葉は「母国を外国に売って私益を図る奴」を指している。
注意しなければならないことは、定義は「個々人の主観とイデオロギーに基づく部分が大きい」という点である。ある人の主観での「愛国的行為」が、別の人の主観では「売国的行為」である場合は珍しくない。模型的な例を挙げれば、ある国家が敵対勢力と戦争をすることは、タカ派やジンゴイズムの人にとっては「国益と自国の平和・安全のために敵を粉砕する愛国的行為」であっても、ハト派の人にとっては「一部の勢力(軍産複合体、母国を上回る国力の同盟国など)の意向に奉仕し、自国の独立を危うくする売国的行為」であるかもしれない。
売国
売国(ばいこく)とは、祖国に対するスパイ、国民に対する背信行為など、自国を害し敵国を利するようなことをおこない、私利を得ることを指す。
英語では、「Traitor」という訳語が充てられるが、原義は「反逆者」「非国民」である。ナチス・ドイツで反英プロパガンダ放送に従事したアイルランド人ホーホー卿(ウィリアム・ジョイス)は第二次世界大戦後、大逆罪に問われ処刑された。ナチスの占領地域では対独協力者(コラボラシオン)が戦後になって売国行為を行ったとして反逆罪などに問われた。中でもノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングは売国奴の代名詞として著名であり、「テンプレート:仮リンク」は売国奴を意味する単語として辞書に掲載されている。
同じく、東京で対連合国軍向けプロパガンダ放送のアナウンサーであった東京ローズ(アイヴァ・ダキノ)も戦後、反逆者を着せられ米国の市民権を剥奪された。韓国では日本統治時代に大日本帝国に同調する行為を行なった者たちは「親日反民族行為者」の一覧に掲載され、韓国併合は正しかったと主張して日本を弁護したりする人は親日派と呼ばれ軽蔑されている。
現在の日本においては、外国と通謀して武力を行使させた者に適用される外患誘致罪は死刑をもって適用するという、日本の刑法でもっとも重い罪である。
「売国奴」という語を発する人々
アメリカ合衆国の黒人差別における「アンクル・トム」のような存在から「自分は本来体制側にいるべき人物である」という思想(あるいはイデオロギー)を持って発せられることも多い。
また、いみじくもヘルマン・ゲーリングがニュルンベルク裁判で供述したように、右翼全体主義・ジンゴイズム・国家主義支配層が、野党・政敵・反体制派(=平和を求める人々)に「裏切り者」、「民衆の敵」のレッテルを貼って攻撃し黙らせるのには、「売国奴」、「非国民」は常套句である。左翼全体主義における常套句は「資本家の手先(または「走狗」)」であるが、「売国」「反民族的」という左翼民族主義的なフレーズもよく使われる。つまり左右勢力がおたがいに相手勢力を「売国奴」と罵り合うという事態がしばしば生じる。
戦前・戦中の日本では軍部も盛んに使ったが、政党政治家や社会主義者も政敵に対しこの言葉をしばしば使った。国家が全体主義体制、軍国主義体制、または恐怖政治にあるとき、この体制になびく者から現状に疑問を持つ者に対して発せられることも多い。
第二次世界大戦後の日本においても、中曽根税制改革による法人税収・所得税収の激減による政府の債務膨張(「中曽根税制改革による税収毀損」)を「経団連の賄賂になびいて国庫を売り税金逃れを幇助した」と非難したり、聖域なき構造改革による日本の経済のアメリカナイゼーション、団塊世代の60歳年金生活入りによる経団連の人件費削減への協力が、「経団連から年金へ人件費負担がなすり付けられることに加担した構造改革利権」売国行為として批判されることがある。さらに左翼系の政治家や団体、マスコミやその関係者に対してもこの語が用いられる傾向にある。
日本における「売国」「売国奴」の変貌
テンプレート:独自研究 言葉の純粋な意味としては、国益に反する行為を非難糾弾する場合に使われる。ただし、何をもって「国益」あるいは「売国」と定義するかは、上記のように個々人の主観とイデオロギーに基づく部分が大きいため、注意を要する。
幕末期、大老井伊直弼は、急進的な尊王攘夷論と開化を唱え始めた一橋慶喜派と、長州藩の吉田松陰、福井藩の橋本左内らを売国勢力と位置付けて処罰した(安政の大獄)。
明治時代、「征韓論」をめぐって政府が割れ、江藤新平、西郷隆盛らは政府を売国と位置付け兵をあげた(西南戦争)。そのため一部の佐幕派・大名、公家や幕臣からは元勲(薩長土肥)を売国奴として位置付けたり、幕臣や旗本、御家人でありながら明治政府に出仕して爵位を貰う勝海舟や榎本武揚らを二君に仕えた売国奴として糾弾する動きもあった(痩我慢の説、栗本鋤雲)。政府内では山県有朋が、社会主義を売国であると批判して、長州藩・薩摩藩の藩閥政治に従わない者を露骨に冷遇し、治安維持法などで取り締まった。
近代に入ってから、愛国者が売国奴と定義して引き起こした主な事件では、小山豊太郎による「李鴻章暗殺未遂事件」や日露戦争後の日比谷焼打事件に始まり、玄洋社による「大隈重信爆殺未遂事件」、陸・海軍の青年将校[1]による「五・一五事件」、「二・二六事件(昭和維新)」、日蓮宗の僧侶による「血盟団事件」、「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」、山口二矢による「浅沼稲次郎暗殺事件」、野村秋介による「河野一郎邸焼き討ち事件」・「経団連襲撃事件」、日本皇民党による「皇民党事件」、右翼団体大日本同胞会幹部による「加藤紘一宅放火事件」、指定暴力団山口組系右翼活動家による民主党の「石井紘基刺殺事件」などが知られている。
日清戦争、日露戦争、世界大戦や冷戦を経て、近年では、日本の技術の中国や韓国などアジアへの流出や、日本の国益に基づかないと見なされた高額のODAや円借款、官僚による税金浪費、天下り問題、官製談合、構造改革による外資系企業への「日本売り」、ダム建設や原子力発電所建設推進による国土破壊、外国人参政権、朝鮮学校の授業料無償化の導入推進、領土問題に関する行動[2]、パチンコやマルチまがい商法を始めとする法のグレーゾーンを突いた産業への支援、治外法権温存、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加による日本の内需産業・農業破壊などを「売国行為」、「売国奴」とする傾向もある。
国賊
売国が所謂、自国の国益より私利私欲を優先する行為に対して、「国賊」は自国に対して刃を向ける者を指す。例えば、ブラジルで第2次世界大戦終戦時に日本人が多数住んでいたブラジルで、日本の敗戦を信じる所謂「負け組」を敗戦を信じない「勝ち組」が「国賊」と見なして襲撃した事が有る。似た意味で「逆賊」(ぎゃくぞく)もある。
日本での使用例
日本では、反日・反国家・反国体とされる行為について「国賊」と見なされる事があり、より狭義には国家転覆を目論む行為などを指す。また、皇国史観の影響などから、天皇や皇室への冒涜とされる行為も「国賊」と見なされる事がある。
このほか、政治家が自身の見解やイデオロギーと異なる言動を行ったものに対して用いる場合もある。一例として、首相経験者が日本国外において日本政府の公式見解と異なる主旨の発言を行ったことに対し、現職閣僚が用いた事例がある[3]。
フランスでの使用例
フランスではラ・マルセイエーズの4番に「国賊」が使われている。この曲はフランス革命期に作られたため、フランスでは反革命派が国賊と見なされる事があり、5番においては反革命・王党派であったフランソワ・クロード・ド・ブイエ将軍を名指しした歌詞があり、実質現在においても「国賊」扱いされている。ナチス・ドイツによるフランス占領期にはヴィシー政権をはじめとする多くの対独協力者が生まれた(コラボラトゥール)。連合軍によるフランス解放後、彼らは処罰や迫害を受けた(テンプレート:仮リンク)。
中国での使用例
テンプレート:Main 中国では漢民族、もしくは中国国家に対する「売国行為」を行った者を漢奸と呼ぶ。清時代に出来た言葉であり、日中戦争中に大日本帝国に協力した、汪兆銘政権をはじめとする中国人も漢奸と呼ばれ、多くが処刑された。この対象には川島芳子(愛新覺羅顯㺭)のような中国出身者は含まれるが、李香蘭(山口淑子)のような日本民族出身者は含まれない。また周作人のような知日派の文化人も文化漢奸とされ、蟄居させられた。