大逆罪
大逆罪(たいぎゃくざい)とは、日本において明治15年(1882年)に施行された旧刑法116条、および大日本帝国憲法制定後の明治41年(1908年)に施行された現行刑法73条(昭和22年(1947年)に削除)が規定していた、天皇、皇后、皇太子などに危害を加える事を指した犯罪類型。日本以外の君主制国家では皇帝や王に叛逆し、また、謀叛をくわだてた犯罪を大逆罪と呼ぶことがある。
近代国家としての日本の統治機構の根幹として国体(天皇制)を重視した大日本帝国憲法体制下の刑法典においては大逆罪を最も重大な罪の一つとした。
条文
- 旧刑法第116条
- 天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
- 1947年改正前の刑法第73条
- 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
概要
明治13年(1880年)に公布され、2年後に施行された(旧)刑法において導入された。
その特徴として、
- 天皇・三后(太皇太后、皇太后、皇后)・皇太子(新刑法では皇太孫が追加)に対する既遂のほか、未遂や予備(準備)や陰謀などの計画段階にあっても既遂犯と同じ処罰対象とみなされた。
- 適用される刑罰が死刑のみであった。尊属殺人罪や内乱罪のような重大犯罪でも無期懲役が適用される可能性があったが、大逆罪にはそれがなかった。
- 三審制が適用されず、大審院での一審のみでの裁判で刑罰が確定した。
の以上3点が挙げられる。
適用例
大逆罪の適用例は4件であり、うち既遂はなく、未遂は2件、予備・陰謀が2件であり、予備・陰謀事件のなかには無実の者が含まれていたとされている。特に、最初の適用例であり、最も著名な例である幸徳事件は26名の被告人のうち実際に陰謀を計画したのは数名であったが、24名に死刑判決が下された。しかし、天皇の「仁慈」によってうち12名が無期懲役に減刑された。
廃止
第二次世界大戦後、日本国憲法の制定とともに関連法制の改正が行われた際に、大逆罪などの「皇室に対する罪」の改正は当初予定されてはいなかった。なぜならば、新憲法でも天皇は国家及び国民統合の「象徴」であり、それを守るための特別の刑罰は許されると解釈されていたためである。これに対して、GHQは大逆罪などの存続は国民主権の理念に反するとの観点からこれを許容しなかった。当時の内閣総理大臣吉田茂みずからがGHQの説得にあたったものの拒絶され、ついに政府も大逆罪以下皇室に対する罪の廃止に同意せざるをえなくなった。テンプレート:要出典