国際数学オリンピック
テンプレート:国際科学オリンピック 国際数学オリンピック(International Mathematical Olympiad, IMO)は、毎年行われる高校生を対象とした数学の問題を解く能力を競う国際大会である。
目次
概要
旧共産圏に源を発し、西側諸国そして中近東へと参加が拡大してきた。テストは2日間あり、各1日4時間半で3問ずつに挑戦する。各問題は7点満点で採点され、満点は42点である。採点の結果、上位テンプレート:Sfracには金メダル、次のテンプレート:Sfracには銀メダル、次のテンプレート:Sfracには銅メダルが授与される。出題範囲は概ね高校2年生程度までで微積分、確率・統計、行列は含まない。ただし、日本の高校の指導要領から外された単元に関わっている問題はある。
日本は1990年の第31回北京大会より参加した。1カ国あたり、最大6人の選手が参加できる。2009年のブレーメン(ドイツ)大会では、104カ国・地域565人が参加した。日本から参加するには、日本数学オリンピックに参加し、上位入賞する必要がある。倍率は約150倍である。
フィールズ賞受賞者には、過去に数学オリンピックで上位入賞した者も多い。年齢制限に下限は存在しないので、高校生以下の学生も参加可能。テレンス・タオは最年少メダル獲得者である。チプリアン・マノレスクは「三回出場し、三回全問満点」を成し遂げた唯一の出場者である。
派生大会
中学生以下対象「国際数学競技会」は各国持ち回りの大会。略称は「IMC」。日本は2013年にチーム順位第1位に輝いた。台湾人が「コンペティション」と表記した会からの参加で、日本数学オリンピックのサイトにはそれが採用されているが、「コンテスト」表記を用いる国もあり一定していない。一カ国複数チームの応募が可能。
大学学部生対象「国際数学コンペティション」が存在する。コンペティションでは回答に用いる言語は英語である。日本人を含むアジア人の上位入賞者は一切存在しない。おもに、東ヨーロッパとロシアの参加が目立つ。人数制限は存在しないが、所属大学の明示が必要。
テンプレート:日本語版にない記事リンクは毎年中華人民共和国で開催されている女性限定の数学オリンピック。日本は2011年より参加していたが、鳥インフルエンザの問題などで[1]、2013年以降日本選手は派遣されていない。テストは2日間であり、各1日4時間で4問ずつに挑戦する。メダル配分のルールは同じ。
テンプレート:日本語版にない記事リンクはヨーロッパの各都市が持ち回りで行い、2012年から毎年行う予定。
過去の数学オリンピック
回 | 年 | 参加 国数 |
開催地 | 順位 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | ||||
1 | 1959年 | 7 | ブラショフ、ブカレスト(ルーマニア) | |||||
2 | 1960年 | 5 | シナヤ(ルーマニア) | |||||
3 | 1961年 | 6 | ヴェスプレーム(ハンガリー) | |||||
4 | 1962年 | 7 | チェスケー・ブジェヨヴィツェ(チェコスロバキア) | |||||
5 | 1963年 | 8 | ワルシャワ、ブロツワフ(ポーランド) | |||||
6 | 1964年 | 9 | モスクワ(ソビエト連邦) | |||||
7 | 1965年 | 10 | ベルリン(東ドイツ) | |||||
8 | 1966年 | 9 | ソフィア(ブルガリア) | |||||
9 | 1967年 | 13 | ツェティニェ(ユーゴスラビア) | |||||
10 | 1968年 | 9 | モスクワ(ソビエト連邦) | |||||
11 | 1969年 | 14 | ブカレスト(ルーマニア) | |||||
12 | 1970年 | 14 | ケストヘイ(ハンガリー) | |||||
13 | 1971年 | 15 | ジリナ(チェコスロバキア) | |||||
14 | 1972年 | 15 | トルン(ポーランド) | |||||
15 | 1973年 | 16 | モスクワ(ソビエト連邦) | |||||
16 | 1974年 | 16 | エアフルト、ベルリン(東ドイツ) | |||||
17 | 1975年 | 17 | ブルガス、ソフィア(ブルガリア) | |||||
18 | 1976年 | 19 | リエンツ(オーストリア) | |||||
19 | 1977年 | 20 | ベオグラード(ユーゴスラビア) | |||||
20 | 1978年 | 17 | ブカレスト(ルーマニア) | |||||
21 | 1979年 | 23 | ロンドン(イギリス) | |||||
22 | 1981年 | 27 | ワシントンD.C.(アメリカ) | |||||
23 | 1982年 | 30 | ブダペスト(ハンガリー) | |||||
24 | 1983年 | 32 | パリ(フランス) | |||||
25 | 1984年 | 34 | プラハ(チェコスロバキア) | |||||
26 | 1985年 | 38 | ヨウツァ(フィンランド) | |||||
27 | 1986年 | 37 | ワルシャワ(ポーランド) | |||||
28 | 1987年 | 42 | ハバナ(キューバ) | |||||
29 | 1988年 | 49 | シドニー、キャンベラ(オーストラリア) | |||||
30 | 1989年 | 52 | ブラウンシュヴァイク(西ドイツ) | |||||
31 | 1990年 | 54 | 北京(中国) | |||||
32 | 1991年 | 55 | シグツーナ(スウェーデン) | |||||
33 | 1992年 | 56 | モスクワ(ロシア) | |||||
34 | 1993年 | 73 | イスタンブル(トルコ) | |||||
35 | 1994年 | 69 | 香港 | |||||
36 | 1995年 | 73 | トロント(カナダ) | 中国 | ルーマニア | ロシア | ベトナム | ハンガリー |
37 | 1996年 | 75 | ボンベイ(インド) | ルーマニア | アメリカ | ハンガリー | ロシア | イギリス |
38 | 1997年 | 82 | マルデルプラタ(アルゼンチン) | 中国 | ハンガリー | イラン | ロシア | アメリカ |
39 | 1998年 | 76 | 台北(台湾) | イラン | ブルガリア | アメリカ ハンガリー |
台湾 | |
40 | 1999年 | 81 | ブカレスト(ルーマニア) | 中国 ロシア |
ベトナム | ルーマニア | ブルガリア | |
41 | 2000年 | 82 | 大田(韓国) | 中国 | ロシア | アメリカ | 韓国 | ブルガリア ベトナム |
42 | 2001年 | 83 | ワシントンD.C.(アメリカ) | 中国 | アメリカ | ロシア | ブルガリア 韓国 |
|
43 | 2002年 | 84 | グラスゴー(イギリス) | 中国 | ロシア | アメリカ | ブルガリア | ベトナム |
44 | 2003年 | 82 | 東京(日本) | ブルガリア | 中国 | アメリカ | ベトナム | ロシア |
45 | 2004年 | 89 | アテネ(ギリシャ) | 中国 | アメリカ | ロシア | ベトナム | ブルガリア |
46 | 2005年 | 91 | メリダ(メキシコ) | 中国 | アメリカ | ロシア | イラン | 韓国 |
47 | 2006年 | 90 | リブリャナ(スロベニア) | 中国 | ロシア | 韓国 | ドイツ | アメリカ |
48 | 2007年 | 93 | ハノイ(ベトナム) | ロシア | 中国 | ベトナム 韓国 |
アメリカ | |
49 | 2008年 | 97 | マドリッド(スペイン) | 中国 | ロシア | アメリカ 韓国 |
イラン | |
50 | 2009年 | 104 | ブレーメン(ドイツ) | 中国 | 日本 | ロシア | 韓国 | 北朝鮮 |
51 | 2010年 | 96 | アスタナ(カザフスタン) | 中国 | ロシア | アメリカ | 韓国 | カザフスタン タイ |
52 | 2011年 | 101 | アムステルダム(オランダ) | 中国 | アメリカ | シンガポール | ロシア | タイ |
53 | 2012年 | 100 | マルデルプラタ(アルゼンチン) | 韓国 | 中国 | アメリカ | ロシア | カナダ |
54 | 2013年 | 97 | サンタ・マルタ(コロンビア) | 中国 | 韓国 | アメリカ | ロシア | 北朝鮮 |
54 | 2014年 | 101 | ケープタウン(南アフリカ) | 中国 | アメリカ | 台湾 | ロシア | 日本 |
今後の開催予定
日本の順位
国際数学オリンピック
(日本の順位、獲得メダル数)
- 1990年 - 20位(銀2, 銅1)
- 1991年 - 12位(銀3, 銅3)
- 1992年 - 8位(金1, 銀3, 銅1)
- 1993年 - 20位(銀2, 銅3)
- 1994年 - 10位(金1, 銀2, 銅3)
- 1995年 - 9位(金1, 銀3, 銅2)
- 1996年 - 11位(金1, 銀3, 銅1)
- 1997年 - 12位(金1, 銀3, 銅1)
- 1998年 - 14位(金1, 銀1, 銅3)
- 1999年 - 13位(金2, 銀4)
- 2000年 - 15位(金1, 銀2, 銅3)
- 2001年 - 13位(金1, 銀3, 銅2)
- 2002年 - 16位(金1, 銀3, 銅1)
- 2003年 - 9位(金1, 銀3, 銅2)
- 2004年 - 8位(金2, 銀4)
- 2005年 - 8位(金3, 銀1, 銅2)
- 2006年 - 7位(金2, 銀3, 銅1)
- 2007年 - 6位(金2, 銀4)
- 2008年 - 11位(金2, 銀3, 銅1)
- 2009年 - 2位(金5, 銅1)
- 2010年 - 7位(金2, 銀3)
- 2011年 - 12位(金2, 銀2, 銅2)
- 2012年 - 17位(銀4, 銅1)
- 2013年 - 11位(銀6)
- 2014年 - 5位(金4, 銀1, 銅1)
中国女子数学オリンピック
- 2012年 - (金1, 銀1, 銅2)
日本人満点
- 片岡俊基(2005年)
- 栗林司 (2005年)
- 副島真(2009年)
日本人金メダリスト
国際数学オリンピック
- 児玉大樹(筑波大学附属駒場高等学校) - 1992年(11位)
- 高橋悟(灘高等学校) - 1994年(23位)
- 丸岡哲之(開成高等学校) - 1995年(15位), 1997年(7位)
- 中島さち子(フェリス女学院高等学校) - 1996年(7位)
- 長尾健太郎(開成高等学校) - 1998年(7位), 1999年(37位), 2000年(28位)
- 伊藤淳(武蔵高等学校) - 1999年(28位)
- 尾高悠志(筑波大学附属駒場高等学校) - 2001年(38位)
- 今井直毅(灘高等学校) - 2002年(29位)
- 西本将樹(灘高等学校) - 2003年(29位)、2004年(33位)
- 清水俊宏(早稲田実業学校高等部) - 2004年(28位)
- 栗林司(筑波大学附属駒場高等学校) - 2005年(1位)
- 片岡俊基(高田高等学校) - 2005年(1位)、2007年(7位)
- 渡部正樹(筑波大学附属駒場高等学校) - 2005年(23位), 2006年(21位)
- 大橋祐太(筑波大学附属駒場高等学校) - 2006年(13位)
- 副島真(筑波大学附属駒場高等学校) - 2007年(19位), 2008年(12位), 2009年(1位)
- 関典史(灘高等学校) - 2008年(35位)
- 滝聞太基(筑波大学附属駒場高等学校) - 2009年(12位)
- 保坂和宏(開成高等学校) - 2009年(8位)
- 今村志郎(灘高等学校) - 2009年(27位)
- 岸川滉央(久留米大学附設高等学校) - 2009年(4位), 2010年(9位)
- 井上秀太郎(灘高等学校) - 2010年(27位)
- 吉田健祐(筑波大学附属駒場高等学校) - 2011年(6位)
- 山本悠時(東海高等学校) - 2014年(5位)
- 隈部壮(筑波大学附属駒場高等学校) - 2014年(12位)
- 早川知志(洛星高等学校) - 2014年(26位)
- 上苙隆宏(早稲田高等学校) - 2014年(40位)
中国女子数学オリンピック
- 葛西祐美(東京都立国立高等学校)- 2012年
ヨーロッパ女子数学オリンピック
日本人総出場回数上位者
5回出場
- 大島芳樹(筑波大学附属駒場中学・高等学校) - 1999, 2000, 2001, 2002, 2003年
4回出場
- 丸岡哲之(開成中学・高等学校) - 1994, 1995, 1996, 1997年
- 長尾健太郎(開成中学・高等学校) - 1997, 1998, 1999, 2000年
- 今井直毅(灘中学・高等学校) - 1999, 2000, 2001, 2002年
- 片岡俊基(高田中学・高等学校) - 2004, 2005, 2006, 2007年
- 副島真(筑波大学附属駒中学・高等学校) - 2005, 2007, 2008, 2009年
問題点
この項目は、IMOオフィスの開示したデータと2015年大学入試から実施される新学習指導要領を出典としています。詳しくはIMOウェブサイトを参照してください。
日本の傾向
日本は1990年に初めて参加したものの、20位に終わった[2]。この回の日本勢の成績は、新聞やラジオでも報じられたが、初参加だったためか詳細については触れられなかった。
日本人の作成した問題は2011年度アムステルダム大会から[3] 採択され始めた。IMOは現在ショートリストも公開するようになっており、これまでにも日本人の作成した問題は有力候補には数回挙げられていた。
日本勢は2005年と2009年に満点獲得者がいるが、これをもって「楽勝」と考えるのは早合点である。たとえば、2013年の6問目は全ての日本勢が0点に終わった。(近年「難易度順に問題は並んでいないから注意せよ」という警告も出されたが、全体の傾向としては最後の問題は超難問である。)
世界の動向
問題点の一つに、参加国の増加が挙げられる。ソ連崩壊後は、さらに増えてしまった。当初の原則の一カ国一チームが、非常に不利であるという指摘がなされている。ヨーロッパの小国は、大した障害もなく一チームを組める一方で、悲惨な成績になることが指摘され続けている。問題の癖もあったにせよ、ノルウェーは2012年度は79位とワースト記録をたたき出してしまった。「学力世界一」を謳うフィンランドは、ここ10年は全く上位に食い込めていないばかりか、成績が上がる勢いは一切感じられない(かつては上位陣に食い込んだ強豪国であった)。これは国際数学オリンピック開催当初の「国別対抗」規定に原因がある。
安定して高い成績を上げる国がある一方で、順位の年毎の変動が非常に大きすぎる国もあり、これらのデータから「不正」を指摘する声も根強い。癖のある問題を出題すると、多くの国の成績が目に見えて低下するにもかかわらず、順位が急激に上がる国の存在があるのがその証拠である。アスタナ大会でカザフスタンは2度目の上位10番以内を手にしたが、ワシントン大会とアスタナ大会以外ではそのようなことはない。このことから、国際数学オリンピックをスルーして最初から国際数学コンペティションに照準を絞る学生も東ヨーロッパに多く、旧共産圏が高得点を以前ほどたたき出していないのはこのような事情もあると考えられる。
かつて共産政権が存在した頃は、ルーマニアやハンガリーなどのソ連の衛星国は高い順位を誇っていた[4](旧東ドイツは総合1位だったことがある)ものの、それらの政権の崩壊と同時に教育への支援も財政面から打ち切られ、現在の順位はそれほどではなくなった。その一方で中近東やアジアの熱意は目覚しいものがあり、これらの国と順位が入れ替わっている。ルーマニアは1959年の第1回で総合1位であったほどの有数の強豪国であったのに、2013年度は22位とワースト記録をたたき出してしまった。
IMOショートリストには、かつて作成したチームの国名が、問題ごとに記されていた。2012年に発表された2011年度IMOショートリストからカットされ、作成国の全体が冒頭に提示されるだけに留められている。ショートリストは作成後、1年間は開示できない。今後もカットされるのかどうかは不明。
国際数学オリンピックで上位入賞を果たしたロシアや東ヨーロッパ出身の人物は、国際数学コンペティションにも挑戦することが慣例だが、中近東やアジア勢がこのコンペティションで上位に食い込んだ痕跡は一切ない。
国際数学オリンピックに出場したフィールズ賞受賞者
- グレゴリー・マルグリス - 1962年:金
- ウラジーミル・ドリンフェルト - 1969年:金
- ジャン=クリストフ・ヨッコス - 1973年:銀, 1974年:金
- リチャード・ボーチャーズ - 1977年:銀, 1978年:金
- ウィリアム・ティモシー・ガワーズ - 1981年:金
- グリゴリー・ペレルマン - 1982年:金(ただし本人はフィールズ賞の受賞を辞退)
- ローラン・ラフォルグ - 1984年:銀, 1985年:銀
- スタニスラフ・スミルノフ - 1986年:金, 1987年:金
- テレンス・タオ - 1986年:銅, 1987年:銀, 1988年:金
- ゴ・バオ・チャウ - 1988年:金, 1989年:金