ゲイ・パレード

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2009年にブラジルで開催された第13回「サンパウロ・ゲイ・プライドパレード」。 2006年に推計250万人の参加者を集めた世界最大のプライド・パレードとしてギネス世界記録に認定されており、2009年には更に多い320万人が参加している。

ゲイ・パレード(またはプライド・パレードプライド・マーチLGBTプライド・パーレードプライド・イベントプライド・フェスティバル)は、レズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダー(LGBT)文化を讃えるイベントをさす言葉。各時代における法的権利(同性結婚や反差別など)を求めるLGBTの社会運動の場ともなってきた。イベントは世界中の様々な都市で、ストーンウォールの反乱を記念した毎年6月を中心に行われている。

目次

ゲイ・パレードの起こりと展開

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1969年6月28日未明に、アメリカ合衆国ニューヨーク市内グリニッジ・ヴィレッジにあったゲイバーストーンウォール・イン(Stonewall Inn)」に警察の弾圧的手入れが行われ、これに端を発した数千人規模の暴動ストーンウォール暴動」が発生した[1]。この事件は世界中でLGBTの権利を求める声が拡まる大きな契機となり、事件の翌年(1970年)に行われた暴動発生1年を記念するデモンストレーションがアメリカ国内の各地で行われた。この時のデモが今日のプライド・パレードの始まりとされる。

パレードの名称

ストーンウォール暴動そのもの、またそれ以降の組織においても運動に関わった人物はゲイ男性に限らず、レズビアンやバイセクシュアル・トランスジェンダーの人々をはじめとしたあらゆる人々がいた[2]。現在の言葉で「クイア」や「LGBTコミュニティ」と呼ばれるものが実態ではあったものの、当時は「ゲイ」という言葉で同様の意味を表し、パレードの名称として使われていた。

1970年代終わりから80年代前半にかけて、ストーンウォール暴動に実際に参加していた人々やそれに呼応したデモンストレーションや活動団体などに参加していた世代は歳を重ね、他の問題に関心が移ったり、亡くなる人が多くなっていった。歴史的事件を直接体験していない次世代のメンバーが増えるに従って言葉の使われ方が厳密で差別的でないニュアンスに改められるようになり[3]、イベントの名称に使われていた「ゲイ」は「レズビアン&ゲイ」と変わり、今日では「LGBT」や「プライド」という言葉が使われている。日本においても「レインボーマーチ」(札幌)「レインボーパレード」(関西)という名称が使われ、東京のパレードでは2007年に「東京レズビアン&ゲイパレード」から「東京プライドパレード」に名称が変更されている。

現在のパレード

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ニューヨーク市内で開催されたゲイ・プライド・パレード(2008年)

現在のパレードは、アメリカではニューヨーク市のほかにサンフランシスコなどの性的少数者が比較的多いとされる大都市だけでなく、地方の小都市でも開かれる傾向にある。アメリカ以外では、シドニーおよびメルボルン(オーストラリア)、トロントカナダ)、ベルリンドイツ)、パリフランス)、サンパウロブラジル)、バンコクタイ)などのパレードが有名である。 性的少数者に対して寛容な都市ではパレードがフェスティバルやマルディグラのようなお祭り的な要素が多く盛り込まれる傾向にある。規模の大きなイベントではフロート車やダンサー、ドラァグクイーンやムードを盛り上げる音楽などの仕掛けが用意されている場合もあり、参加者のなかには地元の政治家やLGBTマーチンググループなど様々な政治・教育分野の人々、LGBTフレンドリーな教会団体、PFLAGなどストレート・アライの団体・人物、大企業のLGBT従業員組合などが加わることもある。

各地域のパレードが持つ独自の政治的・行動主義的な側面の他にも、多くのパレードにはAIDS禍やLGBTの人々に対する暴力の犠牲となった人々を追悼する場ともなっている。いくつかの重要なパレードには政府や企業スポンサーによるサポートがなされ、開催地の観光資源として広く宣伝がなされている。一部の国においてはプライド・フェスティバルと銘打ち、公園や歩行者天国の道路を使ってコンサート、ビールスタンド、コンテスト、スポーツイベント、ゲームなどを提供してカーニバルのような形態を取る都市もある。

サンパウロのように、百万人単位という動員を果たし、外貨獲得に貢献しているパレードもあれば、シドニー・マルディ・グラやロンドン・プライドのように、財政難から開催に黄信号が灯ったり、あるいはモスクワ・プライドのように当局から弾圧されるパレードもあり、経済・政治の影響を大きく受けつつ、世界各地において、新しい時代にふさわしいパレードのあり方が模索されている。 テンプレート:Clear

イベントへの反発

LGBTの人々・その他の人々の両方からプライドイベントに対する反発の声が存在している。ゲイ・シェイムをはじめとする批判的な立場の人々は、性やフェティッシュを強調したパレードがゲイ・コミュニティに対する冷ややかな評価を広めているといった声がある。またメディアの奇抜さを強調する取り上げ方に対する批判もある。これにはメディアで取り上げられることを目的により刺激的なコスチュームをする参加者の側への批判もあり、パロディ新聞「ジ・オニオン」はこの問題を風刺するフェイクニュース記事を配信している[4]

保守的な人々の一部は、公共の場におけるヌードやBDSMの強調、その他のセクシャリティに関連した点が公共のモラルに反しているとしてイベントに反対している。

議論

2011年3月に、トロント市長のロブ・フォードは「税金をヘイト・スピーチには使うべきでない」として、賛否のある反イスラエルのグループ「Queers Against Israeli Apartheid」 (QuAIA) がマーチに参加することを主催団体が認める場合はトロント・プライド・パレードへの資金援助をしないと表明した[5]。これに対してQuAIAがパレードの非参加を4月に発表している[6]

各国の著名なパレード

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日本

1994年8月28日、「東京レズビアン・ゲイ・パレード」が初開催されたのを皮切りに、毎年、国内の何処かで途切れることなく開催されている。 以下に各地のパレードについて記す。

東京

東京レズビアン・ゲイ・パレード

1994年8月28日、日本における最初のゲイ・パレードがILGA日本支部を中心とする実行委員会によって主催された(東アジアではフィリピン<同年6月>に続き2番目に早い開催)。回数を重ねる毎に参加者数を増やしたが、1996年8月25日開催の第3回において、運営・主催者側発言を巡り紛糾[7]、第4回以降は実質的な広報を行わずに小人数で開催された。

ダイクマーチ
  • 1997年10月10日体育の日に、レズビアン・バイセクシュアル女性を中心とするパレード「ダイクマーチ」が東京で開催された。参加者213名[8]。2013年8月現在に至るまで、日本国内において、女性自認のメンバーのみによって開催された唯一の性的マイノリティのためのパレードである。
セクシュアルマイノリティー・レイバーズマーチ
東京レズビアン&ゲイパレード《TLGP》/東京プライドパレード《TPP》

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  • 第一回目開催 2000年8月27日、「東京レズビアン&ゲイパレード(以下「TLGP」)2000」が開催され、約2000人の人々が渋谷界隈を歩いて性的少数者の存在をアピールした。前年の1999年まで別団体が主催していたパレードの名称とは、「レズビアン」と「ゲイ」の間に「&」が入っている点が異なっている。その後も2001年8月26日2002年9月8日にTLGPが開催され、3000名を超える参加者を動員した。
  • 中断、東京プライド設立、TLGP 2005、2006の開催 
しかし、ボランティアベースによる寄付金に頼った運営体制の困難さなどから、2003年は年頭に休止が決定された。2004年は開催が企画されるものの、最終的には休止となった。これらを教訓とし、2004年の秋から冬に掛け、2000年2002年の実行委員経験者の有志による「準備会」が開かれた。その結果、TLGPを運営する母体として「東京プライド」が設立された。運営母体である「東京プライド」が委嘱する形でTLGP2005の実行委員長を選出し、実行委員長と「東京プライド」メンバーが相談する形で、「TLGP2005実行委員会」が組織され、2005年8月13日、東京における3年ぶりのゲイ・パレード「TLGP 2005」が開催された(動員3,500人、主催者発表)。翌2006年8月12日には「TLGP 2006が開催された(動員3,800人、主催者発表)。
  • 「東京プライドパレード」として:2007年2010年<最終>(2008年・2009年・2011年・2012年は開催なし)
  • 名称変更、第6回東京プライドパレードの開催 「TLGP」の名称(レズビアン&ゲイ)について、他国のそれ(プライド)や札幌・大阪(レインボー)などに比べて限定的・排除的であるとして、他のセクシュアルマイノリティも包含する名称を求める声があがった。これを受け、東京プライド代表と実行委員会は「第6回東京プライドパレード」と名を改め、2007年8月11日に開催した(隊列参加者2,800人、主催者発表)。
  • 再度中断、再建、第7回の開催 東京プライドは2008年8月9日に第7回の開催を予定し実行委員会が設立されたが、中止・翌年に延期となった(理由は公式に発表されなかった)。その後、東京プライドを引き継いだ新代表はパレードの開催を2年置きにすることを決定し、2009年の開催はさらに延期となって第7回の開催は2010年8月14日(最終)となった。
  • 第8回の開催中止、東京プライド解散 2011年は震災の影響で中止とされていたが、2012年8月11日に第8回東京プライドパレードを開催予定と発表されていた。だが、代表の体調不良を理由に同年4月、突然の中止が発表された。
この発表を受け、主にTwitter内の有志による「緊急開催!Save the Pride!」が急遽開催された(後述)。東京プライドを引き継いだ最後の代表はその後もパレードの開催を模索したが、2013年4月30日、東京プライドは総会を開き、解散を決定した。
緊急開催!Save the Pride!
  • 2012年8月11日に「緊急開催!Save the Pride!」が開催され、600人がパレードに参加した[10]。この日は「第8回東京プライドパレード」の開催が予定されていたが、中止となった事を受けて企画・開催された。
東京レインボープライド《TRP》

2011年に新たに組織された主催団体による最初のパレードが2012年4月29日に開催され、渋谷・原宿を約2500人が歩き、沿道の応援なども含めると約4500人が参加した[11]テンプレート:誰範囲2が、後に東京プライドが中止を発表したため、分裂開催にはならなかった。

第二回「東京レインボープライド2013」が同年4月28日に開催され、会場と沿道全体での参加人数は約12,000人(主催者発表)に上った[12]

第三回「東京レインボープライド2014」が同年4月27日に開催され、会場と沿道全体での参加人数は約14,000人(主催者発表)に上った[13]

北海道

レインボーマーチ札幌

1996年6月に札幌ミーティング[14]のメンバーを中心とする実行委員会によって「第1回レズ・ビ・ゲイ・プライドマーチ札幌」の名称で開催された[15]

1997年6月および1998年8月に「セクシャル・マイノリティ・プライドマーチ」の名称で開催。1999年からは、現在の名称である「レインボーマーチ札幌」の名称で毎年9月に開催されている[16]。主催元は「レインボーマーチ札幌 実行委員会」。

2003年(第7回)から毎年、現職の札幌市長である上田文雄がパレード直後の集会にてスピーチを行なっている[17]。日本におけるゲイ・パレードで現職の自治体首長が挨拶を行なっているのは、現在のところ、この上田市長が唯一の事例である。また、2005年(第9回)のレインボーマーチの公式ガイドブックには、上田市長に加えて、北海道知事高橋はるみもメッセージを寄せている。

日本のゲイ・パレードにおいてフロート(トラックやオープンカーに派手な飾り付けをした、華やかな車両)が登場したのは、1999年の第4回レインボーマーチ in 札幌が最初である。また風船飛ばしは、2001年の第5回レインボーマーチ in 札幌から開始された。

レインボーマーチ札幌の実行委員経験者によって2006年3月、「NPO法人at」[18]が設立されている。

レインボーマーチ札幌は、2013年9月15日を最後に閉幕した[19]

京都

レインボーパレード

立命館大学ジェンダー/セクシュアリティにまつわる活動をしている有志の学生組織「 立命館大学 Gender Sexuality Project(GSP)」[20]が主催するパレード「レインボーパレード」が、学園祭にあわせて11月京都市内で開催されていた[21]

兵庫

神戸ゲイパレード/LGBTIQプライドマーチ in 神戸 2007

2006年5月13日兵庫で初のパレードである「神戸ゲイパレード」が開催された。このパレードは、神戸の大きな祭である「第36回 『緑と海、そして愛』 神戸まつり おまつりパレード」に参加する形を取った。

2007年5月12日に「LGBTIQプライドマーチ in 神戸 2007」として開催された。

大阪

関西レインボーパレード《関パレ》
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大阪で行われたプライド・パレード。(2006年

大阪市扇町公園で毎年開催されている、HIV予防・啓発イベント「PLuS+」(プラス、2006年10月21日開催[22])に合わせて、2006年10月22日に第1回目が行われた。事務局長は当時大阪府議であった尾辻かな子が務めた。

スタート地点は大阪中心部の中之島公園で、御堂筋を南下し、なんばの元町中公園がゴール地点である。第1回目の動員数は約900人(主催者発表)で、大阪府知事及び大阪市長のメッセージも紹介された。

2007年も「関西レインボーパレード2007」が開催され、1326人(主催者発表)の参加者があった。

2006年2010年2013年は10月、2011年2012年は11月に開催されている。

福岡

クィア・レインボー・パレード in 博多

2007年5月4日には、福岡で初のパレードである「クィア・レインボー・パレード in 博多 」(主催団体「QF3」)が行われた。このパレードは、全国的に有名な博多どんたく中に参加する形を取り、参加者は100名をこえた。

2008年にも2回目のパレードが開催された。

愛知

第1回虹色どまんなかパレード

名古屋初のLGBTパレード「第1回虹色どまんなかパレード」が2012年10月27日に開催された[23]

名古屋ではこれに先立ち、2005年以降、WADN「世界エイズデー in NAGOYA」[24]12月1日世界エイズデー)に名古屋市内でパレードを開催しており、同性愛者によるHIV/AIDSの予防・啓発団体などが運営参加している。

沖縄

沖縄市レインボーパレードin沖縄国際カーニバル2012

2012年11月24日に、沖縄で初のパレード「沖縄市レインボーパレードin沖縄国際カーニバル2012」が行われた。このパレードは沖縄市沖縄国際カーニバルの中の沖縄サンバカーニバルに参加する形を取った[25]

アフリカ

南アフリカ共和国

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ヨハネスブルク・プライドでマーチングする女性達。(2006年)

南アフリカ共和国はアフリカ大陸で唯一プライド・マーチが行われている国である。毎年10月の第1土曜日に「Joburg Pride」がヨハネスブルクで開催されている。1990年には1,000人未満だった参会者は年々増え、2009年開催時には20,000人以上が参加した。またケープタウンでも毎年2月にプライド・マーチが行われている。ソウェトメドーランズでは2008年から Joburg Pride の前週に「Soweto Pride」が、2009年からクワ=テマでも同じ時期に「East Rand Pride」がそれぞれ行われている。

モーリシャス

2006年より、毎年6月に「Rainbow Parade Mauritius」がモーリシャスローズヒルで行われている。地元のLGBTI人権擁護NPO団体の Collectif Arc-en-Ciel が中心になって企画されている。

アジア

イスラエル

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中東地域において最も規模の大きいテルアビブのプライドパレード。(2010年)

テルアビブで毎年開催されるパレードには10万人規模の参加がある一方で、エルサレムにおいてはパレード開催に対して宗教団体からの強い反対の声が上がっている。

テルアビブで最初のプライドパレードは、1993年に行われた。2005年には第4回のパレード開催に際して当初市当局が開催不許可を決定し、その後に裁判所が不許可を取り消す決定を下した後の6月30日に開催された。エルサレムのムスリムユダヤ教徒キリスト教徒の各コミュニティの宗教リーダーの多くが揃ってパレードの許可取り消しを当局に求める珍しい出来事もあったほか、パレードの途中でユダヤ教・超正統派の男性が包丁で3人に襲いかかる事件も発生した。

2005年夏に前述とは別のパレードが国際イベントとして計画されていたが、ガザ地区ヨルダン川西岸からのイスラエル撤退(ガザ地区撤退計画)に絡み2006年に延期された。しかしながら2006年にはイスラエルのレバノン侵攻が発生したため再度の延期となった。改めて2006年11月10日にエルサレムにて開催する計画が持ち上がったものの、今度は中央イスラエルのユダヤ教・超正統派による反発が起きてしまった[26]イスラエル警察は強烈な反発運動の発生を懸念してパレードの中止を要請する。後日、2007年6月21日にヘブライ大学のスタジアム内にて開催する合意で決着となった。パレードはイスラエルのLGBT団体「Jerusalem Open House」が主体となり、警察数千人を動員して中央エルサレムにて開催された。その後に計画されたパレードは、(直接的には無関係な)国立消防隊が非許可でストライキを行ってしまった影響で中止に追い込まれてしまった。

2010年6月11日の前後に3つのパレードが開催された。メインパレードには市当局が資金の一部を援助が行われ、約10万人の参加者を集めてイスラエルにおける最大規模クラスのパレードとなった。

フィリピン

テンプレート:See also ストーンウォールの反乱から25周年にあたる1994年6月26日に Progressive Organization of Gays in the Philippines (ProGay Philippines)と Metropolitan Community Church (MCC) Manila がアジア初のプライド・パレードを行った。メトロ・マニラエドゥサからケソンを練り歩き、ケソンではケソンメモリアルサークルにて Queer Pride Mass (ミサ)や連帯を訴えるプログラムが行われた。

このパレードは同年日本で開かれた「東京レズビアン・ゲイ・パレード」より2ヶ月早かった。

1995年は MCC と ProGay Philippines とその他の団体で内々の祝祭が行われ、1996、1997、1998年には Reachout AIDS Foundation の主催でマニラ市内のマラテにて大規模なマーチが行われた。1998年はフィリピン共和国の建国100周年の年に当たり、建国記念の公式イベントの一つとして開催された大規模な市民パレードの一環としてプライドマーチが行われた。リサール公園のキリノ・グランドスタンドにてフィリピン大統領のジョセフ・エストラーダがマーチに参加した。

1999年にLGBTとアライのグループ Task Force Pride Philippines (TFP) が組織され、毎年開催の「Metro Manila Pride March」の主催を行っている。2003年からは12月の人権週間(世界エイズデー(12/1)、Philippine National Lesbian Day(12/8)、世界人権デー(12/10))に合わせてイベントの開催月を6月から12月に変更した。

2005年12月10日には第1回「LGBT Freedom March」が "CPR: Celebrating Pride and Rights" をテーマに開催され、マニラ市街のエスパーニャ通りキアポ通り沿いを練り歩いた。

台湾

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台北にて行われた「台灣同志遊行」(台湾プライド)に参加する台灣同志諮詢熱線協會の人々(2005年)

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2003年11月1日に台湾で最初のLGBTプライド・パレードが台北市内で1,000名以上の参加者を集めて開催された。台湾市長と、後に中華民国総統となる馬英九が出席している。台湾では同性愛のタブーが未だに存在しているため、マスクを着けた参加者もいた。

2008年9月のパレードには約18,000人の参加者があり、イスラエル・アブダビに次ぐ[27]アジアの大規模ゲイ・プライドイベントの一つとなった[28]。その後の2009年には25,000人、悪天候に見舞われた2010年にも30,000人の参加者を集めるなど、参加者が開催毎に増加している。 テンプレート:Clear

インド

2008年6月29日に、インドの4都市(デリーバンガロールポンディシェリコルカタ)にて開催され、チェンナイでも翌日に開催された。1999年に開催実績のあるコルカタ以外の都市では、初めて行われたプライド・イベントであった。インド人民党がプライド・マーチへの反対を表明していたものの、イベント中には反対活動や衝突もなく終了し、一連のイベントに2,200人の参加があった。翌日に開催されたAIDS関連のイベントにてマンモハン・シン首相が同性愛者への社会的寛容を強く訴えるスピーチを行っている。

2008年8月16日(インド独立記念日の翌日)に、ムンバイのゲイ・コミュニティが公式なプライド・パレードを行い[29]、インドにおける反同性愛法の改正を訴えた。翌2009年7月2日に、デリーの高等裁判所は成人間の同意による同性間性行為は犯罪に当たらないとの裁定を下した[30]

2008年以降、プライドパレードはブヴァネーシュヴァルトリチュールといったインドの地方都市でも行われるようになり、デリーでの参加者が3,500人に達し、2010年にバンガロールで開催された際には約1,500人が参加するなど、規模が大きくなりつつある。

ベトナム

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2012年8月5日ベトナムのLGBT活動家約百人が、同国で初めて、また共産主義国ではじめてとなるゲイパレードを行った。 彼らはレインボー旗や風船を掲げてハノイ市内をバイクや自転車で走り回った。警察の公式な許可はなかったが、妨害も受けなかった。 ゲイ活動家らは、司法大臣による、同姓間での婚姻を認める法案を準備すべきときが来たとの声明を支持するために今回のパレードを組織した。べトナムは同性婚を合法化するアジアで最初の国家になるかもしれない[31]

また、2013年8月4日にも、ハノイで同性婚の容認など同性愛者の権利向上を訴えるパレードが行われた。 [32]


ヨーロッパ

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ルーマニアの首都ブカレストで開かれた「2005 GayFest」のプライドパレード
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オーストリアの首都ウィーンでは、プライドパレード開催の一月前から全てのウィーン市電の車両にレインボーフラッグのデコレーションを行っている。

東ヨーロッパにおいて最初のプライドパレードは、2002年にクロアチア集会の自由を権利として求める運動の一環として「The Internationale Pride」という名前で行われた。旧ユーゴスラビア国家の中ではスロベニアとクロアチアだけでプライドイベントが当時行われていた。セルビアの首都ベオグラードでは2001年に同様のイベントが企画されたが、イベント参加者を含む抗議集団と警察との間で衝突が発生し、結果徹底的な鎮圧で終結する流血の惨事が発生し中止に追い込まれた。

クロアチアの首都ザグレブでは2006年6月22〜25日にかけてインターナショナル・プライドが行われ、これまでプライドパレードが行われていなかったり、法律で禁止されていた東ヨーロッパやバルカン半島諸国から国境を超えて各国の代表が集まった。13カ国の参加のうちポーランド、スロベニア、クロアチア、ルーマニア、ラトビアではプライドイベントが行われている。スロバキアでもプライドが行われたが、スロバキア 過激主義勢力 Slovenska pospolitost とのトラブルが続いている[33]ボスニア・ヘルツェゴビナマケドニア共和国アルバニアおよびリトアニアでは未だプライドが開催されたことがない。かつてセルビアの一部であったコソボからの代表も参加があり、これがコソボにとって10年前の内戦後に他の州や地域と共同で参加した最初のプライドとなった。

ブルガリア

他のバルカン半島諸国と同様に、ブルガリアもセクシャリティに関連する問題には非常に保守的な傾向を持っている。1968年に同性愛は非犯罪化されたが、社会的な受け止めはあまり進んでいない。2003年にはLGBTコミュニティやその人々に対する差別を防止する様々な法律が制定された。2008年には同国における最初のプライドが開催された。スキンヘッドのグループが約200名の参加者に対する攻撃を仕掛けていたが、警察が衝突回避の介入を行った。

2009年の開催時には国内だけでなく、ギリシャイギリスのからの旅行者も混じり、合わせて300人以上の参加があり、大きな混乱もなく行われた。第3回となる2010年には800人近い参加者があり、屋外コンサートのイベントが開催された。

フランス

パリでは毎年6月27日にプライドパレードが行われ、毎回50万人規模の動員がある[34]。これ以外にもフランス国内ではアンジェビアリッツバイヨンヌボルドーカーンル・マンリールリヨンマルセイユモンペリエナンシーナントパリレンヌルーアンストラスブールトゥールーズトゥールの各都市にてパレードが行われている[35]

ギリシャ

1980年代から90年代にかけてプライドイベントが何度も企画されたが、2005年の「アテネ・プライド」がギリシャ最初のイベントとなった。アテネ・プライドはアテネ中心街にて毎年6月に行われている。

ラトビア

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2005年7月22日ラトビア最初のプライドマーチがリガにて行われた。このマーチは当初、市から開催が不許可となり、また当時のラトビア首相アイガルス・カルヴィティスが開催に反対を表明していたが、裁判所による許可が出され[36]たことで反対派に囲まれながらも行われた。2006年にパレードを企画するLGBTの人々が反対派によって襲われる事件が発生し、ラトビア当局には適切な対応を取らなかったとして国際メディアによる批判や欧州議会による批難などが向けられた。

国際的な圧力がかかる中、2007年にもプライドパレードが行われ、4,500人の参加者がヴァーメンズ公園周辺をパレードした。1,500人の警官が反対派の阻止に当り、公園周囲のルートには両側に鉄柵が設けられるなどの対策が取られた。パレードが終わり参加者達がバスに乗り込み始めるのとほぼ同時に爆竹が投げ込まれ、うち一つが爆発する事件が発生した。参加者はバスに逃げ込んだことで負傷者はなく、バスは安全なリガ市郊外のユールマラまで走り、参加者を鉄道駅まで送り届けた。参加者の中には欧州議会のメンバやアムネスティ・インターナショナルのオブザーバー、ラトビア国外から応援に訪れた人々などが含まれていた。

2008年のリガ・プライドは11月11日リーガ城(大統領官邸)前の広場にて行われた。イベントの途中で欧州議会メンバーのスピーチやラトビア大統領のからのサポートメッセージが披露された。広場は一般には解放されず、300人ほどの反対派は警察の設置したバリケードの後ろの橋に集まり抗議を行った。この年も参加者はバスで広場を離れ、5分程の距離の中心街まで送られた。

リトアニア

2010年にヴィリニュスにて最初のプライドが開催された。警察が警備するなか、地元の参加者と共に300人程の海外からの参加者が通りを歩いた。

オランダ

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アムステルダムのプライドパレードは街の周囲を囲む運河で行われる。(2005年)

1996年から開催されているアムステルダムのゲイプライドは、社会的な受け入れに最も成功した例の一つとされている。週末の数日間で開催され、コンサート、スポーツトーナメント、ストリート・パーティなどのほか、最大の見せ場である市内を囲む運河をパレードのボートが進む「カナル・プライド」などのイベントが行われる。2008年のパレードでは、当時の内閣の全閣僚がパレードに3隻のボートで参加した。アムステルダム市長であったヨプ・コーヘンも同じく参加し、50万人の人出があった。2008年はオランダ発祥の国際企業INGグループTNTエクスプレスが初めてイベントのスポンサーとなった年でもあった。

ポーランド

2005年にワルシャワの地元当局[37]がゲイ・プライドの開催を禁止するなかで強行された。この禁止措置が後に欧州人権条約の違反であるとして裁判が行われた。2008年には1,800人を超える人々がマーチに参加し、2010年にはユーロプライドがワルシャワで開催され、8,000人の参加があった。

ポルトガル

ポルトでは、「Marcha do Orgulho LGBT」(LGBTプライドマーチ)の名称で2006年から行われている[38]。首都のリスボンでは「Marcha do Orgulho Lisboa」(プライドマーチ・リスボン)の名称で行われている。

ロシア

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モスクワ・プライド(2008年)

ロシアにおいては、サンクトペテルブルクモスクワの例などを初めとして、政治家や宗教指導者、右派組織などの反発を理由に、概ね市当局によって禁止されている。開催に反対の立場を取るモスクワ市長のユーリ・ルシコフモスクワ・プライドについて「悪魔の業」と表現している。パレードの強行によって参加者と反対派の衝突が発生するため、警察が双方の接近を阻み、参加者を追い払う対応を行っていた。しかしながら2009年5月のユーロビジョン・ソング・コンテスト開催時に行われたマーチではこれまでの対応とは異なり、マーチの参加者を逮捕する積極的な行動に変わった。欧州人権裁判所は2006年・2007年・2008年にプライドパレードを禁止する対応を取ったロシアに対して2010年1月20日までの理由開示を求めている[39]

セルビア

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ベオグラードのゲイ・プライド・パレード(2010年)

2001年6月30日にセルビアのLGBTQグループが共同で国内初のプライド・マーチの開催をベオグラードにて企画していた。参加者が市内の広場で集まり始めたところで、反対グループの大集団がイベントの妨害や参加者への暴行が発生した。警察は暴動の取り締まりやマーチ参加者の保護などを行わず、参加者の一部は学生文化施設へ批難してプライドマーチの継続について話し合いがされた。反対派が建物を囲み、話し合いが中断となった。さらに警察と反対派の間で衝突が発生し、警官側に負傷者が発生した[40][41]NGO団体や著名人らが加害側や政府、警備体制への批判を行ったが、政府はイベントに関して特別なコメントは出さず、最終的に約30人の逮捕者が出て終わった[40][41]

2009年7月に、人権活動家のグループが同年9月20日に開催予定のベオグラードでのプライドイベントの企画を発表した。しかしながら極右団体による脅迫が元で、9月19日朝に市の中心街を離れたセルビア政府庁舎前での開催変更を余儀なくされた[42]

2010年10月10日には約1,000人の参加者を集めてベオグラード・プライドが開催された[43]。パレード本体は滞り無く開催されたが、警官と6,000人の反対派の間で衝突が発生し、警官147人と市民20人の負傷者が報告された[44]

スロヴェニア

テンプレート:出典の明記 スロヴェニアでは1984年に「リュブリャナ・ゲイ&レズビアン映画祭」が同国最初のLGBTQフェスティバルとして行われていたが、最初のプライド・パレードはゲイカップルがカフェからの退出を求められた事件への抗議を発端にして2001年に開催された。リュブリャナ・プライドはこれまで市長や左派政治家のサポートが続けられ、2009年と2010年には内務大臣の Katarina Kresal が参加している。一方で参加者への傷害事件も発生している。

スペイン

テンプレート:出典の明記

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数千人が集まった2007年のユーロプライド・パレード(マドリード

マドリードのプライドパレードは1979年に始まり、毎年6月28日以降の最初の土曜日に開かれている。地元マドリードのLGBT団体 COGAMFELGTB が主催し、国際LGBTグループの後援にて行われている。最初のゲイパレードはフランシスコ・フランコの死後に民主化の波が到来した1979年に開催された。以来マイクロソフトGoogleシュウェップスといった企業や、スペイン社会労働党統一左翼進歩民主連合などの政治団体、スペイン労働者委員会スペイン労働総同盟などの労働組合がサポートを行っている。マドリード・プライドはヨーロッパにおける最大規模のプライドイベントで、政府の発表では2009年の開催時に150万人の人出があった。

バルセロナバレンシアセビリアの各都市でもプライド・パレードが開催されている。2007年にはマドリードでユーロプライドとヨーロピアン・プライド・パレードが開催され、約250万人の人出と300以上のイベントが行われた。独立系のメディアは20万人が国外からパレードに集まったと報じている。ヨーロッパ最大級のゲイタウンであるチュエカ地区でも祝祭が行われた。マドリードのイベントは市・州・国や民間団体からの支援があり、財政的にも成功している。また2008年のユーロゲームスはバルセロナで開催された。

トルコ

バルカン半島の他国と同様に、トルコの国民もセクシャリティに関する話題にはとても保守的である。同性愛はオスマン帝国時代の1858年に非犯罪化されたが、同性愛者の受け入れは未だそれほど進んでおらず、社会的な差別も残っている。トルコはムスリム主要国の中で最初にプライド・マーチが開催された国である[45]イスタンブール(2003年より)とアンカラ(2008年より)で毎年小規模ながら開催されており、参加者は徐々に増えている。

イスタンブールでのプライドマーチは2003年に30人の参加者でスタートし、2010年には5000人に増加している。2011年には1万人以上が参加し、トルコ国内で最大級のプライドイベントとなった。有力野党のCHPBDPからもデモンストレーションへのサポートが行われた[46]。一方で、政府のサポートは全くない[47]

イギリス

イギリスでは、大都市で同性愛者の住民も多い[48]ロンドンブライトンリバプールマンチェスターの4都市で大規模なプライドイベントが開催されている。

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「Lesbian Strength March」(1983年)

「プライド・ロンドン」はヨーロッパ最大規模のプライドの一つで、毎年6月の最終土曜日か7月最初の日曜日に行われている。また8月の「ブラックプライド」や9月の「ソーホー・プライド」などもロンドンで開催されている。1980年代前半には、ゲイ・プライドマーチの1週間前に女性だけの「Lesbian Strength march」が行われていた。

「リバプール・プライド」は2010年に初開催されたが、2011年にはロンドンに次ぐ規模のゲイプライド・フェスティバルになった[49][50][51]。「ブライトン・プライド」は毎年8月中旬に行われているが、近年は財政的問題でイベント開催に黄色信号が灯っている。「マンチェスター・プライド」はゲイタウンとして知られるカナル・ストリート周辺で8月3週の週末に行われる。

これ以外にもバーミンガムエジンバラベルファストなどの都市でプライド・イベントが行われている。

北アメリカ

カナダ

モントリオール
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モントリオールのダウンタウンで開催されたプライドパレード「Divers/Cité」にてパフォーマンスするバトントワラー。(2002年)

モントリオールのプライドパレードは1979年にストーンウォールの反乱を記念して200人が集まったイベント「Gairilla」を発祥として[52]、毎年8月中旬に行われている。火曜日から日曜日にかけての6日間に渡って、トロントのゲイタウン近くのエミリ・ガムラン広場を中心に開催されている。

トロント

テンプレート:Main 2003年にオンタリオ州で同性結婚を合法とする司法判断が下るなど、トロントはゲイ・レズビアン向け施策において、北米で最も先駆的な役割を果たしてきた[53]。プライドイベントは980年代前半から継続して行われているなど歴史が長く、また2009年には130万人の参加者を記録するなど規模も大きい[54]。また「トロント・レザー・プライド」が8月第2週末に行われており[55]、さらに2014年ワールド・プライドの開催地にトロントは決定している。

アメリカ合衆国

ニューヨークの「ゲイ・プライド・マーチ」は1970年から開催されている。2011年のパレードはニューヨーク州における同性結婚の法制化の2日後に開催された。

他にも「シカゴ・プライド・パレード」、「 アトランタ・プライド」、「オーガスタ・プライド」、「キャピタル・プライド」(ワシントンD.C.)、「サークルシティ・イン・プライド」(インディアナポリス)、「ナッシュビル・プライド」、「ヒューストン・ゲイ・プライド・パレード」、「セントルイス・プライド・フェス」、「サンフランシスコ・プライド」、「ユタ・プライド・フェスティバル」など各地で開催されている。

グリーンランド

2011年にヌークにて最初のプライドパレードが行われた。1,000人を超える参加者が集い、平和的なイベントとなった[56]

南アメリカ

ブラジル

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サンパウロ・ゲイ・プライド・パレード」はサンパウロ市内のパウリスタ通りにて1997年より毎年行われている。2006年のイベントはギネス世界記録にて世界最大規模のプライド・パレードとして認定された。

パレードは1999年に設立された団体[57]が行っている。プライド・パレードはサンパウロ市だけでなく連邦政府からも強力な支援があり、警備体制も充実している。イベントの開催で毎年40万人の旅行者が同市を訪れ、180万〜190万レアルの経済効果があるとされる。2010年のイベント時にサンパウロ市は100万レアルを投資した。2009年に開催された第13回目のパレードには320万人が訪れた。

ブラジルで2番目に規模の大きなリオデジャネイロのパレードには200万人規模の人出があり、市南部のゾナ・スウ、もしくは市中心部とビーチに挟まれた人口の多い地区で行われる。1995年から開催されている前述のイベントのほかにもリオデジャネイロ圏ではニテロイノヴァ・イグアスでも行われている。

ブラジル国内では他にも南東地方ではカボ・フリオカンピーナスヴィトーリアベロオリゾンテウベラバで行われ、南部地方ではクリチバフロリアノーポリスポルト・アレグレペロタスで、中西部ではカンポ・グランデクイアバゴイアニアブラジリアで、北東地方ではサルヴァドールアラカジュマセイオレシフェジョアンペソアナタールフォルタレザテレジーナサン・ルイスで、セアラー州ではセアラー ジュアゼイロ・ド・ノルテで、北部地方ではベレンマカパボア・ヴィスタマナウスなど多くの都市で開催されている。

オセアニア

オーストラリア

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シドニー・ゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラ」も規模の大きなパレードとして知られ、夜間に行われる。

シドニー・ゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラ」はオーストラリアで最大規模のプライド・イベントで、世界的にも大きな部類に入る[58]。1978年のゲイの権利運動を求めるデモを発祥に、1980年代からは祝祭に重きを置いたイベントへと変化した。パレードは夜に行われ、1万人規模の参加者が派手なフロートの演出や社会的なメッセージ性が特徴とされている[58][59]テンプレート:Clear

脚注

  1. "The New York Times",June 29, 1969
  2. Marsha P. Johnson. Gender.org (1992-07-06). Retrieved on 2011-07-10.
  3. New York Area Bisexual Network: A Brief History of NYC's Bisexual Community. Nyabn.org (2001-07-12). Retrieved on 2011-07-10.
  4. Gay-Pride Parade Sets Mainstream Acceptance Of Gays Back 50 Years, The Onion, April 25, 2001 Issue 37•15.
  5. Toronto mayor lays down Pride parade law. Cjnews.com (2011-03-10). Retrieved on 2011-07-10.
  6. Queers Against Israel Apartheid quits Toronto parade. Jta.org (2011-04-18). Retrieved on 2011-07-10.
  7. http://barairo.net/special/3rdParade/
  8. http://p.booklog.jp/book/52873/read?p=3 「美粋」97年12月号
  9. http://www.jrcl.net/framek358.html かけはし2000.5.15号
  10. 性的マイノリティー:性の多様性訴え600人がパレード毎日新聞 2012年8月11日
  11. [1]」gladxx 2012年4月30日
  12. [2]」Time Out TOKYO 2013年5月2日
  13. [3]」TOKYO rainbow pride 2014 2014年4月28日
  14. [4]
  15. タイトル中の「ビ=bi」はバイセクシュアル(両性愛)の意味。
  16. 2000年の開催は「運営側の充電」を理由として休止ている。
  17. これは当時のレインボーマーチ実行委員会が、2003年春の札幌市長選挙&北海道知事選挙の候補者に対してLGBTに関する政策アンケート調査を実施したことに端を発している。このアンケート調査に上田候補が好意的な回答を寄せたことから、当選後、実行委員会が交渉を行い、札幌市長としての上田市長のスピーチが実現した。
  18. 公式ホームページ。正式名称は「特定非営利活動法人 札幌レズビアン・ゲイ コミュニティサポートセンター」。
  19. テンプレート:Cite web
  20. 立命館大学 Gender Sexuality Project(GSP)
  21. この「レインボーパレード」は、性的少数者や何らかの当事者性には捉われないとのこと。
  22. HIV予防・啓発イベント「PLuS+」は2006年10月で3回目を迎え、同年は14300人(実数で4000~6000人)が参加した。
  23. PROUD LIFE
  24. 世界エイズデー in NAGOYA
  25. http://gladxx.jp/people/2835.html gladxx
  26. テンプレート:Cite web
  27. Tel Aviv Gay Pride parade draws thousands, AFP
  28. Taipei LGBTs march proud and loud in Asia's largest gay parade, Fridae
  29. テンプレート:Cite news、これ以前には非公式の形でパレードが行われてきた。
  30. テンプレート:Cite news
  31. http://www.afp.com/en/news/topstories/vietnam-holds-first-gay-pride-parade AFP 2013.08.05
  32. http://www.asahi.com/international/update/0804/TKY201308040190.html asahi.com 2013.08.04
  33. これが理由となり、プライドは市街地中心部を避けて行われている
  34. Paris Gay Pride 2011 – Gay Pride Paris 2011 – Marche des Fiertes LGBT 2011 – Gay Marais – Gay Paris Events – France Gay Pride. Gaytravel.about.com (2011-06-13). Retrieved on 2011-07-10.
  35. Google Translate. Translate.google.ca. Retrieved on 2011-07-10.
  36. テンプレート:Cite news
  37. 当時市長であったレフ・カチンスキも含まれている。
  38. テンプレート:Pt icon orgulhoporto.org. orgulhoporto.org. Retrieved on 2011-07-10.
  39. European Court of Human Rights Gives Russia Four Months to Answer Moscow Gay Prides Bans: Strasbourg Court decision could be announced before fifth Moscow Pride next year October 7, 2009 UK Gay News via GayRussia.ru.
  40. 40.0 40.1 テンプレート:Sr iconテンプレート:Cite web
  41. 41.0 41.1 テンプレート:Sr iconテンプレート:Cite web
  42. Pride March 2009 Is Banned Majda, 19 September 2009.
  43. テンプレート:Cite news
  44. テンプレート:Cite news
  45. Yahoo! Celebrates Pride in 2010. Pride.yahoo.com. Retrieved on 2011-07-10.
  46. İstiklal Caddesi 10 bin renk! – Genel. ntvmsnbc.com (1970-01-01). Retrieved on 2011-07-10.
  47. Istanbul becoming proud of Pride Week. Hurriyet Daily News. Retrieved on 2011-07-10.
  48. North West Regional Development Agency によるとリバプールのLGBT市民の数は2009年の中ごろに9万4,000人とされる。テンプレート:PDFlink
  49. テンプレート:Cite web
  50. テンプレート:Cite web
  51. テンプレート:Cite web
  52. Pride Montreal
  53. テンプレート:Cite news
  54. テンプレート:Cite news
  55. テンプレート:Cite news
  56. WorldWatch: Greenland’s First Gay Pride | Trip Out Travel. Tripoutgaytravel.com. Retrieved on 2011-07-10.
  57. Associação da Parada do Orgulho de Gays, Lésbicas, Bissexuais e Travestis e Transsexuais
  58. 58.0 58.1 テンプレート:Cite web
  59. テンプレート:Cite web

関連項目

テンプレート:Portal LGBT テンプレート:Commons category

外部リンク

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