国鉄キハ185系気動車

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テンプレート:鉄道車両 キハ185系気動車(キハ185けいきどうしゃ)[1]は、日本国有鉄道(国鉄)が開発し、現在は四国旅客鉄道(JR四国)と九州旅客鉄道(JR九州)が保有する特急形気動車

製造メーカーは、日本車輌製造新潟鐵工所富士重工業である。

1986年11月1日ダイヤ改正から営業運転を開始した。

車両概説

国鉄の分割民営化を控えた1986年に、四国地区向けに製造された車両の一つである。

従来四国の特急列車に用いられていたキハ181系の代替車ではなく、老朽化した急行形キハ58系キハ65形の置き換えと同時に急行列車の特急格上げを行い、経営基盤の脆弱が予想されるJR四国の経営安定化を図る目的で開発された。

また、短編成での小単位輸送に用いることを念頭に置いて設計されているほか、さらに徹底したコストダウンも図られた。

構造

※以下は製造当初の仕様に基づいて記述する。

短編成化への対応

本系列は、運転台付き普通車のキハ185形と、運転台なしグリーン・普通合造車のキロハ186形の2形式から構成され、キハ181系・キハ183系のような普通車の中間車が存在しないのが特徴である。

それまでの国鉄特急形気動車では、専ら長大編成を組むことを前提としており、編成内の特定車両床下にディーゼル発電機を搭載し、冷暖房電源や食堂車調理電源等をまかなっていた。これは長大な固定編成を組む長距離列車には相応に適した手法であったが、反面、電源供給システムによる編成構成の制約があり、四国のように輸送単位が小さく、波動的な輸送量の変動が大きい地域では、ことにフレキシビリティを欠くきらいがあった。

キハ185系ではこの問題点を解消するため、固定編成前提の設計から脱却した。特急形気動車ではあるが、電気式冷暖房など一般形気動車とは異なったいわば「特別な構造」を用いることを中止し、一般形気動車に近い機器構成とされた。また冷房装置にはバス用既製品を使用し、キハ185形は走行用エンジンで、キロハ186形は専用の小型エンジンで、それぞれコンプレッサーを直接駆動する方式(機関直結式)を採用した。この結果、従来特急形気動車にあった機械室の廃止と冷暖房の1両単位での制御が実現し、編成の自由度が大幅に向上した[2]。しかし、編成が6両より長くなるとキハ181系よりも座席定員が少なくなるという問題はあったが、当時の特急は短編成化の傾向が強く、編成の自由度が向上することによるメリットの方が重視されたため、長大編成時の定員減少は問題視されなかった。

車体

車体はステンレス製軽量構造で、軽量化とメンテナンスフリーを両立させた。側面窓の上下寸法は従来の車両より拡大し、74cmとされた。また急行形気動車の代替車であり、当初より普通列車での使用が考慮されていた[3]ため、乗降口が在来形特急気動車の1両1箇所と異なり、各車両とも急行形並みに前後2箇所に設けられている。JR四国発足後に登場する2000系気動車8000系電車も乗降口はやはり前後2箇所とされた。 車体外観は国鉄時代に製造された38両(キロハ186-1 - 8・キハ185-1 - 18・1001 - 1012)は地色を無塗装とし、緑色の帯を巻いていたが、JR移行後に製造された14両(キハ185-19 - 26・1013 - 1018)はJR四国のコーポレートカラーである水色の帯となった[4]

主要機器

エンジン・変速機・逆転機

テンプレート:Sound テンプレート:Sound エンジンキハ38形と同一の新型直噴式機関であるDMF13HS(250ps/1,900rpm) を1両につきキハ185形には2基、キロハ186形は1基搭載している。

その一方で、国鉄時代に製造された車両については製造コスト削減を目的として、変速機や運転台機器など一部の機器は、在来形気動車の廃車発生品を整備・手直しの上で流用している。このため、TC2A/DF115Aを変速機として使用し、かつ250ps級機関を1基ないしは2基搭載することから、機構が複雑になりやすい1台車2軸駆動方式は採用されず、逆転機は従来通り台車のトランサムと2本のリンクで結合されるシンプルな機構とされ、駆動軸も在来型気動車の2エンジン車と同様、各動力台車のエンジン寄り1軸とされている。

キロハ186形が250psエンジン1基搭載であるため、これを組み込んだ編成あたりの総出力はキハ181系よりやや小さくなるが、軽量ステンレス車体の採用による大幅な自重軽減でキハ181系とほぼ同等の加速性能が確保されている。

当時の四国の各線区は最高速度が幹線でも95km/hにとどまっており、設計最高速度は将来の高速化を考慮して110km/hとした。

台車

台車は同時期に北海道向けに新製されたキハ183系500番台と同様に、205系電車で初採用されたDT50を基本とする当時最新の円錐積層ゴム支持式ボルスタレス台車である、DT55(動力台車)およびTR240(付随台車)が新規設計された。

ただし、前述の通り逆転機が台車装架であることや、ヨーダンパ取り付け準備工事の有無などの仕様の相違のため、別形式が起こされており、結果的にこのDT55・TR240は日本国有鉄道が新規開発した最後の台車形式となった。

なお、ブレーキシュー(制輪子)は当初鋳鉄製を採用していたが、後にレジン(合成樹脂)製に交換されている。 テンプレート:-

接客設備

テンプレート:Double image aside 本系列では車内の座席などの接客設備も大幅な改良が図られている。車内の仕切扉は空気式の自動扉とされた。

キハ185形では同時期に製造されたキハ183系500番台と同様、背面に大形テーブルを設けたR-55系フリーストップ式リクライニングシートを採用した。座席の前後間隔はキハ181系より30mm拡大した940mmとしているが、機器室を省略した分、キハ181形(定員52名)よりも定員が多くなっている。

キロハ186形のグリーン室は1列4人掛けのフリーストップリクライニングシートで、やはり背面に大形テーブルを持つほか、フットレストや中肘掛、側面テーブルを設置し、座席間隔を従来のグリーン車と同じ1,160mmとしている。普通室は0系新幹線の発生品である転換クロスシートが1,020mmの座席間隔で設置され、グループ客の利用を想定して座席間に折り畳み式の大型テーブルを設置した。

冷暖房装置やドアエンジン等にはバス用の汎用部品を活用し、さらに徹底した部品点数の削減を行っている。冷房装置はバス用の直結式冷房機を流用したAU26で、観光バス車両などに用いられているような、各自で風量・風向の調節が可能な冷風吹き出し口を各席の荷物棚の下に設けている。 テンプレート:-

個別形式

  • キハ185形0番台 (Mc)

テンプレート:Triple image テンプレート:-

  • キハ185形1000番台(Mc')
    • 片運転台を持つ普通車。トイレ無し、18両製造。定員64名、車重38.3t。なお、JR九州所属車は全車「九州横断特急」仕様となっている。
ファイル:JR-Shikoku Series DC185 186-2 ATrain 1.JPG
キロハ186-2 (リニューアル後)
(2010年8月30日 / 阿波池田駅)
  • キロハ186形 (Mhs)
    • 中間車両でグリーン席・普通席の合造車。前記したように落成時の当形式の普通席は転換クロスシートであったが、その後大型テーブルは撤去され、リクライニングシートに取替えられている。冷房装置の動力は2エンジン搭載で出力に余力があって機関直結とされたキハ185形と異なり、床下に裝架された専用の小型エンジンから得ている。行先表示器設置。8両製造。定員グリーン席24名、普通席32名、自重33.7t。
    • -2は2002年10月6日に運転開始した「剣山」・「うずしお」の「アンパンマン列車」用「ゆうゆうアンパンマンカー」とされた。形式や車番の変更はしていないが、専用塗装に変更し、グリーン室は車端寄りの座席1列を撤去してベビーカー置場にして、普通席との仕切り扉を撤去し、普通席部分は座席を撤去してプレイルームを設置した。座席はグリーン席時代と同じシートピッチ1,160mmのまま定員20名の普通車指定席として利用しているため、居住性はグリーン席時代とほとんど変わりがない。この結果、キロハ186形のオリジナルで残存していたのは-1のみとなっていたが、同車は定期運用がなくなった後長期間高松運転所構内に放置された末、2013年3月31日付で廃車され、本系列の廃車第1号となった。
    • また、-2はリニューアルを施して2007年10月6日から新しいラッピングで営業運転を開始した。

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ファイル:JRK kiha186-6.jpg
キハ186-6
(2007年12月31日 / 別府駅)
  • キハ186形 (M)
    • JR九州が購入したキロハ186形を、1992年小倉工場鹿児島車両所で4両改造。仕切りはそのまま残されて全室普通車に格下げの上、DMF13HSを2基搭載とした[5]。冷房装置は2エンジン化に伴い専用の小型エンジンを撤去し、キハ185形と同様の機関直結とされた。座席は旧グリーン室はフットレストも残されてモケット張替えのみ実施、旧普通席室は大型テーブルを撤去し、リクライニングシートに取替えられた。定員56名、自重34.5t。
    • キロハ186-3・5 - 7→キハ186同番号(改番なし)
ファイル:JRS-kiro186-4.jpg
キロ186-4
(2008年1月8日 / 多度津駅)
  • キロ186形 (Ms)
    • キロハ186形のうち、JR四国のジョイフルトレイン「アイランドエクスプレス四国II」として2000年多度津工場で改造された。プラズマディスプレイや最新のカラオケ機材等を装備している。座席は廃車となった50系客車の「アイランドエクスプレス四国」と同様3列配置で、同車から流用された。定員は30名。運転台とトイレ、洗面所を持たないため、両端にキハ185形0番台(主に-11・12)を連結して運転される。
    • キロハ186-4・8→キロ186同番号(改番なし)
ファイル:JRS-DC-Kiha185-3109.jpg
キハ185-3109
(2010年5月25日 / 松山駅)
  • キハ185形3000番台 (Mc)
    • キハ185形0番台を在来の一般形気動車と併結可能にした普通列車仕様の改造車。松山運転所所属。行先表示器を前面と側面に設置。トイレと洗面所はそのまま残された。2000年に2両が改造されたが、2006年6月に2両とも元の仕様に戻されて高松運転所に復帰したため、現存しない。座席定員60名、車重39.0t。
    • キハ185-9・13→キハ185-3009・3013(原番号+3000)
  • キハ185形3100番台 (Mc')
    • キハ185形1000番台を在来の一般形気動車と併結可能にした普通列車仕様の改造車。松山運転所所属。行先表示器を前面に設置、トイレなし、1999年から8両改造。座席定員64名、車重38.3t。
    • キハ185-1002・1003、1005 - 1007・1009・1010・1013→キハ185-3102・3103・3105 - 3107・3109・3110・3113(原番号+2100)

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JR化後

ファイル:JR shikoku kiha185 blue shiokaze 1989.jpg
9両編成の「しおかぜ」
(1989年 / 松山駅)

キハ185系はJR移行後も14両(キハ185-19-26、1013-1018)が製造され、国鉄末期からJR移行後初期にかけて四国特急のフラッグシップ的存在となった。瀬戸大橋線開通後、騒音問題の対策としてキハ181系より車重が軽い本系列が多く瀬戸大橋線を経由する運用に変更されたが、騒音自体は両系列ともほとんど変わりなかったため、後に双方とも減速運転することになった。繁忙期の「しおかぜ」は岡山 - 松山間9両編成、松山 - 宇和島間8両編成で運用されたこともあった。しかしJR四国は1990年代以降、島内で急速に整備の進んだ高速道路への対抗策として、より高速運転が可能な振り子式気動車である2000系の開発と増備を進めた。

JR九州への売却

2000系の登場以降、性能面で見劣りする本形式は次第に第一線から退いていった。 本形式は余剰気味となり、一方でJR九州は老朽化・陳腐化していた急行用気動車の置き換えを検討していた。ここで双方の利害が一致し、本形式の一部がJR九州に売却されている。

JR四国における2000系投入後の運用

JR四国は2000系投入後、キハ185系の普通車のアコモ改良として座席のモケットを交換し、背もたれを取っ手付きにして形状を変更した。キロハ186形の普通室は折りたたみテーブルを撤去し座席を交換した。1996年には一部が徳島線特急「剣山」の運転開始にあわせて塗装変更が実施されている。また1998年2003年には同年製造された予土線土讃線瀬戸大橋線本四備讃線)のトロッコ列車キクハ32形)の控車としてキハ185-20・26が緑帯の「疑似国鉄色」となった。本来の国鉄色は窓周りとライト周辺がダークグリーンであり、現在の「疑似国鉄色」とは違う。

普通列車仕様への変更

1998年より特急「うずしお」にN2000系気動車が投入され高速運転を開始、本形式はさらに運用数を減らした。 一方で老朽化したキハ58系はまだ普通列車として使用されていた。そこで2000年より、キハ185形の一部は、普通列車においてもキハ58系を置き換えるため、ジャンパ栓を増設して在来の一般形気動車と併結可能にした普通列車仕様[6]に改造され、松山運転所に配置された。外観は「剣山」色と似ているが、濃紺帯がなく赤帯に変更され、前面行先表示器を設置したほか、車内設備は特急列車運用への充当をしない前提で収納式テーブルや灰皿の撤去、座席カバーのビニール化、リクライニング機構(バネ式)の固定[7]など、普通列車向けの簡略化・省力化の改造がなされた。

特急仕様への再改造

前記したように3000番台が2両、3100番台が8両改造されたが、このうちの3000番台として使用されていた2両が2006年6月からの「むろと」の増発[8]に伴い、原仕様に戻されたうえで高松運転所に転出し、座席も8000系のリニューアルで捻出されたものに取り替えられた。

ジョイフルトレイン等への改造

また先述したように、「アイランドエクスプレス四国II」や「ゆうゆうアンパンマンカー」に改造された車両もある。

JR九州のキハ185系

2000系の増備でキハ185系は余剰気味となったことから、急行「由布」・「火の山」の車両置き換えを検討していたJR九州に20両が売却され、1992年に機関車牽引で小倉工場へ甲種輸送された。1992年7月ダイヤ改正より、特急「ゆふ」・「あそ」での運用が開始された。

JR九州への売却車両

JR九州に売却された車両は、以下のとおりである[9]。いずれもJR四国の車籍抹消は1992年2月12日付、JR九州の再登録は営業運転開始と同日の同年7月15日付である。

  • キハ185-1 - 8・10・15・16・1001・1004・1008・1011・1012
  • キロハ186-3・5 - 7(譲受後全車キハ186形に改造)

JR九州での改造工事

JR九州へ売却された車両は「ゆふ」・「あそ」用に赤と銀を用いた塗色へと変更され、キハ185形の一部(-2、4、6、8、10、16)は電話室、車販準備室を設置した。また先述のように譲受したキロハ186形は豊肥本線久大本線勾配対策でエンジンを1基追加して2基搭載し[5]、グリーン席を廃止[10]したキハ186形に改造した。 このとき車内は787系とあわせた、グレーを基調とした内装に変更。シートモケットも787系にあわせた黒色ベースのものとなり、車内の雰囲気は大きく変化している。


さらに2004年には「あそ」の廃止と「九州横断特急」・「くまがわ」の運転開始により該当車両ではワンマン運転対応工事[11]が施工されるとともに、客室内装は木材を多用した明るい雰囲気へと再リニューアル、あわせてフォグランプ設置、外板塗装の変更といった改装が施された。 加えて2008年からは、順次エンジンをDMF11HZ系エンジン(コマツ製SA6D125HE)に換装、液体変速機もあわせて新型のものに交換されている。


現行の主な運用

JR四国

特急仕様車は徳島県を中心に高徳線徳島線牟岐線の特急列車(牟岐線の牟岐駅 - 海部駅間は普通列車)で使用されている。なお、多客期などで「いしづち」が高松駅 - 多度津駅間の単独運転となるときに運用される列車があるほか、キハ185系使用列車については喫煙コーナーを設置するスペースがなく、また定期列車での岡山駅までの運行がないため、2008年3月15日のダイヤ改正時に全面禁煙化された。ただし、2006年末の多客輸送から高松駅 - 多度津駅間を単独運転する「いしづち」はキハ185系についても先行して全面禁煙化された。2014年3月15日のダイヤ改正時に徳島線・牟岐線の特急列車の運転区間・愛称の整理が行われた。

特急列車

  • うずしお」:高松駅 - 徳島駅(1日2往復。高松運転所への入出庫のため)
  • 剣山」:阿波池田駅穴吹駅 - 徳島駅(1日7往復)
  • むろと」:徳島駅 - 牟岐駅(1日3往復)
  • ホームエクスプレス阿南:徳島駅 - 阿南駅(1日1往復)
  • 臨時特急やくおうじ号(旧やくし号):高松駅 - 日和佐駅 (1月1 - 3日の3日間)

普通列車

牟岐線は特急仕様車、予讃線・内子線は普通仕様車で運転。

その他

ファイル:JR.setoohashiampamman.jpg
キハ185形とキクハ32形の編成
(2011年11月3日、妹尾駅)

所有車両

普通仕様車は松山運転所(四マツ)、それ以外は高松運転所(四カマ)配置である。

特急仕様車
  • キハ185形0番台 (Mc) 定員60名
    • 9両(14・17 - 19・21 - 25)
  • キハ185形0番台(元キハ185形3000番台)(Mc) 定員60名
    • 2両(9・13)※0番台を3000番台に改造した車両を特急仕様に復帰。
  • キハ185形0番台 (Mc) 定員60名
    • 2両(11・12)※洗面所・トイレの外装部のみ「アイランドエクスプレス四国II」仕様。
  • キハ185形1000番台 (Mc') 定員64名
    • 5両(1014 - 1018)
  • キロハ186形 (Mhs) 定員20名 
    • 1両(2)※「ゆうゆうアンパンマンカー」
トロッコ列車控車仕様
  • キハ185形0番台(Mc)定員60名
    • 2両(20・26)※車体帯色は緑。
「アイランドエクスプレス四国II」仕様車
  • キロ186形(元キロハ186形)(Ms) 定員30名
    • 2両(4・8)※改番はされていない。
普通仕様車
  • キハ185形3100番台(元キハ185形1000番台)(Mc')定員64名
    • 8両(3102・3103・3105 - 3107・3109・3110・3113)(原番号-2100)

JR九州

山岳路線におけるローカル特急に使用されている。2009年3月からは、車内にあった喫煙コーナーを撤去して全面禁煙としている。

所有車両

  • キハ185形0番台 (Mc) 定員60名
    • 5両(1・3・5・7・15)
  • キハ185形0番台 (Mc) 定員52名
    • 6両(2・4・6・8・10・16)※車販準備室と電話室を設置。
  • キハ185形1000番台 (Mc') 定員64名
    • 5両(1001・1004・1008・1011・1012)
  • キハ186形(元キロハ186形) (M) 定員56名
    • 4両(3・5 - 7)(改番なし)

特異な運用

国鉄時代・JR四国

  • 落成間もない1986年10月12日には、団体専用列車坂出市民号」として坂出 - 坂出港間の予讃本線貨物支線に入線し、同年11月1日に廃止[15]された同線の最後を飾っている。
  • 1989年夏から1990年春の間、2000系試作車「TSE」が故障や試験、検査などで運用を外れたときに臨時列車の「南風」51号・52号、「しまんと」51号・52号に2両または3両編成で使用された。これに伴い「南風」5号が坪尻駅で「南風」52号の通過待ちをするなど、一部ダイヤの変更も行われた。
ファイル:JR shikoku kiha185-8 blue shiokaze 1990.jpg
中間車代用のキハ185-8(1990年 岡山駅)
  • 1990年頃、踏切事故の被害を受けたキハ185-8が中間車代用として使用された。前照灯尾灯排障器が撤去されており、運転席スペースは車販準備室として使用されていた。しばらくして元通りに復旧された。
  • 1993年10月に高徳線徳島駅から、高松駅までお召し列車に使用された。「うずしお」14号(普通車のみの4両編成)の前にキハ185形+キロハ186形+キハ185形を併結する形で運転された。
  • 1997年7月28日から8月18日の間、臨時特急「I LOVE しまんと」が高知 - 宇和島 - 松山間を2日間で1往復するダイヤで運転された。同年9月以降の運転は高知 - 宇和島間1日1往復になり1999年まで運行された。キハ185-9+キハ185-1016が専用車両とされ、前面にはかわうその顔が、側面にはアマゴとんぼなどが描かれ、車内天井、床面もペイントが施されていた。なお、宇和島寄り1号車が禁煙指定席(12席は自由席)、高知・松山寄り2号車が喫煙自由席であった。運転終了後もしばらくの間そのままの外装で主に団体専用列車や臨時運用で使用されていたが、JR四国カラーに戻された。
  • 1998年3月14日から1999年3月13日の間、臨時特急「あい」が徳島 - 阿波池田間で3往復運転された。キハ185-12+キハ185-1002が専用車両とされ、前面にはたぬきの顔が、側面には阿波踊りを踊る女性のシルエットが描かれ、車内天井、床面もペイントが施されていた。徳島寄り1号車が禁煙指定席(12席は自由席)、阿波池田寄り2号車が喫煙自由席であった。運転終了後はJR四国カラーに戻された。
  • トロッコ列車のシーズンオフ時には稀に一般特急にもトロッコ仕様車が運用に充てられることがある。
  • 2003年8月から9月にかけて土讃線土佐山田 - 窪川間で特急仕様車が2両編成で普通列車として運用された。当時、高知運転所配置のキハ28 3013が火災を起こし(同車は廃車)、車両不足が発生したことにも関係するがJR側は「運用の都合」としている。
  • 2008年3月15日のダイヤ改正までの間にごく稀ではあったが予讃線高松 - 土讃線阿波池田間の普通列車(高松行は快速「サンポート」)に運用されていたキハ58・65形が車両故障などを起こした際にその代走で本系列の特急仕様車を充当することがあった。
  • 2008年6月16日に高徳線で通常はキハ47形が運用に入る普通列車(高松発徳島行317D)が車両故障を起こしたためにその代走として急遽、本系列の特急仕様車が2両編成で普通列車として運用された。また、大雨による線路脇の土砂崩れで牟岐線が不通となった際にも通常はキハ47形などで運用される普通列車の突発代走に当系列が牟岐線や鳴門線で運用されることもあった。
  • 2012年には、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の被災地復興支援のために、JR四国、東日本旅客鉄道(JR東日本)、日本貨物鉄道(JR貨物)共同により、「アンパンマントロッコ」を東北・関東各県で運行することとなり、控車としてキハ185-26が使用され、同年3月24日より運行を開始した[16]。列車は常磐線ではEF510形500番台(「北斗星」色)の牽引、それ以外の路線ではDE10形のプッシュプルでの牽引となっている[17][18]

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JR九州

  • 1999年から2003年にかけて運行されていた大村線特急「シーボルト」の代走にも充当された[19]。代走での時期は閑散期がほとんどで、所定の4両編成から1両減車の3両編成で運転された。
ファイル:JRQ Kiha185 on Omeshi-ressha 20061030.jpg
唐津線お召し列車
(2006年10月30日)
2002年11月18日:松浦鉄道西九州線たびら平戸口→大村線大村
2006年10月30日 - 10月31日:長崎本線佐賀 - 唐津線唐津
  • 1994年から1995年にかけて、阿蘇観光キャンペーンに合わせ「阿蘇浪漫号」が宮地 - 熊本 - 博多間で運行された。
  • 2007年10月7日 - 11月25日の土曜日・休日に臨時特急列車「佐賀キャンペーン号」が鳥栖 - 唐津間で1日2往復(そのうち1往復は佐賀駅発着)運行され、唐津線初の特急列車として同線に入線した。

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将来

  • JR四国の2009年度の事業の中に、新型特急気動車の設計に着手することが盛り込まれている。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:Sister テンプレート:国鉄の気動車リスト テンプレート:JR四国の車両リスト

テンプレート:JR九州の車両リスト
  1. 本系列は新系列気動車として付番された3桁表記の「185系」である。しかし、慣習的なものや185系電車と混同する事から「キハ185系」と呼ぶことが多い。
  2. これにより最低2両から編成を組成することが可能となった。
  3. 1986年11月の営業運転開始から1987年3月改正までの間、1本のみ松山→宇和島間に付属編成2両を用いた普通列車運用が設定されていた。
  4. 国鉄時代に製造された車両も1988年4月の瀬戸大橋線開業までに同色に変更された。
  5. 5.0 5.1 この改造によりJR九州における本系列の速度種別が若干上がった(A1→A12)。JR四国は当初からA13。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "shubetsu"が異なる内容で複数回定義されています
  6. トイレ設置の旧0番台が元の車両番号に+3000されて3000番台、トイレなしの旧1000番台が+2100されて3100番台とされた。
  7. ただし、シート回転機能は存置されている。
  8. このとき増発された阿南駅発着の列車は2008年3月15日のダイヤ改正で「ホームエクスプレス阿南」に改名。
  9. ちなみに、JR四国特有のオルゴールは残置されており、「ゆふ」の手動放送時に聴くことができる。
  10. 旧グリーン席の区画は通常は指定席扱いとし、座席やフットレストはそのままでモケット張替えのみ実施し、仕切りもそのまま残された。ただし、場合によっては、自由席となることがある。旧普通席の座席はリクライニングシートに交換された。
  11. ただし、自動放送はワンマン普通列車用と同じであり、JR九州の在来線電車特急に特有の「3打点音で始まる自動放送」ではない。
  12. 2008年3月14日までと2009年12月1日 - 2011年3月11日は、特急仕様車が阿佐海岸鉄道阿佐東線(海部駅 - 甲浦駅間)でも使用されていた。
  13. 「ゆふいんの森」等の他の気動車特急の代走も含む。
  14. 特急“A列車で行こう”が営業運転を開始 - railf.jp 鉄道ニュース、2011年10月9日掲載。
  15. 1984年2月1日より列車の運行はなかった。
  16. アンパンマントロッコにのろう! 東日本旅客鉄道
  17. 『アンパンマントロッコにのろう!』運転開始railf.jp
  18. 『アンパンマントロッコ』が常磐線で運転開始railf.jp
  19. 同列車に本来充当されていたキハ183系1000番台が1編成4両しか存在しなかったためである。