神奈川県立希望ヶ丘高等学校
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テンプレート:出典の明記 テンプレート:日本の高等学校 神奈川県立希望ヶ丘高等学校(かながわけんりつ きぼうがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市旭区南希望が丘にある県立高等学校。
目次
概要
神奈川県尋常中学校として横浜市西区藤棚町(旧久良岐郡戸太町)にて創立された[1]。その後、名称を神奈川県中学校(1899年)、神奈川県第一中学校(1900年)、神奈川県立第一中学校(1901年)、神奈川県立第一横浜中学校(1913年)、神奈川県立横浜第一中学校(1923年)と改称する。1923年9月1日の関東大震災においては罹災者を校内に受け入れ、復興拠点の1つとなった。1945年5月29日の横浜大空襲によって校舎焼失、現在の横浜市金沢区六浦(旧久良岐郡六浦荘村)へ移転する[2]。
戦後の学制改革を経て、神奈川県立横浜第一高等学校(1948年)、神奈川県立希望ヶ丘高等学校(1950年)と改称し、男女共学となる。1951年9月、横浜市旭区南希望が丘(旧都筑郡二俣川村)へ移転した。現在地は相模鉄道の寄付による[3]。全日制と定時制が設置されている。
沿革
- 1897年
- 1899年2月6日 - 神奈川県中学校と改称[6]
- 1900年4月1日 - 神奈川県第一中学校と改称[7]
- 1901年5月7日 - 神奈川県立第一中学校と改称[8]
- 1912年6月18日 - 創立15周年記念式典を挙行[9]
- 1913年4月1日 - 神奈川県立第一横浜中学校と改称[10]
- 1923年
- 1927年5月5日 - 初代校舎群の復旧工事を開始
- 1928年12月14日 - 校旗制定(通称「神中校旗」)[13]
- 1929年1月15日 - 初代校舎群の復旧工事終了(第3期工事完了)[14]
- 1932年10月9日 - 創立35周年祝賀式を開催[15]
- 1934年2月12日 - 校歌制定(作曲山田耕筰、作詞佐佐木信綱)[16]
- 1945年
- 1946年4月1日 - 旧海軍航空技術廠工員寮(通称「金沢校舎」)に移転し、授業開始
- 1948年4月1日 - 神奈川県立横浜第一高等学校と改称[17]
- 1950年4月1日 - 神奈川県立希望ヶ丘高等学校と改称[18]、男女共学と19学区制実施
- 1951年
- 9月11日 - 現在地において第二代校舎群の第1期工事完了
- 9月19日 - 金沢校舎より現在地へ移転
- 10月24日 - 第二代校舎群の落成祝賀記念式を挙行[19]
- 1957年
- 11月4日 - 講堂兼体育館(通称「旧体」)竣工
- 11月8日 - 創立60周年記念として講堂兼体育館の落成記念祝賀会を挙行
- 1960年8月16日 - 運動部更衣室(通称「旧部室」)竣工
- 1963年4月1日 - 9学区制実施により横浜中部学区に属する
- 1967年6月16日 - 創立70周年記念式典を挙行[20]
- 1969年2月17日 - 第三代校舎群建設のための地鎮祭を実施
- 1970年1月26日 - 普通教室棟(通称「A棟」)竣工(第1期工事完了)
- 1973年 - 特別教室棟(通称「C棟」)竣工(第4期工事完了)
- 1974年5月31日 - 柔剣道場(通称「格技場」)竣工
- 1975年12月23日 - 管理棟兼普通教室棟(通称「B棟」)竣工(第5期工事完了)
- 1977年12月6日 - 創立80周年記念事業として正門と門扉を設置[21]
- 1979年
- 9月27日 - 運動部新部室(通称「新部室」)竣工
- 12月4日 - 新体育館(通称「新体」)竣工
- 1981年4月1日 - 16学区制実施により横浜西部学区に属する
- 1985年3月1日 - 新校歌制定(作曲三善晃、作詞飯田侑)
- 1987年11月14日 - 創立90周年記念として新校章「希高」を制定[22]
- 1989年3月29日 - 文化部棟(通称「D棟」)竣工
- 1997年10月25日 - 創立100周年記念式を挙行[23]
- 2002年4月1日 - 総合的な学習の時間と完全学校週5日制実施[24]
- 2004年4月1日 - 2学期制開始
- 2005年4月1日 - 学区制廃止
- 2010年4月22日 - 神奈川県教育委員会から県立高校教育力向上推進事業による学力向上進学重点校に指定される[25]
- 2011年4月1日 - 3学期制再開[26]
- 2013年6月13日 - 神奈川県教育委員会から県立高校教育力向上推進事業による学力向上進学重点校に再度指定される[27]
教育
校歌
教育目標
- 学習はすべて自発的に行い、自学自習を重んじ、自己の能力と資質を最大限に伸ばす
- 行動はすべて自主的に行い、自律自制を旨とする
- 社会人としての意識を明確にし、和衷協同を旨とする
- 社会人としての言動、礼法に注意し、情操豊かな人となる
- 節度ある学校生活を通じて、心身の健康をはかる
教育課程
- 生徒の大半が大学に進学して専門的に学ぶことを希望しているので、大学での教育に耐えうる学力の養成を念頭においた授業が月曜から金曜まで毎日1コマ45分×7時限で展開されている。
- 1・2年次に基礎・基本をしっかりと身につけ、幅広く学ぶことで視野を広げる。2年生まで全員が同じ科目を履修する(芸術は1つを選択)。これにより自分の適性を見極め、3年次での進路選択につなげている。
- 1・3年次にある総合的な学習の時間では、自分の趣味・関心に基づいた自由研究を行う。1年次は個別研究、3年次では多彩な20講座以上にもおよぶゼミに所属して研究する方式をとっている。
学校行事
課外活動
運動部
文化部
同好会
- 囲碁・将棋同好会
- 委員会
- 記念祭運営委員会
- 合唱祭運営委員会
- 球技大会運営委員会
- 図書委員会
著名な出身者
分野別五十音順
政治・行政
- 相沢英之(元大蔵省理財局長、元大蔵省主計局長、元大蔵事務次官、元衆議院議員、元経済企画庁長官、元金融再生委員会委員長)
- 相原力(元運輸省運輸政策局長、元海上保安庁長官)
- 浅沼清太郎(元大阪府警本部長、元警察庁警務局長、元警察庁長官)
- 飛鳥田一雄(元横浜市長、元衆議院議員、元日本社会党委員長)
- 荒川昌二(元対満事務局次長、元横浜正金銀行頭取、元ベルギー大使)
- 池田清志(元栃木県知事、元衆議院議員、元厚生政務次官、元大蔵政務次官、元衆議院法務委員長)
- 太田正孝(横浜市議会議員)
- 岡部三郎(元参議院議員、元北海道開発庁長官、元沖縄開発庁長官)
- 小此木彦三郎(元衆議院議員、元通産大臣、元建設大臣)
- 川合武(元総理秘書官、元自治省消防庁次長、元衆議院議員)
- 来栖三郎(元外務省通商局長、元ベルギー大使、元ドイツ大使、元アメリカ大使)
- 斎藤文夫(元参議院議員、川崎・砂子の里資料館館長)
- 鈴木隆雄(元警察庁科学警察研究所副所長)
- 冨沢篤紘(元衆議院議員)
- 平川守(元農林事務次官)
- 本間精(元警視庁警務部長、元内務省警保局長、元秋田県知事、元岡山県知事、元福岡県知事)
- 松隈秀雄(元大蔵省主税局長、元大蔵次官、元日本専売公社総裁)
- 三浦義秋(元駐漢口総領事、漢口事件担当)
- 三島健二郎(元警視庁警備部長、元千葉県警本部長、元警察庁警備局長)
- 山本鎮彦(元警視庁公安部長、元兵庫県警本部長、元警察庁警備局長、元警察庁長官、元ベルギー大使)
- 横溝光暉(元内閣情報部長、元岡山県知事、元熊本県知事)
- 吉瀬維哉(元大蔵省主計局長、元大蔵事務次官、元日本開発銀行総裁)
経済・経営
- 有吉義弥(元商船管理委員会理事長、元日本郵船会長)
- 小原敏人(元日本ガイシ会長、元中部経済連合会副会長)
- 行天豊雄(元大蔵省国際金融局長、元財務官、元東京三菱銀行会長、元内閣官房参与)
- 小島正興(元丸紅常務、元セコム副会長)
- 小室恒夫(元通商産業省通商局長、元新日鐵化学会長)
- 佐藤喜一郎(元帝国銀行頭取、元三井銀行会長、元経団連評議員会議長、元日本棋院総裁)
- 間塚道義(富士通会長)
- 松信太助(有隣堂創設者)
- 山木利満(小田急電鉄社長)
- 山口一弥(元郵便事業株式会社東京支社長、日本郵政株式会社郵政大学校長)
- 渡邉美樹(元ワタミフードサービス会長、郁文館学園理事長、参議院議員)
学術・研究
- 池田善長(農業経済学者、元北海学園大学経済学部長)
- 大島正満(生物学者、元東京府立高等学校教授)
- 大須賀明(憲法学者、早稲田大学名誉教授、東洋大学教授)
- 小野塚知二(経済学者、東京大学教授)
- 加藤衛(演劇評論家、元横浜市立大学教授)
- 木村健二郎(化学者、元東京大学教授、元東京女子大学学長)
- 小林良彰(政治学者、慶應義塾大学教授、横浜国立大学教授、元日本政治学会理事長、日本学術会議副会長)
- 小塚新一郎(哲学者、元東京芸術大学学長)
- 佐藤次高(歴史学者、東京大学名誉教授)
- 酒井一夫(経済学者、元北海道大学教授)
- 清水元(法学者、中央大学大学院教授)
- 鈴木和夫(工学者、横浜国立大学教授)
- 種瀬茂(経済学者、元一橋大学学長、元国立大学協会副会長)
- 高橋勝(教育学者、横浜国立大学名誉教授)
- 坪田幸政(理学者、桜美林大学教授)
- 藤田統(心理学者、元筑波大学学長)
- 長島裕二(東京海洋大学教授)
- 長沼毅(生物学者、広島大学准教授)
- 松信八十男(環境問題研究家、慶応義塾大学名誉教授)
- 村尾次郎(歴史学者、元文部省主任教科書調査官)
- 宮丸裕二(英米文学者、中央大学教授)
文学・芸術
- 秋岸寛久(作曲家)
- 大野林火(俳人、蛇笏賞受賞)
- 川村毅(劇作家、岸田國士戯曲賞受賞、鶴屋南北戯曲賞受賞、芸術選奨受賞)
- 倉橋羊村(俳人、現代俳句協会副会長)
- 國領經郎(洋画家、日本芸術院賞受賞)
- 高橋秀実(作家、小林秀雄賞受賞)
- 寺田透(文芸評論家、元東京大学教授、毎日出版文化賞受賞、毎日芸術賞受賞)
- 野尻抱影(文学者・随筆家)
- 野中雄一(編曲家、AKB48編曲担当)
- 黛敏郎(作曲家、元題名のない音楽会司会、元日本を守る国民会議議長、元自由社会を守る国民会議代表)
- 門奈紀生(バンドネオン奏者)
- 矢代幸雄(美術史家、元美術研究所所長)
- 山下和美(漫画家、講談社漫画賞受賞)
- 山田和樹(指揮者、ブザンソン国際指揮者コンクール優勝)
- 山本昌代(作家、文藝賞受賞、三島由紀夫賞受賞)
マスメディア・芸能
- 青池玲奈(長野朝日放送アナウンサー)
- 杏里(歌手)(定時制)
- 伊藤かずえ(女優)(定時制中退)
- 植松真美(モデル)
- 植村智子(フリーアナウンサー)
- 桑田弘一郎(元朝日新聞東京本社代表、元テレビ朝日社長、元日本民間放送連盟会長)
- 佐藤英夫(俳優)
- 渋谷和宏(元日経ビジネス副編集長、元日経ビジネスアソシエ編集長)
- 関野武(元NHKアナウンサー)
- 田原彩香(フリーアナウンサー)
- 次山嘉一(俳優)
- 内藤國夫(元毎日新聞編集委員)
- 中村俊一(俳優、劇団仲間主催者)
陸海軍・自衛隊
- 石塚榮(元第1掃海隊群司令、元海上自衛隊第1術科学校長、元海上自衛隊幹部学校長、元海将)
- 今井賢二(元第1潜水隊群司令、元第1護衛隊群司令、元自衛艦隊司令部幕僚長、元海将補)
- 小田原俊彦(元第一航空艦隊参謀長、元海軍少将)
- 田尻昌次(元陸軍運輸部長、元第一船舶輸送司令官、元陸軍中将)
- 中島直熊(元駆逐艦羽風艦長、元海軍大佐)
- 中村俊久(元第三艦隊参謀長、元南西方面艦隊参謀長、元侍従武官、元海軍中将)
- 藤田雄蔵(元航研機操縦士、周回航続距離世界記録樹立、元陸軍中佐)
- 黛治夫(元重巡洋艦古鷹副長、元戦艦大和副長、元重巡洋艦利根艦長、元海軍大佐)
- 元泉馨(元第17師団参謀長、元満州国軍事顧問、元北支那方面軍第一軍独立歩兵第14旅団長、元陸軍少将、元中華民国国軍中将)
- 安永稔(元大湊地方総監、元横須賀地方総監、元海将)
- 山口三郎(元海軍中佐)
- 米川忠吉(元飛行教育集団司令官、元航空総隊司令官、元航空幕僚長、元空将)
その他
- 佐伯秀光(元共産主義者同盟幹部)
- 酒井美帆(ミス日本「水の天使」受賞)
- 佐々木太一(黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会若鷲賞受賞)
- 滝本太郎(弁護士)
- 松信幹男(山手学院中学校・高等学校創立者)
著名な教職員
- 安彦忠彦(元英語科教諭、名古屋大学名誉教授、神奈川大学教授)
- 犬養孝(元国語科教諭、元旧制台北高等学校教授、大阪大学名誉教授)
- 鳴山草平(元国語科教諭、小説家)
- 菊地龍道(元校長、駒場東邦中学校・高等学校創立者)
- 木村繁四郎(元校長、東奥義塾・札幌農学校出身)
- 黒土四郎(元校長、横浜中学校・高等学校創立者)
- 小森慶助(元校長、元静岡市市長、元旧制甲南高等学校校長)
- 田代博(元社会科教諭、地理学者、元筑波大学附属高等学校教諭)
- 矢口仁也(元教頭、元白鵬女子高等学校校長、元社会民主党神奈川連合幹部、元日本未来の党幹部)
旧学区
学区撤廃以前は横浜西部学区(1981-2004年度/以下各校)に属していた
- 神奈川県立希望ヶ丘高等学校
- 神奈川県立旭高等学校
- 神奈川県立中沢高等学校(2004年都岡高等学校と統合、神奈川県立横浜旭陵高等学校となる)
- 神奈川県立都岡高等学校(2004年中沢高等学校と統合、神奈川県立横浜旭陵高等学校となる)
- 神奈川県立和泉高等学校(2008年岡津高等学校と統合、神奈川県立横浜緑園総合高等学校となる)
- 神奈川県立松陽高等学校
- 神奈川県立岡津高等学校(2008年和泉高等学校と統合、神奈川県立横浜緑園総合高等学校となる)
- 神奈川県立瀬谷高等学校
- 神奈川県立瀬谷西高等学校
関連項目
注
- ↑ 校舎跡地周辺は同窓会桜蔭会、神奈川県教育会館、神奈川県高等学校教育会館等により管理されている
- ↑ 浮世絵師歌川広重による金沢八景の「内川暮雪」の舞台近郊テンプレート:Cite web
- ↑ 相模鉄道(当時川又貞次郎社長)が希望ヶ丘駅(開通1948年5月26日)近郊の土地を神奈川県に寄付をした
- ↑ (神奈川県告示第18号)「神奈川県尋常中学校ヲ久良岐郡戸太町戸部ニ設置ス但シ開校ノ期日ハ追テ告示ス」
- ↑ 文部大臣蜂須賀茂韶の代理として文部次官都筑馨六と神奈川県知事中野健明が来校した際に記念式典を開催した
- ↑ 第2次中学校令によって「尋常中学校」が「中学校」に改称されたため
- ↑ 現在の神奈川県立小田原高等学校の前身である神奈川県第二中学校が設立されたため
- ↑ 「学校ノ名称ニ何々立ノ文字ヲ冠セシム」との文部省令が発せられたため
- ↑ 東京帝国大学教授井上哲次郎が来校して講演を行うと共に陸軍戸山学校軍楽隊が来校して演奏会を開催する
- ↑ 現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校の前身である神奈川県立第二横浜中学校の設立が文部省により認可されたため(大正2年文部省告示第56号)テンプレート:Cite web
- ↑ 現在の神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校の前身である神奈川県立横浜第三中学校が設立されたため
- ↑ 関東大震災により庁舎を焼失した戸部警察署が校内に移転し、日本赤十字社奈良県支部の救護班や工兵第14大隊(陸軍第14師団所属)を受け入れると共に罹災者のための避難バラック棟群が校庭に設営されて復興拠点の1つとなる。横浜商業高校(現横浜市立大学・横浜市立横浜商業高等学校)陸上部が校舎改築のため校内において練習していたことが契機となって震災復興行事として1924年5月に陸上競技の定期対抗戦(通称「Y校戦」)が開催される。太平洋戦争による中断を挟んで戦後は球技対抗戦も加わって、横浜市立横浜商業高等学校との定期対抗戦として1969年まで続いた
- ↑ 1928年12月4日の横浜港沖での御大礼特別観艦式(御召艦戦艦榛名)の行幸奉迎記念として調整された
- ↑ 陸軍大臣荒木貞夫の揮毫により剣道場には「心身無碍」の扁額、嘉納治五郎の揮毫により柔道場には「力必達」の扁額が寄贈される
- ↑ 文部大臣鳩山一郎と神奈川県知事横山助成が来校した際に記念式典を開催した。1933年11月11日には同窓会より海防艦満州の時鐘が寄贈される
- ↑ 1934年2月13日には山田耕筰が来校して講演を行う。それまでは奈良時代の歌人・大伴家持の「海行かば」を代用校歌として使用していた
- ↑ 学制改革により旧制中学が新制高校に改組されたため
- ↑ ナンバースクール廃止に従い、現在地の最寄駅名に改称したため
- ↑ 神奈川県知事内山岩太郎が来校した際に記念式典を開催する
- ↑ 1967年6月22日に横浜市長飛鳥田一雄が来校して講演を行う
- ↑ 同窓会よりグランドピアノが寄贈される
- ↑ 同窓会より応援旗(通称「神高旗」)が寄贈される
- ↑ パシフィコ横浜国立大ホールにて記念式典を開催し、神奈川県知事岡崎洋と東京大学教授佐藤次高による講演が行われる
- ↑ 1999年3月29日文部省告示高等学校学習指導要領が実施される
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2009年3月文部科学省告示高等学校学習指導要領が実施される
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 大和スポーツセンター競技場で開催
- ↑ 京都帝国大学の開校記念式に出席していた文部大臣蜂須賀茂韶の代理として文部次官都筑馨六と神奈川県知事中野健明が来校した際に記念式典を実施した6月18日を開校記念日としており、6月18日前後の週末に校内において開催される。金沢校舎(旧海軍航空技術廠工員寮)にて旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)の紀年祭(現駒場祭)を模して文化祭として行われたのがはじまり
- ↑ 大学共通第1次学力試験及び大学入試センター試験により卒業式前に開催されていた予餞会の開催が困難となったため代替行事として実施される
- ↑ 1951年に第33回全国高等学校野球選手権大会に出場する。これ以降、2013年まで神奈川県立高校の夏の甲子園大会への出場はない(神奈川県の公立高校として夏の甲子園に出場した5校のうちの一つ)
- ↑ 1972年に第51回全国高等学校サッカー選手権大会に出場する
- ↑ 2005年に東日本学校吹奏楽大会コンクール部門に出場する。2011年12月25日に 東日本大震災の復興行事として横浜市立南希望が丘中学校と横浜市立希望が丘小学校と共に東日本大震災で被災した岩手県立大槌高等学校吹奏楽部の生徒を横浜に招待して合同コンサートを開催したテンプレート:Cite web2013年12月27日には東日本大震災の被災地支援として神奈川県立湘南高等学校と神奈川県立川和高等学校の吹奏楽部と合同演奏会を開催して、岩手県大槌町に音楽ホールを建設するためのチャリティーコンサートを行ったテンプレート:Cite webなお、大会・演奏会等すべてを生徒の指揮で演奏している
- ↑ まんが甲子園では2007年全国第5位、2009年全国第3位、2010年全国準優勝、2013年全国第9位である
- ↑ 2007年6月にラジオ日本内の高校球児応援番組「甲子園に行こう」において本番組にラジオドラマを寄贈し、参加した64校の中で優秀賞を受賞した
参考文献
「神中神高希望ヶ丘高校百年史<歴史編><資料編>」(1998年7月神奈川新聞社刊行)