観艦式
観艦式(かんかんしき)とは、軍事パレードのひとつで、軍艦を並べて壮行する式のことである。国家の祝典の際や、海軍の記念行事の一環として行なわれるのが一般的である。2005年(平成17年)には、トラファルガー海戦200周年を記念する国際観艦式がイギリス・ポーツマスで行われた。
目的
かつては、味方の艦隊を観閲することにより、軍の士気を高め、国民や友好勢力には、精強さをアピールすると共に、敵勢力に対する示威行為とすることであった。しかし現在では、他国からの艦艇を招き、国際親善や防衛交流を促進することや、自国民の海軍に対する理解を深めることが主要な目的である。
方法
主に、受閲艦艇が停泊し、その間を観閲艦艇が航行する方法が世界的には多い方式である。この他に、受閲艦艇と観閲艦艇の双方が航行しながら観閲する方法や陸上から観閲する方法がある。海上自衛隊の場合には、双方が航行しながら観閲する方法を採用しているが、さらに展示訓練を加えている。
起源
観艦式の起源は、1341年、英仏の百年戦争の最中に、イングランドの王、エドワード3世が出撃の際、自軍艦隊の威容を観閲したことに始まる。また、現在各国で行なわれている観艦式の様式は、1897年(明治30年)、イギリスのビクトリア女王即位60年祝賀の際に挙行されたものが基となっている。
日本海軍
日本における観艦式の起源は、明治元年3月26日(1868年)に大阪の天保山の沖において行われたものである[1]。この時は、明治天皇が陸上から観閲し[1]、受閲艦艇は日本の6隻及びフランス海軍の1隻で、受閲艦艇の総指揮官は旗艦電流丸(佐賀藩)に座乗した石井忠亮海軍中佐であった。
その後、1878年(明治11年)に当時の海軍卿川村純義が、海軍の本体である艦隊そのものを天覧に供することで海軍の進歩を図るべきと、太政大臣三条実美に上申し、その結果、1890年(明治23年)に神戸沖で実施された「海軍観兵式」が近代海軍としての観艦式の始まりである。その次の1900年(明治33年)の式からは名称も「観艦式」となった。1900年から1908年(明治41年)まで御召艦(おめしかん)に選ばれた装甲巡洋艦「浅間」は、日本海軍の観艦式で最も多数回、御召艦に選ばれた軍艦である。
戦前には、観艦式は明治元年に天保山沖で行なわれたものから数えて全部で18回[2]行なわれた。特に、1905年(明治38年)の東京湾凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)と、1928年(昭和3年)の昭和天皇の即位の大礼に伴う観艦式は、連合艦隊に加え、外国の軍艦も参加する盛大なものであった。
観艦式一覧
ここでは便宜上、正式名称の前に年号を付加してそれぞれの観艦式を区別する(1940年(昭和15年)の紀元二千六百年特別観艦式を除く)。名称の後に続くのは実施日と実施場所(と備考)[3]。
- 大演習観艦式
- 1900年(明治33年)4月30日、神戸沖。
- 御召艦:『浅間』
- 参加:軍艦23隻、水雷駆逐艇(駆逐艦)8隻、水雷艇18隻、計49隻(12万9,601トン)
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 『明石』、『宮古』、『八重山』、
- 『陽炎』
- 第一列
- 『敷島』、『八島』、『富士』、『常盤』、『鎮遠』、『扶桑』、『松島』、『厳島』、『橋立』
- 第二列
- 『笠置』、『千歳』、『高砂』、『吉野』、『高千穂』、『秋津洲』、『和泉』、『千代田』、『龍田』
- 第三列
- 『豊橋』、
- 『雷』、『電』、『曙』
- 『隼』、『福龍』、『第二十四号』、『第二十九号』、『第三十一号』、『第三十三号』、『第三十五号』、『第十二号』、『第十七号』
- 第四列
- 『東雲』、『叢雲』、『夕霧』、『不知火』
- 『小鷹』、『第二十一号』、『第二十五号』、『第三十号』、『第三十二号』、『第三十四号』、『第三十六号』、『第十三号』、『第二十六号』
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1903年(明治36年)4月10日、神戸沖。
- 参加:軍艦32隻、駆逐艦13隻、水雷艇23隻、その他1隻、計69隻(21万7,176トン)
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 『宮古』、『千早』、『金剛』
- 『夕霧』、
- 『呉丸』
- 参加軍艦
- 『三笠』、『初瀬』、『敷島』、『朝日』、『富士』、『八島』
- 『常盤』、『磐手』、『出雲』、『八雲』、『吾妻』
- 『笠置』、『千歳』、『高砂』、『吉野』、『浪速』、『高千穂』、『秋津洲』、『須磨』、『明石』、『和泉』、『千代田』
- 『鎮遠』、『扶桑』
- 『平遠』、『高雄』、『筑紫』、
- 駆逐艦
- 『雷』、『電』、『曙』、『叢雲』、『不知火』、『陽炎』、『薄雲』、『暁』、『霞』、『白雲』、『朝潮』、『漣』
- 水雷艇
- 『隼』、『白鷹』、『鵲』、『真鶴』、『千鳥』、『第三十九号』、『第四十号』、『第四十一号』、『第四十二号』、『第四十三号』、『第六十二号』、『第六十三号』、『第六十四号』、『第六十五号』、『第六十六号』、『第三十一号』、『第三十二号』、『第三十三号』、『第三十四号』、『第三十五号』、『福龍』、『第二十一号』、『第二十四号』
- 御召艦
- 東京湾凱旋観艦式(日露戦争凱旋観艦式)
- 1905年(明治38年)10月23日、横浜沖。日露戦争終結
- 参加:軍艦38隻、仮装巡洋艦12隻、駆逐艦28隻、水雷艇77隻、潜水艇5隻、計165隻(32万4,159トン)
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 『龍田』、『千早』、『八重山』
- 『満州丸』
- 参加軍艦
- 『敷島』、『富士』、『朝日』、『相模』、『丹後』、『扶桑』、『鎮遠』、『壱岐』
- 『出雲』、『常盤』、『八雲』、『吾妻』、『磐手』、『春日』、『日進』
- 『浪速』、『高千穂』、『厳島』、『橋立』、『笠置』、『千歳』、『和泉』、『千代田』、『秋津洲』、『須磨』、『明石』、『新高』、『対馬』、『音羽』、『沖島』、『見島』
- 『高雄』、『筑紫』、『磐城』、『摩耶』、『鳥海』、『赤城』、『宇治』
- 仮装巡洋艦
- 『姉川丸』、『松江丸』、『日本丸』、『香港丸』、『八幡丸』、『臺中丸』、『臺南丸』、『豊橋』、『春日丸』、『日光丸』、『熊野丸』、『韓崎丸』
- 駆逐艦
- 『東雲』、『叢雲』、『夕霧』、『不知火』、『陽炎』、『薄雲』、『雷』、『電』、『曙』、『漣』、『朧』、『白雲』、『朝潮』、『霞』、『春雨』、『村雨』、『朝霧』、『有明』、『吹雪』、『霰』、『皐月』、『潮』、『初霜』、『神風』、『弥生』、『子ノ日』、『如月』、『山彦』
- 水雷艇
- 『小鷹』以下七七隻
- 潜水艇
- 『第一』、『第二』、『第三』、『第四』、『第五』
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1908年(明治41年)11月18日、神戸沖。
- 参加:軍艦50隻、駆逐艦53隻、水雷艇12隻、潜水艇7隻、その他1隻、計124隻(40万4,460トン)
- 御召艦
- 『浅間』
- 供奉艦
- 『満州』、『浦波』、『豊橋』、『韓崎』
- 第一列
- 『三笠』、『富士』、『朝日』、『相模』、『敷島』、『肥前』、『石見』、『周防』、『吾妻』、『八雲』、『日進』、『春日』、『宗谷』、『音羽』、『新高』、『対馬』
- 第二列
- 『筑波』、『生駒』、『香取』、『鹿島』、『出雲』、『磐手』、『常盤』、『阿蘇』、『笠置』、『千歳』、『浪速』、『高千穂』、『秋津洲』、『千代田』
- 第三列
- 『壱岐』、『鎮遠』、『沖島』、『見島』、『厳島』、『橋立』、『八重山』、『須磨』、『最上』、『龍田』、『和泉』、『千早』、『鈴谷』、『明石』
- 第四列
- 駆逐艦・水雷艇14隻
- 第五列
- 駆逐艦・水雷艇・その他22隻
- 第六列
- 駆逐艦・水雷艇20隻、潜水艇7隻
- 列外
- 外国陪観艦船
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1912年(大正元年)11月12日、横浜沖。
- 参加:軍艦45隻、駆逐艦53隻、水雷艇11隻、潜水艇3隻、その他3隻、計115隻(46万0,825トン)、水上機2機
- 御召艦
- 『筑摩』
- 先導艦
- 『海風』
- 供奉艦
- 『平戸』、『矢矧』、『満州』
- 御召艦
- 御大礼特別観艦式
- 1915年(大正4年)12月4日、横浜沖。
- 参加:軍艦53隻、駆逐艦52隻、潜水艇6隻、水雷艇3隻、その他10隻、計124隻(59万8,848トン)、水上機9機
- 御召艦
- 『筑波』
- 供奉艦
- 『常盤』、『矢矧』、『満州』
- 指揮官乗艦
- 『扶桑』
- 第一艦隊
- 第一戦隊『摂津』、『河内』、『安芸』、『薩摩』
- 第三戦隊:『比叡』、『金剛』、『榛名』、『霧島』
- 第五戦隊:『鞍馬』、『伊吹』、『生駒』、『筑波』
- 第一水雷戦隊:『八雲』、第十六、第十一、第十、第七駆逐隊
- 第三水雷戦隊:『春日』、第五、第六、第八、第十四駆逐隊
- 第二艦隊
- 第二戦隊:『鹿島』、『三笠』、『敷島』、『肥前』、『朝日』、『周防』、『相模』、『石見』、『富士』
- 第四戦隊:『日進』、『常盤』、『阿蘇』、『宗谷』
- 第六戦隊:『磐手』、『出雲』、『吾妻』
- 第二水雷戦隊:『利根』、第一、第二、第三、第九駆逐隊
- 第四水雷戦隊:『韓崎』、『駒橋』、第二、第三潜水艇隊、第一、第二、第九艇隊
- 第三艦隊
- 第七戦隊:『津軽』、『平戸』、『筑摩』、『矢矧』、『笠置』、『千歳』
- 第八戦隊:『対馬』、『新高』、『音羽』、『最上』
- 第九戦隊:『橋立』、『大和』、『武蔵』、『千早』、『嵯峨』、『宇治』
- 列外
- 『満州』、『熊野丸』、『高崎』、『若宮』、『松江』
- 御召艦
- 恒例観艦式
- 1916年(大正5年)10月25日、横浜沖。
- 参加:軍艦26隻、駆逐艦43隻、潜水艇6隻、その他9隻、計84隻(47万2,254トン)、水上機4機
- 御召艦
- 『筑波』
- 供奉艦
- 『伊吹』
- 御召艦
- 御親閲式
- 1919年(大正8年)7月29日、横須賀沖。第一次世界大戦で地中海へ派遣された第一、第二特務艦隊と工作艦関東、ドイツからの戦利潜水艦7隻を親閲。
- 参加:計26隻(8万6,013トン)
- 御召艦
- 『出雲』
- 供奉艦
- 『磐手』、『浦風』
- 第一特務艦隊:『磐手』、『千歳』
- 第二特務艦隊:『出雲』、『日進』
- 第二十二駆逐隊:『桂』、『楓』、『梅』、『楠』
- 第二十三駆逐隊:『榊』、『柏』、『松』、『杉』
- 第二十四駆逐隊:『桃』、『柳』、『樫』、『檜』
- 工作船『関東』
- ドイツ戦利潜水艦7隻
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1919年(大正8年)10月28日、横浜沖。
- 参加:計111隻(62万4,180トン)、飛行機12機
- 御召艦
- 『摂津』
- 供奉艦
- 『平戸』、『香取』、『筑摩』、『満州』
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1927年(昭和2年)10月30日、横浜沖。
- 参加:計158隻(66万4,292トン)、飛行機82機、飛行船3隻
- 御召艦
- 『陸奥』
- 先導艦
- 『鬼怒』
- 供奉艦
- 『阿武隈』、『由良』、『球磨』、『長良』
- 第一列
- 『長門』、『伊勢』、『日向』、『山城』、『扶桑』、『赤城』、『鳳翔』、『川内』、『名取』、『那珂』、『平戸』、『五十鈴』、『島風』、『灘風』、『夕風』、『汐風』
- 第二列
- 『金剛』、『比叡』、『加古』、『古鷹』、『青葉』、『衣笠』、『大井』、『矢風』以下駆逐艦14隻
- 第三列
- 『龍田』、『梅』以下駆逐艦13隻、『多摩』、『駆逐艦三二号』以下駆逐艦11隻
- 第四列
- 『夕張』、『駆逐艦二八号』以下駆逐艦25隻
- 第五列
- 『迅鯨』、『呂六七』以下9隻、『長鯨』、『伊二』以下10隻、駆逐艦5隻
- 第六列
- 『木曾』、潜水艦9隻、『北上』、潜水艦10隻、掃海艇4隻
- 第一番列外
- 『大泊』以下特務艦艇12隻
- 第二番列外
- 『大成丸』以下各種艦艇12隻
- 御召艦
- 御大礼特別観艦式
- 1928年(昭和3年)12月4日、横浜沖。
- 参加:計186隻(77万8,891トン)、飛行機130機、飛行船2隻
- 御召艦
- 『榛名』
- 先導艦
- 『金剛』
- 供奉艦
- 『比叡』、『磐手』
- 第一列
- 『長門』、『陸奥』、『扶桑』、『日向』、『山城』他巡洋艦15隻
- 第二列
- 『春日』、『藤』以下駆逐艦31隻
- 第三列
- 『天龍』、『芙蓉』以下駆逐艦31隻
- 第四列
- 『加賀』、『赤城』、『鳳翔』、『那智』、『衣笠』、『青葉』、『加古』、『古鷹』、『長良』以下巡洋艦4隻、『東雲』以下駆逐艦8隻
- 第五列
- 『長鯨』、『迅鯨』、『吹雪』以下駆逐艦5隻、潜水艦19隻、掃海艇5隻、『朝日』、『大泊』
- 第六列
- 『淀』、『駒橋』、『海風』以下駆逐艦4隻、潜水艦20隻、掃海艇5隻、特務艦3隻
- 第一番列外
- 第二番列外
- 『大成丸』以下拝観船15隻
- 御召艦
- 特別大演習観艦式
- 1930年(昭和5年)10月26日、神戸沖。
- 参加:計165隻(70万3,295トン)、飛行機72機
- 御召艦
- 『霧島』
- 先導艦
- 『足柄』
- 供奉艦
- 『妙高』、『那智』、『羽黒』
- 第一列
- 『陸奥』、『榛名』、『山城』、『伊勢』、『長門』、『日向』、『青葉』、『衣笠』、『加古』、『古鷹』、『北上』、『多摩』、『厳島』、『白鷹』以下14隻
- 第二列
- 『赤城』、『加賀』、『鳳翔』、『由良』、『長良』、『川内』、『名取』、『神通』、『大井』、『龍田』、『野風』以下18隻
- 第三列
- 『夕張』、『太刀風』以下駆逐艦23隻、掃海艇
- 第四列
- 『那珂』、『早蕨』以下駆逐艦22隻、掃海艇
- 第五列
- 『鬼怒』、『深雪』以下駆逐艦13隻、掃海艇
- 第六列
- 『天龍』、『五十鈴』、海防艦、特務艦、敷設艦、潜水艦23隻
- 番外第一列
- 『早鞆』以下16隻
- 番外第二列
- 『べるふあすと丸』以下18隻
- 御召艦
- 大演習観艦式
- 1933年(昭和8年)8月25日、横浜沖。
- 参加:計161隻(84万7,766トン)、飛行機200機
- 御召艦
- 『比叡』
- 先導艦
- 『鳥海』
- 供奉艦
- 『愛宕』、『高雄』、『摩耶』
- 第一列
- 『春日』、掃海艇6隻、駆逐艦8隻、特務艦艇9隻
- 第二列
- 『加賀』、『鳳翔』、『青葉』、『衣笠』、『加古』、『神通』、駆逐艦12隻、特務艦2隻
- 第三列
- 『陸奥』、『日向』、『榛名』、『金剛』、『阿武隈』、『名取』、『由良』、『夕張』、駆逐艦12隻、『白鷹』
- 第四列
- 『迅鯨』、『球磨』、『多摩』、潜水艦21隻、『厳島』
- 第五列
- 『長門』、『扶桑』、『霧島』、『伊勢』、『足柄』、『那智』、『羽黒』、『妙高』、『古鷹』、『大井』、『那珂』、『川内』、『木曾』、『北上』、駆逐艦3隻
- 第六列
- 『赤城』、『龍驤』、『鬼怒』、駆逐艦16隻、潜水艦3隻
- 第七列
- 『龍田』、駆逐艦12隻、『長鯨』、潜水艦11隻
- 列外
- 『野島』以下15隻
- 御召艦
- 特別大演習観艦式
- 1936年(昭和11年)10月29日、神戸沖。
- 参加:計100隻(58万0,133トン)、飛行機100機
- 紀元二千六百年特別観艦式
- 1940年(昭和15年)10月11日、横浜沖。日本海軍最後の観艦式
- 参加:計98隻、飛行機527機
海上自衛隊
第二次世界大戦後は海軍解体に伴い途絶えていたが、1957年(昭和32年)10月1日に東京湾において海上自衛隊により再開された。その後、1973年(昭和48年)まではほぼ毎年実施されていたが、オイルショックのためこの年を最後に中止された。1981年(昭和56年)に復活し、それ以後はほぼ3年おきに行なわれている。
1996年(平成8年)以降は、自衛隊記念日の行事の一環として陸上自衛隊の「中央観閲式」、航空自衛隊の「航空観閲式」と順番に行われる。観艦式の付帯行事として、平日に二度の予行が実施されるほか、青少年体験航海、艦艇の一般公開や音楽隊の演奏なども行われる。また、一般市民も公募で見学できるようになった。
自衛艦隊司令官が執行者を務める。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite book
- ↑ 明治2年の凱旋整列式を含めると全部で19回。
- ↑ この一覧は海軍歴史保存会『日本海軍史 第11巻』(第一法規出版、1995年)p32-33による。
- ↑ 当時艤装中であったが拝観及び搭乗用として参加。
関連項目
外部リンク