全国こども電話相談室
テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 テンプレート:ウィキポータルリンク 全国こども電話相談室(ぜんこくこどもでんわそうだんしつ)は、TBSラジオなどJRN各局で毎週日曜日の朝(放送開始から1997年9月までは月曜日から金曜日までの夕刻)に放送されていた電話相談を行うラジオ番組。 通称は「こども電話」、「こども電話相談室」。
目次
概要
1964年7月13日、長時間ワイド番組『オーナー』の1コーナーとして放送開始(17:30頃から)、1966年10月より『オーナー』の終了に伴い単独番組となり、以降放送時間の変更・移動を経て、2008年9月28日まで44年3か月間に渡り続いた長寿番組である。
リスナーの小学生・中学生から電話で寄せられる質問に、スタジオの回答者(科学系の専門家やスポーツ選手、タレントなど)が親切・丁寧に答えていく生放送番組で、子どもたちの素朴な疑問に回答者がきりきり舞いさせられたり、彼らの発達度合いに合わせてどのような答え方をするかなどが聴きどころのひとつとなっていた。
スポンサーは当初浅草うまいもん会(TBSのみ。『オーナー』内包時代~)。その後集英社(1969年もしくは1970年頃~)→小学館(1977年頃~最終回まで)[1]。1997年秋に日曜日に移行後は小学館に加えて朝日新聞がスポンサーに加わり、朝日小学生新聞と連動した学校活動などの紹介コーナーが新設された。しかし両スポンサーの降板によって『全国こども電話相談室・リアル!』にリニューアルする形で終了した。なお、この「-こども電話相談室・リアル!」になってからは、原則として事前の収録放送となったため、電話での相談募集は留守番電話のみ、電話窓口での相談は廃止となった。また内容も当頁の学校教育・学習関係の質問番組から、人生相談的な内容にシフトされつつある。
質問の内容
毎回、回答者の得意分野に応じてある程度テーマの方向性(例:スポーツ、生物、ファッションなど)が決められていた。例えば、気象予報士の森田正光が出演する回では、天気に関する質問を募集告知した。
質問は電話のほか、ファクシミリやインターネットでも受け付けていたが、回答はすべて電話で行われた。放送で紹介されなくとも、寄せられた質問については放送終了後にスタッフや回答者が調査して、必ず個人的に回答してくれた。
週変わりコーナー
1時間番組昇格後に編成。 テンプレート:節stub
- 出張!こども電話
- 柳沢怜の生中継レポートによる公立学校巡回相談コーナー。
- 小学生のキモチ
- 全国の小学生の"本音"を語るトークコーナー。
- キッズステーション
- 朝日小学生新聞の企画と連動した学校活動紹介のコーナー。ちなみにCSテレビ放送のキッズステーションとは無関係で、直接的な関連性は持たないが、親会社のTBSが資本参加している。なお、かつてCS放送のキッズステーションでも、この番組をテレビ映像化した同名の番組が放送されていた。テンプレート:Main2
放送時間
- 毎週日曜日 9:00 - 9:55
1997年10月から、毎週日曜日朝の1時間番組(移動当時は8:00-8:55)となった。 テンプレート:Main2
出演
電話のお姉さん
- 高階玲子(1966年4月~1970年5月)
- 藤田恒美(1970年6月~1976年9月)
- 桐本幸子(1976年10月~1980年9月)
- 二階堂杏子(1980年10月~1986年8月)
- 平野市子(1986年9月~1997年9月)
- 近江七恵(1997年10月~2002年3月)
- 近堂かおり(2002年4月~2008年9月28日)
1964年のスタート時から1966年3月までは、レギュラー出演の電話のお姉さん(パーソナリティ)は設定されていなかった。
キャスター
- 柳沢怜(「出張!こども電話」コーナーを担当)
主な回答者
番組では「先生」と呼ばれ、毎回3人程度が出演していた。ゲストでタレントが出ることもあった。
テーマ曲
「全国こども電話相談室テーマソング」(作詞:吉岡治・作曲:八城一夫)は天地総子の歌唱で、放送開始当初から不変であった。CBSソニーファミリークラブ(現:ソニー・ミュージック)発売の『オリジナル版・懐かしのテレビ・ラジオ番組主題歌大全集』、近年ではCDアルバム『天地総子大全 フーコのコマソン・パラダイス』(2007年、SOLID RECORDS)の1曲目に収録されている。当番組は人気番組で知名度もかなり高かったことから、このテーマソングもTBS以外のテレビ・ラジオ局でも頻繁に用いられている。
ネット局
放送終了時点でのネット局は以下の通り。
- RAB 青森放送
- IBC IBC岩手放送
- ABS 秋田放送(トヨタカローラ秋田の一社提供)
- YBC 山形放送
- FBC 福井放送
- RSK 山陽放送
- JRT 四国放送(2006年10月~)
- RKC 高知放送
- OBS 大分放送
- MRT 宮崎放送(2008年4月より1年ぶりにネット再開)
- RBC 琉球放送
放送末期は北海道、中京広域圏、関西広域圏、福岡エリアでは内外問わず自社制作番組尊重の風潮があり未ネットだった。一時期スポンサーに朝日新聞が名を連ねていたが、朝日新聞の関連放送局である関西地区のJRN局・朝日放送では未ネットであった(ベルト番組時代には当初JRN非加盟のラジオ関西〔当時はNRN単独加盟〕にスポンサードネットされ、一時期金曜日に限りラジオ関西制作となっていたが、1977年10月頃にABCと並列でJRNに加盟している毎日放送に移行し、1990年までネットしていた[2])。また、かつて日曜日朝の放送をネットしていたことのある局は、信越放送、山梨放送、静岡放送、山陰放送、山口放送、南海放送、南日本放送である。
フィラーには、番組テーマ曲のオルゴール風アレンジバーションを使用していた。開始当初から使用していたためか、音源が伸び気味でノイズも多少あった。ローカルCMの少ない一部ネット局で聞くことが出来た。
なお未ネットのCBCラジオでは80年代の一時期、「もしもし!こども電話相談室」という類似企画番組が放送されていたこともあった。司会はつボイノリオ。
ベルト番組時代
スタートから1997年9月までは、月曜日から金曜日までのベルト番組であった。独立番組となってからは16:30-17:00の30分間、1983年4月11日からは30分繰り上がり、16:00-16:30に放送されていた。
当時は放送日に応じて聴取者宅の電話番号の末尾の奇数・偶数[3]で電話受付を制限しており、限られた時間で多くの質問をこなすべく、きびきびしたテンポで番組が進んでいた。スタジオの放送時間内で即答できなかった質問については「宿題」として、翌日の放送で回答していた。この場合、その日の最後の相談のやり取りの途中で「○○さん、番組はここで終わりですが、引き続き回答してもらいますのでこのまま電話を切らないで待っていてください」と相談者にコメントしていた。
JRN系列局のほとんどが同時ネットしており、前述の通り1976年9月までは系列外のラジオ関西まで同時ネットし、制作にも関与していたほどだが、末期には9局にまで減少した(秋田放送、新潟放送〈最後の半年のみ〉、信越放送、山梨放送、山陽放送、四国放送、南海放送、高知放送、琉球放送)。
姉妹番組
1999年頃、ラジオスタジオにカメラを持ち込み、その模様を写した同名のテレビ版がキッズステーションで放送された。
出版物
- TBSラジオ 全国こども電話相談室(小学館、1997年)ISBN 978-4092901513
1970年代から1980年代にかけては、過去に寄せられた質問内容と回答をジャンル別にまとめた学習漫画がスポンサーである小学館から多数出版された。また、毎日小学生新聞に、1週間分の質問内容をまとめたページがあった。
注
- ↑ 集英社と小学館はTBS・MBSなど大都市圏中心。一部地域はローカルスポンサー協賛かノースポンサー。
- ↑ この頃、ラジオ関西はRFラジオ日本からの巨人主催ゲームネット受けに絡みNRNを除名され、TBSラジオからの番組供給も縮小されている。詳しくは、ラジオ日本ジャイアンツナイターの項目を参照。
- ↑ 基本として奇数日は末尾奇数(1・3・5・7・9)、偶数日は末尾偶数(0・2・4・6・8)が対象。但し年末年始やまれに通常日でも公開収録などの都合で電話相談を休みにする日もあった
外部リンク
- 全国こども電話相談室(TBSラジオ公式サイト)