三重県立津高等学校
三重県立津高等学校(みえけんりつ つこうとうがっこう)は、三重県津市新町三丁目にある公立高等学校。2007年4月よりスーパーサイエンスハイスクール指定校となった。
目次
設置学科
概要
1学年は、40人の9クラスで計360人である。男女数はほぼ同数か若干男子が多い。1年次のクラスでは男女同数になる編成がなされるが、類型選択後のクラスは文系は女子、理系は男子の数が圧倒的に多い。しかし、この傾向も鈍化の兆しが見られ、文系における男女比も理系における女男比はそれぞれ1:2くらいの割合になっている。
授業は、2002年度より65分授業(1日5限・金曜日は5時限目にSSHとLHR有)。また2学期制(3学期制と違い、前期・後期となる)を導入している。このシステムは定期試験の回数を極力減らし、授業時間を確保するという目的のもと実行されていて、少ない定期試験の代わりに校内模試や確認テストといった1日ないし2日間で終わらせるテストを充実させ、試験回数を補填している。
なお、津高校は開校以来一度も制服が制定されたことがなく、同校の自由な校風をあらわしている。(ただ、実際には戦後まもない頃は私服の生徒はほとんどいなかった。)[1]
沿革
津中学校
- 1880年1月25日 - 津藩校有造館跡(現NTT津丸の内ビル)に津中学校開校。
- 1886年 - 安濃郡古河村(現西橋内中学校)に校舎を移転。
- 1899年4月 - 三重県第一尋常中学校と改称。(通称:津中学校)
- 1891年5月 - 三重県立第一中学校と改称。(通称:津中学校)
- 1919年8月8日 - 三重県立津中学校と改称。
津高等女学校
- 1901年4月10日 - 私立津市女学校(現センターパレス)を県立に移管し、三重県立高等女学校として開校。
- 1903年10月 - 柳山(現三重県立夢学園)に校舎を移転。
- 1922年4月1日 - 三重県立津高等女学校と改称。(通称:三重県立高等女学校)
津高等学校
- 1948年5月23日 - 新学制により津中学校と津高等女学校が統合し、三重県津高等学校誕生。
- 1949年4月25日 - 学区制の実施により津市立高等学校を吸収。
- 1951年
- 1953年
- 1955年3月25日 - 沖創刊号を発行。
- 1962年
- 1963年4月14日 - 新校舎第1期起工式を挙げる。(焼失した校舎の再建工事)
- 1964年2月22日-2月24日 - 再建された校舎へ移転作業。
- 1965年1月10日 - 音楽担当教諭と理科担当教諭が正門前の横断歩道で近鉄タクシーにはねられ、死去。これがきっかけとなり、後に津高交通安全の日が設けられる。
- 1974年 - 総合選抜制度(学校群制度)導入、三重県立津西高等学校とともに第2群となる。
- 1980年2月4日 - 創立百年記念館の起工式を挙げる。
- 1995年 - 三重県立津西高等学校との総合選抜制度(学校群制度)解消、二学期制を導入。
- 2001年 - シラバス及び類型制を導入。体育祭が廃止される。
- 2002年 - 1限あたりの授業時間を50分から65分に延長する。
- 2007年 - スーパーサイエンスハイスクールに指定(指定期間は5年間)。
- 2010年10月6日 - 体育祭が再び開かれる。
教育方針
教育目標
自主自律の精神を養い、恒に清新の気風に満ちた心豊かな人間を育成する。
教育方針
- 伝統を重んじ、堅実な校風の継承・発展をはかる。
- 人権を重んじ、自由と責任を自覚した人間としてのあり方生き方を培う。
- 積極的な学習態度を育成するとともに、個性の伸張をはかる。
地理
電車通学の生徒の大半は、津新町駅から国道163号線より一つ南側の細い道(通称「津高街道」ないし「津高ロード」とも[2])を歩いて通学する。また、この道は登校時大変混雑するため、1年生はさらに南のプラザ洞津横を通る道(通称、「1年生ロード」[2])を使って登校することになっている。ちなみに、この津高ロードと1年生ロードの間の細い道は「カップルロード」と呼ばれている[2]。
自転車通学、歩行通学の通学路は原則としてない。また、近鉄沿線ということもあり、通学に1時間程度かかる伊賀地方の名張市や伊賀市、また鈴鹿市からの遠距離通学者も多く見られる。
施設
校舎は本館と1号館から4号館までがあり、その他に体育館、武道場、プールと更衣室、クラブハウス、ブルペン、弓道場、トレーニング場の建物によって構成される。
現在使用されている校舎
- 本館 - 正面玄関、校長室、事務室、職員室、進路指導室、生徒指導室、第二パソコン室(旧視聴覚室)、数学科・国語科・英語科研究室などがある。
- 1号館 - 1・2年生の教室、パソコン室などがある。
- 2号館 - 保健室、健康相談室、教育情報室、体育科研究室、社会科研究室、3年生の教室などがある。
- 新3号館 - (新)理科棟とも。屋上には天体望遠鏡がある。
- 1階 - 物理室2部屋と準備室、研究室、多目的トイレ
- 2階 - 化学室2部屋と準備室、研究室、女子トイレ
- 3階 - 生物室2部屋と準備室、研究室、男子トイレ
- 4階 - 地学室(階段教室)と準備室、研究室、岩石標本室、天体観測準備室、天文ドーム、バルコニー、女子トイレ
- 4号館 - 家庭科教室、調理実習室、和室、図書館、同窓会室、美術室、書道教室、音楽室がある。
過去に使用されていた校舎
- 旧図書館 - 新理科棟の建設により取り壊され、現在は4号館内にある。
- 旧3号館 - 理科棟とも。屋上には天体望遠鏡があった。
部活動
運動部で約600人、文化部で約350人と掛け持ちは認められているが、80%近くの生徒が何かしらの部活に所属している。また、生徒会は執行部制を採用しており、投票によって選出される任期一年の生徒会役員のほかにも一般生徒が部活動として生徒会活動に参加・貢献できるようになっている。応援団は厳密には文化系・体育会系といったカテゴリに分けられず、生徒会直属機関となっている。[3]生徒会執行部は部活動に含まれず、会長・副会長以外は有志で誰でも入ることができる。
主要な文化部
- Jr.com - 漫研とほぼ同義である。月一回、イラスト集を配布している。
- 国際交流 - ALTや留学生と見識を深める部。
- 邦楽 - 琴などの日本古来の楽器を演奏する部。
- 軽音楽 - バンド活動を行う部。文化祭の時にライブがある。部室は1号館の階段下にある倉庫である。
- ホームライフ部 - 実質は料理部。文化祭では蒸しケーキを販売するが、毎年完売している[3]。
- 吹奏楽 - ブラスバンド部。過去、朝日吹奏楽コンクールおよび中日コンクールでは上位入賞を数多く果たし、県代表を争う一角を担っていた。
- 音楽部 - 合唱をする部。全日本合唱コンクールなどに出場している。
- SSC(Super Science Club) - SSHにより発足。天文・化学・生物・物理・数学部会に分かれ、個々で活動している。
※上記のほかにもさまざまな部活、同好会がある。
かつて存在した部活動
- 演劇部
- 電気部(1945年-2007年) - 当初は電気工作をする部活であったが、廃部直前はWebページを制作するだけであった。
- 山岳部 - 冬季以外は山に登っていた。
- 薙刀部(1937年5月19日-19xx年)
- 柔道部
- 体操部
- 地歴部 - 1949年(昭和24年)に、のちに国指定史跡となる明合古墳を発見した[4]。
- 図書部
- 放送部 - 昼食時の放送、学校行事での放送、学校行事での放送器具準備、クラブ紹介ビデオ制作、NHK放送コンクールへの出場を行っていた。
交通アクセス
- 91-1系統平木、91-5殿舟団地、93-1系統片田団地 4番乗り場95-1系統穴倉行き 津高校前下車徒歩3分
- 津新町駅より徒歩10分
著名な出身者
- 甘粕正彦 - 陸軍軍人。陸軍憲兵大尉、満州映画協会理事長
- 生悦住求馬 - 内務官僚。内務省警保局図書課長、宮城・千葉県知事(官選)
- 池田克 - 司法官僚。大審院次長検事、司法省刑事局長・思想部長。最高裁判事。
- イケムラレイコ - 画家
- 一尾直樹 - 映画監督
- 稲森宗太郎 - 歌人
- 茨木政彦 - 週刊少年ジャンプ 元編集長、ジャンプスクエア現編集長
- 浦口史帆 - 東海テレビアナウンサー
- 大久保房男 - 編集者、作家
- 太田蘭三 - 小説家
- 大西淳子 - 理学博士、医学ジャーナリスト
- 大海原重義 - 内務官僚。山梨県・岡山県・京都府知事(官選)
- 奥田務 - 関西経済同友会代表幹事、大丸代表取締役会長 兼 最高経営責任者(CEO)
- 小津正次郎 -実業家、阪神タイガース球団社長兼阪神電鉄専務取締役
- 川喜田半泥子 - 実業家、陶芸家
- 川端康生 - フリーライター
- 神崎正英 - セマンティック・ウェブ技術研究者
- 久野誠 - CBC中部日本放送アナウンサー
- 熊澤一衛 - 実業家、歌人
- 倉本一宏 - 歴史学者。国際日本文化研究センター(日文研)教授、総合研究大学院大学(総研大)文化科学研究科 国際日本研究専攻教授
- 黒崎竜也 - 競艇選手
- 小久保修 - 小説家
- 佐々木敏 - 東京大学教授
- 佐藤昌胤 - 画家
- 下山定則 - 鉄道官僚。日本国有鉄道初代総裁
- 住沢博紀 - 政治学者。日本女子大学家政学部家政経済学科教授
- 東畑四郎 - 農林事務次官、日本銀行政策委員
- 東畑精一 - 農業経済学者。東京大学名誉教授、アジア経済研究所所長、文化勲章
- 中戸義禮 - 大阪大学教授工学博士
- 中川滋弘 - 大阪芸術大学教授
- 中川正春 - 政治家。民主党衆議院議員
- 中西康 - 京都大学大学院法学研究科教授
- 中村安希 - ノンフィクション作家
- 西久保豊一郎 - 陸軍少佐
- 橋本策 - 橋本病を発見した医学博士
- 長谷川素逝 - 俳人
- 服部重彦 - 島津製作所代表取締役会長、京都工業会会長
- 東口清美 - 元プロ野球選手
- 弘田龍太郎 - 作曲家
- 本田理紗子 - 歌手、女優
- 前葉泰幸 - 津市長、元総務省職員
- 松井春生 - 東京都長官(1946年6月-)、大阪府知事(1946年1月-)、内閣調査官、革新官僚
- 松田好旦 - おやつカンパニー代表取締役社長
- 三浦佑之 - 国文学者(古代文学・伝承文学)、千葉大学名誉教授、立正大学教授。三浦しをんの父。
- 水町庸子 - 女優
- 三藤重徳 - 津市の老舗文具店「ミフジ」会長
- 三藤治喜 - 津市の老舗文具店「ミフジ」社長
- 宮村智 - 元駐ケニア大使、世界銀行理事
- 村田静昭 - 名古屋大学大学院環境学研究科教授
- 森英樹 - 法学者、名古屋大学名誉教授
- 森田功 - 医者、作家
- 山路芳久 - テノール歌手
- 吉村英夫 - 愛知淑徳大学非常勤講師、著述業、映画史研究者、映画評論家、一行詩提唱者、三重映画フェスティバル実行委員会代表
- 若林茂則 - 中央大学副学長、言語学者
- 寺家誠秀 - 空手家・格闘家
備考
校歌は俳人の山口誓子によって作詞された。津高の公式サイトでダウンロードして聞くことができる。また視聴できる校歌は3パターンある。また、山口誓子によって詠まれた俳句の句碑が中庭などに数個設置されている。
脚註
- ↑ 「津高校百三十周年の歴史 其ノ八」(津高新聞第232号、2010年5月27日発行)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 沖第54号(三重県立津高等学校生徒会)
- ↑ 3.0 3.1 沖第55号(三重県立津高等学校生徒会)
- ↑ 津市生涯学習課"津市-生涯学習課-「文化」明合古墳群"(2011年6月21日閲覧。)