久野誠
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:基礎情報 アナウンサー 久野 誠(くの まこと、1952年12月19日[1][2] - ) は、日本のCBC(中部日本放送→CBCテレビ[3])に在職するアナウンサー。血液型はA型[1]。
目次
来歴・人物
三重県津市出身[4][1][2]。三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部卒業[2]。1975年入社[4]。入社当初はほぼ同時期に入社した多田しげおや小堀勝啓に次ぐバラエティ番組担当アナウンサーとしてラジオ『オー!サンデー』やテレビ『ぱろぱろエブリデイ』などの司会を担当していた。
一方で、スポーツアナウンサーとしても活動。1979年より地元プロ野球球団・中日ドラゴンズ戦中継の実況(初担当は1979年8月の対大洋戦[5])や、ドラゴンズ情報番組の司会を担当している。(サンデードラゴンズ)の司会を担当していた頃は、「プロのドラゴンズファンです。」という発言をした事もある。JRN系(TBSラジオがキー局として率いるラジオネットワーク)・JNN系(TBSテレビがキー局のテレビネットワーク)全国ネットの実況も担当していたが、2000年代途中頃からは実況機会が減っており、ラジオかBS・CSテレビ(BS-TBS、TBSチャンネル1、J SPORTS向け)の担当中心となっている。2008年からはテレビの中継公式サイト内で担当アナウンサーリストを掲載しているが、ラジオの中継公式サイトとは異なり、久野は明記されていない[6]。
2004年10月16日に放送された、プロ野球日本シリーズ・中日対西武第1戦のテレビ中継[7]では、当初実況を担当していた塩見啓一が体調不良を訴え6回を最後に[8]途中降板した[7][8]ため、久野が代行した[8][9]。
プロ野球以外では、大相撲中継(CBCが主催する花相撲「大相撲王座決定戦」のテレビ中継)やラジオの中央競馬中継なども担当。
バラエティ番組の出演経験も豊富であることから、「色物的スポーツアナウンサー」を自称[4]。
2014年4月1日、CBCの持株会社化[3]に伴い、それまで在職していたほかのアナウンサーとともに、CBCテレビの社員となった。
活動リスト
出演番組
スポーツ中継(ラジオorテレビ)
- サンデー競馬中継 みんなの競馬(ラジオ。中京競馬の裏開催時の実況を担当。また、2012年3月まで進行を担当)
- 全国高校ラグビー大会(テレビ、TBS系全国ネット。MBS・TBS他と共同制作。実況) ※MBS以外の制作参加局撤退(2001年度)を以て降板。
プロ野球中継
※1979年以降、実況を担当[5]。
- 『CBCドラゴンズナイター』ほかラジオ中継(JRN系全国ネット・各地方系列局ネット含む)
- 1988年のセントラル・リーグ優勝決定試合[5](1988年10月7日、中日対ヤクルト戦)
- 2010年のセントラル・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ「中日対巨人」第3戦
- 2011年のセントラル・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ「中日対ヤクルト」第3戦
- NTTコミュニケーションズ オールスターシリーズ2000 日米野球 第6戦(2000年11月9日。TBSラジオでも放送[10])
- 『燃えよドラゴンズ!』『J SPORTS STADIUM』ほかテレビ中継(CBCテレビ・TBS系地上波・TBSニュースバード・TBSチャンネル・BS-TBS・J SPORTS。実況・ベンチリポート)
- 近藤真一による日本プロ野球史上初の初登板ノーヒットノーラン達成試合(1987年8月9日、中日対巨人戦。TBS系全国ネット) - ベンチリポーター・ヒーローインタビュアー[5]
- 『'84セ・リーグオールスター東西対抗』(1984年11月17日、13:00 - 14:54。TBS系全国ネット) - リポーター[11]
- 『'95日韓プロ野球スーパーゲーム第6戦』(1995年11月12日、14:00 - 15:24。TBS系全国ネット)[12]
- 1999年の日本シリーズ「中日対ダイエー」第5戦(TBS系全国ネット)
- 2004年の日本シリーズ「中日対西武」第1戦(TBS系全国ネット。#来歴・人物節も参照)
大相撲中継
※いずれも、「大相撲王座決定戦」中継(CBCテレビ制作・TBS系全国ネット)
- 名古屋市政100周年「大相撲王座決定戦〜戦国巴戦〜」(1989年10月7日・8日、15:30 - 16:54)[13]
- 平成四年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝抜き巴戦〜(1992年10月10日・11日、15:30 - 16:54)[14]
- 平成六年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝ち抜き巴戦〜(1994年10月8日・9日、15:30 - 16:54)[15]
- 平成七年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝抜き巴戦〜(1995年10月21日・22日、15:30 - 16:54)[16]
- 平成十年大相撲王座決定戦〜名古屋市総合体育館(1998年10月10日・11日、15:30 - 16:54)[17]
- 平成十一年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝ち抜き巴戦〜(1999年10月9日・10日、15:30 - 16:54)[18]
- 平成十二年大相撲王座決定戦〜天下分け目の勝ち抜き巴戦〜(2000年10月7日・8日、15:30 - 16:54)[19]
ラジオ
- オー!サンデー(入社から半年後、最初に担当した番組[20]。板東英二、野口小太郎らと出演)
- 久野誠のプレイボールまで待てない!!
- 土曜天国(兵藤ゆきと担当)
- ばつぐんジョッキー
- もぎたてのカボチャたち(多田しげおと担当)
- 0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです(1979年 - 1980年)
- ツー快!お昼ドキッ(火曜日)
- 久野誠のドラゴンズワールド
- ごごイチ
- ドラ魂KING
- 多田しげおの気分爽快!!朝からP・O・N
テレビ
- おはようクジラ(TBS系全国ネット。「プロ野球応援バトル」を担当。久野はこの番組の為にドラゴンズブルーのタキシードを30万円をかけて作った)
- サンデードラゴンズ(1983年10月 - 1997年3月、2001年10月 - 2003年3月、司会)
- ぱろぱろエブリデイ
出演ラジオCM
- JA共済
- パチンコスロットの夢屋
- サークルKサンクス 名古屋グランパス優勝セールのナレーション(2010年11月29日 - 12月3日)
- まごころ畳
- 服部家具センター
- 堀田土地
- スズキアリーナ三河豊田
- オーギヤ
- ユピテル
- 天然温泉みどり館
出演映画
- 『ミスター・ベースボール』(日本プロ野球を題材にした、日本・アメリカ合衆国二カ国の合作映画) - 実況アナ 役
ディスコグラフィ
※特記ない限り、CDメディア。
- 燃えよドラゴンズ!!'88:1988年9月21日発売(唯一のカセットテープ)
- 燃えよドラゴンズ!!'91:1991年4月21日発売のアルバム『燃えよドラゴンズ!!'91大竜界』に収録
- 燃えよドラゴンズ!往年の名選手編:1991年4月21日発売のアルバム『燃えよドラゴンズ!!'91大竜界』に収録
- 燃えよドラゴンズ!'91(シングルバージョン):1991年6月21日発売
- 燃えよドラゴンズ!平成FIVE:1993年9月25日発売
- 燃えよドラゴンズ!'99優勝記念盤:1999年10月30日発売(ナレーションとしてのみの参加)
- 燃えよドラゴンズ!2000(ミレニアム):2000年7月21日発売(歌唱は板東英二で、久野はCBCアナウンサーズの一員としてバックコーラスに参加)
連載
- 久野誠の「取材ノートお見せします」(『ぴあ中部版WEB』内コラム。2013年連載開始。#外部リンク参照)
関連項目
- 三重県出身の人物一覧
- 早稲田大学の人物一覧
- 野球実況アナウンサー一覧
- 加藤吉治郎 - 『オー!サンデー』のディレクター・『ぱろぱろエブリディ』のチーフディレクター
脚注
参考資料
- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館サーチの書誌情報
- 付録DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- テレビ番組データベース
- 付録DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- 12球団全選手カラー百科名鑑2005(『ホームラン』2005年3月号増刊。2005年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 各種外部リンク
外部リンク
- CBC公式サイト内プロフィール(以下は、インターネット・アーカイブの保存キャッシュ一覧)
- 1998年2月8日付から1999年11月11日付までの保存キャッシュ一覧
- 2000年12月8日付から2002年10月6日付までの保存キャッシュ一覧 ※2002年12月16日付以降は、下記リンクへの転送。
- 2003年2月12日付以降の保存キャッシュ一覧
- 久野誠の「取材ノートお見せします」 - 『ぴあ中部版WEB』内連載コラム(トップページ)
- 伊藤敦基のこの人にLOGIN 久野誠 - 伊藤敦基(CBCアナウンサー)が同局アナウンサーへのインタビューを行ったCBC公式サイト上の企画(2006年8月7日掲載、第24回)。 ※リンク先は、インターネット・アーカイブ2007年10月26日付保存キャッシュ。
- ↑ 1.0 1.1 1.2 生年月日・血液型・出身県については、CBC公式サイト内プロフィールを参照。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 生年月日・出身県・出身大学は、『12球団全選手カラー百科名鑑2005』P241に掲載された、CBCのプロ野球アナウンサー一覧表を参照。
- ↑ 3.0 3.1 2013年3月まではラジオテレビ兼営局だったが、その後ラジオ・テレビともに子会社として分社化された(ラジオは同年4月に「CBCラジオ」へ、テレビは2014年4月に「CBCテレビ」へそれぞれ移行)。中部日本放送はテレビの分社とともに放送持株会社へ移行。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 外部リンク『久野誠の「取材ノートお見せします」』より、プロフィールを参照。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 久野誠の「取材ノートお見せします」第六回 「1988年の優勝実況」 - 『ぴあ中部版WEB』内連載コラム
- ↑ 参考リンク
- 2008年当時のCBCテレビプロ野球中継公式サイト(インターネット・アーカイブ2008年10月6日付保存キャッシュ)
- 2008年当時のCBCラジオプロ野球中継公式サイト(インターネット・アーカイブ2008年10月6日付保存キャッシュ)
- ↑ 7.0 7.1 終わってしまいました・・・(『魅惑のアナウンス室』内で配信された、塩見のブログ2006年10月27日付更新分。インターネット・アーカイブ2006年11月14日付保存キャッシュ)
- ↑ 8.0 8.1 8.2 『魅惑のアナウンス室』内で配信された、塩見のウェブ日記2004年10月19日付更新分(インターネット・アーカイブ2004年11月9日付保存キャッシュ)
- ↑ 日本シリーズで、塩見の体調不良により代行したことは『12球団全選手カラー百科名鑑2005』P242でも記述されている(第1戦テレビ中継であることについては明記せず)。
- ↑ 2000年日米野球当時のTBSラジオプロ野球中継公式サイト内オンエア予定表(インターネット・アーカイブ2000年12月17日付保存キャッシュ)
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔野球〕 ’84セ・リーグオールスター東西対抗』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。番組情報下部の出演者リストの中に「久野誠:Rep」の記述あり。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔野球〕 ’95日韓プロ野球スーパーゲーム第6戦』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔相撲〕 名古屋市制100周年「大相撲王座決定戦~戦国巴戦~」』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔相撲〕 平成四年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝抜き巴戦~』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔相撲〕 平成六年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝ち抜き巴戦~』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔相撲〕 平成七年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝抜き巴戦~』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔相撲〕 平成十年大相撲王座決定戦~名古屋市総合体育館』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔相撲〕 平成十一年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝ち抜き巴戦~』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、「テレビ番組」→「ジャンル別リスト」→「スポーツ」→『〔相撲〕 平成十二年大相撲王座決定戦~天下分け目の勝ち抜き巴戦~』を参照(『』内番組名は、原資料よりコピペ・引用)。
- ↑ 外部リンク『伊藤敦基のこの人にLOGIN 久野誠』を参照。