島津製作所
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株式会社島津製作所(しまづせいさくしょ、テンプレート:Lang-en-short)は、京都府京都市中京区に本社を置く、精密機器、計測器、医療機器、航空機器の製造をおこなう企業である。
事業内容
- 分析・計測機器
- クロマトグラフ、光吸収分析装置、組成・表面分析装置、液体クロマトグラフ、ガスクロマトグラフ質量分析計、物性評価機器、非破壊検査機器、環境測定機器、電子天秤などを製造している。
- 医用機器
- デジタルX線システム、PETシステム、CTスキャナシステム、超音波診断システムなどの医用画像診断機器を幅広く提供している。
- 産業機器
- 半導体の製造装置をはじめ、液送機器、油圧機器などの各種産業機器を製造している。また、携帯電話やパソコンのキーデバイス製造に欠かせない成膜装置やターボ分子ポンプをはじめ、半導体や液晶パネルなどの品質管理を支える検査機器なども製造している。
- 航空機器
- エア・マネジメント・システム、フライト・コントロール・システム、コックピット・ディスプレイ・システム、エンジン始動システム用機器、電子制御装置などを製造している。また、油圧・空気・燃料系用の各種搭載機器の機能試験装置、 航空医学訓練装置などの地上支援機器も製造している。なお、ヘッドアップディスプレイの国内シェアは1位である。
沿革
- 1875年 - 初代島津源蔵により設立される。
- 1891年 - 標本の製作を開始。
- 1895年 - 蓄電池の製造開始。この蓄電池は、日露戦争の日本海海戦で活躍した三六式無線電信機にも使われた。
- 1909年 - 日本初の医療用X線装置を完成。
- 1917年 - 蓄電池部を分離し日本電池を設立、株式会社に改組。
- 1930年 - ファイバー製のマネキンを完成。
- 1934年 - 日本初の分光写真器を完成。
- 1947年 - 日本初の電子顕微鏡の商品化。
- 1948年 - 標本部を分離し、京都科学標本を設立。
- 1956年 - 日本初のガスクロマトグラフを開発。
- 1969年 - 理化器械部を分離し、島津理化器械を設立。(主に教育機関むけ商品を扱う)
- 1975年 - 創業100周年を記念して島津創業記念資料館を開設。
- 1989年 - 英クレイトスグループを買収。
- 1995年 - 日本初の生体磁気計測装置を開発。
- 2002年 - 社員の田中耕一がノーベル化学賞受賞。
- 2003年 - 直接変換方式フラットパネル検出器(FPD)を搭載した世界初のX線診断装置を開発。
- 2008年 - 天びんを製造して90周年を迎える。
- 2013年 - 防衛庁から発注の航空機器事業部の業務において、水増し請求が発覚し、指名停止となる[1]。
- 2013年 - 京都府立体育館の命名権を取得。「島津アリーナ京都」の呼称が使用される[2]。
社章
現在の『丸に十の字』の社章は薩摩の島津家の家紋に由来するが、創業者の初代島津源蔵は京都の出身である。大名の島津家とは血縁がないが、創業者の祖先である井上惣兵衛尉茂一が島津義弘から家紋と「島津」の姓を与えられた。そのときの経緯は以下の通り。
薩摩の島津義弘が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉から与えられた播州姫路の領地に立ち寄った。その際、そこに住んでいた井上惣兵衛尉茂一は領地の検分などの世話をした。それに対する褒美として“島津”の姓と“丸に十の字(くつわ)の家紋”をもらった。[3]
ちなみに、十字の線の太さは目の錯覚を考慮に入れ、丸の線の1.1倍と定められている。
不祥事
過大請求
2013年1月25日、防衛省は、航空自衛隊のF-4戦闘機の修理契約など2件の契約について、島津製作所の三条工場が作業時間を水増しして、その分を防衛省に過大請求していたと発表した。調査で二重帳簿が見つかった。島津製作所は当初、防衛省の調査に応じようとせず、資料の提出なども拒否。防衛省は、他にも過大請求を行なっていた三菱電機などと比較しても、突出して悪質と批判。社長の中本晃は謝罪した[4]。
提供番組(全て過去)
- 中村敦夫のTHE・サンデー(日本テレビ)
- いい旅・日本(TBS)
- ニュースステーション(テレビ朝日) ほか
関連項目
- 島津創業記念資料館
- ボーイング747-8 - 補助翼を動かすための主要部品を独占受注。
- 島津賞
- ホソカワミクロン - 創業者の細川永一が1916年まで同社に在籍していた。
- ジェーン・ウィードリン - 今から20年前に同社のCMに出演していた。
- スチュワート・マスコウィッツ - 同社のCMでイラストを描いたことがある。
- イオンモール京都ハナ - イオンモールへ土地を賃貸している。
注
- ↑ 防衛省が島津製作所を指名停止に 水増し請求で、詳細は調査中 産経新聞 2013年1月25日
- ↑ 府立体育館ネーミングライツパートナーで京都府と合意 愛称は『島津アリーナ京都』に決定 島津製作所(2013年11月1日) 2013年11月15日閲覧。
- ↑ 島津姓を与えられた機縁に関しては、関ヶ原の戦い後、島津義弘が薩摩めがけて遁走する際に、播州に居た井上惣兵衛が義弘を援助した事による、とする説もある。(高野澄『京都の謎:東京遷都その後』5章「京都なのに、なぜ「島津」製作所なのか」)
- ↑ テンプレート:Cite news