希望入団枠制度
希望入団枠制度(きぼうにゅうだんわくせいど)は、日本プロ野球のドラフト会議において、ドラフト上位候補選手が希望球団に入団できる制度である。かつての名称は「逆指名制度」・「自由獲得枠制度」。1993年に導入され、2006年を最後に廃止された。
目次
概説
逆指名制度においては、大学生と社会人野球の選手で1球団に付き2名までの対象選手が、自分の希望するチームを宣言することができる。正式にはドラフト指名を経て入団交渉ははじめて可能となるが、事実上その時点で入団が決定することとなる。2001年秋のドラフト会議より「逆指名制度」から「自由獲得枠制度」に変更された。
2004年には一場事件が発覚、入団枠を1人に改正し、選手と球団で入団が合意に達した場合その球団に内定させる「希望入団枠制度」が導入された。しかし根本的な仕組みに変わりはなく、2007年に西武ライオンズ裏金問題が発覚。不正の温床になるとのことから、2007年秋のドラフト会議から希望入団枠制度は撤廃された。
逆指名制導入期の問題
契約金の最高標準額超過
- 希望入団枠制度の導入に伴い球団間の争奪戦で契約金の高騰を避けるため、新人選手の契約金の最高標準額を1億円と12球団で申し合わせ、翌年からは1億円と出来高5千万円といった紳士協定を結んだ。
- 最高標準額とは上限額ではないため高額な契約金を用意する球団が複数存在した。契約金以外では、功労金などの名目や栄養費名目(一場事件)などの裏金を支払われている場合もあり、2007年には西武ライオンズと横浜ベイスターズによる最高標準額を大幅に超える契約金(横浜、2004年那須野巧に5億3千万円。西武、選手15人に対し、計11億9千万円の超過契約金)が発覚した際には、日本野球機構はこれらの行為について厳重注意処分を下し、さらに西武ライオンズの球団スカウトが早稲田大学の清水勝仁と東京ガスの木村雄太などのドラフト候補へ金銭供与していたため、ドラフトの上位指名権を剥奪されることとなった。この件で清水は退部、日本野球連盟の裁定により木村は1年間の謹慎と対外試合出場禁止、東京ガスは対外試合禁止となった。
- 2012年3月15日には、朝日新聞の取材により、西武ライオンズと横浜ベイスターズが厳重注意処分[1]を下された件と同じ時期に、読売巨人軍の6選手が最高標準額を大幅に超える契約[2]を結んでいたことが発覚[3]したとされた。さらに、野間口貴彦は2004年頃に読売ジャイアンツから数回に渡り200万を渡されていた[4][5][6]。同様の件で過去に厳重注意処分が2球団に下され[1]、当時のセ・リーグ会長である豊蔵一が「最高標準額は、統一してルール違反をとがめ立てするわけにもいかないから、(標準額という)そういう表現になっている。ただ常識的に考えて(最高標準額を)大幅に上回っているのは好ましいことではない」と話しているが[7]、その2球団を超え著しく目安から乖離する金額にもかかわらず、読売ジャイアンツ、NPBの顧問弁護士・安西愈弁護士、当時の実行委員で元日本ハム球団社長・小嶋武士、広島東洋カープ常務取締役球団本部本部長兼連盟担当・鈴木清明氏、[8]阪神・南球団社長[9]、さらに横浜・中畑監督[10]などが、目安であるため厳格な規定ではなくルールには反していないと、揃って問題視するものではないとし、読売新聞は「朝日報道に理解を示す声はプロ野球の現場からはほとんど聞かれない」と報道した。[11]
- これに対し、中日の佐藤良平・球団代表「まったく守らなくていい申し合わせなら意味がない。各球団が努力して守るもの。」、ヤクルトの川島肇・広報部長「罰則規定があろうがなかろうが、ルールを守ることは必要だと思う」と話している[12]。元プロ野球選手の江本孟紀は「12球団が新人選手の契約金の最高標準額を申し合わせた当時から、今回の問題は指摘されていた。巨人だけでなく他球団でもやっていたこと」と指摘されながらも問題解決を先延ばしにしていたことを示唆し[13]、スポーツライターの玉木正之は「自分たちで決めたルールを自ら破るというプロ野球界のあしき伝統が再び発覚したことに「またか」という感じ」と呆れた。[14]
- 野球界では問題視する声はほとんどないとした読売新聞であったが、スポーツ紙やポータルサイトの巨人が最高標準額を超える契約金についてのアンケートでは「巨人側に問題あり」とする声が多く、yahooの意識調査アンケートでは問題発覚から2日後の3月17日の時点で4万6千票が投票され、「問題ある」とした者が71%と圧倒的で、「問題ない」は24%となっており[15]、投票が締め切られた3月25日には更に差が広がり、「問題ある」が74%、「問題ない」が22%という最終結果となった[16]。日刊スポーツが3月16日行ったアンケートでも、「問題ある」が57.5%、「ルール違反ではないが、倫理上の問題がある」が25.4%と、82.9%が問題視し、さらに『ルール違反はなかった』という巨人の主張をどう思いますか」という質問には71.9%が「支持できない」[17]と、野球界と一般社会のルールへの意識の差が浮き彫りとなる結果であった。
- 2001年6月の実行委員会において、「これは標準額であり、上限額ではない」との申し合わせが確認されており、当時実行委員長だった小池唯夫パ・リーグ会長が、標準額超過を裏金視する報道があった場合は抗議するべきだとの趣旨の発言を残している[18]が、読売新聞が抗議している朝日新聞は裏金と報道しているわけではなく、あくまで最高標準額超過との報道である(裏金という表現を使ったのは朝日新聞以外のメディアである)。読売ジャイアンツと同じく契約金の標準額超過があった横浜は、テレビ新聞問わず様々な媒体で報道された上、NPBから厳重注意をされており、那須野は球団を通して「今回の件で大変お騒がせ致しましたことをみなさまに深くおわび申し上げます」と謝罪[7]、当時オーナーであった若林貴世志も根来泰周コミッショナー代行に報告と謝罪をしており[19]、横浜の社長と担当スカウト減俸、専務は常務への降格が決定され[20]、読売新聞もこの報道に積極的に参加している[21]。さらに、読売新聞は横浜ベイスターズが裏金を使っていないにもかかわらず、「プロ野球裏金問題」のカテゴリに位置づけていることから、小池唯夫の言葉通りならば読売新聞は横浜ベイスターズから抗議されてもおかしくない状態であるが[22]、、読売新聞は自社の子会社である読売ジャイアンツに対し朝日新聞は謝罪をするべきといった記事を載せている。
- 栄養費問題が発覚した5日後の2007年3月15日、西武は外部有識者による調査委員会を発足し、週1回のペースで委員会を開催することで、実態解明、原因追及を厳正に行うとした。さらに、調査が現役選手へと及んだ場合には監督に協力を要請もするとし[23]、その結果170名以上ものアマ関係者に金銭供与が行われていることが発覚した。同様に、調査委員を立ち上げた読売ジャイアンツであったが、野間口に200万を渡していたと認めているにもかかわらず、他に同様の件があるかどうかを調べるためのものではなく、調査委員会は内部資料流出の経緯や人物の特定など徹底解明に全力を注ぐためのものであり[24]、球団で実態解明・原因追求をした西武とは対照的に自球団を守るためのものとなった。
- 読売ジャイアンツの超過契約金問題の発覚後、読売ジャイアンツやNPB顧問弁護士、当時の実行委員は、契約金が上限額ではなく最高標準額という曖昧なものになった理由として、独占禁止法に抵触するという理由であるからとしていた。理由としては、プロ野球は請負契約で労働契約(雇用契約)ではないという認識であったため[25]である。しかし、2012年3月28日の公正取引委員会定例記者会見にて、朝日新聞記者の質問に山本和史事務総長は、「(カルテルを禁じる)独禁法にはただちに違反しない」との見解を示した。同時に、1994年に野球界側から新人選手契約金の条件を設けることについて相談があり、「球団と選手との間には労働契約があるとみられ、独禁法には違反しない」「上限が設けられても直ちに独禁法に違反するとの認識は有していない」と口頭で回答したと話した。これは選手との契約金の問題は独禁法の対象外であることから、独禁法が規制する事業者間の取引とは異なるということであり、山本事務総長は「現在もその認識は変わっていない」としている[25][26][27][28]。
- この1994年から現在まで一貫して独占禁止法にあたらない認識と言った公正取引委員会の正式な発表により、NPBの顧問弁護士と当時の実行委員は当初から請負契約・雇用契約問わず独占禁止法に当たらないと知りながらも、上限設定をしない最高標準額を採用していたことが発覚。さらに、契約金超過問題時の読売新聞の取材に対し、独占禁止法に当たらないと知りながらも、「上限額を決めることは独占禁止法に当たる」といったコメントすることで、虚偽の内容を世間へ向けて発信させた。同時に、読売ジャイアンツは、公正取引委員会が「契約金に上限を設け、制約しても社会的影響は少ないとの意見があるかもしれないが、それは12球団がカルテルを組み、入り口を閉めたことになり、認められない」との考えを示したことが書かれた当時のNPBの記録文書を紹介したが、実際には公正取引委員会が「独禁法には違反しない」と口頭で回答しているため、読売ジャイアンツは弁護士や元実行委員と一緒になって虚偽の内容を読売新聞で世間へ向けて発信していることが露になった[8]。NPBの文書に公正取引委員会が独占禁止法に当たるといった考えを示した虚偽の内容が書かれていた原因は不明である。2007年に契約金に上限を設けたことについては、「改めて専門家にアドバイスを受け、『現状で契約金に上限を設けても独禁法には触れない』との見解を得たから」としている。
- 横浜の最高標準額超過が明らかになった際、巨人の滝鼻卓雄オーナー(当時)は「(巨人には)ないんじゃないか。それ(=最高標準額)は守っていると思う」と話していた。[29]
- 読売ジャイアンツの高額契約が露呈しなかった理由として、野間口貴彦は一括払いと5~7年程度の分割払いの選択肢を示したうえで、一括払いについては「あなたが翌年の高額所得者番付に登場することは確実で、その際に球界のルールを越えて契約金を受け取ったことが判明してしまい、あなたにとっても、球団にとってもまずいことになります」と述べ、分割方式で契約し高額所得者番付に載ることを回避させていた。同時に、選手には「近年、高額契約金でプロ野球界に入った選手のほとんどが、球団と契約書で確認のうえ、この分割方式をとっています」と説明している。[30]
- 同様に、1998年12月15日付けの上原の契約書類では、契約金5億円、退団時に功労金1億2千万円を支払うと記載。契約金の支払い方法については、平1999年1月初旬に1億円、2000年度に5千万円、2001~2007年度に各5千万円の計3億5千万円としている上、同日に締結された年俸に関する書類では、入団1年目の99年度の年俸は「3300万円」であるが、セ・リーグ会長に提出する「統一契約書」には、「1300万円」と明記することも盛り込まれており、問題であることを把握しながらも虚偽の記載をした統一契約書をセ・リーグ会長に提出していた。[31]
- 読売ジャイアンツはこの分割払いされた契約金を「契約金とは性格が違う」とし契約金ではなく、出来高払いのものであると主張していたが、国税側は税務上、出来高払い分を含めて新人契約金と判断していたため、契約金の分割払いとみなされ、読売ジャイアンツも通常の出来高払いとは違う会計処理をし、各選手も税務申告する際、契約金の一部であることを明らかにしていた[3]。しかし、この「分割払い契約金」について読売ジャイアンツは、「契約金と決めつけているのは間違いであり、新人選手に2年目以降に支払う出来高払い分について、入団初年度の契約金とは性質が異なるものである」とし、これをより明確にするための見直しを税務当局に自発的に相談した上で2001年に行っているため、「分割払い契約金ではなく」あくまで「出来高払い分」であると主張したが、国税側は専属契約で支出する契約金と判断し、税務上「出来高払い分を含めて新人契約金」としているため、読売ジャイアンツの主張は完全に否定されることとなった。2004年までは、この分割払い分について、名目上は選手ごとに各年で出来高条件を設定し、達成した場合に支払う出来高払いとしていたため、各年でそれぞれ支払った全額を費用計上する会計処理を行っていたが、税務調査した東京国税局により、法人が選手との専属契約で支出する契約金で、分割払いなどの期間が1年以上に及ぶものは税法上、「繰延(くりのべ)資産」になり、巨人軍の一部の選手への出来高払いもそれにあたると指摘。読売ジャイアンツは各年に支払った分割払い金を、分割期間などに配分して費用計上する繰延資産の方式にしたがって計上し直すよう指導されることとなった[32]。これに対し、読売ジャイアンツは2001年に自発的に相談し、2004年には具体的な内容は話さず、一部税務申告について指導があったと話している。[32]
- 2012年4月28日、読売ジャイアンツの4選手は朝日新聞社の「報道と人権委員会」に対し、訂正・おわび記事掲載などの措置を同社に求めるよう、申し立てた。その際、読売グループであるスポーツ報知は、4選手へ読売ジャイアンツの言う契約金として支払われたのは8億5000万円(超過額2億5000万円)とし、残りは2001年から「契約金の支払い方法」を改革した「報酬加算金」の仕組みとして支払われている、契約金を出来高払いとする報酬加算金であると報道。読売新聞はこの朝日新聞から報道が出た後、常々契約金ではなく出来高払いであると報道していたが、今回「契約金」の支払い方法を「改革」と報道、つまり「改革された契約金」と話していることから、出来高という名ではあるが実質契約金であることを暗に認めることとなった。[33]
- 過去に契約金の超過により問題とされた那須野巧は球団を通し謝罪をすることとなったが、読売ジャイアンツは契約金を超過させていたことを認めたにもかかわらず、4選手は「このまま黙っていたら記事が本当だったように受け取られ、自分の野球人生を否定されてしまう」「お金につられて巨人に入団したように思われてしまうのは非常に悔しい」「書かれた選手は皆、試合中にひどいヤジを浴び、屈辱的な思いをさせられている」「悪いことをしていないのに悪いことをしたように書かれるのは腹立たしい」などと話した[33]。野間口のお小遣いとして支払われた裏金200万についても、本人球団共に謝罪はされていない。
- 読売ジャイアンツの内部資料では、二岡の所属した近畿大学の「監督へ謝礼約束」として大学監督の退任後に業務委託金として2000万円を支払う覚書を巨人を交わしていた。しかし、これはまだ払われておらず、大学監督であった本川貢も大学職員として65歳まで働けることになったので、今後も巨人軍から委託を受ける気はないとし、「今になってみれば、あれ(覚書)を破ってくださいと(巨人軍に)一回でも言えば良かった」と話した。[34]
- 契約には数年後のメジャー挑戦の確約がある場合もある。[35]
- 新人選手の契約については、選手育成の観点から、高卒は5年程度、大卒・社会人は3年程度は契約関係を維持することが球界の共通認識となっており、入団契約の際にも、数年間は契約を維持するという認識のもとに交渉が行われている。さらに読売ジャイアンツは、2007年に新人選手の契約金を上限1億円プラス出来高5000万と決めた際も、そうした実態を踏まえた議論が行われていたとし、1億5000万円を「超過する金額」について、「複数年にまたがって分割払い」となり、各年の「出来高条件の一部」をクリアした場合に支払われるとされていると話していることから、実質的に現在も超過契約金が存在することを示唆している。[36]
- 2005年6月20日、一場事件を重く見たNPBは倫理行動宣言をし、各球団もそれに合意した。[37]
- 2007年10月、西武ライオンズと横浜ベイスターズの問題を受け、12球団は契約金の上限を1億円と出来高払いは契約金の50%までで合意(ただし、これを超える理由がある場合には、申請をする仕組みとなっている)し、破った場合は制裁を加えることを決めた。
- この西武ライオンズの問題の責任について、当時のNPBのコミッショナー代行である根來泰周が西武ライオンズに出した「野球協約違反行為に対する制裁の通知」では、「新人選手に対する金品の供与についても倫理行動宣言以降の事案に限って問責するのが相当との見解もあり得るが、前記の読売巨人軍、横浜ベイスターズ及び阪神タイガースに対する制裁の理由となった大学選手に係る金員の供与は、2003年(平成15年)12月から翌2004年(平成16年)7月ころまでの間に行われたものであり、これらとの均衡上、問責の対象期間は、倫理行動宣言前、少なくとも2003年までさかのぼるのが相当と考える」[38]とあり、倫理行動宣言以前の高校3年生であった2003年12月から、社会人野球の東京ガスに所属していた2004年9月まで金品供与していた、木村雄太に対しても責任の対象となるとした。読売ジャイアンツの野間口貴彦への200万円供与も木村雄太が東京ガスに所属していた2004年で、この問責の対象と同じ時期であるが、コミッショナーが社会人野球の東京ガスに所属中の金品供与を含めて問責としていたにもかかわらず、巨人の桃井社長は社会人選手への金銭授与を禁じる明確な規定がなく、金品の受け取りが日本学生野球憲章で禁じられている学生とは身分が異なる社会人だったことから「違反ではまったくない。公表するに至らないということだった」[6]と話し、日本野球連盟が木村と東京ガスに裁定を下したにもかかわらず、ルール違反は無いとした。横浜の高田繁GMは「一場問題以前は多かれ少なかれ、どこの球団でもあったと思うけど、不問にしようとなっている」[10]と、2007年に出したコミッショナーが西武を問責とした裁定を真っ向から否定している。
戦力の均衡
1992年までドラフト会議では入札抽選方式、即ち複数のチームから選手が指名された場合は抽選をしていたが、この頃西武ライオンズがドラフト候補選手とその選手周辺の関係者へ多額の裏金を渡し、関連企業に入社させた後にドラフト外入団させるなどの手法により選手を囲い込み黄金期を築いたことが問題視された。そのため1991年にドラフト外や練習生制度を禁止し、かわりに上位2名に希望入団に選手が入る逆指名制度を導入することで裏金や戦力突出を防止するという策が1993年秋のドラフト会議でとられた。これが逆指名制度導入の始まりである。
ドラフト候補選手の差別化
希望入団枠制度等による球団選択の自由は、各球団1名(もしくは2名)に限られていた。自由を保障されているものは、アマチュア野球で実績を残した大学生もしくは社会人に限られており、不公平感が残っていた。また、「逆指名制度」時代は、「逆指名なし」、「1位・2位とも逆指名」、「1位のみ逆指名、2位は通常指名」、「2位のみ逆指名、1位は通常指名」という指名も可能だったため、「2位のみ逆指名、1位は通常指名」として、1位指名で逆指名対象外の有力選手(ほとんどの場合は高校生)を指名する「両取り」が可能だった。そのため、「自由獲得枠制度」では自由獲得枠を使用した球団は上位指名に参加できないという制度になった。
球団選択の自由の議論
選手サイドから見た球団選択権の制限については、選手の移籍先を球団が決定するトレードの制度や、フリーエージェントの人的保障における球団選択の問題と併せて、常に論議され、制度的検討が続いている。
制度によって入団した選手
年 | 巨人 | 阪神 | 中日 | 横浜 | ヤクルト | 広島 | ダイエー | 西武 | オリックス | 日本ハム | ロッテ | 近鉄 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | 逆1位 | 三野勝大 | - | 河原隆一 | - | - | 関根裕之 | ||||||
逆2位 | - | 鳥越裕介 | 波留敏夫 | 小久保裕紀 | - | ||||||||
1994年 | 逆1位 | 河原純一 | - | - | 北川哲也 | 山内泰幸 | - | - | - | - | - | ||
逆2位 | 織田淳哉 | - | - | 中川隆治 | |||||||||
1995年 | 逆1位 | - | - | - | - | - | - | 髙木大成 | - | - | - | - | |
逆2位 | 仁志敏久 | 門倉健 | - | - | - | - | |||||||
1996年 | 逆1位 | 今岡誠 | - | 川村丈夫 | - | 沢崎俊和 | 井口忠仁 | - | 杉本友 | - | 清水将海 | - | |
逆2位 | 小野仁 | - | - | 森中聖雄 | - | 黒田博樹 | 松中信彦 | 森慎二 | 谷佳知 | 竹清剛治 | |||
1997年 | 逆1位 | 高橋由伸 | - | 川上憲伸 | - | - | 遠藤竜志 | 永井智浩 | 安藤正則 | - | 清水章夫 | - | - |
逆2位 | 川中基嗣 | - | - | - | - | - | 篠原貴行 | - | 前田和之 | - | 寺村友和 | 高須洋介 | |
1998年 | 逆1位 | 上原浩治 | - | 福留孝介 | - | - | - | - | - | - | - | 小林雅英 | 宇高伸次 |
逆2位 | 二岡智宏 | 金沢健人 | 岩瀬仁紀 | 矢野英司 | - | - | 松修康 | - | 川越英隆 | 建山義紀 | 里崎智也 | - | |
1999年 | 逆1位 | 高橋尚成 | 的場寛壱 | - | - | - | - | 田中総司 | - | 山口和男 | - | 高橋薫 | - |
逆2位 | 谷浩弥 | 吉野誠 | - | 木塚敦志 | 藤井秀悟 | 木村一喜 | 広田庄司 | - | 葛城育郎 | - | 清水直行 | - | |
2000年 | 逆1位 | 阿部慎之助 | 藤田太陽 | - | - | 平本学 | - | 山村路直 | 大沼幸二 | - | 井場友和 | - | 山本省吾 |
逆2位 | 上野裕平 | - | 洗平竜也 | 吉見祐治 | 鎌田祐哉 | 廣瀬純 | 山田秋親 | 三井浩二 | 大久保勝信 | 木元邦之 | 加藤康介 | 愛敬尚史 | |
2001年 | 自由枠 | - | 安藤優也 | - | - | 石川雅規 | - | - | 細川亨 | 小川裕介 | 江尻慎太郎 | - | - |
自由枠 | - | 浅井良 | - | - | - | - | - | - | 平野恵一 | - | - | - | |
2002年 | 自由枠 | 木佐貫洋 | 杉山直久 | - | 村田修一 | - | 永川勝浩 | 和田毅 | 後藤武敏 | 加藤大輔 | - | - | - |
自由枠 | 久保裕也 | 江草仁貴 | - | 土居龍太郎 | - | - | 新垣渚 | 長田秀一郎 | - | - | - | - | |
2003年 | 自由枠 | 内海哲也 | 鳥谷敬 | - | 吉川輝昭 | 川島亮 | - | 馬原孝浩 | 山崎敏 | 歌藤達夫 | 糸井嘉男 | - | 香月良太 |
自由枠 | - | 筒井和也 | - | 森大輔 | - | - | - | - | - | - | - | - | |
年 | 巨人 | 阪神 | 中日 | 横浜 | ヤクルト | 広島 | ソフトバンク | 西武 | オリックス | 日本ハム | ロッテ | 楽天 | |
2004年 | 自由枠 | 野間口貴彦 | 岡崎太一 | 樋口龍美 | 染田賢作 | 松岡健一 | - | - | - | 金子千尋 | - | 手嶌智 | 一場靖弘 |
自由枠 | 三木均 | 能見篤史 | - | 那須野巧 | 田中浩康 | - | - | - | - | - | 久保康友 | - | |
2005年 | 希望枠 | 福田聡志 | 岩田稔 | 吉見一起 | 高宮和也 | 武内晋一 | - | 松田宣浩 | 松永浩典 | 平野佳寿 | 八木智哉 | - | - |
2006年 | 希望枠 | 金刃憲人 | 小嶋達也 | 田中大輔 | 高崎健太郎 | 高市俊 | 宮崎充登 | 大隣憲司 | 岸孝之 | 小松聖 | 宮本賢 | - | ※ |
- - は行使せず。※は契約締結ならず。
脚注
関連項目
- プロ野球ドラフト会議
- アーリーエントリー - 日本プロバスケットボールbjリーグで採用されている類似の制度