那須野巧
テンプレート:Infobox baseball player 那須野 巧(なすの たくみ、1982年10月4日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
子供のころは近鉄バファローズのファンで、大石大二郎やラルフ・ブライアントがいた頃のスタメンは今でも諳んじることができる。駒場学園高では伊藤秀範と同期であった。
日本大学では4年生春に5勝0敗、防御率0.39(1位)の活躍でチーム6季ぶりの優勝に貢献し、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選ばれた。第53回全日本大学野球選手権大会で準優勝して敢闘賞に選ばれた。世界大学野球選手権・日米大学野球両日本代表に選ばれる。東都大学リーグ通算50試合登板22勝10敗、防御率1.97、219奪三振。日大では佐藤義則以来8人目の20勝投手になる。
大学No.1左腕の評価を受け、2004年のプロ野球ドラフト会議で、自由獲得枠で横浜ベイスターズに入団。
横浜時代
ルーキーイヤーの2005年5月15日にプロ初登板・初先発。5月22日の対西武戦で先発し5回を4失点(自責点は2)でプロ初勝利を挙げた。即戦力と期待されながらも僅か1勝に終わった。シーズン最終登板のヤクルト戦でその日引退試合だった佐藤真一に流し打ちであわやホームランという大飛球(フェンス直撃の二塁打)を浴びた。
2006年、主に鶴岡一成とのバッテリーで、交流戦を中心に活躍した。開幕から好調を維持し、8月18日を終えた時点で83回を投げて防御率2.71と横浜投手陣上位の成績だった。その後は突然制球を乱す場面が目立ち、3試合合計で12.1回自責点18と打ち込まれ、結果として防御率4.05となってしまった。8月11日の東京ヤクルト戦では8回まで5安打の好投を見せ、点差も5点差と安全な状況から突然四球を連発し、9回無死満塁のピンチを招き降板。プロ初完投を逃している。試合は交代したマーク・クルーンが後続3人を抑え勝利。
2007年は契約金問題(後述)が発覚。プレーでは4月にプロ初セーブを記録。大矢明彦監督の下で手薄な左のリリーフとして1年間起用され、木塚敦志に次ぐチーム2位の63試合に登板し、防御率3.79の成績を残した。オフに左肩甲骨下角滑液包炎(かかくかつえきほうえん)治療のため手術を行った。
2008年は先発ローテーションに復帰。シーズンを通して安定度を欠き、5回前後で交代する試合が目立った。最終的に22試合80.2回投げながらわずか5勝、リーグワースト2位の12敗、防御率6.47という成績に終わった。
2009年は主に左の中継ぎとして起用されたが、怪我もあり12試合の登板に終わった。防御率も11.57と前年の倍近くに悪化。シーズン終了後の11月9日、清水直行との1対2の交換トレードで齋藤俊雄と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍[1]。
ロッテ時代
11月15日に入団発表が行なわれ、背番号は「47」に決定。テンプレート:Byはプロ入り初の一軍登板無しに終わった。二軍では19試合登板で4勝4セーブ、防御率4.75という結果だった。
テンプレート:Byも一軍での登板は無く、二軍でも僅か9試合の登板、防御率5点台に終わった。10月9日、戦力外通告を受け[2]、12月2日、自由契約公示された。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 横浜 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 109 | 22.0 | 32 | 5 | 12 | 0 | 0 | 16 | 1 | 0 | 22 | 20 | 8.18 | 2.00 |
テンプレート:By2 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | 0 | .273 | 417 | 95.1 | 92 | 11 | 49 | 1 | 1 | 66 | 8 | 0 | 49 | 43 | 4.05 | 1.48 | |
テンプレート:By2 | 63 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 1 | 12 | .444 | 276 | 61.2 | 68 | 6 | 26 | 1 | 1 | 43 | 5 | 0 | 29 | 26 | 3.79 | 1.52 | |
テンプレート:By2 | 22 | 17 | 0 | 0 | 0 | 5 | 12 | 0 | 0 | .294 | 369 | 80.2 | 98 | 16 | 33 | 0 | 4 | 55 | 5 | 0 | 61 | 58 | 6.47 | 1.62 | |
テンプレート:By2 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 34 | 7.0 | 9 | 1 | 5 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 9 | 9 | 11.57 | 2.00 | |
通算:5年 | 121 | 38 | 0 | 0 | 0 | 13 | 27 | 1 | 14 | .325 | 1205 | 266.2 | 299 | 39 | 125 | 2 | 6 | 185 | 20 | 0 | 170 | 156 | 5.27 | 1.59 |
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- 2011年度シーズン終了時
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発:2005年5月15日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、6回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏に木元邦之から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2005年5月22日、対西武ライオンズ3回戦(横浜スタジアム)、5回4失点
- 初ホールド:2007年4月7日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に4番手で救援登板、1回無失点
- 初セーブ:2007年4月24日、対読売ジャイアンツ4回戦(フルキャストスタジアム宮城)、8回裏1死に6番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
- 打撃記録
- 初安打:2008年4月16日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、4回表に館山昌平から中前安打
- 初打点:同上、5回表に加藤幹典から中前適時打
背番号
- 13 (2005年 - 2009年)
- 47 (2010年 - 2011年)
脚注
関連項目
テンプレート:横浜ベイスターズ2004年ドラフト指名選手- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年10月9日