木村一喜
テンプレート:Infobox baseball player 木村 一喜(きむら かずよし、1977年10月5日 - )は、広島東洋カープ、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属した、日本の元プロ野球選手(捕手)。本名は「木村一喜」で、2008年の登録名は「木村 考壱朗」(読み方は「きむら こういちろう」)。
目次
経歴
プロ入り前
1977年10月5日、山梨県北巨摩郡小淵沢町(現:山梨県北杜市)で生まれる。小学校の4年の時に捕手として野球を始める。それ以来は捕手一筋でやって来た。中学校時代は目立った成績を残していない。小学校と中学校では最高学年で主将を務める。
帝京第三高等学校では1年の秋に4番・捕手になり、2年の秋から3年の夏までは主将を務めたが、3年の夏は山梨大会の決勝戦で山梨学院大学付属高等学校に敗れた。3年間とも春と夏の全国大会に出場した経験はなかったものの、通算36本塁打を放つ。
その後、日本通運浦和に入社して、都市対抗野球にも出場した。1999年にはシドニーオリンピックアジア最終予選の野球日本代表候補に選ばれる。
1999年のドラフト会議で広島東洋カープに2位で指名されて入団し、念願のプロ入りを果たした。背番号は「27」に決まった。パンチのある打撃が持ち味で、チーム内の主力捕手がベテラン揃いの中で、即戦力捕手として期待された。
現役時代
広島時代
プロ入り1年目の年から一軍出場を果たし、2002年から大幅に先発出場の機会が増加し、一時は捕手のレギュラーになる。持ち前のセンスを発揮し、レギュラーシーズン終盤までは常に高打率を維持し、「隠れた首位打者」と呼ばれた。規定打席には到達出来なかったものの、打率.314という素晴らしい成績を残した。もし、規定打席に到達していれば、広島では西山秀二以来2人目となるレギュラーシーズンで高打率の捕手となっていた。一方、リードの面ではやや課題があった。強肩ではあったが、スローイングの技術もお世辞にも素晴らしいとは言い難く、盗塁阻止率は高くない。そのような点もあり、バットで結果を残しても、すぐに本職の捕手としてのレギュラー維持ということはなかった。
代打での出場が多かったものの、2本の同点適時打を放つなど、持ち前の勝負強い打撃は健在であった。力強い打力を買われ、一時は三塁手にコンバートの噂も出たが、結局はコンバートされずに終わった。
開幕前のキャンプ中に門限破りと宮崎県日南市内での飲食店で一般客とトラブルを起こして顎を骨折したため、レギュラーシーズン開幕から大きく出遅れ、復帰後の成績も振るわずに不本意な1年となる。この2件で罰金30万円を払い、同行していた鈴衛佑規も罰金10万円を払ったという。
石原慶幸や倉義和などの起用が多く、なかなか先発出場がなかったが、6月27日の対阪神タイガース戦で先発出場する。しかし、先発の黒田博樹のフォークボールを取れず、右手に当ててしまい、そのまま骨折してしまった。年末の契約更改では1500万円から限度額上限の25%減の1125万円と見られるチーム提示がなされたが、「キリのいい数字にして下さい」と自ら限度額を上回る33%減を志願し、500万減の1000万円でサインした。
この年は4試合の出場だけとなり、10月に球団事務所から戦力外通告を受けた。12チームの合同トライアウトに参加した後、東北楽天ゴールデンイーグルスのテストを受けて合格し、採用が決まった。12月6日に楽天と正式契約を交わした、背番号は「58」。
楽天時代
1月24日、登録名を本名の「木村一喜」から「木村考壱朗」に変更した。公式戦では無安打に終わり、10月1日に戦力外通告を受けて、そのまま現役引退となった。
引退後
2009年にBCリーグ・福井ミラクルエレファンツのバッテリーコーチ兼打撃コーチに就任し、登録名を再び本名の「木村一喜」に戻した。5月30日の対富山戦で、判定に対して審判員に対して長時間で抗議したため、退場処分となった。この行為に対して5月31日に謹慎処分1日となり、さらに6月4日から出場停止3試合の処分となった。処分が明けた6月7日、本人の申し出により退団した。その後、神奈川県の企業に入社[1]。
詳細情報
通算打撃成績
テンプレート:By2 | 広島 | 28 | 47 | 40 | 4 | 9 | 2 | 0 | 0 | 11 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 1 | 1 | 8 | 0 | .225 | .295 | .275 | .570 |
テンプレート:By2 | 39 | 79 | 72 | 2 | 17 | 2 | 0 | 0 | 19 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 2 | 1 | 14 | 1 | .236 | .295 | .264 | .559 | |
テンプレート:By2 | 109 | 290 | 264 | 27 | 83 | 11 | 1 | 5 | 111 | 28 | 0 | 2 | 3 | 2 | 17 | 6 | 4 | 38 | 7 | .314 | .362 | .420 | .782 | |
テンプレート:By2 | 76 | 117 | 113 | 3 | 30 | 4 | 1 | 0 | 36 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 19 | 7 | .265 | .282 | .319 | .601 | |
テンプレート:By2 | 35 | 48 | 41 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 6 | 0 | .146 | .239 | .146 | .385 | |
テンプレート:By2 | 27 | 35 | 31 | 2 | 7 | 0 | 0 | 1 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 6 | 1 | .226 | .294 | .323 | .617 | |
テンプレート:By2 | 8 | 11 | 11 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .091 | .091 | .182 | .273 | |
テンプレート:By2 | 4 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
テンプレート:By2 | 楽天 | 9 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:9年 | 335 | 642 | 587 | 39 | 153 | 20 | 2 | 6 | 195 | 59 | 0 | 2 | 10 | 3 | 36 | 9 | 6 | 94 | 16 | .261 | .309 | .332 | .641 |
---|
年度別守備成績
年<br />度 | 捕手 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | |
2000 | 22 | 14 | 11 | 3 | .214 | ||||||
2001 | 36 | 13 | 8 | 5 | .385 | ||||||
2002 | 105 | 48 | 37 | 11 | .229 | ||||||
2003 | 48 | 12 | 9 | 3 | .250 | ||||||
2004 | 18 | 3 | 3 | 0 | .000 | ||||||
2005 | 22 | 57 | 7 | 0 | 2 | 1 | 1.000 | 5 | 5 | 0 | .000 |
2006 | 3 | 12 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
2007 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | - |
2008 | 6 | 7 | 1 | 1 | 3 | 2 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - |
通算 | 96 | 73 | 23 | .240 |
記録
- 初出場:2000年4月12日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、6回表にネイサン・ミンチーの代打として出場
- 初打席・初安打:同上、6回表に野口茂樹から遊前内野安打
- 初先発出場:2000年5月13日、対中日ドラゴンズ7回戦(広島市民球場)、8番・捕手として先発出場
- 初打点:2000年8月22日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム)、5回表に三澤興一から左中間へ2点適時二塁打
- 初本塁打:2002年4月13日、対ヤクルトスワローズ5回戦(広島市民球場)、2回裏にケビン・ホッジスから左中間へ先制3ラン
背番号
- 27 (2000年 - 2007年)
- 58 (2008年)
- 88 (2009年)
登録名
- 木村 一喜 (きむら かずよし、2000年 - 2007年、2009年 - )
- 木村 考壱朗 (きむら こういちろう、2008年)