川村丈夫

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テンプレート:Infobox baseball player テンプレート:MedalTop テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalSilver テンプレート:MedalBottom 川村 丈夫(かわむら たけお、1972年4月30日 - )は、元プロ野球選手投手)、野球指導者。

経歴

プロ入り前

神奈川県大和市出身。厚木高校三年時に夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会で、強豪私立ぞろいの厳しい状況下でチームをベスト8まで導く大黒柱となった。準々決勝では川崎北高校河原純一と延長16回の投手戦を演じるが敗退。当時からかまぼこの板を使っての練習は有名だった(1999年12月放送のテレビ朝日 『プロ野球討論会』で本人および高校時代の監督が証言)。高校卒業後は立教大学へ一般入試で合格。東京六大学リーグ通算63試合登板、21勝27敗、防御率2.65、317奪三振テンプレート:Byアジア選手権・日米大学野球の両野球日本代表に選出。日本石油(現・JX日鉱日石エネルギー)入社後のテンプレート:By第66回都市対抗野球大会で優勝。

テンプレート:Byアトランタオリンピック野球日本代表に選出。準決勝のアメリカ戦では先発の杉浦正則リリーフし3回1/3イニングを無失点に抑えた。同年の社会人ベストナインに選出されプロ野球ドラフト会議にて、逆指名(1位)で横浜ベイスターズに入団。

プロ入り後

テンプレート:By先発投手が著しく不足する中、シーズン開幕当初から先発ローテーションの一角を担い、10勝7敗、147奪三振、防御率3.32の好成績を挙げる。しかし、新人王は12勝を挙げた広島澤崎俊和に軍配が上がった。

テンプレート:Byは開幕戦で史上3人目の1安打完封勝利を挙げる。前半戦は8勝と絶好調でオールスターゲームにも選出されたが、後半戦は0勝に終わった。しかし、日本シリーズでは最終戦(第6戦)で先発し無失点の好投で日本一に貢献した。

テンプレート:Byは新たに習得したチェンジアップを駆使し、自己最多の17勝を挙げる。6月には5戦全勝し、月間MVPを獲得、2年連続オールスターゲーム選出への原動力となる。しかし、最多勝のタイトルは巨人上原浩治が20勝したため逃す。

テンプレート:Byは年間を通じて調子があまり良くなかったものの、先発としてシーズンを通して登板し続けた結果、リーグ最多敗戦(12敗)を記録。

テンプレート:Byシーズン序盤に2試合連続中継ぎで大量失点し、湘南シーレックスに送られる。6月に先発として復帰するものの、5~6回しか投げられない状態が続き、9月以降は中継ぎに回ることになる。

テンプレート:Byは故障で3試合登板にとどまり、ついに未勝利に終わる。10月に背中の滑液胞炎の摘出手術を受ける。

テンプレート:By5月6日の広島戦(横浜スタジアム)で593日ぶりの勝利を挙げたが、5勝にとどまる。

テンプレート:Byにスタミナ面を考慮し、中継ぎに転向。これが見事に当たり、4月は大車輪の活躍でチームを首位に押し上げた。しかし、登板過多による疲労から精彩を欠き、7月1日に登録抹消。後半戦からは復帰し、58試合に登板して防御率3.07という数字を残したが複数イニング登板すると打たれることが多く、8敗を喫した。

テンプレート:Byは1イニング限定の登板起用がこれまた当たり、56試合登板し防御率は2.31。木塚敦志と共に、抑えのマーク・クルーンに繋ぐセットアッパーとしてチームの躍進に貢献。阪神JFKに匹敵する活躍を見せた。

テンプレート:By二段モーション禁止によるフォーム改造の影響により、シーズン序盤は打ち込まれ防御率が2桁の時期が続く。セットアッパーの役目も加藤武治に譲ることになったが、5月以降は持ち直して川村-加藤-クルーンの勝利リレーを確立。シーズン終盤にクルーンが故障で登録抹消されると抑えの役目を任され、プロ入り10年目で初セーブを挙げた。最終的な防御率こそ3.86と3点台を確保したが、この年優勝した中日相手に大量失点をするシーンが目立ち、数字以上に打たれるイメージを与えることになった。

テンプレート:Byは中継ぎでの3年間にわたる登板過多気味の状況や、先発投手が不足しているチーム事情を考慮し、大矢明彦新監督の意向で先発投手に配置転換された。しかし、キャンプ中に故障し、調整不足のままシーズンを迎えることになる。何とか先発の6番手に名を連ねたが5回未満で降板してしまうことが多く、開幕から約1ヶ月で中継ぎに戻る。中継ぎではまずまずの投球内容ではあったが、オールスター明けに調子を崩し、8月・9月とチームが大事な時期に二軍落ちしてしまった。

テンプレート:Byはシーズンの大半を二軍で過ごし、9月28日に今季限りで現役引退と一部で報道され、10月1日に球団より公式に引退が発表された。引退の理由について本人は「投げるのが怖くなるときがあり、精神的に厳しいものがあった」と語っている。10月5日、対広島23回戦(横浜)にて先発登板し、先頭打者の東出輝裕を3球三振に打ち取って降板。試合後に引退セレモニーが執り行われた。

引退後

テンプレート:Byからは湘南シーレックスの投手コーチに就任し、山口俊の育成に貢献。テンプレート:Byからはスコアラーに転身し、テンプレート:Byからテンプレート:Byは再び二軍投手コーチ、2013年は一軍投手コーチ(ブルペン)、2014年は一軍投手コーチ(ベンチ)を務める。

プレースタイル

ゆったりとしたフォームから繰り出される切れの良い直球フォークボールチェンジアップが持ち味。球持ちが非常によく、140キロ前後の直球でも打者はタイミングを狂わされ、打つのに苦労させられることが多かった。反面、主に先発投手として起用されていた間(1997年~2000年、2003年)は被本塁打の多さを揶揄されることが多く、実際に多かった。引退セレモニーのスピーチでも自身の被本塁打の多さについて「ここ、横浜スタジアムには色々な思い出があります。どれだけ、ホームランを打たれたか…。」と触れている。故障に苦しむようになってからは長いイニングを投げることが困難になり、中継ぎ転向の主因となった。

中継ぎに転向してからは、緩急で打たせて取る投球から球威で押していく傾向が強くなった。先発時代は130km/h台半ば~140km/h前後だった直球も145km/h前後を常時記録していた(Max149km/h)。中継ぎ登板での被弾はそれほど多くはなかった。

人物

  • V6長野博とは小学生時代からの同級生。長野とは同じチームに1年間在籍した。
  • 2000年の自主トレ中に、アトランタ五輪の銀メダルと1998年の優勝リングとオールスター出場記念メダル(2個)を空き巣に盗まれてしまった。
  • クアトロKを構成していた木塚・加藤とは仲が良く、年明けの合同自主トレも厚木大山で共に行っていた。なお、川村は以前から野村弘樹秋元宏作とこの地で自主トレを行っていた。
  • 前述の通り、被本塁打が多いことで知られているが、投手からも3本打たれている。1999年8月13日の横浜スタジアムでの巨人戦ではバルビーノ・ガルベスに満塁場外本塁打を打たれ、2001年7月31日広島市民球場での広島戦では高橋建に通算100本目の本塁打を打たれた。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 横浜 26 26 2 2 0 10 7 0 -- .588 614 151.2 113 27 49 1 4 147 3 0 56 56 3.32 1.07
テンプレート:By2 26 24 1 1 0 8 6 0 -- .571 610 146.1 139 23 46 0 2 97 3 0 60 54 3.32 1.26
テンプレート:By2 26 26 5 3 2 17 6 0 -- .739 743 183.0 169 21 43 1 1 131 1 0 65 61 3.00 1.16
テンプレート:By2 26 26 1 0 1 7 12 0 -- .368 614 147.2 160 23 35 2 0 85 7 0 84 83 5.06 1.32
テンプレート:By2 27 15 0 0 0 6 6 0 -- .500 379 90.1 94 8 29 3 0 49 2 0 43 42 4.18 1.36
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通算:12年 368 145 9 6 3 71 64 4 60 .526 4630 1115.1 1063 144 315 20 19 815 20 0 483 461 3.72 1.24
  • データ出典 - 日本野球機構(NPB)[1]、ただしWHIPは除く。
  • 各年度の太字はリーグ最高。

表彰

記録

投手記録
打撃記録
  • 初安打:1997年4月29日、対ヤクルトスワローズ4回戦(横浜スタジアム)、2回裏にテリー・ブロスから
  • 初打点:1997年8月3日、対広島東洋カープ20回戦(広島市民球場)、1回表に大野豊から右翼線へ適時二塁打
その他記録

背番号

  • 16 (1997年 - 2008年)
  • 83 (2009年)
  • 75 (2011年 - )

脚注

  1. 個人年度別成績 【川村丈夫 (横浜ベイスターズ)】 - 日本野球機構(NPB)

関連項目

テンプレート:横浜DeNAベイスターズ テンプレート:横浜DeNAベイスターズ開幕投手 テンプレート:アトランタオリンピック野球日本代表 テンプレート:横浜ベイスターズ1996年ドラフト指名選手