東出輝裕

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東出 輝裕(ひがしで あきひろ、1980年8月21日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手内野手)。一般社団法人日本プロ野球選手会理事長。

来歴・人物

福井県鯖江市出身。敦賀気比高校(同級生に金森久朋)2年時に第79回全国高等学校野球選手権大会でベスト8、初戦の堀越戦で四球出塁すると二盗・三盗を立て続けに決めて決勝点のきっかけを作るなど当時から俊足ぶりを発揮していた。

3年時は第70回選抜高等学校野球大会第80回全国高等学校野球選手権大会の甲子園にそれぞれ投手兼内野手として春夏連続出場。投手で1番打者でキャプテンの役割を担ったが、選抜PL学園、夏は桜美林に惜敗した。甲子園での東出の活躍を見た小関順二は当時の著書で「天才」と評した。また当時広島東洋カープのコーチを務めていた高代延博は東出の甲子園でのプレーを見て、球団のスカウト担当に「内野手として使える」とドラフト指名候補にするよう進言したという[1]

第3回AAAアジア選手権大会日本代表に選出され、同指揮官中村順司前PL監督から「立浪和義以来の逸材」という評価を受けた。遊撃手として大会ベストナインを獲得。テンプレート:要出典範囲テンプレート:NPBドラフトのドラフト1位で広島東洋カープに指名を受けて入団。

プロ入り後

テンプレート:By、高卒新人として1年目から出場を果たし、主にセカンドを守った。5月11日の巨人戦で2番・セカンドでプロ初先発初出場を果たし、第2打席は完全に詰まった内野ゴロであったにも関わらず、内野安打となった。フレッシュオールスターゲームにもウェスタン・リーグの先頭打者として先発出場。翌テンプレート:By背番号を2に変更、遊撃手にコンバートされた。セカンドのレギュラー候補だったエディ・ディアスが公式戦直前に負傷で戦線離脱し、代わりにセカンドに入った木村拓也と共に1、2番でスタメンに名を連ねた。112試合に出場、守備面ではリーグ最多の25失策を記録しながら、217刺殺・356補殺、レンジファクターは5.0を超えた。

テンプレート:By月間リーグ最多盗塁(8個)でJA全農セ・リーグGOGO賞(好走塁賞)を受賞。球団記録となるシーズン49犠打を記録。全試合に出場し、打率2割6分2厘、5本塁打、35打点に加え、盗塁も自己最高の26個をマーク。リーグ最多の5三塁打も記録して、主に2番打者に座る。守備面では27失策で2年続けてリーグ最多を記録するも、一方で補殺数は宮本慎也(425)・石井琢朗(417)に次ぐ411を記録。第34回IBAFワールドカップ日本代表に選出され、予選・本選を通じて日本チームトップの10打点を記録、守備でもほとんど経験の無いサードを守りベストナインを獲得。しかし、決勝進出をかけた対キューバ戦では、1点リードの投手戦で同点タイムリーエラーを犯した。

テンプレート:By、エディ・ディアスがセカンドに入り、東出はショートで開幕スタートするが、右大腿二頭筋肉離れにより5月26日から7月7日まで2ヶ月間近く戦線を離脱。故障の影響もあり成績は振るわなかった。この年はチームメイトで三塁手の新井貴浩と最多失策を争っていたが、上記の離脱で出場機会が減ったため、最多失策は新井となり、3年連続での最多失策は免れた。

テンプレート:By、再びセカンドへコンバートされるも、47試合の出場に留まる。

テンプレート:Byチーム事情から一時期ショートを守ったが、オリックスから菊地原毅とのトレードで移籍してきた山崎浩司がショート、木村拓也がセカンドに定着。自身はセカンドや外野の守備固めなどで出場した。7月17日の阪神戦(阪神甲子園球場)では、好投を続けていた安藤優也から延長10回決勝本塁打を放った[2]

テンプレート:Byマーティ・ブラウン新監督が就任し、ショートは前年守った山崎、セカンドはルーキーの梵英心という二遊間で開幕を迎える。しかし、山崎が打撃不振の一方、開幕戦に入って東出が途中出場などで活躍。4月後半に梵がショートに回り、東出がセカンドに復帰。7月には監督推薦でオールスターゲーム出場を果たした。4年ぶりに規定打席に到達して打率はシーズンを通じて2割8分台を維持、自身初のサヨナラヒットも打ったが二塁打本塁打は規定打席到達している打者の中で両リーグ最少(二塁打は田中賢介とタイ、本塁打は赤星憲広とタイ)。また盗塁成功率が低かった(成功11・失敗18)。守備面では、セカンドとして122試合に出場してリーグトップの277刺殺・421補殺に加えて8失策で守備率.989でリーグ2位と成長を見せた。また、レンジファクターは6.0近かった。テンプレート:要出典敦賀気比高時代の同級生と結婚したことを発表。

テンプレート:By打撃面では前年を下回る成績となり、スタメン、打順とも固定できない試合が増えたが、132試合に出場した。守備面では、二塁手での出場は124試合でリーグトップの419補殺、同2位の294刺殺で失策は7、守備率.990でリーグ2位。レンジファクターはこの年の規定イニングを越える二塁手としてリーグトップの6.37だった。[3]盗塁死は前年の18から4に減少。三振数55は前田智徳の31に次ぐチーム2位の少なさで、三振率も前田智徳に次いで下から2位。併殺打3は規定打席到達の打者では高橋由伸巨人)、赤星憲広(阪神)、アーロン・ガイエルヤクルト)らと並びリーグ最少、二塁打、三塁打、本塁打、長打率打点はリーグ最少だった(規定打席到達者では二塁打は赤星・相川亮二とタイ、三塁打は9人が0本でタイ、本塁打は赤星とタイ、パでは村松有人も本塁打0だった)。赤星と共に、2年連続で規定打席に到達して本塁打がなかった。(史上8・9人目で9・10度目)。オフに将来は現役引退後、母校の指導者となることを希望しており教職資格を取るために早稲田大学進学が報道された[4]

テンプレート:By、シーズン当初は控えや下位の打順を打つ事が多かったが、徐々に結果を出してからは1、2番に固定され、打率.360前後の成績をキープし、オールスターゲームに初めてファン投票で選出された。138試合に出場し、初の3割到達となる打率.310を記録。併殺打は前年の3よりもさらに少ない1で、2年連続でリーグ最少だった。終盤戦に負った指の負傷の影響もあり、久々の2桁となる12失策を記録したが、守備面でも年間通じて安定。内野手最多得票となる141票にて二塁手のベストナインに選ばれる[5]。なお、本塁打はこの年も0本に終わり、規定打席に到達しての3年連続本塁打ゼロは、1991 - 1993年の和田豊以来のことであった。

同年途中に球団史上最年少の28歳でFA権を取得。去就が注目されたが球団と協議を重ね11月11日にFA権を行使せずに広島残留を表明。4年契約を結ぶとともに、単年年俸で1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。会見では「カープで日本シリーズに出場したい」「必要とされる限りはカープに残りたい」とチームに対する愛着を語った。

テンプレート:By、5月16日に2年ぶりに外野守備(1番・右翼手で先発出場)についたが、守備機会は無かった。オールスターゲームに2年連続で出場し、地元広島で行われた2戦目にはチームから5人がスタメン出場した。シーズンでは、チームが極端な打撃不振に陥る中、一年間通して安定した調子を保ち、142試合に出場してチームトップの打率.294を記録。三振数は規定打席到達者中最少の39個だった。昨年と比べて打率は低下したものの、選球眼が良くなり、出塁率は昨年を上回った。二塁手としてリーグ最多の14失策だったが、チームトップの14盗塁を記録し、また127票で2年連続のベストナインに選ばれる。本拠地が広くなったこともあり二塁打、三塁打が増加し長打率も上昇したが、この年もまた0本塁打に終わり、規定打席到達者の無本塁打記録としてはプロ野球史上最長となる4年連続無本塁打を達成した[6]

テンプレート:By4月23日の巨人戦(東京ドーム)で東野峻から5年ぶりとなる本塁打を放ち、連続打席無本塁打記録は2393打席で止まった[7]。また、オールスターゲームにもファン投票で3年連続で出場し、2試合に出場し球宴初安打を含む3安打を放つ活躍を見せた。しかし8月下旬に右肘痛で戦線を離脱し、そのままシーズンを終えた。規定打席には到達したものの、出場試合数、打率、安打数、盗塁数は過去5年間で最も低くなった。一方でチャンスで打席を迎えることが多く、出場試合数が減った中で自己最高の40打点を挙げた。

テンプレート:Byも二塁手のレギュラーとして137試合に出場。春先は打撃不振だったものの、その後はシーズンを通して安定した成績を残した。ただ、2006年から5年連続で二桁盗塁をマークしていたが、この年は8盗塁に留まった。

テンプレート:Byも1軍スタート。この年はシーズン序盤はスタメン起用だったものの、6月10日の試合で、ゴロ捕球の際に右手中指に打球を当て、骨折して2軍落ち。その後8月に1軍に復帰するがルーキー菊池涼介の台頭もあり、復帰後は代打での起用が主となったため、最終的に91試合の出場に留まる。

テンプレート:By、開幕前の2月24日の紅白戦で本塁に突入した際に左膝前十字靭帯の大怪我を負う[8]。シーズン中の復帰は絶望となり、3月18日に左前十字靱帯再建術及び左半月板切除の手術を受けた[9]。同年12月5日、日本プロ野球選手会の選手総会にて、社団法人選手会の理事長に就任した[10]

テンプレート:By3月14日の春季教育リーグで約1年ぶりに実戦復帰した[11]

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 広島 78 267 233 25 53 5 1 0 60 7 8 2 18 1 14 0 1 34 5 .227 .273 .258 .531
テンプレート:By2 119 485 429 62 112 18 2 3 143 28 17 6 22 3 29 0 2 87 7 .261 .309 .333 .642
テンプレート:By2 140 637 545 82 143 22 5 5 190 35 26 9 49 4 35 0 4 84 8 .262 .310 .349 .658
テンプレート:By2 107 437 377 41 90 7 1 1 102 17 12 8 35 2 20 0 3 44 5 .239 .281 .271 .552
テンプレート:By2 47 92 82 8 12 0 0 0 12 1 3 0 6 0 4 0 0 11 3 .146 .186 .146 .332
テンプレート:By2 76 85 75 17 18 0 1 1 23 3 5 1 5 0 4 0 1 18 1 .240 .288 .307 .594
テンプレート:By2 39 75 67 8 14 2 0 1 19 3 2 3 3 0 5 0 0 16 2 .209 .264 .284 .547
テンプレート:By2 138 550 504 57 142 10 1 0 154 23 11 18 14 2 27 0 3 60 7 .282 .321 .306 .626
テンプレート:By2 132 516 458 57 123 12 0 0 135 15 13 4 22 2 33 1 1 55 3 .269 .318 .295 .613
テンプレート:By2 138 576 522 76 162 12 1 0 176 31 13 8 24 4 24 1 2 63 1 .310 .341 .337 .678
テンプレート:By2 142 625 558 71 164 16 8 0 196 26 14 7 19 3 44 3 1 39 5 .294 .345 .351 .696
テンプレート:By2 108 492 454 53 121 15 7 1 153 40 10 7 10 1 26 0 1 55 4 .267 .307 .337 .644
テンプレート:By2 137 601 543 60 151 17 3 0 174 27 8 6 18 2 35 0 3 71 7 .278 .324 .320 .645
テンプレート:By2 91 282 247 15 61 8 0 0 69 6 1 2 19 0 13 0 3 22 3 .247 .293 .279 .572
通算:14年 1492 5720 5094 632 1366 144 30 12 1606 262 143 81 264 24 313 5 25 659 61 .268 .312 .315 .627
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績


二塁 三塁 遊撃 外野
















































1999 68 143 177 7 29 .979 2 0 0 0 0 - 7 6 8 9 1 1.000 -
2000 - 1 0 0 0 0 - 116 217 356 25 93 .958 -
2001 - - 139 249 411 27 83 .961 -
2002 - - 107 171 268 16 56 .965 -
2003 30 43 72 4 14 .966 - - -
2004 48 36 56 1 7 .989 - - 3 2 0 0 0 1.000
2005 13 18 26 3 4 .936 - 14 15 31 2 8 .958 -
2006 122 277 421 8 76 .989 - - 16 14 0 0 0 1.000
2007 124 294 419 7 69 .990 - - 7 10 0 0 0 1.000
2008 137 316 475 12 80 .985 - - -
2009 141 283 435 14 60 .981 - - 1 0 0 0 0 -
2010 107 233 338 7 66 .988 - - -
2011 136 336 378 11 59 .985 - - -
2012 72 139 187 4 27 .988 - - -
通算 998 2118 2984 78 491 .985 3 0 0 0 0 - 383 658 1074 79 241 .956 27 26 0 0 0 1.000

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  • 2393打席連続無本塁打:2005年 - 2010年 ※球団記録、NPB2位[12]

背番号

  • 46 (1999年)
  • 2 (2000年 - )

関連情報

ドラマ出演

脚注

  1. 【野球のツボ】プロは高校球児のココを見る スポーツニッポン 2013年8月15日閲覧
  2. この本塁打を記録してから約5年間、2393打席にわたって公式戦で本塁打を放つことはなかった。
  3. http://baseball-zone.net/a_la_carte_record_defense_2007c.html
  4. http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20061212-129340.html
  5. http://www.daily.co.jp/baseball/2008/11/22/0001578722.shtml
  6. 赤星も同様に0本塁打に終わったが、2009年シーズンは故障により規定打席に到達しなかったため、東出が単独で新記録を達成した。
  7. 2393打席連続無本塁打はプロ野球史上2位。1位は赤星が2005年~2009年シーズンにかけて記録した2528打席である。
  8. 【広島】東出前十字靱帯断裂で今季絶望 日刊スポーツ 2013年2月27日
  9. 東出が左膝手術 復帰まで約9カ月 デイリースポーツ 2013年3月19日閲覧
  10. 2013年冬の選手会総会大会を実施しました。 - 日本プロ野球選手会
  11. 広島東出が1年ぶり実戦復帰「寒かった」 日刊スポーツ 2014年3月14日
  12. 週刊ベースボール2014年8月18日号109-ジ^

関連項目

外部リンク

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