ナショナルゴールデン劇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナショナルゴールデン劇場
- 1950年代 - 1960年代に、読売テレビで放送されたテレビドラマ番組。関東圏の日本テレビでは『ヤシカゴールデン劇場』としてネットされていた。
- 1966年 - 1981年に、NETテレビ(後にテレビ朝日)ほかで放送されたテレビドラマ番組枠。本項目で詳述する。
ナショナルゴールデン劇場(なしょなるごーるでんげきじょう)は、1966年4月7日 - 1981年9月24日にかけて、NETテレビ(後にテレビ朝日)ほかで放送された、ゴールデンタイムのテレビドラマ番組枠。
1979年12月までは松下電器産業(現在のパナソニック)の1社提供だったが、1980年1月から複数社提供へ移行したと同時に『ゴールデン劇場』へ改題された。
目次
概要
「ナショナルゴールデン劇場」時代
- この番組にも「ナショナル劇場」(TBS)などと同様に「ナショナル」の冠がついているため、全国で放送されていた他、松下電器産業(現在のパナソニック)と松下電工(後のパナソニック電工)の2社提供であり、この番組のオープニングでもほとんどの場合は「明るいナショナル」(作詞・作曲:三木鶏郎)が歌われていた。
- オープニングの最後に、『仮面ライダーシリーズ』や『トリビアの泉』のナレーションで有名な中江真司(後期は、同社提供「ズバリ!当てましょう」の司会で有名だった泉大助)の声で「丈夫で豊かな暮らしを広げる(後に社会とともに歩む技術のナショナル)松下電器、松下電工の2社がお送りする、ナショナルゴールデン劇場。」というアナウンスが入った。「ナショナルゴールデン劇場」末期は演奏のみになっていた。
- 1979年12月終了の『風光る・亜紀子』を以って松下一社提供は終了した。
「ゴールデン劇場」時代
- 1980年1月開始の『頓珍館おやじ』から、松下電器に加えて、新たにマツダとロレアルがスポンサーに加わり複数社提供に変更されたため、タイトルも「ゴールデン劇場」と変更されたが、1981年9月終了の『おやじの台所』終了と同時に「ナショナルゴールデン劇場」から通算して15年半の歴史に幕を閉じた。
放送作品
ナショナルゴールデン劇場
- 戦国夫婦物語「功名が辻」(ナショナルゴールデン劇場第1作、原作:司馬遼太郎、出演:団令子他、全8話)
- 逃亡(1966年6月 - 8月放送、原作:松本清張、出演:加藤剛他、全10回)
- 蘭子ひとり(1966年8月 - 9月放送、原作:三浦哲郎、出演:藤純子他)
- 中村錦之助ドラマ集
- 愛しき哉
- まごころ
- 朝の波紋
- いまに陽が昇る
- おやじさん
- けむりよ煙
- 北斗の人(1967年8月 - 9月放送、原作:司馬遼太郎、出演:加藤剛他)
- 霧の旗(1967年10月放送、原作:松本清張、出演:芦田伸介他、全4回)
- 女の中の悪魔(1967年11月放送、原作:由起しげ子他)
- さくらんぼ
- 淵の底
- 流れる雲
- レモンの涙
- 十一番目の志士(1968年6月 - 8月放送、原作:司馬遼太郎、出演:加藤剛他)
- ももくり三年
- お吟さま
- フルーツポンチ3対3(1968年放送)
- 罪な女
- 風林火山(1969年放送、「NET開局10周年記念ドラマ」の冠がついた)
- 恋ごころ
- 水密桃は青かった
- 夫婦の設計
- どくろ銭
- レモンスカッシュ4対4(1969年放送)
- 白い十字架
- 女房太閤記
- 花と竜(1970年3月 - 5月放送、原作:火野葦平、出演:渡哲也他)
- 二人の妻を持つ男
- 掌の中の卵
- 北条政子
- 野菜シリーズ(脚本:向田邦子)
- 鬼退治
- レインボーシリーズ(主演:第1段 佐久間良子、第2段 浅丘ルリ子、第3段 浜美枝、第4段 栗原小巻、第5段 三田佳子、第6段 藤純子、第7段 若尾文子)
- 夜の学校
- ちん・とん・しゃん
- 人生劇場
- 森光子シリーズ
- 竹の子すくすく
- 渡された場面(1978年4月 - 5月放送、原作:松本清張、出演:杉浦直樹他、全4回)
- 敵か?味方か?3対3(1978年5月 - 7月放送、出演:三浦友和他)
- 誰かさんと誰かさん(1978年放送)
- 素敵なあいつ
- カンガルーの反乱
- 流氷の詩
- 天山先生本日も多忙(1979年4月 - 9月放送、出演:森繁久彌他、全26回)
- 風光る・亜紀子(ナショナルゴールデン劇場としての最終作)
ゴールデン劇場
- 頓珍館おやじ
- 若き日の北条早雲
- ある日突然?!スパゲティ・ママの青春白書
- 虹子の冒険
- 森繁久彌のおやじは熟年
- おやじの台所(ゴールデン劇場シリーズ最終作)
放映ネット局
いずれも放送当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 制作局 | 1977年3月まではNETテレビ |
北海道 | 北海道放送 | TBS系列 | 遅れネット | 1970年12月まで |
北海道テレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 1971年1月から | |
青森県 | 青森テレビ | NETテレビ系列 TBS系列 |
1969年12月開局から1975年3月まで | |
青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1975年4月から | ||
岩手県 | テレビ岩手 | 1969年12月開局から1979年9月まで | ||
岩手放送 | TBS系列 | 遅れネット | 現:IBC岩手放送、1979年10月から | |
宮城県 | 東北放送 | 1975年9月まで | ||
東日本放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 1975年10月から | |
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | 1975年4月から1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |
福島県 | 福島中央テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | 1970年4月開局から 1971年9月まではフジテレビ系列・NETテレビ系列のクロスネット局 |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | 同日22時より放送。1968年12月開局から 1981年3月までは日本テレビ系列とのトリプルネット局 |
長野県 | 信越放送 | TBS系列 | 遅れネット | 1971年まで |
長野放送 | フジテレビ系列 | 1971年から | ||
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | ||
静岡けんみんテレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 現:静岡朝日テレビ | |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | ||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 | ||
中京広域圏 | 名古屋テレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 1973年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 1966年4月上旬及び1971年10月から1973年3月までは、同日異時ネット |
近畿広域圏 | 毎日放送 | NETテレビ系列 | 1966年から1975年3月まで 1969年から東京12チャンネル系列とのクロスネット局 | |
朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1975年4月から 「腸捻転」解消による移行 | ||
島根県 →島根県 鳥取県 |
山陰放送 | TBS系列 | 遅れネット | 当初は島根県のみ、1972年9月の電波相互乗り入れで鳥取県でも放送 |
岡山県 | テレビ岡山 | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | 1969年から 1979年3月の岡山・香川の電波相互乗り入れまで |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 遅れネット | 1969年から1970年11月まで |
広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 1970年12月開局から | |
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 |
1970年4月開局から1979年3月まで 1978年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局 | |
山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | 1979年4月から1週遅れで放送 | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | ||
香川県 | 西日本放送 | 1969年3月まで | ||
香川県→ 香川県 岡山県 |
瀬戸内海放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 1969年4月開局から 1979年3月までの放送エリアは香川県のみ、同年4月から岡山県でも放送 |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
高知県 | 高知放送 | |||
福岡県 | 九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | 遅れネット | |
熊本県 | テレビ熊本 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | 1969年4月開局から |
大分県 | テレビ大分 | 1970年4月開局から | ||
宮崎県 | テレビ宮崎 | |||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | 1969年4月開局から | ||
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット |
ネット局に関する備考
- 本土復帰前の沖縄では、沖縄テレビに『ナショナルゴールデン劇場』名義の松下電器一社提供枠が存在したが、この枠は一時期、NHK『大河ドラマ』の放映枠に充てられていた[1]。
- 本枠のネット開始当初は当時放送されていた『ナショナル劇場』とは異なり、未ネットの地域もあった。1969年から1970年にかけてのアナログUHF局開局で、他系列とのクロスネット局での放送が増加していった。