日本海 (列車)
テンプレート:列車名 日本海(にほんかい)は、大阪駅 - 青森駅間を東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線(日本海縦貫線)経由で運行している寝台特別急行列車である。2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正以降は、臨時列車となったが、2013年(平成25年)3月以降は列車が設定されていない。
目次
概要
特急「日本海」は、大阪と青森を結ぶ急行列車として1947年7月に運転を開始し、1950年11月に「日本海」と名付けられた。その後1968年に特急列車化されている。
京阪神と東北地方を結ぶ列車としては、1924年7月31日の羽越本線全通時に、神戸駅 - 青森駅間で運転を開始した急行列車が最初である。
利用客の減少や車両老朽化のため、2012年3月17日ダイヤ改正で定期運行が終了し[1][2][3]、同日以降は臨時列車として、ゴールデンウィークなど多客期のみに運転される[4][5]。
2013年春季以降は運行の設定がされていないが、JRからは存廃についての確定的な発表等は無いほか、同年1月の時点ではJR東日本は存廃について検討中としていた[6]。しかし、その後も「日本海」は設定されておらず[7]、現時点では2013年1月6日が運行最終日となっている[8]。
定期運転最終列車の寝台券は発売開始後、下り(青森行き)は15秒、上り(大阪行き)は10秒で完売した[9]。
運行概況
臨時列車化後のダイヤは下り列車が、大阪駅20:38発、青森駅12:42着となる。上り列車の青森駅発車時刻は、16:21発となるが、大阪駅の到着は定期列車時代と同じ10:27となる。このため、定期列車時代に比べて下り列車は1時間、上り列車は3時間ほど所要時間が長くなる。新青森駅への停車が臨時列車化と同時に無くなった。また、一部区間で実施していた立席特急券や指定席特急券での乗車取り扱いも廃止された。
停車駅
大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅
使用車両・編成
機関車はJR西日本の敦賀地域鉄道部に所属するEF81形機関車が、客車はJR東日本の青森車両センターに所属する24系客車7両編成(うち1両は電源・荷物車)が使用されている。座席はすべて開放式2段式B寝台となる。EF81形は上り列車の敦賀駅で交換される。
なお、EF81形は日本海の運転日前に予め2両が青森車両センターへ重連で回送され、1シーズンの運転全てが終了すると同様に2両が重連で敦賀まで返却回送される。
定期列車時代の運行概況
運転開始当初は1往復で米原駅を経由していたが、1975年3月に湖西線が開業したことによって同線を経由するようになり、同時に2往復体制となった。1988年3月には青函トンネルが開業したことにより、うち1往復が函館駅まで運転されるようになったが、2006年3月には函館駅乗り入れが廃止され、2往復とも大阪駅 - 青森駅間の運転に変更され、2008年3月に利用者の減少により1往復が廃止された。
比良おろしによる強風規制で湖西線の運転を見合わせている場合、米原駅経由で迂回運転が行われていた。また、冬季を中心に日本海沿岸を走る信越本線、羽越本線などの一部区間で強風や雪害の被害に遭いやすく、運休や大幅な遅延が発生することがあった[10]。
2012年3月16日に大阪駅を始発とする定期運転最終列車の青森行きは所要時間が約4時間長くなっていた(8:45着→12:42着)。
- Ltd.Exp Nihonkai.JPG
定期列車時代の「日本海」(大阪駅)
停車駅
大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅
2008年3月14日までは、加賀温泉駅・魚津駅・糸魚川駅・大鰐温泉駅は1号・4号のみ停車、新津駅は1号 - 3号が、また、上記の停車駅のほか、2号・3号は村上駅・あつみ温泉駅・象潟駅・八郎潟駅にも停車していた。
2010年12月4日から定期運転終了まで、東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間開業に伴い、新青森駅にも停車するようになった。
使用車両・編成
定期列車最終運行時点における「日本海」編成図 | |||||||||||||||||||||
テンプレート:TrainDirection | |||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||
日本海 | |||||||||||||||||||||
テンプレート:TrainDirection | |||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||
|
機関車
機関車は、全区間でJR西日本の敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室に所属するEF81形電気機関車が牽引する。「トワイライトエクスプレス」色の機関車が運用される場合もある。かつては、秋田駅 - 青森駅間でED75形が使用されたことがあるほか、羽越本線・奥羽本線の電化完成前、湖西線開業前にはDD51形・EF70形・EF65形・EF58形などが使用されたことがある。
客車
客車はJR東日本の青森車両センターに所属する24系客車が使用されていた。2008年3月14日までは、1号・4号がJR西日本の宮原総合運転所に所属する24系客車で、2号・3号が青森車両センター所属車両で現行と同じ組成編成で運転されていた。運用状況によっては、オハネ24形・オハネフ24形はオハネ25形・オハネフ25形を使用する場合もあった。
特急化された1968年10月に青森運転所(現:青森車両センター)所属の20系客車を導入したが、湖西線経由になった1975年3月には14系寝台客車に置き換えられた一方で食堂車の連結は廃止された。ここで「日本海」に使用された14系は、長崎県佐世保市の早岐客貨車区所属車が「あかつき」として大阪駅に発着する編成の間合い運用として充当されており、長崎県の客貨車区に所属する車両の定期営業列車が青森駅まで運用される稀有な運転体制となった。しかし「あかつき」と「日本海」のどちらかが遅延・運休するともう一方にも影響することがあった。1978年10月から当該列車は青森運転所の24系客車に変更され、早岐客貨車区所属の14系客車による広域運用は終了した。また、1975年に季節列車として設定されていた1往復(宮原客車区の14系座席車→24系25形客車を使用)も定期列車に格上げされた。
1988年の青函トンネル開業により1往復が函館駅までの運転になった際に食堂車復活の構想があり、食堂車が入る予定の5号車は欠車扱いとなった。サシ489形とサシ481形を種車として鷹取工場でスシ24形に改造、塗色も青20号となって宮原に配属された。しかし用意された食堂車スシ24形は再改造の上「トワイライトエクスプレス」に使用され、復活は実現しなかった。
2010年12月4日の東北新幹線の全線開業に伴い、新青森駅に停車するようになり、繁忙期の編成は12両から10両になった。そのため、オロネ24形が10号車となっていた。
なお、以下の区間ではB寝台を普通車座席として利用できた(寝台券参照)。
- 下り:東能代駅 → 青森駅間 …立席特急券で2 - 4号車が利用できる(東能代駅 - 鷹ノ巣駅間は2号車のみ)。
- 上り:青森駅 → 秋田駅間 …指定席特急券で6号車が利用できる。ただし、寝台の設備(枕・スリッパなど)は利用できない。
2008年3月14日までは、B寝台は、1号の東能代駅→鷹ノ巣駅間は2号車、鷹ノ巣駅→青森駅間は2 - 4号車、3号の鶴岡駅→秋田駅間は3・4号車、秋田駅→青森駅間は3 - 6号車が立席特急券で、2号・4号の青森駅→秋田駅間は指定席特急券で6号車を座席として利用できた。
- Nihonkai24-25.JPG
「日本海」に使用されている24系客車
- Nihonnkai.EF81-113ver.jpg
「トワイライトエクスプレス」塗色の機関車が使用されることもある
利用状況
公共交通機関において、京阪神と東北地方を結ぶ夜行バス路線の北限が仙台市と山形市であるため、公共交通機関を利用した夜間移動では当列車が山形県庄内地方・秋田県・青森県を結ぶ唯一の手段となっていた。団体で修学旅行・甲子園への応援や、就職・受験など学生の利用も多かった[12][13]。
定期列車時代後期の利用状況は、ほかの夜行列車・寝台列車と同様に利用客が航空機や高速バスへの移行が進んだことや、宿泊料金を低減したホテルが増えたことも影響し、JR西日本によると乗客数はJR発足時の1987年(約530人)と比較して2010年代では約4分の1に減少しており、2010年度の平均乗車人数(1本当たり)は約130人で[14][15]、平均乗車率は5割程度だった[12][2]。さらに修学旅行の団体の利用も、少子化による生徒数の減少に加えて、航空機利用に切り替えたり、沖縄や海外を行き先に選ぶ学校が増えるなど多様化したこともあって、晩年は減少傾向にあった。 テンプレート:-
臨時列車
あおもり
1988年より20系客車が使用された臨時列車として「日本海」81・82号として設定され、定期列車と同じく大阪駅 - 青森駅間で運転されていた。のちに急行列車化されて「あおもり」に改称された。1994年からは583系電車に変更して運転されていたが、2000年以降は夏期のみの運転となり、2008年度を最後に運転されていない[16]。
東北夏祭り号
青森ねぶた祭りの開催に合わせて運転されていた急行列車。583系電車を使用し、神戸(のちに大阪)発青森行きのみ運転されていた[17][16]。2007年度を最後に運転されていない。
沿革
日本海縦貫線全通とその後の展開
- 1924年(大正13年)7月31日:羽越本線の全通により日本海縦貫線が完成し、神戸駅 - 青森駅間で急行列車(富山駅 - 青森駅間は普通列車)の運転を開始。
- 1926年(大正15年)8月15日:全区間を急行列車化。
- 1929年(昭和4年)9月15日:運転区間を大阪駅 - 青森駅間に変更。
- 1943年(昭和18年)2月1日:大阪駅 - 青森駅間の急行列車を廃止。
戦後急行「日本海」としての運転再開
- 1947年(昭和22年)7月5日:大阪駅 - 青森駅間で急行列車の運転を開始。
- 1950年(昭和25年)11月8日:大阪駅 - 青森駅間の急行列車を「日本海」と命名。
- 1961年(昭和36年)2月9日:羽越本線を走行中の急行「日本海」が崩れた土砂に乗り上げた列車脱線事故(急行「日本海」列車脱線事故)が発生し、C57形蒸気機関車が大破。
- 1968年(昭和43年)8月:名古屋駅 - 青森駅間(東海道本線・東北本線経由)で臨時急行「あおもり」の運転を開始。
「日本海」ブルートレイン化以降
- 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオの改正により、次のように変更。
- 1969年(昭和44年)12月6日:「日本海」が、北陸トンネル内で列車火災事故(寝台特急日本海北陸トンネル列車火災事故)が発生。
- 1971年(昭和46年):名古屋駅 - 秋田駅間で臨時急行「あきた」の運転を開始。
- 1973年(昭和48年):東北新幹線・上越新幹線建設に伴い、臨時急行「あおもり」を日本海縦貫線経由に変更。
- 1975年(昭和50年)3月10日:湖西線開業によるダイヤ改正により、次のように変更(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)。
- 1976年(昭和51年)3月15日:季節列車の「日本海」の使用車両を宮原客車区(現在の網干総合車両所宮原支所)の24系25形客車に変更。
- 1978年(昭和53年)10月2日:季節列車の「日本海」を定期列車に変更。24系客車・24系25形客車各1往復に変更し、早岐客貨車区所属の14系客車の運用を終了。同時に下り2号を3号、上り1号を2号、上り2号を4号に変更。
- 1982年(昭和57年)
- 1984年(昭和59年)2月1日:「日本海」2・3号の受持ちが宮原客車区から青森運転所に変更。
- 1985年(昭和60年)3月14日:「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出を再開。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、「日本海」1・2号をJR西日本が、「日本海」3・4号をJR東日本がそれぞれ客車の管轄をする共同運行列車となる。
青函トンネル開業以降
- 1988年(昭和63年)3月13日:青函トンネル開業によるダイヤ改正のため、次のように変更。
- 1989年(平成元年)7月21日:大阪駅 - 札幌駅間で「トワイライトエクスプレス」の運転を開始。北海道内は渡島支庁内無停車で、胆振支庁・石狩支庁のみに停車。当初は団体専用列車としての運転だったが、同年12月21日から臨時列車扱いに変更される。
- 1990年(平成2年)
- 9月1日:ダイヤ改正により3号・2号の編成が方転され、青森よりに電源車が連結されるようになった。
- これは共通運用である「あけぼの」「鳥海」「出羽」の上野駅騒音対策のための措置[21]。
- 12月:大阪駅 - 青森駅間で臨時急行「あおもり」の運転を開始。20系客車を使用。
- 9月1日:ダイヤ改正により3号・2号の編成が方転され、青森よりに電源車が連結されるようになった。
- 1994年(平成6年)春:20系客車の老朽化に伴い、臨時急行「あおもり」の使用車両を583系電車に変更。東北方面で20系客車を使用していた最後の営業列車であった。
- 1998年(平成10年)
- 8月22日:「日本海」1・4号の「日本海モトとレール」を終了。
- 12月1日:「日本海」1・4号にA個室「シングルデラックス」連結開始。285系投入による寝台特急「瀬戸」の電車化に伴う余剰車が使用された。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)12月25日 - 2006年(平成18年)1月18日:羽越本線脱線事故の影響により、全列車・全区間運休[25]。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)3月15日:「日本海」2・3号が廃止され、1往復になる[29]。客車は青森車両センター所属車両を継続して使用。
- 2009年(平成21年):2000年代に入ってから夏季のみの運転となっていた臨時急行「あおもり」の運転がなくなる。
- 2010年(平成22年)12月4日:東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間開業に伴うダイヤ改正で、新たに新青森駅にも停車するようになる。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 3月17日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により全区間運休[30]。
- 2012年(平成24年)3月17日:ダイヤ改正で定期運行を終了し臨時列車として運転されるようになる。同時に、新青森駅は通過となる。
- 2013年(平成25年)
脚注
参考文献
- 今尾恵介・原武史『日本鉄道旅行歴史地図帳-全線・全駅・全優等列車- 6号・北信越』新潮社、2010年。ISBN 978-4-10-790040-1。
外部リンク
- 日本海 24系:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道(2012年2月21日時点のアーカイブ)
- 特急「日本海」 - 鉄道コム
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 『さらば「日本海」「きたぐに』玄光社 2012年 P32 - P35。花束贈呈シーンなど、4ページに渡り同日の写真を掲載。「お疲れ様!日本海、きたぐに」辻良樹 撮影。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2011年12月16日
- ↑ テンプレート:PDFlink - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年12月16日(2012年1月31日時点のアーカイブ)
- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 7.0 7.1 テンプレート:PDFlink - JR東日本秋田支社、2013年5月17日、2013年11月2日閲覧。 に記載なし。
- ↑ 8.0 8.1 テンプレート:PDFlink - JR東日本秋田支社、2012年10月19日、2013年11月2日閲覧
- ↑ 100系・300系新幹線最終列車および「日本海」「きたぐに」最終列車の発売状況について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2012年2月16日(2012年2月16日時点のアーカイブ)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 1号車のオロネ25形が検査のときは、京都総合運転所所属のオロネ14形が代走していた。
- ↑ 12.0 12.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 16.0 16.1 テンプレート:PDFlink - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年5月20日(2005年5月25日時点のアーカイブ)
- ↑ テンプレート:PDFlink - 西日本旅客鉄道金沢支社プレスリリース 2004年5月14日(2005年5月29日時点のアーカイブ)
- ↑ 『プロジェクトX』第147回「列車炎上 救出せよ北陸トンネル火災」(NHK総合)2004年6月15日放送分より
- ↑ 既に1973年10月の時点で、ヘッドマーク掲出は大阪駅 - 米原駅間(EF58形)のみに縮小されていた。
- ↑ 郵政省が発行した「青函トンネル記念切手」には、当列車のヘッドマークを掲出したED79形電気機関車がデザインされている。
- ↑ 9月1日から4日にかけて行われ「日本海3・2号」は9月2日青森発から方転編成が運用入り:『鉄道ファン』1990年11月号 P.67-77
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2004年11月25日
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2004年12月4日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:PDFlink - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年12月22日(2006年2月15日時点のアーカイブ)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2007年12月20日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 【JR西+JR東】臨時寝台特急〈日本海〉運転 - 鉄道ホビダス RMニュース、2013年1月7日、2013年11月2日閲覧
- ↑ 岩泉に列車ホテル 町に善意のブルトレ、来夏開業 - 岩手日報(2013年11月14日付、同日閲覧)