フィアット

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テンプレート:Infobox フィアット(FIAT S.p.A.)は、イタリアトリノを拠点とする同国最大の企業グループ。

概要

社名のFIATとはFabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字を取ったものである[1]。「トリノのイタリア自動車製造所」の意味。トリノ市のリンゴット地区に本拠を置くことから、フィアット本社工場と「リンゴット」はしばしば同義とされる。

「フィアット、陸に、海に、空に」のスローガンの元、自動車のみならず、鉄道車両[2]船舶航空機の製造などの産業分野全般を掌握し、出版、金融等にも進出している。かつては「フランスルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで評された。イタリア証券取引所に株式を上場している。2007年までニューヨーク証券取引所(コード:FIA)にも上場していた。

事業内容

業種は自動車製造、エンジン製造を始めとする製造業農業金融と多岐に及ぶ。各種製造業の多くがフィアットグループに属する。

なお、トラックバス建設機械農業機械などの事業は2011年に分社化されてフィアット・インダストリアルとなった。

航空機

かつてフィアットは航空機メーカーとしても名を馳せていた。特に軍用機の発注が数多くあった。

第一次世界大戦後、フィアットはポミリオやアンサルドといった小規模な航空機メーカーを吸収し、1930年代にはフィアット CR.32フィアット CR.42といった有名な複葉戦闘機を世に送り出した。第二次世界大戦では、ダイムラー・ベンツ製のエンジンを搭載した戦闘機フィアット G.55、優れたデザインの爆撃機フィアット BR.20などをイタリア空軍に提供した。さらに、イタリア軍向けにフィアット レベリM1935重機関銃など機関銃を製造していた。

1950年代、NATO加盟国で共通の軽戦闘爆撃機を装備する計画が持ち上がり、フィアット G.91が設計された。その後、航空機開発部門はアエリタリアを設立するためにアエルフェールと合併した。G.91の生産もアエリタリアが引き継いだため、アエリタリア G.91と呼ばれている。 テンプレート:-

トラクター

ファイル:Fiat 25R.jpg
フィアット製のトラクター(25R)

フィアットは、トラクターメーカーとしても知られていた。

1919年、最初のトラクター702型の発売を皮切りに、フィアットは農業機械部門に進出した。 1971年ランボルギーニグループから、ランボルギーニ・トラットリーチ社(農業機械部門)の全株式を取得。 1984年には農業機械部門をフィアットアグリとして分社化、1988年には建設機械部門も統合しフィアットジオテックと改称。1991年フォード・ニューホランドを買収、ニューホランド・ジオテックと改称する。その後、1999年にはケースIHを買収し、CNHグローバルと改称した。

現在では、CNHグローバルの有するケースIH、ニューホランドブランドのトラクターが世界中で発売されている。

日本ではかつてクボタがフィアットブランドのトラクターを輸入していたが、現在は傘下のニューホランド、ケースIHのトラクターが日本ニューホランドおよび三菱農機によって輸入されている。 テンプレート:-

モータースポーツ

ファイル:Fiat 131 Abarth 001.JPG
131アバルトラリー

世界ラリー選手権(WRC)には早期から参戦しており、1970年代はグループ4マシンの「124アバルトラリー」、「131アバルトラリー」で上位に食い込む活躍をした。

1980年代からはグループ会社のランチアのグループB及びグループA車両で参戦して好成績を残し、特にデルタで6連覇を果たした1987年1993年にかけては常勝ともいえる活躍をしていた。

近年は経営悪化もあって活動を潜めていたが、プントJWRCに継続的に参戦。2006年から本格的にシリーズ化されたS2000クラスにグランデ・プントで参戦しヨーロッパ選手権、イタリア選手権を制覇し、アバルトブランドを復活させた。2007年からはIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)に参戦。2007年から2009年まで6勝するも、タイトルを獲得したプジョーシュコダには届かず苦戦を強いられている。

また、2007年から2010年までの間、ロードレース世界選手権MotoGPクラスにおいてヤマハチームのスポンサーとなった。自動車会社が資本関係のない他の自動車会社のスポンサーとなるケースはトラック業界等を除くと数少ないが、チームにフィアットと資本関係のあるフェラーリへの去就が噂されていたバレンティーノ・ロッシ選手がいたことが関係していると見られている。最終的にヤマハへのスポンサードを終了した理由も、明らかにはされていないものの、ロッシが翌年ドゥカティへ移籍することになった事が大きな理由であると言われている。テンプレート:-

新聞社

トリノ市の有力紙「ラ・スタンパ (La Stampa)」などの各種マスコミもフィアットグループに属する。

歴史

ジョヴァンニ・アニェッリら数人の実業家の出資によって、1899年にトリノで創業された。かつてはフォーミュラーレースにも参戦してアルファ・ロメオブガッティなどと覇を競い、1950年代には「8V」という高性能な高級GTカーも製造、数々の先進的な設計を次々と実用化・量産化した。

第二次世界大戦後にジョヴァンニ・アニェッリの孫のジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称、本名は祖父と同じジョヴァンニ)が経営を引き継いでからは、ランチアフェラーリアルファ・ロメオマセラティアウトビアンキアバルトなど、イタリア国内の自動車メーカーなどを次々と傘下に収め、同国最大の自動車メーカーとなっている。また、商用車部門としてイヴェコ、電装部品部門としてマニエッティ・マレリなども傘下に収めている。現在のフィアット本体は主に比較的小型の大衆向け乗用車を生産し、高級車などは傘下のメーカーが生産している。

また、長い歴史を持つフィアットは、社名ロゴと車両オーナメントの変更が多いことでも知られている[3]

イタリア国外進出

ファイル:Car Lada russian.jpg
VAZ・2103 ラーダ・ノーヴァ
フィアット・124 ベルリーナ)

第2次世界大戦前から国外進出に意欲的で、1934年にはフランスシムカを設立させたほか、ドイツでは1932年NSUの自動車部門を買収し、「NSUフィアット」とした。戦後になっても、1950年スペインセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立し、1968年にはトルコトファシュを設立している。

また、冷戦下において東欧圏へも進出し、ソビエト連邦にプラントを輸出し、1970年AvtoVAZが「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始したほか、ポーランドポルスキ・フィアット)やユーゴスラビアザスタバ)にも進出した。さらに南アメリカではアルゼンチンに進出した他、1970年代にはブラジルでも生産を始めた。

またこの頃には、国営化されて以降高コスト体制と販売不振から経営苦境に陥っていたアルファ・ロメオや、同じく経営不振に陥っていたランチアを傘下に収め、イタリアの自動車業界を事実上独占することになる。

経営不振

この間、フィアットは石油ショックやその後の慢性的な労働争議により経営が不安定化し、1974年から1978年まで新型車の発表がなかった。リビアの元首であるカダフィ大佐からの融資を受け入れ、その後1980年代始めに発売された、斬新な設計の小型車「パンダ」と「ウーノ」の成功で窮地を脱した他、エンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリを完全子会社化した。

1990年代は「ブラーボ/ブラーバ」とジョルジェット・ジウジアーロのデザインした初代プントがヨーロッパで大ヒットし、かろうじてその屋台骨を支えたが、その後も低迷が続いた。

2000年より自動車部門でゼネラルモーターズと提携していたが、ゼネラルモーターズ側が2005年に一方的に提携を解消、買収契約に関する違約金、15.5億ユーロをゼネラルモーターズから得た。

経営建て直し

その後は、傘下のフェラーリおよびマセラティの経営を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長、およびセルジオ・マルキオンネCEOのもと、経営の建て直しをはじめた。

その様な中でもアニェッリ一族による経営が基本にあり、2005年にはジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーンがフィアットの取締役に、その弟のラポ・エルカーンブランドマーケティング担当部長に就任し、過去に使用していたロゴマークを復活させ、ロゴを入れたアパレルなどを展開し、世界的に大ヒットさせた。

また、経営建て直しの一環として、モンテゼーモロ会長の指揮のもと、2005年に相次いで3つの新型車を発表している。まず、導入が待たれていた新Dセグメントモデルを、かつて使用していた車名、「クロマ」の名で発表。ワゴン風の5ドアボディとなっている。続いて7月28日、フィアット社はプントの第3世代「グランデプント」を発表した。実際に全長が4mを超える、「グランデ」(大きい)サイズだが、それ以上に大きな命運がこの車種に懸かっているとされ、実際同モデルはその後2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になるなど、フィアット建て直しのシンボルとなった。

さらに12月11日にはスズキとの共同開発による小型クロスオーバーSUV「セディチ(16、4×4=16から)」を発表。これらはいずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力でデザインされたものである。

復活

その様な中、1979年のデビュー以来根強い人気に支えられてきたパンダの後継であるニューパンダが2004年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

その後、積極的な新車攻勢とブランドイメージの復活を受けて販売台数が増加し、2005年11月には単月黒字を計上したほか、その後も単月黒字を連続して達成。その他にもクロマの予想を上回る販売台数を得た他、グランデプントが2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になる。2006年第三四半期の販売台数も、ルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中、前年比増になるなど長年の低迷から完全に復活したとの評価を受けた上に、自らも「復活宣言」を行った。

2007年にはグランデプントベースのセダン「リネア」、大失敗に終わったスティーロの後継車種「ブラーボ」(これまたかつての車名が復活)、往年のヒット作である「500」の新型をデビューさせ、同車種はヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。さらには「アバルト」ブランドを復活した。

現在

2009年1月には、サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下で経営再建を目指しているクライスラーに資本参加し、35%の株式を取得する資本提携合意を発表した。フィアットは、クライスラーが北アメリカ市場で燃費性能の高いコンパクトカーを生産するための技術などを提供すると同時に、北アメリカ市場以外におけるクライスラー車の販売でも協力することを表明した。2014年1月には、クライスラーを完全子会社化すると発表し[4]、同年末までに合併も視野に入れているとされる。

2010年4月21日、フィアットは産業機械および商用車部門を分離すると発表[5][6]。翌2011年1月1日CNHグローバルイヴェコなどを統括する持株会社であるフィアット・インダストリアルが設立された[7]

2012年5月23日にマツダと業務提携を発表。マツダ・ロードスターの4代目モデルをベースとした新車を、アルファロメオのブランドで販売する計画を発表した。生産はマツダが担当する[8]

日本でのビジネス史

過去

ファイル:新宿グリーンタワービル 1階アルファロメオ新宿パーク・2階デニーズ.jpg
フィアットオートジャパン株式会社が運営するアルファロメオ新宿パーク

1938年(昭和13年)に大日本帝国陸軍イ式重爆撃機を輸入して使用していた。第二次世界大戦前より自動車の輸入が行われていたが、幾つかの変遷を経て1980年代に入ると、ジヤクス・カーセールスチェッカーモータース、サミットモータース(住友商事)の大手3社によって全国展開された。

フィアットとアルファロメオ、ランチア

1990年4月、フィアットグループオートモービルズは日本法人「アルファロメオジャパン株式会社」を設立、アルファロメオ車を販売するディーラー網「アレーゼ」の整備を始めた。同年11月にはアレーゼにおいてフィアットブランド車の取り扱いも開始し、社名を「フィアットアンドアルファロメオモータスジャパン」へと改称した。

さらに1997年の「フィアットオートジャパン株式会社」への改称を経て、2007年8月より「フィアットグループオートモービルズジャパン株式会社」として、フィアット、アルファロメオおよびアバルト・ブランド車の輸入・販売を行っている。ディーラー網の名称は、2003年以降アレーゼから「アルファロメオ」へと変更され、更に「フィアット」「アバルト」が追加されている。ランチアの正規輸入は現在行われていないが、ガレージ伊太利屋が並行輸入し販売を行っている。

フェラーリとマセラティ

フェラーリは、2008年に設立された日本法人のフェラーリ・ジャパンが輸入し、コーンズなど4社の正規販売代理店が販売している。マセラティは、日本法人のマセラティ・ジャパンが輸入し、コーンズなどの正規販売代理店が販売を行っている。

クライスラー日本との統合

2012年7月1日、「フィアットグループオートモービルズジャパン」はクライスラーの日本法人でもあり、「メルセデス・ベンツ日本[9]の子会社でもあった「クライスラー日本」と業務統合し「フィアットクライスラージャパン(FCJ)」を発足させた[10]テンプレート:リンク切れ。なお、「フィアット・クライスラージャパン」は法人名称ではなく、登記上は今なお別々に存続している「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本」を一括した呼称である

グループ企業

フィアットグループオートモービルズ

フィアットグループオートモービルズ(Fiat Group Automobiles S.p.A)は、2007年、フィアットグループ内における自動車関連事業を再構成する目的で設立された会社である。同社は以下の会社を包括している。

  • フィアット・オートモービルズ(Fiat Automobiles S.p.A.) -フィアットブランド車の製造・販売
  • フィアット・プロフェッショナル(Fiat Professional) -フィアットブランド車のうち、小型商用車を担当
  • アルファロメオ・オートモービルズ(Alfa Romeo Automobiles S.p.A.) -アルファロメオブランド車の製造・販売
  • ランチア・オートモービルズ(lancia Automobiles S.p.A.) -ランチアブランド車の製造・販売
  • マセラティ(Maserati S.p.A.) -1997年以降フェラーリの子会社であったが、2005年にアルファロメオオートモービルズと合併
  • アバルト&C(Abarth & C. S.p.A.) -アバルトブランド車の管理

その他の自動車会社

  • フェラーリ(Ferrari S.p.A) -フィアットグループにより過半数株が所有されている

自動車部品

フィアット車を生産している企業

フィアットブランド車種一覧

現行生産

ファイル:Fiat-new-500-front.jpg
500 (2007モデル)

生産終了

ファイル:1965 black Fiat 500.jpg
2代目 500
(NUOVA 500)
ファイル:9 japan.jpg
フィアット・X1/9 1974モデル

その他

チョコレート

イタリアのマイアーニ社から「フィアット」という名のチョコレートが販売されている。1911年に、新車「タイプ4」の宣伝に使うためマイアーニ社に制作を依頼したのが誕生のきっかけ[11]

サッカークラブのオーナー

イタリアサッカー1部リーグセリエAの強豪ユヴェントスは、フィアットのオーナー一族であるアニエッリ家が設立し、現在もオーナーとしてその資金・運営においてバックアップしている。そのため、ユーヴェの選手たちはフィアットグループの車に乗って(乗らされて)いる。現在の胸スポンサーはフィアット傘下クライスラーのブランド「ジープ」。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:フィアットグループ テンプレート:フィアット/ランチア車種年表

テンプレート:自動車ru:Fiat
  1. カーグラフィック』2013年5月号「昂ぶるトリノ フィアット・グループのいま」より
  2. 鉄道車両部門のFIAT Ferroviariaは2000年にアルストム・トランスポール社に買収された。
  3. ロゴとオーナメントの変遷
  4. フィアット、クライスラーを統合 ホンダ超え世界7位に 朝日新聞2014年1月2日
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:PDFlink - 2012年5月23日 マツダ株式会社 フィアットグループオートモービルズ
  9. ダイムラーとクライスラーの協業が解消されたものの、日本では小規模ながらもメルセデス・ベンツ日本がクライスラー日本の経営に携わっていた事から。
  10. 「フィアット クライスラー ジャパン」が7月1日より始動 7月9日より本社機能を統合移転
  11. 参考リンク