クライスラー
テンプレート:Infobox テンプレート:Infobox クライスラー(Chrysler Group, LLC)は、アメリカ合衆国ミシガン州オーバーンヒルズに本社を置く自動車メーカーである。
目次
概要
クライスラーの歴史は、1925年にウォルター・クライスラーが設立したクライスラーコーポレーション(Chrysler Corporation)から始まった。クライスラーは、永年、自動車産業のビッグスリーと賞賛されたが、アメリカの金融危機を発端とした世界的な不況の影響から2009年4月30日に連邦倒産法第11章の適用申請を行うに至る。同年6月10日法的手続きが完了。約1か月というスピードで再建した。再編後の新クライスラーは優良事業を引継いだが、相当数の既存資産の清算を余儀なくされた。新生クライスラーの株式は、その大半を全米自動車労組(UAW)の退職者健康基金であるVolunteer Employee Benefit Association (VEBA)が取得[1]。次いでイタリアのフィアット(再建の進捗による増資オプション有)、さらに約66億米ドルの融資を行った米政府、約40億カナダドルの融資を行ったカナダ政府が融資返済まで少数株主に就く。
歴史
設立
1925年6月6日にウォルター・クライスラーが前年に発表した6気筒エンジン自動車クライスラー・シックスを製造販売する会社として、当時のマックスウェル、チャーマーズ両社を統合の上に設立した。
その後、1928年に「プリムス」と上級車種を擁する「デソート」ブランドを設立、翌1929年にはダッジ・ブラザーズ社を買収してラインナップを充実させ、GMとフォードに次ぐアメリカのビッグ3のひとつに成長する。またこの頃よりヨーロッパや日本への輸出を積極的に行い、その販路を拡大した。
先進技術の導入
設立後よりフレデリック・ジーダー(Frederick Zeeder)らの有能な技術者を擁し、クライスラーは技術面でGMやフォードに先んじた姿勢を取っていた。超高級車のデューセンバーグ以外に先例がなく量産車では最初となった4輪油圧ブレーキシステム導入をはじめ、車体メーカーのバッドとの協力による木骨を使わない全鋼製ボディ採用、「フローティングパワー」と呼ばれる新方式のエンジンマウント(一般にはフローティングマウントと呼ばれる)、エンジン位置を従前より前進配置させて直進性を高める「アンダーステア型」の重量配分、油圧式パワーステアリングなど、1920年代後期から1950年代までにクライスラーが市場に先駆けて導入・実現した重要な新技術は非常に多く、これに多くのメーカーが追随している。
その自負のもと、1930年代初頭には、先進技術(前傾型重量配分、スケルトン構造ボディ)と流線形の斬新なデザインを合わせた新型車「エアフロー」を導入したが、先進的過ぎたために市場に受け入れられず、商業的には成功できなかった。しかしこれ以降アメリカやヨーロッパ、日本では流線形のデザインが主流となっていく。なお「エアフロー」はパワーステアリングを初めて導入している。
第二次世界大戦
1930年代には戦車やウエポンキャリアなどの軍用車の製造にも進出した。以後軍用車部門は同社の収益の多くをあげる重要部門に成長し、アメリカも1941年12月より参戦した第二次世界大戦中は、戦争特需で同社の経営の安定に大いに貢献した。
また、第二次世界大戦中は一般向けの乗用車の開発が中止され、新車の販売も極度に制限されたものの、終戦後の1940年代後半は、帰還兵による特需で乗用車の売り上げを伸ばした上に、1950年に勃発した朝鮮戦争による特需で、再び軍用車部門の売り上げが増えることとなった。
ヘミエンジンとモパー
1950年代に「ヘミエンジン」と呼ばれる高性能エンジンを導入し、NASCARなどのアメリカ国内のモータースポーツに積極的に参加。マッスルカーの流行につれ、これらの車はMopar(モパー/モゥパー)の愛称で親しまれ、クライスラーブランドの高性能なイメージを市場に植えつけることに成功した。
さらに、ボディデザインについても従前は下位モデルのダッジやプリムスとパネル共用された堅実志向であったところ、1955年以降は自社デザインチーフのバージル・エクスナーの主導による流麗なデザインが積極採用されるようになり、従前アメリカ自動車業界のデザイントレンドを主導してきたGMにも影響を与えるほどに、スタイリッシュなモデルを続々と投入した。
またこの頃は、アメリカ経済が絶頂期にあり年々販売台数が伸びていたことや、輸入車との販売競争もほとんど存在しなかったもあり、テールフィンがつき、高馬力エンジンを積んだ利幅の大きい大型車(フルサイズ)が人気を博し、高性能な大型車が得意なクライスラーにとっての絶頂期でもあった。
拡張路線
この頃、クライスラーを率いていたリン・タウンゼンド(Lynn Townsend)の元で1960年代初めには、まずスペインの商業車メーカー、バレイロスの経営権を掌握、続いて1963年にフランスのシムカを強硬な資本介入で乗っ取り、さらに1967年にはイギリスのルーツ・グループを買収し、これら3社を「クライスラー・ヨーロッパ」として組織し、フルラインナップでの展開を行った(これらは1981年にPSA・プジョーシトロエンへ売却)。
これらに先立つ1960年には、オーストラリアに生産拠点を設けた(のちに日本の三菱自動車に売却)他、既に現地で生産を行っていたシムカの設備を利用してブラジルでもトラックを含むフルラインナップの生産を開始するなど(1980年にドイツのフォルクスワーゲンに売却)、本格的な世界進出を開始した。
経営危機
しかし、これらは「負け組連合」と称されたような各国の弱小メーカーの寄せ集め的な買収の繰り返しであり、吸収合併による合理化やスケールメリットすらもたらすことのない有様であった。さらに高級志向で展開していた「デソート」は「インペリアル」と競合するなど、フルラインナップを目指すあまり社内ブランドの乱立により販路が混迷に陥っていた。(そのためデソートは1960年11月に終了した。)
また、日本やドイツの小型車との競争が激化するにもかかわらず、当時アメリカ国内で行われた無理な生産拡大が、結果的に品質低下と販売不振による過剰在庫、リコールの多発をもたらした。
さらに1979年に起きたイラン革命以降の第二次石油危機と、その後の石油価格の上昇を受けたアメリカ国内における日本車の急激なシェア拡大、それに反比例した利幅の大きい大型車の販売不振が追い討ちをかけた結果、1970年代後半には深刻な経営危機となり、運営資金が枯渇する状況に陥った。
アイアコッカ時代
経営危機の真っ只中の1978年に、フォード・モーターの社長をつとめていたものの、同社会長のフォード2世との対立から同年に解雇の憂き目にあっていたリー・アイアコッカが新たに社長に就任した。1979年にアイアコッカは、連邦政府と議会からストックオプションと引き換えに、15億ドルのローン保証を得ることに成功した。
しかし、アイアコッカの就任直後に運営資金が底をついたことから、第二次世界大戦以前より同社の収益の大きな柱であった軍需産業部門の売却を余儀なくされた他、大規模な人員削減を行うなど、苦難の時を迎えることとなった。
しかし、アイアコッカの就任後より開発を進め、1980年に早くも発売を開始した小型車、「Kカー」シリーズの導入と、前輪駆動化や全ラインナップにわたる小型化の推進、1984年のミニバンの発売、肥大化した組織の見直し、海外拠点や子会社を含む不採算部門の売却や閉鎖、などの大々的な改革を行った結果、1980年代半ばには、数年前までは倒産寸前だった同社を完全に立て直すことに成功し、1987年には黒字化を達成した。
AMC買収
1987年には、アイアコッカの指示のもと、当時フランスのルノー傘下で、「ジープ」ブランドを所有するアメリカ第4位の自動車会社であるアメリカン・モーターズ(AMC)を買収したが、当時ルノーのバッジエンジニアリング車を中心に展開していたAMCが深刻な販売不振に陥っていたこともあり、シェアにおいてはビッグ3の他2社を上回ることはできなかった。
しかし、同社の販売網を組み込むことでアメリカ国内の販売力が拡充した上、ジープ・チェロキー(2代目・XJ)が予想外のヒットとなるなど、同社が展開していた「ジープ」ブランドの各車は、その後クライスラーに大きな売り上げをもたらすことになる。
他社との提携
AMC買収に先立つ1985年には三菱自動車と提携し、「ダイアモンド・スター・モータース(DSM)」を設立した。1988年からイリノイ州に建設した工場で共同生産を開始し、「イーグル」ブランドなどで発売された。また三菱自動車が日本で生産した小型車をクライスラーやダッジ、イーグルのブランドで販売した。
その後、イタリア系のアイアコッカの指示のもとで、アイアコッカの友人でアルゼンチン系イタリア人のアレッサンドロ・デ・トマソが経営するイタリアの高級車メーカー・マセラティとも提携し、1988年には共同開発した高級2シーター車「TC」を少数生産した。また同時期にはイタリアの高級自動車メーカーであるランボルギーニを買収した。
1990年代にはオーストリアのシュタイア・プフ(現マグナ・シュタイアー)がチェロキーとグランドチェロキー(2代目・WJ以降)の生産を開始し、再びヨーロッパ市場に進出した。ちなみに、三菱自動車はギャランΣやエテルナΣ、デボネアなどの中型車に搭載していたサイクロンV6を供給した。
その後1992年にアイアコッカは引退したものの、1994年には、三菱自動車などとの提携から学んだ小型車開発のノウハウを生かして、最低価格が1万ドルを切る安価な小型車「ネオン」を開発し話題を呼んだ。同車はその後「日本車キラー」と呼ばれ、アメリカ市場で人気を博した。
「ダイムラー・クライスラー」時代
1998年に、ドイツのダイムラー・ベンツ社と合併してダイムラークライスラー・AGとなった。この合併は対等合併ではあるが、事実上ダイムラーによる買収であった。しかしながら合併後、メルセデス・カーグループとクライスラー・グループの両方で好業績をあげたのは初年度だけで、以後はどちらかが不振に陥っている。
クライスラー・グループに関しては一時、「PTクルーザー」や「300C」などの予想外の好調な販売に助けられた時期があったものの、中・大型車中心のラインアップが災いして、イラク戦争後の深刻な原油高の影響で再び業績低迷に陥った。2006年決算では営業損益の赤字が11億1800万ユーロ(約1770億円)に達した。
サーベラス傘下へ
2007年5月、ダイムラークライスラーはクライスラー部門(クライスラー、ダッジ、ジープ、ラム・トラックス)を新しく設立した持株会社「クライスラー・LLC」の傘下に分離し、新会社の株式の80.1%を55億ユーロ(約9000億円)でアメリカの投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントに売却した。これにより、約9年にわたるダイムラーとクライスラーの協業体制は解消されることとなった。
2008年に世界金融危機が本格化すると、クライスラーの資金繰りは完全に行き詰るようになった。アメリカ政府はクライスラーの倒産を防ぐために、つなぎ融資として40億ドルを提供した。アメリカ政府はさらなる追加融資の条件として、クライスラー経営陣や全米自動車労働組合(UAW)に、4月末という時期を区切って、提携相手候補のイタリアの自動車製造大手のフィアットや債権者団との間で、債務(レガシーコストなど)削減の交渉をまとめるように通告した。
倒産直前の2009年4月末、ダイムラーは残りの株の全持分をサーベラスに売却した。最後の数日間の間に、アメリカ政府はさらに追加融資として5億ドルを提供した。
経営破綻、フィアットが完全子会社化
クライスラー経営陣、全米自動車労働組合(UAW)、フィアット、債権者団などの間で、有担保債務(工場や不動産等)69億ドルの圧縮、医療保険基金への支払い義務の106億ドル削減などの交渉が続けられたが、債権者団のうち少数の中堅ヘッジファンドなどが最後まで条件を受け入れなかったため、交渉は時間切れとなった。その中で、クライスラーとフィアットの提携交渉はまとまった[2]。
アメリカ時間 2009年4月30日、クライスラーは連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク市のニューヨーク州南部地区連邦倒産裁判所に申請した[3]。
破産法手続により、大株主サーベラスが保有する株式は事実上失効し、新たな持ち株比率は、全米自動車労働組合(UWA)が55%、フィアットが20%、アメリカ政府が8%、カナダ政府が2%となった。フィアットは将来的に持ち株比率を35%まで引き上げることが可能で、さらに、アメリカ政府から受けた公的資金を完済すれば、発行済み株式の最大51%を取得して子会社化できる条項も盛り込まれた[4]。
クライスラーのナルデリ最高経営責任者(CEO)は1か月~2か月後の法的手続き終了時に辞任し、新たに、政府とUAWから6人、フィアットから3人の総勢9人で構成される取締役会が新生クライスラーの経営を指揮する。新生クライスラーは、アメリカとカナダ両政府から総額100億ドル(約1兆円)あまりの公的資金と、フィアットから小型車開発などの技術支援と経営・開発面での人材支援を得て、経営再建を目指す[4]。また、5月4日までにアメリカ国内22カ所すべての工場で当面操業を停止すると発表[5]。
6月9日、アメリカ連邦最高裁判所が一部債権者によるクライスラー資産売却の差し止め請求を却下[6]。この決定により、翌10日には新会社への資産売却が完了し再建手続きが終了した。新生クライスラーのCEOにはフィアットCEOのセルジオ・マルキオンネが、会長には、ボーデン・ケミカルズ会長、デュラセル・インターナショナル会長などを歴任し、現モルガン・スタンレー社外取締役であるロバート・キダーが就任した[7]。
フィアットが、株式保有率を58.5%にまで引き上げていたが、2014年1月、フィアットは全米自動車労働組合(UAW)の医療保険基金が持っていた残りのクライスラーの株、41.5%を買い取り、クライスラーを完全子会社化すると発表した[8]。
日本でのビジネス
生産においては、1970年に三菱重工業との合弁により、三菱自動車工業を設立。合弁契約は1985年に合意の上、解約、クライスラーの出資分の大部分は三菱重工業が買収し、資本提携に転じた(三菱自動車工業はその後上場)。1993年に三菱自動車工業との資本提携を解消し、日本での生産からは完全に撤退した。
販売においては、1920年代より、日本への輸入が開始され、第二次世界大戦前までは八洲自動車が輸入するクライスラーやデ・ソートが上流階級や富裕層に、安全自動車が輸入したダッジや、やはり八洲が扱ったプリムスがタクシーなどに愛用されていた。その後は国際興業や麻布自動車等、幾つかのインポーターの変遷を経て1988年、セゾングループ(当時)の大沢商会との共同出資で、日本法人「クライスラージャパンセールス」が設立された。1990年には本田技研工業と販売提携を結び、ホンダ販売店にて「ジープ」車の販売を始めた(1997年に提携終了)。
1990年代の輸入車ブームになると、日本でのビジネスにいよいよ本腰を入れ始めた。1995年、クライスラーがセゾングループ側の出資株を全て買い取り、西武自動車販売を吸収合併、クライスラー100%出資の新生「クライスラージャパンセールス」として再スタート。独自での日本販売網を構築した。また、ビッグスリーの中で最も右ハンドル車の販売に積極的であり、現在日本で販売されている車種の多くが右ハンドルのみの設定となっている[9]。
「ダイムラー・クライスラー」誕生に伴い、1999年には「メルセデス・ベンツ日本」(MBJ)と合併、「ダイムラー・クライスラー日本」(DCJ)となり、2007年にはダッジブランドの展開を開始した。2007年にダイムラーとクライスラーとの協業解消に伴い、同年11月1日に、DCJはMBJとして元の社名に戻り、その子会社としてクライスラー・ダッジ・ジープブランドを取り扱う「クライスラー日本」(CJ)として新たに発足の運びとなった。MBJは早い段階でCJの資本から撤退する方向であったが、その後はリーマンショックにより親会社であるダイムラーの経営が悪化し、そしてクライスラー自身の経営破綻による混乱で思う通りに進まなかった。
経営破綻後はそれまであった直営店がすべて廃止された。なお、一部の店舗は販売会社に買い取られ現在も営業しているが、買い手が付かなかった店舗は廃止されている。
そして、2012年7月1日に「フィアットグループオートモービルズジャパン」との業務統合により、「フィアット・クライスラージャパン(FCJ)」が発足し、約5年にわたるMBJの子会社としての歴史に幕を閉じた。なお、「フィアット・クライスラージャパン」は法人名称ではなく、登記上は今なお別々に存続している「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本」を一括した呼称である。FCJ発足まで長くクライスラーブランドの車種が投入されなかったため開店休業状態が続いたが、2012年11月に久々の新車種として新型300とランチアからのOEMであるイプシロンが発表された。
現在のブランド
2010年現在クライスラーは、「クライスラー」、「ジープ」、「ダッジ」、「ラム」の自動車4ブランドに、部品とカーアクセサリーブランドの「モパー」の計5ブランドを擁している。5ブランドは社内組織として独立しており、それぞれに社長兼CEOが配置されている。
なお「クライスラー」は、ミニバンやセダンを高級車仕様に対応できる乗用車を揃えたブランド。また「ジープ」は、四輪駆動車の代名詞となるほど有名なブランドで、様々なバリエーションのSUVを展開する。 「ダッジ」は、個性的なセダンやミニバンのラインアップも有する。ダッジから切り離された「ラム」では、クライスラーの売り上げの原動力となってきたピックアップトラックが主力となっている。
過去のブランド
- テンプレート:Flagiconイーグル
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- テンプレート:Flagiconインペリアル
- テンプレート:Flagiconデソート
- テンプレート:Flagiconファーゴ
車種
現在発売されている車種
過去に発売されていた車種
- 他のモデルについてはクライスラーの車種一覧の項目を参照。
広告出演
関連項目
脚注
外部リンク
- アメリカ
- 日本
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「Bloomberg_2009-06-10
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 優良ブランド集め新会社 クライスラー、再建へ債務圧縮、ブルームバーグ2009年5月2日
- ↑ クライスラー、破産法申請を発表日本経済新聞、2009年5月1日
- ↑ 4.0 4.1 <クライスラー>フィアットが株式20%所持、毎日新聞、2009年5月1日
- ↑ クライスラーが4工場休止 週明け米全工場に拡大へ、産業経済新聞、2009年5月2日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ フィアット、クライスラーを統合 ホンダ超え世界7位に 朝日新聞2014年1月2日
- ↑ ダッジ・チャージャーとクライスラー300C(V8 5.7L車)は除く