ウォルター・クライスラー
ウォルター・パーシー・クライスラー(Walter Percy Chrysler, 1875年4月2日 - 1940年8月18日)はクライスラー社の創業者。 アメリカ・カンザス州のウェイミーゴウ(Wamego)生まれ。
クライスラーの自動車業界での経歴は、アメリカン・ロコモティブ社(アメリカ機関会社:ALCO)が自動車産業への参入を決定したときに始まる。
当時、ALCO社は多様化の一環として自動車製造に参入した。ヴァンダービルト杯で優勝する等、レースでは強かったが、販売には結びつかなかった。 クライスラーはその当時工場長を務めていたが、ALCOが自動車業界からの撤退を決定する2年前の1911年、ビュイック自動車会社に移った。 1919年にビュイックの社長を辞任すると、1921年、マックスウェル自動車会社の株式を大量に取得した。 1925年、マックスウェルとチャーマーズを統合し、自らの名を冠したクライスラー社を創業した。 1928年にはPlymouth(プリムス)、De Soto(デ・ソート)の両ブランドを設立した。 同年、タイム誌の「今年の人」に選ばれた。
1929年にダッジ社を買収、ビッグスリーの一角に成長した。第二次世界大戦前には高い技術力でゼネラル・モーターズに継ぐ第2位の座に着いたこともある[1]。
また超高層ビル建設に融資し、ニューヨーク、マンハッタン島にクライスラービルが建設された。
著書に自叙伝である「The Life of an American Workman(アメリカ人労働者の一生)」がある。
1940年にその生涯を終え、現在はスリーピー・ホロウ共同墓地(en:Sleepy Hollow Cemetery)に眠っている。1967年、自動車殿堂入りした。
この後のクライスラー社は、1987年にJeep(ジープ)、Eagle(イーグル)の両ブランドをアメリカン・モーターズから買収し、ビッグスリーの一角ではあり続けたものの、1998年にドイツのダイムラー・ベンツによって事実上吸収合併され、ダイムラー・クライスラーが誕生する。
しかし、2007年に合併は解消され、クライスラー部門はサーベラス・キャピタル・マネジメントに売却された。 2009年4月30日、ニューヨーク州で連邦倒産法第11章の適用を申請し破産、以後フィアットグループ傘下でのブランド再建を目指す。