日産・シーマ
テンプレート:Infobox 自動車基本情報 シーマ(Cima )は、日産自動車が生産・販売する高級セダンである。生産は栃木工場が担当。
1988年(昭和63年)に登場するや、初めの1年間だけで36,400台が販売され、当時の高額商品に対する旺盛な需要の象徴として『シーマ現象』と呼ばれた[1]。1991年(平成3年)には2世代目モデルに移行したが、景気の後退などの影響もあって販売は減少し、4代目モデルの年間販売台数は294台(2009年)に留まり[1]、販売不振と後に施行される最新の安全基準を満たさなくなる事を機に、2010年(平成22年)8月をもって一旦生産・販売が中止された[1]。しかし2012年(平成24年)5月にフーガハイブリッドをベースとしたハイブリッド専用車として復活している[2]。日産・Y51を参照のこと。
目次
概要
1988年(昭和63年)、日産自動車が販売していた高級セダン「セドリック」「グロリア」の更なる上級仕様として発売され、「セドリックシーマ」(モーター店系列(ローレル販売会社))、「グロリアシーマ 」(プリンス店系列(スカイライン販売会社))として販売された。日産自動車には法人向け、ハイヤー向けとして、最高級乗用車「プレジデント」があったが、シーマは一般オーナー向けの最上級のモデルであり、全車「3ナンバー」登録となっていた。この初代モデルの発売時期はバブル景気の絶頂期に相当し、4年間の販売台数は12万9,000台にも及んだ[1]。
初代・2代目モデルが日本国内でのみ販売されている(いた)のに対して、3代目・4代目は、日本国外で展開されているインフィニティブランドのフラグシップモデル 「Q45」との兄弟車という関係になった。また4代目はプラットフォームをプレジデントと共有しており、両車種で、マキシマを有する北米とセダン市場から撤退した西欧を除く日産のフラグシップと位置づけられていた。5代目は「インフィニティ・Q70」の兄弟車という関係となった為に日本市場での日産ブランドだけでなく海外市場におけるインフィニティブランドの乗用車系のフラグシップの位置付けとされている。
歴史
初代 FPY31型(1988年-1991年)
- 1987年9月2日
- 前日にモデルチェンジした、トヨタ・クラウンの3ナンバー版=ワイドボディ版の対抗車として1988年1月に発売予定が報道される[3]。
- 1987年10月
- 東京モーターショーに出品。
- 1988年1月18日
- 販売開始。
- Y31セドリック/グロリアと同じプラットフォームを使い、ホイールベースは同じであるが、3ナンバー専用の上級車として登場。搭載エンジンはVG30DE型V型6気筒DOHC NA・200ps(タイプI、タイプII)とVG30DET型V型6気筒DOHCターボ(ハイフローセラミック式)255ps(タイプII-S[4]、タイプIIリミテッド)の2機種(のちにレパード(2代目)にも搭載された)。ボディタイプはスタイルを重視し、ベースのセドリック/グロリアの主力モデル同様、センターピラーのない4ドアピラーレスハードトップであった。
- 世の中は、1986年(昭和61年)頃からのハイソカーブームの流れに乗って人々の中流意識の高まりを背景にユーザーの高級志向が高くなっていった。日産の開発陣は、ユーザーが従来の5ナンバーの延長上ではない本格的3ナンバー車の幅広化を求めている点、ライバルトヨタもトヨタ・クラウンの3ナンバー版=ワイドボディ版を開発している点、当時の政治状況が税制改革の動きがあるという点(3ナンバー自動車税の変革など)で高級車の販売競争が激しくなる…などの情報をもとに急遽開発を開始、開発期間の関係でセドリック/グロリアとの同時発売はできずに半年遅れの発売になった。しかし、その半年の遅れとセドリック/グロリアとの印象を大きく変えたことで別格のイメージが付き、5ナンバーと3ナンバー(ワイドボデイ版)のイメージを同じにしたクラウンとの差別化に成功した。デザインのモチーフは鎌倉(長谷)の大仏である。ボンネットに誇らしげにそえられるエンブレムはアカンサスの葉を模したものである。
- ジャガー・XJを思わせる国産車離れした流麗な外観と動力性能の高さから、当時の国産同クラスセダンとしては異例の一般オーナードライバー向け要素が強い車種として人気を集めた。電子制御エアサスペンションのしなやかな乗り心地もさることながら、アクセルを踏みこんだとき、セミトレーリングアームサスペンション車らしく、リヤを沈めて静かな中にも暴力的な加速を見せるその姿は当時中高年の憧れとなり、爆発的なヒットとなった。これは「シーマ現象」と呼ばれ、3ナンバー車ブームのきっかけとなる。それへの対応のためトヨタはあわててクラウンにV8モデル(ロイヤルサルーンV8)を追加したほどであった。その感動を忘れられない層のため、その後のモデル(Y32型)以降でもターボ搭載車をラインナップするが、世代を重ねるごとに徐々に廉価版としての位置付けが強くなっていく。
- 一方、その車格および当時の経済情勢から社用車や個人タクシーとしても多く採用されており、用途によっては後席居住性に課題を残すこととなった。
- 当初、ユニットはV6の3リッター自然吸気で開発が進んでいたが、ライバルをクラウンではなく2代目トヨタ・ソアラに定め、「ソアラには走りで負けるわけにはいかない」という意向からターボのVG30DETを搭載することになった。このユニットは元々、日産・レパードの開発チームがソアラの7M-GTEに対抗すべく開発していたもので、レパード開発チームも当初は反対したものの、結局シーマ開発担当者の熱意に負けて初搭載の座を譲ったという逸話がある。
- 当時の日産はCM戦略も斬新だった。母体のセドリック/グロリアのCMは「きっと新しいビッグカーの時代が来る」とシーマ誕生を予感させるものだった。更にY31セドリック/グロリアの発表時には久米豊社長が3ナンバー専用車の発売を予告。これに焦ったライバルのトヨタは、シーマ発売前に3ナンバークラウン(ワイドボディ版・V8/2000SC/2500ロイヤルサルーン・アスリートLの追加)の販売テコ入れを図ったとも伝えられる。逆にシーマ発売までの半年間は3ナンバーのセドリック/グロリアの買い控えが発生し、5ナンバー(グランツーリスモ等)が販売の主力となっていた。発売後は、爆発的ヒットとなり1988年(昭和63年)2月は3ナンバークラウンを販売台数で抜いた。「シーマ現象[5][6]」は、シーマだけではなくほかの車種にも少なからずとも波及し、ローレル・セフィーロやシルビア・ブルーバードなどの日産車をはじめ、他社の高級車(ソアラ、クラウン、マークII、レジェンドなど)へも波及し高級車市場、自動車市場が高級志向やバブル経済の勢いもあり一気に活性化された。
- 1989年3月
- パーソナル キーの材質をステンレスに変更。
- 1989年8月
- 初のマイナーチェンジ、外装上の変更は、フロントグリルの変更のみにとどまった。内装部は、スイッチの形状の変更(角型~丸型へ)。ライバル車(クラウン)のみに装着されていた、マルチビジョン(富士通テン製)=マルチAVシステム(ソニー製・CDチェンジャー付)が装着できるようになった。(Y31セドリック・グロリアのマイナーチェンジ版に準ずる。) タイプIIリミテッドAV(VG30DET車)・タイプⅠリミテッド(VG30DE車)が追加グレードとして登場・オプション項目として、AVマルチシステム(画面上では、地図が出てくるが、現在で言う、カーナビではない・標準グレードもあり)など追加される。地磁気センサー(GPSアンテナに近い物)のアンテナが天井にあるためサンルーフの同時装着はない。また、デジタルメーターもオプションで装備ができるようになった。
- 1990年6月
- ライバル車(セルシオ・クラウンV8)などの販売対策上のテコ入れとして、低価格グレード:タイプLセレクション(VG30DET車)の投入(ベースは、タイプIIリミテッドをベースに、タイプIの装備並みにを簡略化(グレードダウン)エアサスの非装備。リアパワーシートの非装備など、タイプIリミテッドの価格に近い価格にて販売されていたグレードである。)
- NISSAN Cima FPY31 interior.jpg
室内
2代目 FY32型(1991年-1996年)
- 1991年8月
- セドリック/グロリアより2か月遅れてFY32型にモデルチェンジ。
- 車名を「シーマ」に統一。この代から後席居住性およびボディ剛性上有利なセンターピラーを持つ一般的なセダンのスタイルとなり、VH41DE型V型8気筒 DOHC 4,130ccエンジンが搭載される。あえて税制上不利な4,100ccとしたのは、従来型で好評だったターボの強烈な加速感をシーマのアイデンティティのひとつと位置づけ、NAで実現するには排気量が4,100cc以上必要でありインフィニティQ45との販売政策上4,100ccとしたとのことである。FY32型ではエアサスペンションが廃止され、インフィニティQ45でも採用された油圧式アクティブサスペンションが用意された。インテリアはバブル経済を反映し、イタリア製高級車に見られるようなデザイン重視のアナログ時計、20箇所に設置されたライトが状況に応じて点灯するトータルコーディネート照明、国産車には珍しいタン色の本革内装など枚挙に暇がない。海外輸出はこの時から始まり、香港では「日産西馬」として販売。
- 1992年9月
- アテーサE-TSを搭載した4WDシリーズ「S-four」が追加設定された。
- 1993年2月
- オーナードライバー向けの「タイプ・ツーリング」を追加。鍛造アルミホイールやエクセーヌのシート地を標準で装備する。
- 1993年9月
- セドリック/グロリアに合わせてマイナーチェンジ。先代同様のVG30DET型V型6気筒DOHCターボを搭載する「ツーリング」シリーズが追加される。後期モデルのエクステリアの変更はフロントラジエターグリル変更、コーナリングランプの設置に伴うフロントバンパーデザインの変更、トランクモールの追加などである。V8とターボの外見上の見分け方はV8エンブレム有無のほか、トランクモールの仕上げの違いであり、V8のクロームめっきに対し、ターボはスモークブラックめっきであった。
- 1995年5月
- 一部変更。運転席エアバッグを標準装備とし、「ツーリングAV」を追加。
3代目 FY33型(1996年-2001年)
テンプレート:Main2 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表
- 1996年6月
- セドリック/グロリアより1年遅れてFY33型にモデルチェンジ。
- 先代のイギリス製高級車(ロールス・ロイス/ベントレー)的な控えめなデザインから一転してドイツ製高級車を髣髴させる量感あるデザインへ変更。一部評論家からは「メルセデス・ベンツ_Sクラスのマネでは?」との声もあった。一説では初代、2代目のいわゆるVIPカー的なネガティブなイメージを払拭するためのデザインとも言われている。搭載エンジンはVH41DE型およびVQ30DET型V型6気筒DOHC2987ccターボの2機種。日本車初となるSRSサイドエアバッグが全車に標準装備される。
- グレード編成はラグジュアリー志向の「リミテッド」シリーズ(41LX、41LV、41L、30LV、30Lグレード)と、エアロパーツや専用サスペンションなどを装備したスポーティ志向の「グランドツーリング」シリーズ(41TR-X、30TR、30Tグレード)が存在し、上級グレードの41LXと41LVにはショーファードリヴン的要素を強めた「VIPパッケージ」を設定。
- 日産の最上級セダンであるインフィニティQ45がトヨタ・セルシオとライバル関係にあったが、この頃にQ45の日本国内での販売が終了。このため国内では、FY33型以降のシーマはマジェスタだけでなくセルシオにも対抗する立場になる。
- 1997年1月
- 10周年記念車「10thアニバーサリー・グランドツーリング30リミテッド」「10thアニバーサリー・41リミテッド」を発売。専用色ミッドナイトパープル(30リミテッド)、ソニックシルバーツートン(41リミテッド)の他、本革シートなどを装備。
- 1997年9月
- セドリック/グロリアのマイナーチェンジと合わせ一部改良。キセノンヘッドランプの標準装備化やそれまでブラウン管を使用していたインパネのマルチAVシステム画面をワイド液晶に変更、オドメーターも液晶タイプへ変更した。また、パッケージオプションだったVIPパッケージがカタロググレード化され(41LX VIP、41LV VIPグレード)、4WDがラインナップされる(41LV S-four、41LV VIP S-fourグレード)。VIPグレードには従来の装備のほか、後席サイドエアバッグが追加された。
- 1998年1月
- 特別仕様車「41プレミアムリミテッド」発売。輸出仕様(インフィニティQ45)に用意されていたストーンベージュ色の本革シートを標準装備。通常のツートンカラーのほか、特殊な塗り分け方の専用色ホワイトパール/シルバーコンビネーションが選べた。
- 1998年9月10日
- マイナーチェンジ。ラジエータグリルの造形を変更したほか、リヤライセンスプレートガーニッシュを大型化、カラーバリエーションの変更など。インテリアでは日本車初のアクティブヘッドレストの採用、後部中央席に3点式シートベルトが装備された。
- 1999年7月5日
- 日本車で初めて自動ブレーキング機能をもつ車間自動制御システム(ミリ波レーダーセンサー採用)を搭載した「41LV-Z」を追加。
- 2000年4月
- FY33型をベースとする先進安全研究車「日産ASV-2」を発表。
- このモデルより北米向けインフィニティQ45と統合される。保安基準の違いで前後バンパーが大型化され、外観はラジエターグリル、ヘッドライトが4灯から2灯、ボンネットエンブレムがなくなる等、先代と違い日米仕様で大きな差異がある。とりわけ1999年モデル以降の後期型ではトランク部のフィニッシャーが廃止され印象を異にする。
- NISSAN Cima Grand Touring FY33.jpg
グランドツーリング
- NISSAN Cima Grand Touring FY33 rear.jpg
グランドツーリング
(リア)
4代目 F50型(2001年-2010年)
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- 2001年1月1日
- 全国紙において、毎年元旦の日産自動車の企業広告で、発売予定のシーマの前面の半分を出したティーザー広告が掲載される。
- 2001年1月12日
- フルモデルチェンジ。新開発の新世代LLクラスプラットフォームを採用。
- 搭載エンジンはVQ30DET型V型6気筒DOHC2987ccターボとVK45DD型V型8気筒DOHC直噴4494cc(日産初の直墳V8エンジン)の2種類。
- 小型のプロジェクターランプを中央に1つ、それを取り囲むように6つ配置された特徴的なヘッドライトが「バルカンヘッド」と呼ばれている。このヘッドライトはV6モデルには採用されていなかったので、ヘッドライトで搭載エンジンを見分けることができた。
- ドアミラーウインカーを国産車で初めて採用したモデル。そのためドアミラー仕様はサイドマーカーが付かないが、フェンダーミラー仕様はサイドマーカーが付く。また、同日、特別仕様車「450XV リミテッドエディション」を発売。
- レーンキープサポートシステム(直線路車線維持支援装置)を世界初採用(オプションで42万5000円)。これは高速道路を走行中に道路の傾きや横風によって乱れる進路を CCDカメラで高速道路両側の白線を認識し、逸脱しそうになると微舵修正を自動で行うものである。レーンキープサポートシステムとレーダークルーズコントロールによって、先行車の自動追尾運転が可能となった。但し約100km/h以上の速度域では機能しない。
- また、現行型のCIを最初につけたモデルでもある。
- 2001年9月
- 富裕層の女性向け雑誌「家庭画報」とのコラボレーションによる特別仕様車「シーマ家庭画報バージョン」をインターネット限定発売。
- 2001年12月25日
- 一部改良。助手席パワーオットマン機構などの採用拡大や、本木目・本革巻コンビステアリング、本木目フィニッシャー、電子キーの全車標準装備化など、仕様装備の充実を図る。
- 2002年1月22日
- 誕生15周年記念特別仕様車「15th Anniversary」を3月までの期間限定で設定。
- 2002年6月
- BOSEサラウンドシステムオプション設定。第7回北京国際モーターショーに出展。
- 2002年9月27日
- 300Gにマルチプロジェクターキセノンヘッドランプとヘッドランプレベライザーを設定するとともに、「300Gグランドツーリング」を追加。なお、300GはNISMOのECU装着で50馬力アップする。
- 2003年4月
- 上海モーターショーに出展。左ハンドル仕様の「シーマ」は中国市場のみに投入されている(現在は販売終了)。なお、中国仕様はフロントグリルに日産のCIが装着されており、フードオーナメントは取り付けられていない。
- 2003年8月26日
- FRモデルのマイナーチェンジ。フロントグリルなど内外装の一部変更、「インテリジェントブレーキアシスト」、「前席緊急ブレーキ感応型プリクラッシュシートベルト」、「アクティブAFS」などの採用による安全装備の向上のほか、V8エンジンがVK45DE型へ変更され、直墳エンジンではなくなる。
- 2003年11月18日
- 4WDモデルのマイナーチェンジ。FRモデル同様「アクティブAFS」の採用などが行われた。
- 2007年2月1日
- 20周年記念限定車「450XV 20th リミテッド」を新設定。同年6月までの期間限定設定。「450XV」をベースに、レッド本木目フィニッシャー、本革シート、前席エアコンディショニングシート、後席パワーシートなどを採用した。
- 2007年7月
- 平成17年排出ガス規制に適合できないターボエンジンのVQ30DETの設定を廃止。
- 2008年2月7日
- プレジデントと同時にマイナーチェンジ。
- フロント・リアバンパーの拡大により全長5,120mmになる。フロントマスクは、今回のマイナーチェンジ用に独自のデザインが与えられる。テールランプは、フーガやスカイラインとよく似た、トランクリッド内にガーニッシュを配したインフィニティQ45後期型仕様となる。そのほか、ボディカラーに新色が設定されるとともにエクストレイルやフーガなどと同じスクラッチシールド加工仕様を全色に設定されるほか、インテリアの内装色の変更(エクリュ廃止、カフェラテ復活)となる。エンジン、ミッションなどに変更はない。ナビゲーションはDVDナビのままだが、新たにカーウイングス対応になりETCと共に全車標準装備(一部グレードではレス化も可能)となった。また、フェンダーミラーの設定を廃止した。
- 2009年1月14日
- 一部改良。「外装の技術基準」の改正に伴う安全対策のため、フードオーナメントが隆起タイプから埋め込みタイプに変更される。
- 2010年8月
- プレジデントとともに生産終了。日本国内で販売される日産の8気筒エンジン搭載車が消滅した。フルモデルチェンジまでの約1年半の間、フーガが(北米・西欧を除く)日産の最上位モデルとなり、「法人向け最高級乗用車」の位置づけはエルグランドVIPが引き継ぐ形となった。
- 2001-2003 NISSAN CIMA 450VIP.jpg
前期型(2001年1月-2003年8月)
- 2001-2003 NISSAN CIMA 450VIP rear.jpg
前期・中期型リア
- 2009 NISSAN CIMA.jpg
後期II型(2009年1月-2010年8月)
5代目 HGY51型(2012年-)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 テンプレート:See also 4代目モデルの生産中止から約1年9か月を経た2012年(平成24年)4月25日、日産自動車はシーマの生産再開と、5代目モデルが同年5月21日に発売されることを発表した[7]。5代目モデルはハイブリッド専用車であり、日産自動車は高級車の再投入によりブランドイメージが向上することを期待しているとされる[7]。
5代目モデルは、北京モーターショーにおいて同日発表となった、インフィニティ Mシリーズの「M35hL」(hはハイブリッド、Lはロングホイールベースの意)と基本的に同じで、フーガ(Y51型系)をベースにホイールベースとリアドアを150mm拡大したもので、延長分はそのまま後席空間の拡大に充てられている。外観ではボディシェル、リアドア、フロントバンパーやラジエーターグリル、リヤガーニッシュなどが専用品となる一方、ヘッドランプやリヤコンビネーションランプレンズなどの主要部品はフーガと共通となる。4代目まで用いられていたアカンサスのエンブレムは廃止された。
搭載される動力ユニットはフーガハイブリッドと同様の、VQ35HRエンジンに「1モーター2クラッチ方式」のハイブリッドシステムを加えた「インテリジェント・デュアルクラッチ・コントロール」で、変速機はジヤトコ製マニュアルモード付電子制御7速ハイブリッドトランス ミッション(AT)である。シンプルな機構ながら、疑似クリープ、モーター走行、エンジン+モーターによる全開加速、エンジン走行+充電、回生ブレーキの切り替えをスムーズに行うことができ、トルクコンバーターを介さないため伝達効率も高い。車体の延長とバッテリーを含むハイブリッドシステムの装備により、車両総重量がベースグレードで2,205kg、VIPとVIP Gで2,225kgとなったが(車両重量はそれぞれ1,930/1,950kg)、ハイブリッドシステム、アイドリングストップ装置、可変バルブタイミング機構、電動油圧式電子制御パワーステアリングなどの効果により、燃費性能はJC08モードで16.6km/Lと、平成27年度燃費基準+20%を達成している。
本世代はエンジン進化型エコカー「PURE DRIVE」の7車種目となるため、その証としてリアに「PURE DRIVE」エンブレムが装着されているが、シーマでは2代目エクストレイル「20GT」と同様のデザインで、ハイブリッドカーを指す「PURE DRIVE / HYBRID」エンブレムが新たに採用されており、左右フェンダーに装着されている「HYBRID」エンブレムもシーマでは左上に小さく「PURE DRIVE」が入った新仕様となっている(ほどなくしてフーガハイブリッドも同仕様のものに差し替えられた)。
Y51型系フーガ同様に全数が栃木工場(栃木県上三川町)で生産されるが、さらなる品質向上を図るため、塗装工程において「匠」と呼ばれる熟練者が中塗り後に生産ラインから外し、GT-R同様に一台一台専用の特別室で塗膜を平滑にする「水研ぎ」と呼ばれる作業を行う。また、検査工程においては資格を持つ検査員が全車両に対し品質検査を実施した後、走行試験において検査員が2名体制(通常は1名体制)で走行や操舵フィーリングの評価試験や内装の軋み音の有無のチェック等も行う。晴れて、全ての工程を合格した車両には栃木工場長の直筆サインが記された「品質検査確認書」が付与される[8][9]。
5代目シーマは三菱自動車工業にもOEM供給され、2012年(平成24年)7月26日よりディグニティとして発売している[10][11][12]。ディグニティもシーマ同様に一旦生産を終了していたが、OEM車種として11年ぶりに復活することになる。
- NISSAN CIMA HGY51 03.JPG
室内
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フーガとの比較
(上:シーマハイブリッド、下:フーガハイブリッド)
- NISSAN CIMA HGY51 04.JPG
「PURE DRIVE / HYBRID」エンブレム(サイドフェンダー)
- NISSAN CIMA HGY51 05.JPG
「PURE DRIVE / HYBRID」エンブレム(リア)
車名の由来
スペイン語で、「頂上・完成」の意味。 初代シーマの開発責任者である三坂泰彦が、少年時代に父に買って貰った腕時計の名。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 日産: 「バブル期の象徴」シーマ生産を8月に終了 プレジデントも 『毎日新聞』 2010年5月26日
- ↑ 新型「シーマ」を発表 - 日産自動車 プレスリリース 2012年4月25日
- ↑ 朝日新聞 1987年9月2日
- ↑ 静岡県警高速隊に白黒パトカーが配備されていた。
- ↑ 1988年(昭和63年)の第5回流行語大賞において「流行語部門・銅賞」を獲得している。
- ↑ ユーキャン 新語・流行語大賞
- ↑ 7.0 7.1 7.2 日産「シーマ」ハイブリッドで復活・初年度2000台販売目標 『日本経済新聞』 平成24年4月26日朝刊 企業1面
- ↑ 日産、フラッグシップセダン「シーマ」発売CAR Watch 2012年4月25日(2012年4月28日 閲覧)
- ↑ 【日産 シーマ 新型発表】全車に栃木工場長の品質確認書Response. 2012年4月25日(2012年4月28日 閲覧)
- ↑ 今夏発売予定の高級セダン、車名を『プラウディア』に決定 三菱自動車工業プレスリリース 2012年4月26日
- ↑ 今夏発売予定の最高級セダン、車名を『ディグニティ』に決定 三菱自動車工業プレスリリース 2012年5月16日
- ↑ 高級セダン『プラウディア』及び最高級セダン『ディグニティ』を新発売 三菱自動車工業プレスリリース 2012年7月4日
関連項目
外部リンク
- 日産:シーマ セダン Webカタログ トップ
- WEBカタログバックナンバー シーマ(FY33・後期型)
- WEBカタログバックナンバー シーマ(F50・前期型)
- WEBカタログバックナンバー シーマ(F50・中期型)
- WEBカタログバックナンバー シーマ(F50・後期型)
- シーマ CM情報
テンプレート:1980-1999 NISSAN Timeline テンプレート:NISSAN Timeline テンプレート:自動車