日産・ローレル

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ローレルLAUREL)は、ライトバンなどの商用車を一切設定しない日本初の「ハイオーナーカー」として、日産自動車1968年から2002年まで製造・販売していたミドルクラスの乗用車である。

歴史

初代 C30型系(1968年 - 1972年)

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  • 1968年4月 - 販売開始。510型ブルーバードより上級で、かつ、法人需要の多い130型セドリックとは性格の異なる「ハイオーナーカー」として企画された。当初は日産製L18型エンジンを搭載予定だったが、車両開発中に日産自動車とプリンス自動車が合併した諸事情に鑑み村山工場での生産とされたため、プリンス製・直列4気筒SOHC1815ccのG18型を搭載しての発表となった。[1]サスペンションにはC10型スカイラインと共通の四輪独立懸架方式を採用。
  • 1970年6月 - 2ドアハードトップ追加。日産初のピラーレスハードトップ。搭載エンジンはG20型・直列4気筒SOHC1990cc・110/120馬力、および4ドアセダンと同じG18型。グレードは1800、2000のほか、SUツインキャブを装備したスポーティーな2000GXが設定された。リアランプはウインカー(3連リレー式でいわゆる「流れる」ウインカー)とブレーキランプ共用のワンテールを採用。
  • 1970年8月 - 4ドアセダンをマイナーチェンジ。メーターパネルも先に登場したハードトップと同じ角型に変更すると共に、上級グレードのGLを追加。
  • 1971年7月 - セダン2000を追加。

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2代目 C130型系(1972年 - 1977年)

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  • 1972年4月 - C130型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダンと2ドアハードトップ。ハードトップは、リアバンパーにビルドインされたテールランプを持つ。プラットフォームはC110型スカイラインと共通で、この代以降スカイラインと基本設計が共通化される。ハードトップの特徴的なリアスタイルから『ブタケツ』という愛称があり、現在でもなお高い人気を保っている。搭載エンジンはG18型、G20型、G20型SUツインキャブ、直列6気筒SOHC L20型 (1998cc) 、およびL20型SUツインキャブ(レギュラー/ハイオク)の3種類5仕様。なお、G20型SUツインキャブ仕様は前期「2000GX」にのみ搭載された。
  • 1973年10月 - マイナーチェンジ。ローレル初の3ナンバー車の直列6気筒SOHC L26型エンジン (2565cc) を搭載する「2600SGL」追加。
  • 1975年9月 - 昭和50年排出ガス規制に対応するため、L26型エンジンを2.8LのL28型へ変更。
  • 1975年10月 - 1.8Lおよび2.0Lが昭和50年排出ガス規制に適合。燃料供給をEGIに変更したL20E型エンジン搭載車を追加。排出ガス規制の困難な2.0Lのツインキャブ車(6気筒、4気筒共に)と4気筒2L車[2](G20エンジン搭載車)とは廃止され、4気筒エンジンはL18に集約された。
  • 1976年2月 - L20E型エンジンが昭和51年排出ガス規制に適合。6月、1.8Lおよび2.0Lキャブレター仕様が昭和51年排出ガス規制に適合。

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3代目 C230型系(1977年 - 1980年)

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  • 1977年1月 - C230型にモデルチェンジ。先代の流れを汲んでキープコンセプトとなった。ボディバリエーションは4ドアセダン、4ドアハードトップ、および2ドアハードトップ。搭載エンジンはL18型 直列4気筒SOHC1.8L、直列6気筒SOHCL20型、L20E(電子燃料噴射)型、L28型。
  • 1978年1月 - 発売10周年記念特別限定車で深紅の車体色を特別に採用した「深紅のローレル」を発売。他にアルミホイールとフロントグリルのカーバッジを装備。
  • 1978年11月 - マイナーチェンジ。ヘッドライトが角目4灯式になる。オートエアコン装備の最高級グレード「メダリスト」グレードおよびSD20型 直列4気筒OHV2.0Lディーゼルエンジン搭載車を追加。1800cc車はZ18型に換装。ガソリン車53年排出ガス規制適合。
  • 1979年10月 - 2000cc4気筒ガソリン車(Z20型)とディーゼルにSGLとAT車追加。
  • 1980年2月 - ハードトップのメダリストに電動サンルーフをオプション化。ローレル初のサンルーフ車となる。
  • 1980年7月 - 限定車「メダリスト」「ザ・クオリティ」を発売。

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4代目 C31型系(1980年 - 1984年)

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  • 1980年11月 - C31型にモデルチェンジ。開発主管は、設計を共用していたスカイラインの開発主管と兼任の形で桜井眞一郎が務め、ボディバリエーションは4ドアセダンと4ドアハードトップ。デザインを一新し、欧州調のスタイルとなった。4ドアハードトップの空気抵抗係数(Cd値)は0.38。エンジンは4気筒モデルにZ18型、Z20型。6気筒モデルにL20型、L20E型、L20ET型、L28E型で、ローレルとしては初めてターボエンジンが搭載された。さらにディーゼルエンジンは4気筒のLD20型と6気筒のLD28型をそれぞれ搭載した。
  • 1981年2月 - GX仕様追加。セダンのL20E搭載車で独立懸架式リヤサスペンションを装備(当時はハードトップの6気筒ガソリン車とセダンのターボ車のみ標準装備であった)。
  • 1981年11月 - 一部改良。ターボメダリスト追加。
  • 1982年9月 - マイナーチェンジ。ラジエータグリルのクローム化とバンパーの大型化で押し出し感と高級感をアップ。テールランプの意匠変更。エンジンはZ18型に代わり直列4気筒OHC・1809cc CA18S型を搭載。当時の搭載エンジンはCA18S型のほかに、L20ET型、L20E型、直列4気筒SOHC・Z20S型、およびディーゼル車にLD28型とLD20型の6機種。L28E・L20(キャブ仕様)・LD20型のAT車・セダンのコラムシフト6人乗り仕様は廃止。同時に6気筒ガソリン車のAT車はオーバードライブ付のスーパートルコンに発展。CM出演はユベール・ド・ジバンシィ。キャッチコピーは「Laurel mon image」(ローレル、私のイメージ)。
  • 1982年11月 - 特別仕様車「ジバンシーバージョン」発売。
  • 1983年2月 - 特別仕様車「50スペシャル」発売。
  • 1983年3月 - 特別仕様車「ジバンシィバージョンII」発売。
  • 1983年5月 - 特別仕様車「50スペシャルII」発売。
  • 1983年7月 - ドアミラーの採用及びフェンダーミラーを2モーター化。
  • 1983年10月 - 教習車、タクシー向けとして直列4気筒OHC・Z18P型エンジン搭載のLPG車(グレードはSTD、GL)を追加。特別仕様車「SGLグランドエクストラ」(大型カラードバンパーとメダリスト用ホイールキャップを装備)及び「50スペシャルIII」発売。
  • 1984年1月 - 1.8LのGLエクストラ仕様追加及び一部車種廃止。
  • 1984年2月 - 特別仕様車「ジバンシーバージョンIII」発売。

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5代目 C32型系(1984年 - 1993年)

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  • 1984年10月 - C32型にモデルチェンジ。開発主管は、後にスカイラインR31/32型で開発主管を務める事となる旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が務めた。ボディバリエーションは4ドアセダンと4ドアハードトップで、先代がヨーロッパ車調で苦戦したため、押し出しの強いアメリカ車調となった。世界初の電動格納式ドアミラーを装着。搭載エンジンはRB20E型 直列6気筒SOHC2.0L、VG20ET型V型6気筒SOHC2.0Lターボ、CA18S型直列4気筒(LPG仕様あり)、LD28型直列6気筒SOHC2.8Lディーゼル。C32型よりステアリングシステムにラック&ピニオン式を採用した。日本国外への輸出は、これまでのダットサン220~280Lから正式に「日産・ローレル」(中文:日産月冠)となるが、このモデルで最後となる。主に中国・タイ・マレーシア・シンガポールなどのアジア諸国向けの輸出はセダン車のみで比較的前世代のL24E搭載車が主流であった。欧州仕様にはディーゼル車も設定。香港・中東仕様には少数ながらハードトップ車も存在した。CM出演は前期.後期共サックス奏者の渡辺貞夫
  • 1985年5月 - 特別仕様車グランドエクストラリミテッド発売。
  • 1985年10月 - 一部改良。
  • 1986年1月 - 営業車一部改良。
  • 1986年10月 - マイナーチェンジで内外装を変更。RB20DET型直列6気筒DOHC2.0L 24バルブターボエンジンが新たに搭載され、ディーゼルエンジンはRD28型直列6気筒SOHC2.8Lディーゼルエンジンに変更された。
  • 1987年5月 - 特別仕様車「グランドエクストラホワイトスペシャル」発売。
  • 1987年8月 - 「グランドエクストラリミテッド」追加。
  • 1988年2月 - 20周年記念特別仕様車スーパーメダリスト発売及び一部改良。
  • 1988年5月 - 特別仕様車「ホワイトリミテッド」発売。
  • 1988年9月 - スーパーセレクションシリーズ追加。
  • 1988年12月 - 自家用モデル販売終了。
  • 1989年1月 - 営業車モデルのAT車にシフトロック採用。
  • 1993年7月 - 営業車モデル販売終了。後継はクルー

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6代目 C33型系(1989年 - 1993年)

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  • 1988年12月 - 発表。
  • 1989年1月 - 発売。ボディは4ドアハードトップのみで[3]、歴代最後の4ドアピラーレスハードトップとなる。車高が低いめ室内空間が犠牲となり室内の広さは大人4人の長時間乗車に耐えうる最低限の寸法が確保されている程度のものであった V6エンジンが廃止され、RB2はV60E型 (SOHRB20DET型(以上の2つはDOHC)直列6気筒2.0L、CA18i型直列4気筒SOHC1.8L、RD28型6気筒ディーゼルを搭載。リアマルチリンクサスペンションが採用され、一部グレードにはHICAS-IIも設定。4気筒モデル (CA18i) と直列6気筒ディーゼルモデル (RD28) には教習車仕様も存在した。この時より、日本国内専用車としてシフトしている。CM出演は坂東玉三郎(前期のみ)。
  • 1991年1月 - マイナーチェンジ。フェイスリフトが行われ、RB20E/RB20DEエンジン搭載車に5速ATを採用(RB20DETは4ATのまま)。
  • 1991年11月 - 3ナンバー車のRB25DE型 直列6気筒DOHC2.5Lエンジン搭載グレードを追加。2.5L追加と同時に既存モデルはサイドドアビームとハイマウントストップランプを全車に装備。また上級グレードを中心に車種整理。
  • 1992年1月 - 累計生産200万台を達成。

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7代目 C34型系(1993年 - 1997年)

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  • 1993年1月 - モデルチェンジ。キャッチフレーズは「すっきりがいい。1993年と新しいローレル」。CM出演は松方弘樹本木雅弘の両氏。全車3ナンバーとなり、ボディ形状は、側面衝突時の安全性を確保する観点から、センターピラーを加えた4ドアピラードハードトップとなる、室内空間の居住性が大幅に改善された ASCD(オートスピードコントロール)、ステアリングスイッチはメダリストV・Gセレクションにのみ装備された。クラブSには電動スーパーハイキャス、ABSが装着されたものが用意された。搭載エンジンはRB20E型、RB20DE型、RB25DE型およびRD28型。4気筒1.8Lは廃止となった。ビスカスLSD、リアマルチリンクサスペンション、電動SUPER HICASを採用、ディーゼルRD28型については3バルブヘッド(計18バルブ)が採用された。ミッションは5速MTがディーゼルメダリストのみに残り、ガソリン車のMT車は廃止。メダリスト系、20EクラブSはシート地がスーパーラッセル、メダリストJ・グランドクルーズはプレミアムトリコット、クラブSはグレーのエクセーヌとなる。メダリストV、クラブSはメーカーオプションで本革(グレー)が選べた。メダリストVには日産車及びこのクラスで初の自発光メーター(ファインビジョンメーター)を標準装備した。
  • 1993年5月 - RB20E型を搭載するクラブSを追加、モデルチェンジで2.5リッター車のみとなっていたクラブSを2リッターにも追加する事で販売のテコ入れをはかった仕様。
  • 1993年7月 - 日産創立60周年特別記念車追加 60周年記念キーが装備された。
  • 1993年8月 - 日産創立60周年特別記念車追加
  • 1994年1月 - マイナーチェンジで中期型となる。メダリスト系はグリル中央にフィニッシャーが追加され、クラブS系はスポーティタイプの新形状のフロントグリル、クラブS専用フロントバンパーを採用するなど、フロント周りのデザインを一部変更。メダリスト系とクラブS系の差別化が図られた。クラブS系にRB25DET型 直列6気筒DOHC2.5L 24バルブターボエンジン搭載車を追加。これに伴いRB20DE型 直列6気筒DOHC2.0L 24バルブエンジン搭載車が廃止。メダリスト系に大きな変更は無く、メダリストJ、グランドクルーズが廃され、メダリストL、グランドサルーンが追加された。メダリスト専用フルホイールカバーがニッサン車汎用の物になるなど一部でコストダウン化が図られている。クラブS系はターボモデルが追加され、RB25DE型エンジン搭載車以外、クラブSタイプXがそれぞれに追加された。タイプX以外のクラブSはシート地に下級グレードに採用されていたプレミアムトリコットを採用。また、オーディオのヘッドユニットがローレル専用のものから1DIN汎用タイプのものになるなど、外装専用パーツを採用する代わりにコストダウンが図られている。タイプXも前期で標準装備されていた高級スエード調のエクセーヌシートがメーカーオプションとなり、専用のダブルラッセルに変更された。
  • 1994年9月 - マイナーチェンジで後期型となり、外観デザインが大幅に変更された。フロント周りは、ライト、グリル、ボンネットの変更なので前・中期とバンパーは共通(メダリスト系ターボ車はクラブS用を装着)だが、リア周りはリアテール、バンパー形状の変更によりボディに溶接されるリアフェンダーの形状が前・中期と異なる。今回のマイナーチェンジで運転席SRSエアバッグが全車標準装備となった。ローレル初の4WD車とメダリスト系ターボ車が追加。CM出演は歌手の森進一。「走ってま~す。」「いいね。いいね。」が合言葉。キャッチコピーは「ローレルのビッグチェンジ」。
  • 1995年1月 - クラブSセレクションを設定。
  • 1995年9月 - 特別仕様車「メダリストデュアルリミテッド」(20E)設定。運転席SRSエアバッグを全車標準装備する。CM出演は俳優の鹿賀丈史
  • 1996年5月 - 一部改良。助手席エアバッグも全車標準装備となる。これに伴いステアリングの形状が変更された。特別仕様車「セレンシアシリーズ」(25ツインカム、20E、28ディーゼル)を設定。UVカットガラス、専用のフロントグリルとシート生地が装備される。CM出演は引き続き鹿賀丈史でキャッチコピーは「愛しのセレンシア」。
  • 1997年2月 - セレンシアシリーズの装備に加えてABSを標準装備した「セレンシアSV」シリーズを設定。

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8代目 C35型系(1997年 - 2002年)

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  • 1997年6月 - モデルチェンジ。搭載エンジンはRB20DE型、RB25DE型、RB25DET型、およびRD28型(SOHC18バルブ、C34型からのキャリーオーバー)の4機種。トランスミッションは4速ATのみ搭載。足回りはフロントがストラット式(4WD車はマルチリンク式)、リアがマルチリンク式。CM出演は俳優の佐藤浩市[4]
  • 1998年9月 - ターボ系に積まれるRB25DETが可変バルブタイミング機構を採用する「NEOストレート6」(280ps)へと進化。同時にRB20DE搭載車はリーンバーン化された。クラブSシリーズの2.5リットル車にマニュアルモード付オートマチック「デュアルマチックM-ATx」を採用。
  • 1999年1月 - RB20DE型をリーンバーン化。
  • 1999年8月 - マイナーチェンジ。内外装の意匠変更と共にメダリスト系にプレミアシリーズを設定。ディーゼルエンジンがRD28型から電子制御燃料噴射システムを採用したRD28E型に変更。
  • 2001年3月 - 村山工場での生産を終了。生産拠点を栃木工場へ移管。5月、RD28型エンジン搭載グレードを廃止。
  • 2002年8月 - 生産終了。34年間のローレルの歴史に幕を閉じたが、翌2003年2月、ローレルが開拓したマーケットを継承する形でティアナが登場した。
  • 静岡県警察交通機動隊にパトカー仕様として覆面車が配備されていた。この車両の赤色回転灯は反転格納式ではなく、マグネット式の赤色回転灯を装備していた。

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モータースポーツ

スプリントレースでの出走例は少ないが、スカイラインと車台を共有した手ごろなサイズのFR車であるため、特にC33型以降がドリフトのためのベースとなることが多い。ドリフトの祭典であるD1グランプリでも複数のドライバーが使用した実績があり、春山隆がC35型で出場、チームオレンジの熊久保信重も2011年度からC33型(ただしエンジンはRB26DETTに換装)で出場している。ただしC33型は他の姉妹車と異なりBピラーが無いハードトップ構造ために車体剛性の向上がなされることが多く、また中古MT車が希少であったため、ATからMTへの換装が多く行われ、チューニングショップのノウハウ蓄積につながった。C35型はライバルのJZX100型チェイサーと異なりATの設定しかなかったため、生産当時は人気がなかったが、中古車価格の下落、MT換装の一般化、部品互換性の高さ(車高調に至ってはシルビアのものが使えるほどであった)、前述の通りD1グランプリで用いられたことから生産終了後に人気を博した。

車名の由来

英語で「月桂樹」「月桂冠」の意味であり、月桂樹はギリシャ神話の気品高き樹木で、月桂冠は名誉ある地位の象徴である。

脚注

  1. 太田昇『ブルーバード510とあの時代』二玄社刊(278-283ページ)
  2. 1979年にZ20を搭載して復活。
  3. セダンおよび輸出の役割は姉妹車の「セフィーロ」(輸出名:ローレルアルティマ)が担うこととなる。
  4. 後にトヨタ・マークXのCMに出演。

関連項目

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外部リンク

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