岩手県立盛岡第一高等学校
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岩手県立盛岡第一高等学校(いわてけんりつ もりおかだいいちこうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Daiichi High School)は、岩手県盛岡市上田三丁目にある県立高等学校。テンプレート:要出典範囲[1]。
目次
概要
- 歴史
- 同校の起源は1880年(明治13年)に創設された「公立岩手中學校」に端を発し、県内の高等学校の中では岩手県立盛岡農業高等学校に次ぐ歴史を有する[2]。2010年(平成22年)に創立130周年を迎えた。
- 同校は元来男子校として設立された経緯があるため、テンプレート:要出典範囲。
- 設置課程・学科 (2010年度(平成22年度)募集まで)
- 全日制課程 2学科
- 2007年度(平成19年度)から、1年次は全日制普通・理数科に改変(括り募集)。2年次から、普通科(7クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
- 校訓
- 「忠實自彊」(ちゅうじつじきょう)
- 「質實剛健」(しつじつごうけん)
- 教育目標
- 時代の先駆者として、社会に広く貢献する人間を育成する
- 高い知性と教養を身につけた人間を育成する
- たくましい精神力と思いやりの心を兼ね備えた人間を育成する
- 強健な身体と豊かな感性をあわせ持った人間を育成する
- 重点目標
- 勉学に真摯に取り組む体制を確立する
- 文武両道の校風を確立する
- 自律性を持った自主的人間を育成する
- 基本的生活習慣を積極的に身につける気風を確立する
- 校歌
- 校歌は1908年(明治41年)に在校していた伊藤九万一によって作詞され、選曲は同じく当時在校していた佐香貞次郎によって行われた。テンプレート:要出典範囲[3]
- 男子寮(自彊寮)
- 同校には「自彊(じきょう)寮」と呼ばれる寄宿舎(男子用)がある。この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでいるものであり、当時生徒であった宮沢賢治も入寮していたことがある[4]。
- 同窓会
- 「白堊(はくあ)同窓会」と称している。
沿革
- 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1880年(明治13年)
- 1882年(明治15年)6月27日 - 初等中学科8級4年、高等中学科4級2年制とする。
- 1885年(明治18年)7月9日 - 盛岡市内丸に新校舎が完成。
- 1886年(明治19年)6月7日 -「岩手縣尋常中學校」と改称。修業年限を5ヶ年とする[5]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 尋常中学校の増設に伴い、「岩手縣盛岡尋常中學校」と改称。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 「岩手縣盛岡中學校」と改称。
- 1901年(明治34年)3月30日 - 「岩手縣立盛岡中學校」と改称。
- 1902年(明治35年)
- 1908年(明治41年)5月13日 - 校歌と校旗を制定。
- 1917年(大正6年)8月14日 - 現在地に移転。
- 1925年(大正14年)10月 - 白堊同窓会(はくあ)を設立。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 補修科の募集を停止。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 旧制中学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:岩手縣立盛岡中學校併設中學校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たな生徒募集はおこなわれず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学4・5年生となる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制盛岡中学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立盛岡第一高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業生(希望者)を新制高校3年として、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
- 併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
- 併設中学校は新制高等学校に継承(名称:岩手県立盛岡第一高等学校併設中学校)され、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学へ入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)
- 4月1日
- 5月2日 - 定時制中心校を上田校舎内に収容。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 普通科において男女混合の学級を編成し、完全な男女共学を開始。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 統合を解消し、「岩手県立盛岡第一高等学校」(現校名/普通科/男女共学)に復称。
- 白梅校舎は岩手県立盛岡第二高等学校(普通科/男女共学)に復称。
- 商業部は岩手県立盛岡第三高等学校[6](普通科・商業科/男女共学)に改称。(翌1952年(昭和27年)に普通科を廃止し岩手県立盛岡商業高等学校に復称。)
- 1952年(昭和27年)3月8日 - 盛岡二高等学校通信教育部を統合。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 定時制好摩分校玉山出張教室を開設。
- 1959年(昭和34年)
- 3月1日 - 玉山出張教室を廃止。
- 4月1日 - 岩手県立盛岡農業高等学校青山分校を定時制中心校に統合。
- 1961年(昭和36年) - 校舎(第二期工事)が完成。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 定時制雫石分校の募集を停止し、全日制雫石分校に切り替える。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 一本木教室を分校に昇格。
- 1966年(昭和41年)12月17日 - 部室・合宿室が完成。
- 1968年(昭和43年)
- 3月 - 定時制課程の生徒募集を停止。
- 4月1日 - 定時制雫石分校が分離し、岩手県立雫石高等学校として独立。通信制課程を岩手県立杜陵高等学校に移管。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 理数科を設置。
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1972年(昭和47年)8月20日 - プールが完成。
- 1975年(昭和50年)3月 - 好摩分校の生徒募集を停止。
- 1978年(昭和53年)3月31日 - 好摩分校を廃止。
- 1980年(昭和55年)10月 - 創立100周年を記念し、白堊記念館が完成。海外派遣事業「白堊の翼」を開始。
- 1983年(昭和58年)11月30日 - 第二体育館を改築。
- 1986年(昭和61年)3月4日 - 第一体育館が完成。
- 1990年(平成2年)- 創立110周年記念式典を行う。
- 1992年(平成4年)3月 - 一本木分校の生徒募集を停止。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 一本木分校を廃止。
- 1999年(平成11年)12月 - 新校舎が完成し、使用を開始。
- 2000年(平成12年)10月 - 校舎落成並びに創立120周年記念式典を行う。
- 2001年(平成13年)8月 - グラウンドを改修。
- 2004年(平成16年)4月 - 同窓会と振興会によりグラウンドに照明が設置される。
- 2006年(平成18年)6月 - 同窓会有志により石川啄木歌碑が建立。
- 2007年(平成19年)3月 - 生徒募集の形態を改変し、これまでそれぞれで行われていた普通科・理数科の募集を一括で行うこととする。
- 2010年(平成22年)5月 - 創立130周年記念式典を行う。
生徒活動
部活動・委員会
- 運動部・同好会
- 弓道
- 剣道
- 硬式野球(男子)
- 軟式野球(男子)
- サッカー(男子)
- 柔道
- 水泳
- スキー
- ソフトテニス
- 卓球
- テニス
- 登山
- バスケットボール
- バドミントン
- バレーボール
- ハンドボール(男子)
- ラグビー(男子)
- 陸上競技
- ソフトボール(女子)
- 文化部・同好会
- 委員会
- 應援
- 放送委員会
- 白堊(生徒会誌)編集委員会
- 中央執行委員会
應援團
バンカラの應援團があり、全校生徒による選挙で選出された應援委員が中心となる[7]。同校では生徒全員を「應援團(応援団)」と位置づけ、その中核を「應援委員」、全校應援練習の場で新入生の指導にあたる三年生の有志を「團有志」、クラスで新入生の指導にあたる二年生の有志を「指導有志」と定義している。
アクセス
主な行事
- 4月
- 生徒会オリエンテーション:入学式前に行われ、生徒会や部活動の紹介がある。
- 入学式:毎年、應援委員が校歌を披露する。
- 対面式:入学式の後日行われる。1年生が2・3年生の歌う校歌や応援歌を聞く。
- 応援歌練習:1年生が校歌や応援歌13曲を指導される。
- 5月
- 大運動会:創立記念日である5月13日に行われる。運動会前日には、宣伝の目的で1年生と2年生一部で構成される「白堊団」が盛岡市内を練り歩く。
- 6月
- スポーツ祭:クラス対抗で、球技を中心として行われる。
- 7月
- 応援歌練習:夏の甲子園地方予選に照準を合わせて練習する。
- 9月
- 12月
- 2月
- 予餞会:受験を控えた3年生を観客として招待し、1・2年生が芝居などを披露する。
- 応援歌練習:4月に3年生へ進級する2年生が、1年生を指導する。春の応援歌練習の予行の意味合いも兼ねる。
- 3月
- 卒業式
- 白堊の翼
一般公開について
開かれた学校作りを進めるため、日にちを限って学校を一般に公開している。以下、日程。
- 星を観る会:最新式屈折望遠鏡の一般公開を行う。毎年7月頃と10月頃に行われ、在校生による説明・著名人を招いての講演会も行われる。
- 学校へ行こう週間:日常的な学校生活の参観を目的としている。毎年11月頃に行われる。
- 白堊祭
- 大運動会
著名な出身者
戦前
- 政治・経済・軍事
- 及川古志郎 - 軍人、海軍大将・海軍大臣
- 三鬼隆 - 日本製鐵社長
- 出淵勝次 - 外交官・政治家、駐米大使・外務次官
- 多田武雄 - 軍人、海軍中将、実質最後の海軍次官 / 東京府立一中へ転校
- 田子一民 - 政治家、農林大臣・衆議院議長・三重県知事
- 板垣征四郎 - 軍人 、陸軍大将・陸軍大臣(A級戦犯)
- 郷古潔 - 三菱重工業社長、東條内閣顧問(A級戦犯)
- 米内光政 - 軍人、海軍大将、第37代内閣総理大臣、最後の海軍大臣として終戦に尽力した
- 八角三郎 - 軍人、海軍中将
- 岩動道行 - 科学技術庁長官
- 工藤巌 - 岩手県知事、衆議院議員
- 神谷尚男 - 検事総長
- 学術・文化・芸術
- 宮沢賢治 - 詩人・児童文学者
- 金田一京助 - 言語学者・国語学者
- 佐藤得二 - 直木賞作家
- 山口青邨 - 俳人
- 舟越保武 - 彫刻家
- 小野清一郎 - 法学者(刑法)・東京大学名誉教授・文化勲章受章者
- 森嘉兵衛 - 歴史学者(社会経済史)・岩手大学名誉教授
- 松本竣介 - 洋画家
- 森荘巳池 - 直木賞作家、生前はほとんど無名だった宮沢賢治と交流があった
- 石川啄木 - 歌人・詩人 ※中退
- 岡山不衣 - 俳人
- 野村胡堂 - 小説家・音楽評論家
- 古沢元 - 小説家
- 芸能・マスコミ・スポーツ
戦後
- 政治・経済・軍事
- 黄川田徹 - 衆議院議員(民主党)
- 階猛 - 衆議院議員(民主党)、弁護士
- 玉澤徳一郎 - 元衆議院議員(自民党)
- 橋本英教 - 衆議院議員(自民党)
- 畑浩治 - 衆議院議員(生活の党)
- 主濱了 - 参議院議員(生活の党)
- 穀田恵二 - 衆議院議員(日本共産党)
- 達増拓也 - 岩手県知事、元衆議院議員
- 中村力 - 郵政官僚、国会議員(自由国民会議、青年自由党)
- 小松正之 - 官僚、国際捕鯨委員会日本代表代行
- 奥山恵美子 - 仙台市長
- 相原正明 - 江刺市長、奥州市長
- 山本正徳 - 宮古市長
- 学術・文化・芸術
- 夏井高人 - 法学者(サイバー法、コンピュータ法)・明治大学法学部教授
- 工藤雅樹 - 歴史学者、考古学者
- 久美沙織 - 小説家
- 栗生澤猛夫 - 北海道大学名誉教授、歴史学者
- 斎藤環- 筑波大学教授、精神科医、評論家
- 小田中聰樹 - 法学者、東北大学名誉教授
- 城戸朱理 - 詩人
- 松橋暉男-東郷神社宮司
- 小野一幸-旭川医科大学名誉教授
- 中村三春-北海道大学教授
- 関本善則-岩手大学名誉教授
- 三田禮造-秋田看護福祉大学看護福祉学部長、弘前大学名誉教授
- 中村慶久-岩手県立大学学長、東北大学名誉教授
- 内藤俊彦-新潟大学法学部教授
- 横澤利昌-亜細亜大学経営学部教授
- 藤沢盛一郎-明海大学歯学部教授
- 高橋三保子-筑波大学教授
- 小山田了三-富士大学学長
- 塩井幸武-八戸工業大学工学部教授
- 磯望-西南学院大学人間科学部教授
- 泉多恵子-山形大学工学部教授
- 長瀬勝彦-首都大学東京都市教養学部教授
- 渡辺芳人-名古屋大学教授
- 村上雅人-芝浦工業大学副学長
- 本堂寛-東北大学教養学部教授
- 佐々木正利 - 声楽家(テノール)、岩手大学教授
- 波多野杜夫 - 小説家
- 佐藤亜有子 - 小説家
- 日沢伸哉 - 放送作家・作家
- 名久井直子 - 装幀家
- 芸能・マスコミ・スポーツ
- 大宮政志 - 競輪選手
- 佐々木収 - ミュージシャン、(SCRIPT・元MOON CHILD)
- 高橋研 - シンガーソングライター・音楽プロデューサー
- 山口則幸 - 東日本放送アナウンサー
- 八重樫茂生 - サッカー選手、日本サッカー殿堂
- 古舘友華 - テレビ岩手アナウンサー
- 湯澤幸一郎 - 俳優
- 加藤真輝子 - テレビ朝日アナウンサー
- 大友啓史 - 日本放送協会職員、演出家、映画監督
- 立花一男 - タレント
- 燿 - ミュージシャン(摩天楼オペラ)
- めんこい内村 - お笑い芸人
脚注
- ↑ テンプレート:要出典範囲。
- ↑ 沿革抄
- ↑ テンプレート:要出典範囲
- ↑ 岩手県立図書館、宮沢賢治
- ↑ 太平洋戦争中に修業年限が4年に短縮されたが、戦後から廃止までは5年に戻った。
- ↑ 現在の岩手県立盛岡第三高等学校とは無関係。
- ↑ 同校では応援を「應援」、応援団を「應援團」と旧字体で表記するのが伝統である。
参考文献
- 『創立100周年記念誌』岩手県立盛岡第一高等学校