増位山太志郎

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テンプレート:Infobox 力士 増位山 太志郎(ますいやま だいしろう[1]1948年9月16日[2] - )は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身で三保ヶ関部屋所属の大相撲力士・元親方歌手。本名は澤田昇(さわだ のぼる)、最高位は東大関。現役時代の体格は身長180cm、体重109kg。得意手は右四つ、上手出し投げ内掛け。趣味はカラオケゴルフ血液型はO型。さらに演歌歌手としても多数のレコードをリリースしている。

来歴・人物

大相撲時代

大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都ではあるが、日本相撲協会発表の出身地は父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。「増位山」は、先代の出身地である姫路市にある山の名である。

小学生の頃から相撲が好きで、中学2年のときに父に入門を志願したが断わられた。どうしても入門したいためここで許されないなら他の部屋に入ると切り出したため父も折れて入門を許し[3]1967年(昭和42年)1月場所、瑞竜の四股名初土俵北の湖と同期だった。ちなみに日大一中・一高では水泳をしていた。

三段目にいた1968年(昭和43年)5月場所から父の四股名である増位山を継ぎ、1969年(昭和44年)7月場所新十両と2年余りで関取の座を掴む。1970年(昭和45年)3月場所に入幕したが負傷で何度か往復した。その後上位に進んでは大負けして落ちる繰り返しだったが徐々に三役に定着し5度目の三役昇進となった1979年(昭和54年)9月場所(小結)から相撲ぶりが目立って良くなり、翌11月場所関脇で11勝4敗。そして翌1980年(昭和55年)1月場所、初日に横綱輪島を破るなど12勝3敗をあげ、場所後大関に昇進。本人いわく「最初で最後」のワンチャンスを見事ものにして、年6場所制が定着した1958年(昭和33年)1月場所以降初土俵の力士では旭國の28歳11ヶ月を上回る31歳2ヶ月の当時最年長(現在でも琴光喜の31歳3ヵ月に次ぐ2番目)で、史上初の親子大関が実現した。

しかし新大関の1980年3月場所は、右ヒジ関節挫傷による怪我で途中休場。いきなり大関角番となった翌5月場所は、8勝7敗と勝ち越して角番脱出。その後も2場所連続の9勝6敗と1桁勝ち星がやっとで、1980年11月場所は3勝12敗と大きく負け越した。2度目の角番となった1981年(昭和56年)1月場所は、10勝5敗と増位山自身大関として唯一の二桁勝利を挙げたが、これが大関としての最高成績だった。その翌3月場所、2連勝の後2連敗したところで左ヒジ痛の悪化を理由に、大関在位わずか7場所で現役引退した。なお「短命大関」では年6場所制以降、大受の5場所(のち関脇陥落)に次ぐ史上2位であるが、大関の地位で引退した力士としては歴代1位となる。現役引退後は年寄・小野川を襲名するとともに、三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたった。

取り口はふわっとした立合いで相手の突進をそらし、右で廻しをつかむと投げや内掛け・外掛け内無双と多彩な技を繰り出した。中でも相手を引きずるように打つ上手投げ・上手出し投げは増位山独特のものだった。[4]

1984年(昭和59年)11月に実父である9代三保ヶ関が停年(定年)退職になると、三保ヶ関に名跡変更して部屋を継承した。親方としては、名門・日本大学相撲部で活躍した学生相撲出身者を数多く入門させ、小結濱ノ嶋幕内肥後ノ海十両増健などをはじめ、エストニア出身の把瑠都ロシア出身の阿覧らをスカウトして関取に育てた。一方で先代三保ヶ関と同じく運営方針として所属力士の個人後援会を認めなかったことで吝嗇の傾向を指摘されることもあった。

なお三保ヶ関部屋からは、2003年(平成15年)12月に木瀬親方(肥後ノ海)が7人の内弟子を連れて分家独立、2006年(平成18年)8月に尾上親方(濱ノ嶋)が6人の内弟子(幕内・把瑠都、十両・里山など)を連れて分家独立している。また、父に似たのか多彩な趣味の持主で、絵画は二科展入選の常連である。

木瀬とは少なくとも独立の課程で険悪な仲になったようであり、部屋開きの際に三保ヶ関は招待状を渡されなかったことで憤慨したと伝わる。そうした経緯もあって大相撲野球賭博問題に揺れていた時期には木瀬と清見潟が暴力団と交際していることを暴露し[5]、結果としてこの2人は維持員席問題により協会から処分を受けた。

日本相撲協会では、後述のように美声で通る声であるために審判委員を長期間務め、物言いがついた場合場内説明を任されるケースが審判部副部長就任前から多かった。2002年2月に監事(2008年に副理事に改称)に就任し、2012年1月まで5期10年務めた。在任中は審判部副部長を長く務めた。停年退職が近くなったため2012年2月に退任し、最後は役員待遇委員として監察委員会副委員長を務めた。

2013年11月場所限りで65歳の停年退職を迎えたものの、後継者がいないことから同年9月場所限りで三保ヶ関部屋の消滅が決定。三保ヶ関部屋消滅時に所属していた部屋関係者のうち床山だけは北の湖部屋へ、自身を含む親方2人と力士6人、世話人・行司各1人、呼出2人は春日野部屋へ、それぞれ10月3日付で移籍した[6]。停年に際して1980年1月場所の初日に輪島を破った一番を思い出の相撲として挙げ「これまで十八連敗中でしたから、輪島関に勝って親子二代で大関昇進も決まりうれしかったです」と語っていた。[7]

演歌歌手として

現役力士時代の頃から演歌歌手としても活動、レコードを多数リリースしている。1974年(昭和49年)に海老名香葉子作詞の「そんな夕子にほれました」で歌手デビュー、1977年(昭和52年)8月に発売した「そんな女のひとりごと」は実に130万枚の売上を記録して、1978年(昭和53年)に行なわれた第11回日本有線大賞では同曲で有線音楽賞とベストヒット賞を獲得した。

リリースしたアルバムの中には、師匠でもある実父と共に吹き込んだ相撲甚句のレコードもあった。力士が出場する歌番組では審査員も務めたこともある。テイチクレコードに所属してオリジナル曲をはじめ、当時流行のデュエット曲をテイチク所属の女性歌手と組んで多く発表した。現役引退・部屋継承後も歌手活動をしばらく継続し、一時期徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍していたが、2009年(平成21年)に再びテイチクに移籍。

1985年(昭和60年)から日本相撲協会が親方、力士のレコード発売やCM出演等の副業を原則的に禁止したため歌手活動は行っていなかったが、協会は旧譜の再発売については認めていた。その後、CM出演の再解禁などの副業規制の緩和後に、懐メロ番組に出演したことがある。2007年(平成19年)10月、ともに横綱審議委員会の委員を務める内館牧子作詞、船村徹作曲の「水玉のスカーフ」で歌手として再デビューした。ちなみにカップリング曲は、かつて力士時代にヒット曲を出した経験がある横綱・北の富士とのデュエット「女房に捧ぐ」である。しかし、時津風部屋力士暴行死事件を受け公開レコーディングは中止となった。[8]

さらに2008年(平成20年)2月にはNHK福祉大相撲に出演予定であったが、直前に元時津風親方と現役力士3人が逮捕されたことを受け出演を辞退した。2008年6月、NHK・BS2で放送された『シリーズ 昭和の歌人たち「中山大三郎~“人生いろいろ”から“珍島物語”~」』に特別ゲストとして登場、生バンドをバックにかつてのヒット曲「男の背中」をテレビで久々に熱唱した。

2003年(平成15年)頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する「そんな夕子にほれました」を初めとする代表曲で背景映像に増位山本人が出演する映像が多く採用されている。「そんな夕子にほれました」では、背景画面に駅での出会いと別れをイメージしたドラマ風なアレンジの中を増位山本人が登場する。

2009年10月27日及び2012年10月11日、『NHK歌謡コンサート』(NHK総合)に出演。2012年6月21日には『木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜』(テレビ東京)に出演。

上述の通り2013年11月場所で日本相撲協会を停年退職。同年12月4日、新曲「夕子のお店」の発表会を開催。「これからは歌一本。大相撲では大関止まりでしたが、今後は歌手で横綱を目指します」と改めて演歌歌手としての決意をコメントした[9]

主な成績

  • 通算成績:597勝538敗18休 勝率.526
  • 幕内成績:422勝435敗18休 勝率.492
  • 大関成績:44勝44敗7休 勝率.500
  • 現役在位:86場所
  • 幕内在位:59場所
  • 大関在位:7場所
  • 三役在位:10場所 (関脇4場所、小結6場所)
  • 三賞:5回
    • 技能賞:5回(1972年11月場所、1974年5月場所、1979年9月場所・11月場所、1980年1月場所)
  • 金星:4個(北の富士1個、輪島3個)
  • 各段優勝:十両優勝:1回(1972年1月場所)

場所別成績

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レコード・CD

ボールド文字は、通信カラオケシステムDAMの背景映像に本人出演映像が採用されているものを示す。

  • EPレコード
    • そんな夕子にほれました/粋な別れ」(1974年8月10日、海老名香葉子作詞)
    • 「出直さないかもう一度」(1975年)
    • 「雪子/女ひとりに」(1975年)
    • 「誰か夕子を知らないか/いいわけ」(1976年)
    • 「夜霧が泣いている/恋ごよみ」(1976年)
    • そんな女のひとりごと/お前がかわいい」(1977年8月25日)
    • 「お店ばなし/ゆきずり」(1978年4月25日)
    • そんなナイト・パブ/だから女は泣くのです」(1978年10月25日)
    • 「いたわりあい/東京ぐらし」(1979年10月25日)
    • 男の背中/愛のさすらい」
    • 「男の真夜中/愛ある別れ」
    • 「釜山港へ帰れ/木浦の涙」
    • 「今度逢えたら/別れたんだね」
    • 「新宿慕情/待たせてごめんよ」(1980年3月8日)
    • 「別れたそうね」(1980年8月25日)
    • 「大田ブルース/終列車の女」
    • 「とにかく、あした/明日からふたり」
    • 「大大阪音頭/ちょいと大阪」
    • 「女の横顔」(1984年6月)
  • EPレコード/デュエット
    • 「だから今夜は…/あなた任せの私なの」(デュエット:沢田嘉津枝[10]、1979年3月)
    • 大阪恋めぐり/信じあえたら」(デュエット:日野美歌
    • 「マイク片手にカラオケ人生/私はあなたの涙です」(デュエット:川中美幸
    • 「夜の恋の物語/こころ酒」(デュエット:長沢薫
    • 「いつか逢う日を夢みて/ゆうがお慕情」(デュエット:秋ゆうこ
  • LPレコード
    • 「そんな女のひとりごと」
    • 「オリジナル演歌のすべて そんな夕子にほれました~そんな女のひとりごと」
    • 「今度逢えたら」
    • 「お店ばなし」
    • 「新宿慕情」
    • 「だから今夜は」
    • 「魅惑の演歌」(2枚組)
    • 「演歌ベスト30」(2枚組)
    • 「ヒット歌謡・艶歌14」(2枚組、1976年)
    • 「増位山 オリジナルベスト・ヒット14」
  • CD、カセット
    • 「増位山太志郎全曲集'92~男の背中」(アルバム、1992年1月)
    • 「男の哀愁/増位山ヒット曲集」(アルバム、1992年5月)
    • 「増位山大志郎 デュエット全曲集」(アルバム、1994年10月)
    • 「増位山大志郎全曲集」(アルバム、1997年5月)
    • 「増位山太志郎全曲集~そんな女のひとりごと~」(アルバム、2000年9月)
    • 「増位山太志郎 定番ベスト」(アルバム、2004年8月)
    • 「男の背中/そんなナイト・パブ」(シングル、2006年4月)
    • 「水玉のスカーフ/女房に捧ぐ」(シングル、2007年10月)
    • 「秘そやかに華やかに/だから今夜は…」(マキシシングル、2012年7月)※松居直美とのデュエット
    • 「夢の花 咲かそう/男の舞台」(マキシシングル、2013年2月)※中村美律子と競作
    • 「男と女のオルゴール/想い出さがし」(マキシシングル、2013年7月)※松居直美とのデュエット
    • 「夕子のお店/女のきもち」(マキシシングル、2013年11月)

脚注

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関連項目

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  1. 尚、歌手としては「ますいやま たいしろう」と読ませている。初共演 NHK歌謡コンサートブログ 2012年10月10日付参照
  2. 増位山が歌手復帰!「不倫にピッタリ」は11月16日生まれとしている。
  3. 『相撲』2013年11月号78頁には具体的に「ウチでやらせてもらえないんだったら、オレは春日野部屋へ行く!」と強い決意を表わしていた様子が記述されていた。父親は当初「数年で芽が出なければちゃんこ屋でもやらせればいい。」という感覚で息子の希望を認めかけたが、母が「ちゃんこ屋でも……ぐらいの感覚でさせるならやめて下さい。」と意見したことで父も本気で関取に育て上げる決意をしたという。
  4. 『相撲』2013年11月号79頁には「右上手からの技であるからこそ相手の後ろ廻しの結び目の先の細く折られた先端部分を効率的に掴むことができ、威力が高まるのだ。廻しの構造上、左ではそのような掴み方は出来ない。」とその「独特の上手出し投げ」の詳細が説明されていた。
  5. スポーツ報知 2010年5月26日
  6. 三保ケ関から阿覧ら6人が春日野部屋へ nikkansports.com 2013年10月3日
  7. 『大相撲ジャーナル』2014年2月号102頁
  8. 22年ぶりも…増位山、時津風暴行事件余波、ZAKZAK、2007年9月28日。
  9. 増位山「歌手で横綱目指す」新曲「夕子のお店」発表スポニチアネックス 2013年12月5日
  10. 増位山太志郎の実妹にあたる。