井手らっきょ

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テンプレート:BLP unsourced テンプレート:Infobox お笑い芸人 井手 らっきょ(いでらっきょ、1959年12月11日 - )は、日本お笑い芸人実業家たけし軍団団員。本名、井手 博士(いで ひろし)。

熊本県熊本市中央区出身。オフィス北野所属。血液型はAB型。妻子あり。

スキンヘッドがトレードマークで、芸(癖)が定番。テレビのバラエティ番組のほか、映画や舞台でも俳優として活躍している。その傍ら、熊本市にて2005年5月設立した野球専門学校「プロフェッショナル・ベースボール・アカデミー」(Professional Baseball Academy)の校長・運営会社「有限会社裸裸裸」(ららら)の代表取締役。

来歴

熊本市立帯山小学校熊本市立帯山中学校熊本県立第二高等学校卒業、久留米大学商学部中退。特技は野球、ゴルフほかスポーツ全般。なお、双子の弟として生まれたが、兄は生後間もなく死去したという。

水谷豊アントニオ猪木宮尾すすむ西城秀樹田村正和などのものまねで、素人ものまね番組の常連となったことで注目され、1982年に『井手ひろし』の芸名で太田プロダクションよりデビュー。同世代のお笑いタレントとしては双子漫才のポップコーンがおり、当時業界ではこの二組にマンザイブーム後次世代お笑いの期待が寄せられていた。またフジテレビ系『笑っていいとも!』のレギュラーだった時期もあり、若手の実力派ものまねタレントとして人気知名度とも高かった。

その後頭髪が脱毛症となるが、カツラを常用するようになりつつ芸能活動を続ける中、たけし軍団の草野球に参加中ビートたけしに軍団入りを打診される。その際に思い切って頭髪を剃る事を提案され、ラッキョのような見た目からそのままの命名でたけし軍団の井手らっきょとして生まれ変わった。たけし軍団入り以降はすぐに裸になる裸芸を持ちネタとしており、日本テレビ系『スーパージョッキー』の「熱湯コマーシャル」コーナーで水着に着替える際は外に出て裸になり、客席から悲鳴が上がることが多々あった。フジテレビ系『北野ファンクラブ』のコントでは、井手が素っ裸になるオチが多い。

野球関連のエピソード

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  • 俊足で知られ、100m走ベストタイムは大学時代の体育の授業で出した11秒0。その後『ビートたけしのスポーツ大将』の番組中でも10秒89(追い風参考)の好タイムを出すなどまさに「芸能界の韋駄天」というほどの走りを世間に知らしめる。フジテレビ番組「さんまのスポーツするぞ」(93年)で、現役引退後のフローレンス・ジョイナー(ソウルオリンピック陸上3冠)と100m走で勝利し、ジョイナー愛用のスパイクを獲得した事がある。
  • 『スポーツ大将』のチャレンジ企画でたけし軍団全員が日本ハムファイターズの入団テストを受けるものがあり、通常のテストと全く同じ内容で受験。総合で井手のみが合格ラインに到達した。
    • 当時の日本ハムのスカウトから「年齢がもう少し若ければ、採用していたかもしれない」と言われたというエピソードもある。
  • 野球好きが高じ、用具のこだわりは深く、ミズノに硬式野球用特注グラブ投手用、二塁手用、三塁手用、遊撃手用、外野手用、ファーストミットと発注し、計8個所有している。
  • たけし軍団の草野球チームでも主力として活躍、殊に1991年11月23日阪神のファン感謝デーのイベントとして行われたたけし軍団対阪神の試合では最終回となる6回に逆転のツーランスクイズを決めている[1]
  • バラエティ番組マネーの虎』(日本テレビ)に出演し、元・プロ野球選手による野球塾開校を希望。堀之内九一郎社長が激しく批判するも、井手と共に交渉にあたった元プロ野球選手の秦真司がその場で実際に素振りをしたところ社長達がとても感動し、「下手な説明よりプロの素振りを見た方がよほど説得力があるよ」と味方に付けたことでマネー成立。小林敬社長から270万円、高橋がなり社長と岩井良明社長からそれぞれ1000万円の投資を受け、2270万円という番組史上最高額のマネー成立を勝ち取った。塾は神奈川県海老名市に開校予定だったが、建築基準法の関係で井手の出身地の熊本市になった。PBA(プロフェッショナル・ベースボール・アカデミー)という名前で2005年5月28日に開校。ちなみに運営する法人名は「有限会社 裸裸裸」である。
  • 2007年3月2日に福岡を拠点とする社会人野球チーム「嘉麻市バーニングヒーローズ」を結成。自身は選手会長を、元力士で元プロ野球選手の市場孝之が監督を務める。
  • 東国原英夫宮崎県知事(旧名・そのまんま東)率いる野球チーム「チームそのまんま宮崎」のメンバーとして、2008年正月にRKB毎日放送で放送された特番で川崎宗則率いる「宗rin'S」と対戦した。
  • 自身の息子も高校球児として高校野球東東京大会では同じ軍団のダンカンの息子も同じ大会に出場して話題となった。
  • 高校の時に熊本工業高等学校との試合でセカンドを守っていた時、1塁ランナーだった山森雅文に盗塁されたのが悔しくて「今の、ファウルだよ」と言ったらそれを真に受けて山森は1塁に戻ってしまった(たけし軍団「ツノ出せ、ヤリ出せ」より)。

その他のエピソード

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  • 井手ひろしとして活動していた1981年頃、『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)の集英社生コマーシャルをやっていた。同時期のテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』(TBSテレビ)にも、医学部の学生役で出演していた。
  • 1986年のコンサートツアーには参加していない。理由は愛人宅を訪れていて連絡がつかなかったためである。『ビートたけしのオールナイトニッポン』でそのまんま東(現・東国原英夫)に「サンプラザ井手」という名前で、カラ出張を暴露された。なお『オールナイトニッポン』放送中に井手とスタジオに電話が繋がり、得意の宮尾すすむ田原俊彦近藤正臣の物まねで奥さんに弁解をしていた。
  • 同年のフライデー襲撃事件にも参加していない。理由は前述と同様愛人宅を訪れていたため。
  • 2001年に劇団「井手食堂」を旗揚げし、定期的に公演活動を行っている。
  • スキンヘッドに関連するネタやエピソードは非常に多く、ビートたけしのスポーツ大将で軍団がマリンスポーツに挑戦した際には海草をかつらのように頭にかぶる[2]、『たけし城』などにおいては頭を手拭でこするなどのネタを披露。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ヘビメタ運動会」においてはヘヴィメタルチームのキャプテンとして出場。ムカデ競走に出場した際、後ろに並んだYOSHIKIの前髪が頭に刺さり(このとき井手は列の先頭、Xメンバーはそのすぐ後ろに並んでいた)、「いて!いて!」と悲鳴をあげるなどのエピソードも残している。
  • 番組内で着用している奇妙な下着は、すべてセクシーなメンズ・アンダーウェアとして販売されている既製品。井手自身この手の下着を好み、自宅訪問の折に夫人がタンスを開けると数々のセクシー下着が出てきた。Tバックペニスを収納するポーチがついた下着などを好む。
  • 何度も裸になるため、1991年4月6日放送の『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』では、井手を懲らしめるための人間性クイズが仕掛けられた。その内容は、ストリップショー形式の偽字読みクイズに参加させ、ショーが佳境に入ったところでステージに上がり自ら裸になるであろうという井手の行動を想定し、井手の奥さんや両親、生まれたばかりの子供といった井手の親族を登場させるというもの。まんまと裸になり、ストリッパーと腰振りダンスをしていた場面に奥さんらを登場させ、さしもの井手もこの時ばかりは狼狽していた。この時井手の母は号泣、コメントを求められた父は「制作者として恥ずかしい」とコメントしている。女房は「しばらく、実家で頭を冷やさせていただきます」と突き放していた。唯一同情的だったのが伯母で、「人様を笑わせるためにここまで身体を張っているのね」と半泣きになりながらコメントしている。
  • テレビ朝日の人気クイズ番組『100万円クイズハンター』に、本名の「井手博士」の名前で一般出場(同局の軍団10周年SP特番の企画で、たけし軍団7人が筆記試験と面接を受けた。30問中21点。)。オープニングの時カツラを着けていたが、司会者の柳生博から「脱ぎなさい! なんか、あなたじゃないから!!」と注意を喰らい強制的に外された。途中豪華賞品を獲得したこともあったが後半の「ハンターチャンス」で没収されてしまい、最終的に2品(約13万円分)だけ残って最下位終了。応援団としてスタジオに来場したダンカングレート義太夫ラッシャー板前に激しく野次られていた。エンディングでは前出の3名が優勝者の応援団と共に壇上に上った。ダンカンが最終ゲームの人形が飛び出すビックリ箱ゲームの箱を出演記念に持ち帰ろうとして、柳生に「又、明日お会いしましょぉぉぉぉ!!!!」と、挨拶をしながら力任せに羽交い絞めにされていた(その後オールスター100人ビンゴクイズ(テレビ朝日収録の回で再会していた))。
  • 日本テレビ系『スーパージョッキー』において、「熱湯コマーシャル」での全裸芸以外にも、同番組内の歌のゲストでセクシー系の女性アイドル(岡本夏生杉本彩飯島愛など)が出演すると、興奮がピークに達し、ブリーフ姿一丁か特注の衣装になり、後ろで勝手にダンサーを務めることが名物となっていた。
  • 『スーパージョッキー』の番組内で井手に裸になってもらいたい時、ADから出されたフリップのサインは「バカGO!」であった(井手のニックネームが「バカ師匠」だったことから)。この為「公共の電波での猥褻行為」に抵触し、警視庁にて書類送検になったこともあった(ブラックリストには中村ゆうじも同様のケースで送検となっていた)。1989年の「ビートたけしのオールナイトニッポン・重大ニュース」の栄えある第1位は、この事件であった。
  • 身体能力はとても高く、テレビ東京系の子供向け番組『スーパーマリオスタジアム』で井手がPK戦のキーパー、子供がキッカーという設定でゲームをしたところ、本職真っ青の好セーブを連発。しかし番組制作サイドの想定していたセーブ率を上回り過ぎていたため、当初審判役で出演していたラッシャー板前松尾伴内がキーパーになり、代わりに井手は審判にまわされた。
  • 同郷のコメディアンばってん荒川を尊敬しており、「将来の夢は熊本に帰り、ばってん荒川になる事」と本気か洒落か判らないコメントを残している。そんな縁あってか、『あの人は今!?』のレポーター役でばってん荒川にインタビューした際、肥後にわかの舞台に客演する事となった。その内容は、いつものように裸(上半身のみ)になった井手を見て、ばってん荒川扮するお米ばあさんが興奮し、「燃えてきたとばい!」と言って下着姿になり、井手を追いかけ回すというオチで締めくくるものであった。
  • 2006年10月24日に熊本市内の葬儀場で行われたばってん荒川の葬儀・告別式にはたけし、軍団員とともに供花を贈っている。
  • 続編などを撮らない北野武監督作品の中で唯一同じ役で2本の映画に出演している。
  • 2007年には日清食品「行列のできるラーメン」のCMに出演。東国原知事が活躍する裏で、コンビニの前で井手・グレート義太夫・お宮の松がカップラーメンを食べており、「あいつらもどげんかせんといかん」と言われる内容で話題となった。
  • 趣味はダーツで、腕前もAフラとセミプロ並みである。ダーツの大きな大会によく招かれ、ゲームオンの掛け声を担当している。2012年には、神奈川県川崎市新丸子に自身が店長のダーツバー・雀荘「らっきょの小部屋」をオープン。仕事が無い日は店に出ており、2013年1月27日放送分の『モヤモヤさまぁ〜ず2』で紹介される。
  • 蜷川作品で共演した藤原竜也小出恵介とは、プライベートでも交流する仲である[3]

主な出演作品

テレビ番組

テレビドラマ

映画

舞台

  • 昭和歌謡大全集(演出・蜷川幸雄
  • パンドラの鐘(演出・蜷川幸雄)
  • ハムレット(演出・蜷川幸雄)

ビデオ作品

  • パチンコ バトル・ロワイアル(2001年、監督・タガワカンタ
  • パチンコ バトル・ロワイアルII(2004年、監督・石毛栄典)

テレビアニメ

1999年

2004年

ゲーム

2005年

  • らっきょの甲子園物語(1989年、太田出版)

脚注

  1. 【11月23日】1991年(平3) 阪神、たけし軍団に逆転負け 翌年はロッテもやられた
  2. 練習せず遊んでいたため全然上達せず、「かつらで遊んでいた井手らっきょ、全然上達していません」と呆れられた。
  3. 2012年9月23日放送『東西芸人いきなり!2人旅』より。

関連項目

外部リンク